VSファイアリザード
雑魚をダーツで集めて、ミーナが燃やす。
単体の敵は、俺がサブミッションで削る。
それを繰り返しながら、俺たちは嘆きの石窟のマッピングを進めていた。
最初のうちは、地図を埋めるという目的をちゃんと意識していたはずだ。未踏破の通路を確認し、分岐に印をつけ、広場や水場の位置を記録する。ギルドに提出する調査依頼なのだから、当然といえば当然だ。
だが、途中からだんだん怪しくなってきた。
理由は簡単。
このダンジョン、あまりにも美味しい。
いや、冒険者としての経験値が、という意味でもある。ミーナのレベルはぐんぐん上がるし、俺も新しい吸収対象によってステータスがじわじわ伸びている。ロックリザードからはVIT、海鮮系からはAGIやHP、ストーンベアからは待望のSTR。
でももう、それ以上に――味が。
ミーナの炎魔法でほどよく火を通されたモンスターたちは、俺のこれまでの吸収体験を根底から覆すものだった。スライムの洗剤感、ゴブリンの鉄臭さ、シャーマンの薬草みたいな癖。それらを乗り越えてきた俺にとって、焼いた魚、蟹、海老、ジビエ風味の数々は、もはやご褒美に近い。
「リエラさん、地図、そっち埋まってます?」
「ええ、埋まってるわ」
「今、地図じゃなくてモンスター見てませんでした?」
「気のせいよ」
俺はしれっと答えながら、手元のマッピングウィンドウを確認する。
中層の大部分は、すでに淡い線で埋まっていた。未踏破の黒い部分は、奥へ続く一本の通路と、その先に広がっていそうな空間だけ。つまり、この先に進めば、おそらく次の階層か、ボス前のエリアに出る。
水音が、さっきよりも遠くなっていた。
かわりに、熱気がある。
嘆きの石窟は、入口付近では冷たい水と苔のダンジョンだった。中層も基本的には自然洞窟の雰囲気を残していたが、奥へ進むにつれて、少しずつ空気の温度が上がっている。岩肌も湿った灰色から、赤茶けた乾いた色へ変わり、苔の光も減ってきた。
足元の石は、乾いている。
靴底が触れるたび、じゃり、と硬い音がする。湿った土の匂いより、熱を含んだ岩の匂いが強い。鼻の奥に、かすかに焦げたような香りが残るのは、ミーナの魔法だけが理由ではなさそうだった。
「……この先、もう一層ありそうね」
俺は奥の通路を見ながら言った。
通路の先からは、赤い光が漏れている。松明ではない。もっと自然な、岩そのものが熱を帯びているような光だ。
ミーナも同じ方向を見て、少しだけ眉を寄せた。
「ですね。でも……」
彼女は視界の端に表示された時間を見て、困ったように笑う。
「そろそろ、私のログアウト時間が近いです」
「……ああ」
そうだった。
勢いでかなり進んでしまったが、現実の時間はちゃんと進んでいる。ミーナは大学一年の春休みとはいえ、無限に遊べるわけじゃない。生活がある。予定がある。俺みたいに、有給消化中で現実から半分逃げている人間とは違う。
いや、自分で言っててちょっと刺さったな。
「じゃあ、今日はここまでにしましょうか」
そう言いかけた、その時だった。
通路の奥で、低い唸り声が重なった。
ひとつではない。
複数。
岩壁の赤い光の中から、影が三つ、ゆっくりと姿を現した。
「……あ」
最初に見えたのは、長い尾だった。
次に、岩のような鱗。
姿形は、ロックリザードに似ている。だが、明らかに一回り大きい。胴体は太く、四肢も力強い。何より、その身体の隙間から、赤い炎のような光が漏れていた。鱗と鱗の間に火種を抱えているみたいに、ぱちぱちと小さな火花が散る。
表示名。
《ファイアリザード》
3体。
「……火耐性持ちの敵、来ましたね」
ミーナが杖を握り直す。
彼女の表情が、少し硬い。
無理もない。相手は炎を纏っている。こちらの主火力は炎魔法。相性が悪い可能性がある。
しかも、位置が悪かった。
ファイアリザードたちは、俺たちが戻ってきた通路の方――つまり後ろ側を塞ぐように現れていた。奥へ進む道はある。だが、戻る道は三体に塞がれている。
「……挟まれた、というより、帰り道封鎖ね」
「どうします?」
ミーナがこちらを見る。
俺は少し考えた。
このまま奥へ進む選択肢もある。だが、その先に何があるか分からない。もう一層ありそうな気配はあるが、ミーナのログアウト時間が迫っている今、深追いは危険だ。
なら、やることは一つ。
