強くなったかも!
ジュル、ジュル、……ごくん。
喉の奥に、あの味が落ちていく。
もう何度目か分からないその感覚は、最初の頃のような拒絶反応を伴わなくなっていた。代わりにあるのは、妙な“慣れ”と、そして――ほんの少しの高揚感だ。
「……ぷはぁ、よぉし、次ィィ!」
息を整える間もなく、俺は視線を上げる。
草原の中、少し離れた場所でぷるぷると揺れている影がある。スライムだ。さっきと同じような、青みがかった半透明の個体。風に揺れる草の間で、陽光を反射して、ぬらりと光っている。
足を踏み出す。
土がわずかに沈み、靴底に草の繊維が絡みつく。風が頬を撫で、ツインテールが遅れて揺れる。風に靡くスカートの下では、あの尻尾が、わずかに反応する。
「……お前も、慣れてきたな」
ぽつりと呟く。
最初はただの“異物”だったそれが、今では完全に自分の身体の一部として認識されている。意識を向ければ、ぴくりと動く。振ろうと思えば、ちゃんと振れる。
そして――
(体液吸収)
わざわざ叫ぶ必要はもうない。意識するだけで、スキルは発動する。
尻尾の先端のハートが、ぐにゃりと歪む。
ぱかり、と四つに裂けるその動きにも、もう驚かない。むしろ、どこかで「よし来た」と思っている自分がいるのが怖い。
「……慣れって怖いな」
内心でぼやきながら、尻尾をスライムへと向ける。
スライムは、相変わらず逃げない。逃げられないのか、逃げる気がないのか分からないが、ただその場で揺れている。
その身体に――ぐぱっ、開いては噛みつく。
「……うん」
そして――数泊の間をおいてジュル、ゾル……ところてんを啜るような感触が喉を通過する。
「……来た」
グビッ、ごくん。
「……ッ」
あの味。洗剤みたいな、味、でも微妙に甘ったるい、絶妙に不快な液体が、直接喉に流れ込んでくる。最初の頃はこれで本気で吐きそうになっていたのに、今はどうだ。
「……慣れたな」
自分でも信じられないが、耐えられる。
いや、耐えるだけじゃない。ちゃんと“飲めている”。
もちろん美味しくはない。断じて美味しくはないが、もはや「うわ無理!」という拒絶はない。ただ「うん、不味いね」で済むレベルまで落ち着いている。
……人間、適応力ってすごいな。
スライムの身体が、少しずつ縮んでいく。
ぬるりとした表面がしぼみ、内部の透明感が失われていく。その変化を、俺はじっと見つめる。
「……悪いな」
誰にともなく呟く。
だが食いしん坊な尻尾は止めないしそもそも止まらない。
やがてスライムは完全に崩れ、地面に染み込むように消えた。
《個体スライムの体液を吸収》
《VIT+0.1 HP+0.3上昇》
「……よし」
小さく拳を握る。
身体の奥が、わずかに重くなるような感覚がある。それが“強くなった”という証なのだと、今では分かる。
振り返る。数時間前、スライムの群生地と言わんばかりの湖を見つけた。少し歩けばスライム。少し視線を落とせばまたスライム。
「……やるか」
俺は歩き出す。
ジュル、ジュル、ごくん。
ジュル、ジュル、ごくん。たまにおえっ。
その繰り返し。
時間の感覚は、不思議と感じなかった、徐々に強くなっているのだろう、防御力の数値、HPが少しずつ少しずつ上がっていく。あまりに孤独すぎる作業という点を除けば意外と楽しくゲームができていた。
太陽がどこにあるのかも分からない。ただ、目の前にスライムがいれば吸う。それだけだ。
気づけば――調子に乗った。というかスライムは戦闘らしい戦闘にならない。
もしかしてこれって他のモンスターもですかぁ?なんて思っちゃうのは必然。
「……あれ?」
尻尾を見つめる。
先端のハートが、愛らしくちょいちょい、と俺に合図する。そのハートが指す先には……。
ゴブリン。小さな棍棒を持った小鬼がそこにはいた。
おうおう、教えてくれるなんてかわいいじゃないか、お前もスライム以外を啜ってみたいんだろ?
