5話:支配願望
この物語は、異世界に転生するまでの話です。
子供の頃に思い描いた願望。
大人になれば忘れてしまうような、単純で真っ直ぐな理想。
今回は「支配願望」。
誰かを思い通りにしたいという願いと、
自分の信じる役割を貫く意志の戦いになります。
『敗者は、地獄行きです』
天使の声が静かに響く。
足元が割れ、暗い穴が口を開ける。
「嘘だろ……」
中居圭介が呟く。
「俺は……最強なんだぞ……!」
黒い手が伸びる。
足首を掴む。
引きずる。
「当たってれば……!」
「当たってれば……!」
叫びながら沈む。
闇へ。
消えた。
コロシアムに静寂が戻る。
誰も笑わない。
誰も、次を楽しみにしていない。
『第五試合を開始します』
二人が中央へ歩み出る。
一人は細身の男。
眼鏡をかけ、背筋だけは妙に伸びている。
神経質そうな目。
口元には薄い笑み。
名は黒瀬宗一郎。
三十九歳。
「ようやく私の番か」
もう一人は、どこか頼りない男だった。
年は三十前後。
少し猫背。
だが腰には、玩具のような剣。
胸元には、安っぽい鎧のような装飾。
名は小野寺勇太。
三十二歳。
「……勇者っぽいな」
誰かが小さく呟いた。
小野寺はそれを聞いて、少しだけ顔を上げる。
「……そうだ」
小さく言う。
「僕は、勇者だ」
黒瀬が鼻で笑った。
「いい歳をして、勇者か」
「……」
「滑稽だな」
『第五試合、開始』
黒瀬が右手を上げる。
『能力名:支配者。対象の行動を命令によって操作できます』
天使の声が響く。
黒瀬の目が細くなる。
「跪け」
声が落ちた。
空気が重くなる。
見えない圧が、小野寺の身体に絡みつく。
「……っ」
膝が揺れる。
足が震える。
だが、倒れない。
「……ほう」
黒瀬が眉を動かす。
「抵抗するか」
『補足。支配の強度は、対象の意思の弱さに比例します』
「つまり」
黒瀬が笑う。
「心が弱いほど、よく従う」
小野寺は剣を抜く。
刃は細い。
どう見ても強そうではない。
『能力名:勇者。剣技、魔法、ステータス表示など、ゲーム的勇者能力を再現します』
小野寺の前に、半透明の表示が浮かぶ。
【勇者ユウタ】
【HP:30/30】
【MP:10/10】
【装備:はじまりの剣】
沈黙。
「……弱くない?」
誰かが呟いた。
小野寺の頬が引きつる。
「まだ序盤だから……」
黒瀬が笑った。
「序盤で終わるんだよ」
手を振る。
「剣を捨てろ」
小野寺の手が震える。
指が開きかける。
剣が落ちそうになる。
「……っ」
だが、握り直す。
「勇者は」
息を吐く。
「武器を捨てない」
「命令だぞ」
黒瀬の声が強くなる。
「剣を捨てろ」
小野寺の腕が下がる。
剣先が床に触れる。
それでも、手は離れない。
「……勇者は」
顔を上げる。
「操られない」
一歩踏み出す。
黒瀬の表情が変わる。
「ファイア!」
小野寺が叫ぶ。
手のひらから火が出る。
小さい。
ろうそく程度の火。
「弱っ」
黒瀬が素で言った。
火は黒瀬の袖を少し焦がして消える。
「……」
「……」
「今のが魔法か?」
「初級魔法だ」
「初級にも程があるだろう」
小野寺は少しだけ赤くなる。
「でも、当たった」
黒瀬の眉がぴくりと動く。
「黙れ」
声が重くなる。
「止まれ」
小野寺の足が止まる。
身体が固まる。
表示が揺れる。
【状態異常:支配】
「そうだ」
黒瀬が近づく。
「それでいい」
「人はな」
「誰かに従っていれば楽なんだ」
小野寺は歯を食いしばる。
【HP:30/30】
【MP:8/10】
「……勇者は」
小さく呟く。
「村人に頼まれて」
「王様に頼まれて」
「世界を救いに行くんだ」
足が動く。
「でも」
「最後に歩くのは、自分の足だ」
支配が軋む。
