少しだけ違う彼女
この世界はアセンダント・インテリジェンスが管理する世界だ。
アセンダント・インテリジェンスとはこの世界を管理しているAIで、俺たちが快適に過ごせるよう、いろいろとサポートしてくれている。
何をしたいと言えば大抵すぐに実現してくれるし、困ったことがあればすぐに解決してくれる。
いつからこうなったのかは、よくわからない。
気がついたら、もうここにいた。
空腹もないし、疲れもない。怪我をしてもすぐに治る。
やりたいことは大抵、すぐに実現できる。
それなのに、近頃どうにも退屈で仕方ない。
昨日は、本で読んだ「スキー」というものをやってみた。
雪に覆われた大きな山を想像して、ワクワクしながらアセンダントに頼んでみたんだ。
しかし実際は、ただの再現だった。
風の冷たさも、雪の感触も、バランスを崩したときの焦りも、全部ちゃんと用意されていた。
それなのに、何かが足りない。
本には「友達や家族と行くもの」と書いてあったけど、ここにはそんな相手がいない。
一人で滑っていると、ただスピードを出しているだけに感じて、すぐに飽きてしまった。
この世界のものは、だいたいそんな感じだ。
本や映画で知った「楽しいこと」を再現してくれるけど、どこかで「本物とは違う」とわかってしまう。
努力した先に得られる達成感も、誰かと一緒に笑った瞬間の熱も、全部が少しずつ薄い。
だから、最近は特に何もしたくなくなる。
街を歩いていても、同じような感覚になる。
喫茶店に入っても、図書館に入っても、そこにいるのはみんな同じような人たちだ。
最初は普通に話せる。
笑顔で挨拶もしてくれるし、こちらが話しかければちゃんと返事もする。
しかし、話が少し深くなると、急に答えが単調になる。
「そうですか」
「それは大変ですね」
「おすすめはこちらです」
みたいな、どこかで聞いたことのある言葉ばかりが出てくる。
仲良くなった人もいる。
何度か話したことがあるし、一緒に時間を過ごしたこともある。
でも、ふと気づくと、みんな同じなんだ。
自分のことを本気で心配してくれたり、勝手に機嫌を悪くしたり、急に話題を変えたりする人がいない。
みんなが優しすぎて、逆に何も感じない。
だから結局、一人でいるのと大して変わらない。
そんなことを考えながら街を歩いていると、ふとカフェのテラス席に目が止まった。
そこに、綾瀬麗華が座っていた。
最近このカフェで何度か見かける顔だ。
彼女は手元の本に視線を落とし、静かにページをめくっている。
他の人たちとは少し違う気がした。
直接話したことはないけど、以前、喫茶店のマスターと注文する様子を偶然見たことがある。
「ご注文は?」
「ホットコーヒーを一つ」
「砂糖とミルクはどうされますか?」
「…今日はいらないかな。大丈夫です。」
たったそれだけのやり取り。
それでも、他の連中とは明らかに反応が違った。
すぐに「不要です」や「そのままで」などと返すわけでもなく、少しだけ間を置いてから答える。
その間が、まるで本当に考えているみたいで、妙に印象に残っていた。
俺は、ふと足を止めた。
(……話しかけてみようか)
理由はよくわからなかった。
ただ、彼女となら、少しだけ普通に話せるかもしれないと思った。
そのまま足を動かして、テラス席の近くまで行った。
麗華がこちらに気づいて、静かに本を閉じる。
少し驚いたような顔をしたが、すぐに穏やかな表情に戻った。
「……何か?」
声は穏やかで、どこか丁寧だった。
事務的な感じはしなかった。
「いや、ちょっと……」
言葉が出てこない。
急に話しかけた自分に、少しだけ戸惑っていた。
麗華は少しだけ首を傾げて、こちらを見上げる。
「もしかして、さっきからこっちを見ていた?」
「……気付いていたんだ」
正直に答えると、彼女は小さく笑った。
その笑い方も、他の連中とは少し違った。
ただ笑顔を作っているだけじゃなくて、どこか自然に見えた。
「気にしないで。別に、悪いことじゃないから」
そう言って、彼女は向かいの席を軽く指差した。
「座る? もしよかったら」
俺は少し迷った後、向かいの椅子に腰を下ろした。
麗華は再び本を少し開きながら、視線をこちらに向けた。
「話したかったこと、あったの?」
その言葉に、俺はようやく少し口を開いた。
「……最近、ちょっと退屈でさ。スキーをしてみたんだけど、なんか物足りなくて」
麗華は静かに頷いた。
「そうなんだ。……私も、たまにそんな風に思うことがあるよ」
その一言で、俺は少し驚いた。
他の人なら、絶対にこんな返事はしない。
「そうですか。また挑戦してみてください」みたいな、どこかで聞いた言葉を返すだけだ。
でも彼女は、ちゃんと「私も」と自分の感覚を口にした。
(……やっぱり、ちょっと違う)
そう思った瞬間、俺は彼女ともう少し話していたいと思った。