俺も少し他の味も試してみたい。
そう思うと、呼応してか、うんうん、と息巻く。尻尾が。
「……なんか、愛着湧いてきたな」
ぴくり、と尻尾が応えるように動く。
……お前、分かってるだろ。
「……やってみるか、ゴブリン!」
◇
草原の先、少しだけ背の高い草の陰に、それはいた。
緑色の肌。小柄な体。粗末な布を巻きつけた姿。手には短い棍棒。
スライムに次ぐ雑魚モンスターの二大巨頭、チュートリアルの権化。
だがこのゲームで実際に戦うのは初めてだ。
「……いけるだろ」
小さく呟く。
VITは少しずつだけど上がっている。
HPも増えている。
多少殴られても、耐えられるはずだ。
「……よし」
俺は、へっぴり腰を構える。ゴブリンがこちらに気づく。
ぎょろりとした目が、俺を捉える。
その瞬間。
「……うわ、来る!」
速い。
スライムとは比べものにならない速度で、ゴブリンが踏み込んでくる。草を踏みしめる音、土を蹴る音、その全てが一気に距離を詰める。
や、まって怖い怖い怖い!
「ちょ、ちょちょ、ストップ、待てってそんな敵意剥き出さないで!」
慌てて尻尾に意識を向ける。
「体液吸収!」
叫ぶ。
だが――尻尾は誰です?体液吸収って、と言わんばかりにシーンとしてる。あれさっきあんだけ盛り上がってなかった?なんか私吸えますよ!みたいな空気出してなかった?
何かの間違いかもしれない、もう一度「体液吸収」何も起きない。
「……え?」
一瞬の空白。
その隙を、ゴブリンは逃さない。
ドン、と。
棍棒が、脇腹にめり込んだ。
「おげっ……!」
ゲームだけに痛みの限界量は当然ある。でも……、
「痛えものは痛え!」
思わず叫ぶ。それに加え衝撃。これが結構ちゃんとくる。
バランスが崩れる。足がもつれる。胸元が揺れて、視界がぶれる。
HPも結構削れる、ゴブリンは痛い反撃がないことをいいことに、追撃。もう一撃。
俺は避けられない。何せあのチュートリアルからVitだけが生えたような存在。
はっきり言って液体を啜る以外できないし、マジで弱い。
ドン。グゲゲゲゲ、ゴブリンは完全に調子に乗っている。ドン。
「うわ、うわ、うわ!」
押仕込まれる、HPが削れる、反撃できない。尻尾は動かない。スキルが発動しない。
「なんでだよ!」
焦り、そして混乱する。けどHPはなまじ多いからあと数発は耐えられる。
ふと――気づく。
「……液体じゃない、からか?」
スライムは液体だった。ゴブリンは違う。
つまり――
「今の俺、スライム専用機かよ!」
ツッコミを入れた瞬間、さらに一撃。
バチィィィンと痛い一撃が入る「いってえええ!」視界が弾ける。
地面が近づく。ゴブリンは俺を見下ろし棍棒を振り上げグゲゲゲゲと言う。
「……あ、これ負けた」
冷静な思考が、最後に顔を出した瞬間、ドスン、と言う音と共に視界が暗転した。
◇
リスボン、街に一度も入っていないため、初期位置に復活する。
ゴブリン戦――結果、惨敗。
それも、見事なくらいの一方的な敗北だった。
「……はぁ……」
レアルタの門前で俺は大きく息を吐く。
身体は元通りだが、精神的なダメージがでかい。
「……弱いな、俺」
ぽつりと呟く。エキストラスキルがあるからなんとかなる、なんてどっかで思っていたのかもしれない。
スライムには勝てる。
ゴブリンには勝てない。
「……厳しすぎるだろ」
苦笑する。だけど、理解できた。無理はしない。
落ち込んでいる暇はない。スライムにしか勝てないなら、スライムに勝ち続ける。
やることは決まった。
「……できることを、やる」
立ち上がり、草原を見るとそこにはスライムがいた。
「……行くか」
ジュル、ジュル、ごくん。
また、その音が始まる。