「急いで倒しちゃおっか……!」
俺は魔ダーツを指の間に挟み、にっこり笑った。
ミーナは一瞬だけ目を丸くしたあと、すぐに頷く。
「はい!」
ファイアリザードが、三体同時に動いた。
岩床を爪が引っかく音が響く。がり、がり、と乾いた音。普通のロックリザードより速い。身体が重そうなのに、動きは鋭い。炎を纏った尾が揺れるたび、熱風がこちらへ届く。
「まず止めるわ!」
俺は麻痺ダーツを投げた。
ヒュッ。
先頭のファイアリザードの肩口へ刺さる。
ダメージは1だが、麻痺のエフェクトが走る。
しかし――完全には止まらない。
ファイアリザードは一瞬だけ足をもつれさせたが、そのまま低い姿勢で突っ込んでくる。火属性だから麻痺が効きづらいのか、単に中層奥の強めモンスターだから耐性が高いのか。
「止まりきらない!」
「了解です!」
ミーナの返事は早かった。
彼女は炎魔法の杖を構えたまま、少しだけ足を引く。直接火で焼くのではなく、距離を作る判断だ。
俺は二本目、三本目のダーツを投げる。
今度は赤いタウントダーツ。
ヒュッ、ヒュッ。
二体目と三体目へ当たる。
三体の視線が、俺に集まった。
「よし、こっち!」
言いながら、俺は前へ出る。
近づくほど、ファイアリザードの身体から発せられる熱気が強くなる。サウナどころではない。乾いた熱が肌を刺し、鼻の奥が少し焦げるような感覚がある。火の粉がシスター服の袖をかすめるが、装備自体は燃えない。ゲーム的保護に感謝だ。
先頭のファイアリザードが跳んだ。
爪が来る。
俺は体捌きで半歩ずらし、正面からの直撃を避ける。だが完全には避けない。避けすぎるとミーナへ行く。爪がビュウと肩をかすめる。
ダメージは軽い。だが熱が残る。
「うわ、触られると結構、熱っ!」
思わず声が出る。
ぽよんではない。今回は、じゅっ、に近い感覚だ。いや、実際に焼けてはいないが、熱いものに一瞬触れたよう根源的に嫌な刺激がある。
「リエラさん、大丈夫ですか!?」
「平気! ただ、焼く前から焼けてる相手はちょっと新鮮!」
「感想が変です!」
ミーナが叫び返しながら、杖先に魔力を集める。
炎魔法が相性悪いなら、どうするか。
答えは単純だ。
炎そのものではなく、衝撃や補助で削る。
「ファイアーアロー!」
細い炎の矢が飛ぶ。
ファイアリザードの胴体へ命中したが、炎の部分は大きく弾かれた。HPバーの削れは少ない。
「やっぱり通りにくいです!」
「分かった!」
俺はファイアリザードの腕――いや前脚へ飛びついた。
炎を纏っているせいで近づくだけでも熱い。だが、攻撃を受け続けるよりはマシだ。スライムボディと体捌きで、相手の首元近くへ滑り込む。
「へし折る!」
前脚に絡みつく。
関節の位置は、普通のロックリザードと近い。体術スキルの補助が、どこを押さえれば動きが止まるかを教えてくれる。
ただし、熱い。
「あちちっ、熱いけど!」
触れるなら、極める。
ゴギャ、という音ではなく、ギリ、と硬い鱗が軋むような感触があった。
HPバーが削れる。
炎耐性があっても、関節には関係ないらしい。
「入った!」
俺が叫ぶと、ミーナが即座に別の魔法を選ぶ。
「効きにくいだけで完全には防がれてません! 火力集中させます!」
彼女は火属性しかない。それでも、スキルレベルを上げた火魔法は完全に無駄ではなかった。炎そのもののダメージは軽減されても、着弾の衝撃と魔力の圧で少しずつ削れる。
俺は一体目に絡みついたまま、残り二体のヘイトを切らさないように赤いダーツを追加で投げる。
ヒュッ。一本。ヒュッ。もう一本。
姿勢がだいぶ無茶だ。片手でファイアリザードの前脚を押さえながら、もう片方の手で後ろの二体へダーツを投げる。尻尾も全力でポイズンニードルでいやがらせしている。普通の身体なら無理だったかもしれない。だが、スライムボディの柔軟性と体捌きがそれを許してしまう。
「私、だいぶ変な動きしてるわね!」
「自覚あるならよかったです!」
ミーナの返事が鋭い。
ファイアリザードたちは、俺を振り払おうと暴れる。尾が岩床を打ち、火花が散る。尻尾――俺の方の尻尾ではなく、相手の尾だ。ややこしいな。熱を帯びた尾が近くを通るたび、空気が揺れる。
「ミーナ、これ長引かせたくない!」
「私もです!」
「一体ずつ落とすわ!」
