10.5話 阪本多一郎 とめられない♡トキメキ
阪本多一郎は、昔から“普通”になれなかった。
声が高い。
仕草が女っぽい。
好きになる相手も、周りとは違った。
それだけで、子供の世界では十分すぎる理由だった。
笑われる。
真似される。
気持ち悪いと言われる。
多一郎は、そういう視線に慣れていた。
慣れるしかなかった。
⸻
中学二年の頃だった。
同じクラスの男子に、恋をした。
笑顔が優しくて、背が高くて、誰にでも気さくに話しかける人気者だった。
多一郎は、その姿を見るだけで嬉しかった。
当然、叶うはずのない恋だった。
だから告白したのも、半分は勢いだった。
断られて終わる。
そう思っていた。
だが。
「……別に、いいよ」
男は、笑いながら言った。
「付き合ってみる?」
頭が真っ白になった。
夢みたいだった。
本当に、夢みたいだった。
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放課後、一緒に帰った。
ジュースを分け合った。
他愛もない話をした。
たったそれだけのことが、多一郎には世界の全部みたいに思えた。
夕焼けの帰り道。
隣を歩くその時間が、永遠みたいだった。
(止まればいいのに)
本気で思った。
(この時間のまま、全部止まっちゃえばいいのに)
それくらい幸せだった。
⸻
全部、嘘だった。
数日後、多一郎は教室に呼び出された。
行ってみると、クラスの男子たちが集まっていた。
中心には、あの男がいる。
嫌な予感がした。
「おい、こいつマジで信じてんだぜ」
笑い声。
「試しに付き合ったら、本気にしやがって」
教室が爆笑に包まれる。
多一郎の身体が固まる。
男は、心底おかしそうに笑いながら言った。
「お前みたいなオカマ、好きになるわけねぇだろ」
頭の中が真っ白になる。
笑い声だけが響いていた。
その日から、多一郎は完全に“おもちゃ”になった。
机は汚され、陰口を叩かれ、廊下を歩くだけで笑われた。
それでも。
それでも多一郎は、あの夕焼けの帰り道だけは嫌いになれなかった。
本当に幸せだったから。
たとえ全部嘘でも。
あの時間だけは、自分にとって本物だった。
⸻
大人になった多一郎は、“阪本多一郎”を捨てた。
派手な化粧。
香水。
ヒール。
喋り方も、立ち振る舞いも、全部作り変えた。
「やぁねぇ、アンタほんと見る目ないわよ〜」
笑う。
演じる。
明るい“美魔女ママ”を。
オカマバーの店内では、誰も昔の自分を知らない。
その時間だけは楽だった。
好きな自分でいられた。
客たちも笑ってくれる。
ここだけは、自分の居場所だと思っていた。
⸻
だから、信じてしまった。
「ママ、絶対儲かる投資あるんすよ」
常連客の甘い言葉を。
最初は少しだけだった。
だが、一度増えると止まらない。
もっと。
もっと。
気づけば店の金にまで手を出していた。
そして、全部消えた。
借金だけが残った。
⸻
閉店後の店内は、静かだった。
薄暗い照明。
煙草の匂い。
誰もいないカウンター。
多一郎は、一人で椅子に座っていた。
「……ほんと、バカねぇ」
乾いた笑いが漏れる。
この店だけは守りたかった。
ようやく手に入れた居場所だった。
なのに、自分で壊した。
視線を上げる。
壁に飾られた写真には、客たちと笑う自分が映っていた。
全部、楽しかった。
本当に。
「……止まればよかったのにねぇ」
ぽつりと呟く。
あの夕焼けの日みたいに。
あの店の時間みたいに。
幸せだった瞬間だけで、全部止まってしまえばよかった。
多一郎は煙草を咥える。
火をつける。
大きく吸う。
肺が痛い。
昔から吸いすぎだと言われていた。
「……あーあ」
小さく笑う。
「ほんと、向いてない人生だったわ」
店内に撒かれたガソリンの匂いが広がる。
煙草を指で摘む。
少しだけ、目を閉じた。
せめて最後くらい。
時間が止まればいいのにと、思った。




