綾瀬麗香(あやせれいか)
次の日も同じ時間に、カフェのテラス席に綾瀬麗華は座っていた。
透き通るような白い肌に、長いまつ毛が影を落としている。
美しい黒い髪が肩までかかる長さで、読書をするときだけかける黒縁のメガネが、意外なほど似合っていた。
昨日より少しだけ髪を下ろしているように見えた。
俺は少し離れたところから彼女の姿を見て、改めて思う。
綺麗だな、と。
カフェに入り、マスターにホットコーヒーを頼む。
それからテラス席に近づいていくと、綾瀬麗華が顔を上げた。
少し驚いたような顔をしたあと、すぐに穏やかな笑みを浮かべる。
「……また来てくれたんだ」
その声に、少しだけ安堵が混じっていた気がした。
「昨日、話が途中だったからな」
俺は向かいの席に腰を下ろした。
麗華は本を少し閉じて、こちらを見た。
「『永遠の午後』、読んだことある?」
「ああ、読んだことある」
俺が答えると、麗華の目が少しだけ輝いた。
「本当? どう思った?」
「最初は綺麗な話だと思った。
喧嘩もしないし、嘘もないし、ずっと穏やかでいられる恋人同士の話だよな」
麗華は静かに頷いた。
「でも、読み進めるうちにちょっと気持ち悪くなった」
「……気持ち悪い?」
「うん。相手が全部優しくて、全部受け入れてくれる。
でもそれって、本当の気持ちがわからなくなっていかないか?
喧嘩もしないし、嫌な顔もしない。
それって結局、お互いのことを本気で理解しようとしてないんじゃないか、って」
麗華は少しの間を置いてから、静かに言った。
「私はね、この本を読んだ時、この話はすごく理想的だと思ったの。
でも、読み終えたあとで少し寂しくなった。
この2人は今後も本当の気持ちを隠して、誤魔化して生きていくんだなって。
喧嘩をしてもいいから、ちゃんと気持ちをぶつけてくれる関係の方が、私は安心できるかもって思うようになった」
少し驚いた。
会話は、思った以上に自然に続いた。
最初は本の話だったのに、いつの間にか「本当の感情とは何か」「人と繋がるってどういうことか」といった話に変わっていた。
綾瀬麗華は静かだけど、はっきりとした言葉で自分の考えを述べる。
そのたびに、俺は少しずつ彼女の考え方に引き込まれていった。
話の途中、綾瀬麗華がふとこちらを見た。
「そういえば、まだ名前を聞いてなかったね」
「……ああ」
少しだけ照れくささを感じながら、言った。
「高嶺ハルト(たかみねはると)だ」
「綾瀬麗華です。麗華でいいよ」
彼女は少しだけ頭を下げた。
実は、知ってたんだ。
あの日カフェのマスターと話してる君をみて、俺はアセンダントに聞いたんだ。
彼女の名前は?って。
少し罪悪感のようなものを感じながら、改めて彼女のことを見た。
知的な雰囲気と、静かな美しさ。
他の連中とは明らかに違う、何か芯のあるものを感じる。
正直に言えば、少し心を惹かれていた。
「……じゃあ、俺のことはハルトで」
「うん」
麗華は小さく笑った。
そのあと、また少しだけ本の話に戻った。
時間が経つのを忘れるくらい、話が続いた。
結局、日がかなり暮れかけてから、ようやく席を立つことになった。
「また、話したいな」
麗華が、少しだけ遠慮がちな声で言った。
「実は、俺もだ」
俺は即答した。
「明日も同じ時間でいいか?」
「うん。ここで待ってる」
彼女は少しだけ微笑んだ。
「じゃあ、明日」
帰り道、俺は少しだけ足取りが軽かった。
ただ本の話をして、考えをぶつけて、笑っただけだった。
そんな時間がたまらなく楽しかった。
歩きながら、ふと別のことを思い出した。
(あ、そうだ。麗華に読んでほしい本があったな)
自分の部屋の本棚に、以前読んで面白かった本があった。
あの話なら、きっと彼女も興味を持ってくれるかもしれない。
(明日、持っていってみよう)
そう決めて、俺は家路についた。
次の日。
約束通り、同じ時間にカフェへ行くと、麗華はすでに席に着いていた。
俺が近づくと、彼女は少し嬉しそうな笑みを浮かべた。
「来てくれたんだ」
「約束したからな」
俺は向かいの席に座りながら、隠すように待っていた本を取り出した。
「これ、麗華に読んでほしいと思って持ってきた」
本を差し出すと、麗華は少し驚いた顔をした。
そして自分の鞄から、全く同じ本を取り出してテーブルに置いた。
「……え?」
二人は同時に顔を見合わせて、思わず笑ってしまった。
「私も、これをハルトくんに読んでほしいと思ったんだ」
「マジかよ」
俺は思わず笑いながら言った。
「偶然だな」
麗華も小さく笑いながら、こちらを見た。
その表情には、どこか嬉しそうな色が浮かんでいた。
「考えが一緒だったんだね」
その言葉に、俺は少しだけ胸の奥が温かくなるのを感じた。
ただ本を一冊、相手に読んでほしいと思っただけ。
それがたまたま同じだった。
それだけのことなのに、妙に心が通じ合ったような気がした。