俺は絡みついている一体の前脚をさらに捻り、身体を滑らせて首元へ回った。首の付け根を押さえ、地面へ体重をかける。体重。いや、この時の俺はまだ知らないが、数値的にはかなりのものが乗っているはずだ。
ファイアリザードの身体が沈む。
「今!」
「ファイアーボール!」
ミーナの火球が飛ぶ。
相性が悪いとはいえ、倒れ込んだ相手の顔面近くに直撃すれば効く。赤い爆発が起き、ファイアリザードのHPが赤く染まる。
その瞬間、俺の尻尾が反応した。
ぴくり。
「……これ、火属性の体液ってどういう味なのかしら」
「今ですか!?」
「今よ!」
俺は尻尾を伸ばす。
体液吸収。
ハートが裂け、ファイアリザードの首元へ食らいつく。
どくん。ごく。
「……っ!」
辛い。熱い。
舌があるわけではないのに、辛味のような刺激が喉の奥に直接走る。炙った爬虫類肉に、唐辛子を塗ったような――いや、何の例えだこれ。でもそんな感じだ。焦げと脂とスパイス感。好みは分かれるが、まずくはない。
《VIT+0.3 HP+3》
STRはない。
まあ、トカゲ系だしな。
「一体目!」
ミーナが声を上げる。
残り2体。だが、一体落ちればかなり楽になる。
俺はすぐに2体目へ向かった。
今度は最初からサブミッション狙いだ。前脚へ絡みつき、動きを止める。ミーナが火球を叩き込む。炎耐性で削りは鈍いが、止めていれば問題ない。
時間はかかる。
そして時間がかかるほど、ミーナのログアウト時間が迫る。
「急ぐわね!」
「はい!」
俺たちは無駄な動きを減らした。
タウント。拘束。火球や火やの連打、そして吸収。
「次! 最後!」
熱と焦げた匂いが空洞に充満していく。俺の頬は火照り、ミーナの額にも汗がにじんでいた。VRとはいえ、その疲労感は本物に近い。杖を振るミーナの肩が少し上下しているのが見える。
最後の一体になったときには、俺も少し息が上がっていた。
ファイアリザードが尾を振る。
俺はそれをしゃがんで避け、足元へ滑り込む。前脚を取る。身体を捻る。
サブミッション。
鱗が軋む。ミーナのファイヤーボールが炸裂し、ファイアーアローがビスビスビスッと3連で刺さる。
HPが削れる。尻尾が反応する。
「いただきます!」
体液吸収。
熱くて辛い爬虫類味が喉を通る。
《AGI+0.1 VIT+0.2 HP+3》
ファイアリザードの身体が粒子になって消え、空洞に静けさが戻った。
残ったのは、熱気と、焦げた匂いと、俺たちの呼吸音。
「ふぅぅ……倒せました」
ミーナがへなへなと肩を落とす。
俺もその場で腰に手を当て、深く息を吐いた。
「急いで、って言った割には結構かかったわね」
「火耐性持ち三体は、さすがに大変です……」
「でも行けたわ」
「はい」
俺たちは顔を見合わせて、少し笑った。
奥には、さらに下層へ続くような通路がある。
赤い光がより濃く、熱気も強い。
行きたい。ものすごく行きたい。
新しいモンスターがいるかもしれない。新しい吸収対象がいるかもしれない。エクストラスキルの条件にも近づくかもしれない。
「すみません、続きはまた今度でもいいですか?」
「もちろんよ」
だが、今日はここまでだ。
俺は地図ウィンドウを確認しながら言う。
ファイアリザードが塞いでいた地点まで、きちんと線が刻まれている。その奥は未踏破として残るが、ギルド報告としてはかなりの成果だろう。
ミーナも時間を確認して、申し訳なさそうに笑った。
俺は胸を張る。
「このリエラ様は、相棒の現実時間を無視するほど鬼じゃないわ」
「たまに無視しそうで怖いです」
「しないわよ。たぶん」
「たぶんって言いました」
軽口を交わしながら、俺たちは帰り道へ向かった。
来た道はもうマッピング済みだし、モンスターもかなり倒している。帰路は比較的静かだった。遠くで水の音が響き、苔の淡い光が足元を照らす。熱気は少しずつ引いて、また湿った石窟の空気が戻ってくる。
俺は振り返り、奥へ続く赤い通路を一度だけ見た。
嘆きの石窟は、まだ終わっていない。
むしろ、ここからが本番かもしれない。
「……次、楽しみね」
ぽつりと呟くと、ミーナが隣で頷いた。
「はい。次は、火属性対策も考えてきます」
「ええ。あと、味の対策も」
「それはリエラさんだけです」
ミーナの即答に、俺は思わず笑った。
火照った頬に、石窟の冷たい空気が触れる。
今日の冒険は、ここまで。
でも、次に進む理由は、もう十分すぎるほどあった。