【状態異常:解除】
「なっ……」
黒瀬が一歩下がる。
「スラッシュ!」
小野寺が剣を振る。
技名の割に、ただの斬りつけ。
浅い。
だが黒瀬の腕を切る。
「ぐっ……!」
【黒瀬に3ダメージ】
「表示するな!!」
黒瀬が叫ぶ。
「なんで私のダメージまで出るんだ!」
「ゲームだから……」
「うるさい!」
黒瀬が両手を広げる。
「伏せろ!」
小野寺の身体が沈む。
膝が床につく。
「そのまま頭を下げろ」
額が床に近づく。
「そうだ」
黒瀬の声が震えている。
「従え」
「私に」
「私の言うことを聞け」
小野寺の額が床に触れそうになる。
そのとき、表示が浮かぶ。
【勇者は こころを ふるいたたせた!】
「……なんだその演出は」
黒瀬が引く。
小野寺が笑う。
頼りない笑いだった。
「僕もそう思う」
身体を起こす。
「でも」
「勇者っぽいだろ」
黒瀬の顔が歪む。
「ふざけるな」
「支配されろ」
「黙れ」
「動くな」
「諦めろ」
命令が重なる。
空気が潰れる。
小野寺の身体が何度も揺れる。
それでも倒れない。
「……なんでだ」
黒瀬が呟く。
「なんで従わない」
小野寺は剣を構える。
震えている。
足も、手も。
それでも構える。
「僕が」
息を吸う。
「勇者だからだ」
その一言は、ひどく子供っぽかった。
けれど、その場にあるどの力よりも硬かった。
「ブレイブ・スラッシュ!」
小野寺が踏み込む。
技名は大げさ。
剣筋は素人。
威力も大したことはない。
だが、黒瀬は避けられなかった。
――ゴッ。
「がっ……!」
【黒瀬に12ダメージ】
【会心の一撃!】
「だから表示するな!!」
黒瀬が膝をつく。
「私は……」
声が震える。
「私は、人の上に立つはずだった」
「みんなが私の言うことを聞くはずだった」
「なのに」
「なんで……」
小野寺は剣を下ろさない。
「命令じゃ」
静かに言う。
「人の心までは動かせないよ」
黒瀬が睨む。
「綺麗事を……!」
最後の力で手を上げる。
「止まれ!!」
小野寺の身体が止まる。
だが剣先だけが、わずかに動く。
【勇者は あきらめない!】
「やめろ……」
黒瀬の顔が引きつる。
「その表示をやめろ……!」
「うん」
小野寺が息を吐く。
「僕も、ちょっと恥ずかしい」
剣が振り下ろされる。
――ドン。
黒瀬の身体が崩れる。
『敗者は、地獄行きです』
「……待て」
黒瀬が顔を上げる。
「私は負けていない」
「私は支配する側だ」
足元が割れる。
黒い手が伸びる。
「やめろ」
掴まれる。
「私に触るな」
引きずられる。
「命令だ!」
「離せ!」
「従え!」
黒い手は止まらない。
「なぜだ……!」
声が歪む。
「なぜ、誰も私に従わない……!」
沈む。
胸まで。
首まで。
「私は……支配者だぞ……!」
闇に呑まれる。
消えた。
『第五試合、終了』
コロシアムに静寂が戻る。
小野寺の前に、表示が浮かぶ。
【戦闘に勝利しました】
【経験値は入りません】
【勇者ユウタは 少しだけ 自信を取り戻した】
「……そこまで出るんだ」
小野寺が小さく呟く。
誰も笑わなかった。
けれど、少しだけ空気が変わった。
ここでは、願望が敗因になる。
だが時々、その願望だけが、最後まで心を支える。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
今回は「支配願望」の話でした。
人を動かす力と、自分の意思で動く力。
似ているようでまったく違うものが、はっきりと結果に出た形になります。
少しコミカルな演出も入れつつ、
この作品らしい「願望のズレ」を描いた回でした。
次回もまた別の願望を持った人物が登場します。
よければ引き続き読んでいただけると嬉しいです。




