ヒミツの数値
サブミッション。
このスキルの正体について、後で掲示板を覗いたとき、俺は思わず真顔になった。
曰く、かなり謎数値判定らしい。
普通の攻撃スキルと違って、単純にSTRだけを参照しているわけではない。STR、AGI、VIT、そのあたりを複合的に見ているっぽい、という検証勢の書き込みがいくつか並んでいた。しかも、与えるダメージ自体も一瞬の大打撃というより、拘束中にじわじわ削るスリップダメージが本質らしい。
つまり、相手を押さえ込む。動けなくする。その間に継続的に削る。
なるほど、確かに納得の関節技だ。
でもリエラの謎火力の説明にはなってなかった。
と言うより説明文が「関節技」だけだったくせに、実際の処理はけっこう複雑じゃないか。運営くん、そういう大事なことは先に言ってくれ。
その謎火力の正体がわかるのはもっともっと先のことである。ここで少しだけ先の未来から今のリエラを俯瞰で見てみよう。
サブミッションのダメージ判定の発生に必要な数値はある隠しパラメーターである。
……それは体重。
体重がサブミッションの判定に絡んでいるらしい。
お気づきだろう。その体重が――VITの数値にかなり引っ張られているという。
つまり、この時の俺はまだ知らなかった。
自分の、リエラの体重が……すでに400キロ台に達していようとは。
……知らない方が幸せなこともある。
◇
ともあれ、その時点の俺は、そんな恐ろしい真実など知る由もなかった。
興味、関心の先は、ただ一つ。
STRが上がった。
STRが、上がったのだ。
「ふふ……」
嘆きの石窟の中層へ続く通路を歩きながら、俺は何度目か分からない笑みをこぼしていた。
「ふふふ……!」
「リエラさん、ずっと笑ってますよ」
隣を歩くミーナが、少し困ったように言う。
彼女の赤い杖の先端には、小さな灯火が宿っていて、薄暗い岩道をほのかに照らしている。嘆きの石窟の中層は、入口付近よりさらに湿気が濃く、壁一面に厚く苔が生えていた。淡く光る苔の緑と、ミーナの杖の赤い光が混ざって、周囲はどこか幻想的な色に染まっている。
足元では細い水が流れ、靴底にひんやりした感触が伝わる。遠くからは水の落ちる音が反響して、ぽつん、ぽつん、と洞窟全体に広がっていた。
そんな神秘的な景色よりも、今の俺の頭の中はSTRでいっぱいだった。
「だってSTRよ?」
俺は胸を張った。
「ずっと上がらなかったSTRが、ついに上がったのよ?」
「は、はぁ、それは分かりますけど……」
「これは歴史的瞬間よ」
「たぶんリエラさんの中ではそうなんですね」
温度差がある。でも仕方ない。
ミーナは知らないのだ。俺がこれまでどれだけVITとHPばかりを押し付けられてきたか。どれだけ運営に向かって「STRください」と祈ったか。どれだけポイズンニードルやダーツの1ダメージと向き合ってきたか。
その積み重ねの果てに、ようやく手にしたSTR+1。
たった1。されど1。
「この調子でいけば、私もいずれ剛腕悪魔シスターになれるかもしれないわ」
「方向性がどんどん迷子になってませんか?」
「いいのよ、強ければ」
「リエラさんって、たまにすごく単純ですよね」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
俺は軽やかに一歩を踏み出す。
いや、実際、足取りが軽い。体捌きの補正もあるし、レベルも上がっている。嘆きの石窟に入ったばかりの頃より、明らかに身体の扱いが楽になっていた。シスター服のチェーンが歩くたびにしゃらりと鳴り、尻尾の先端のハートが機嫌よさげに揺れる。
中層へ入ると、モンスターの気配がまた変わった。
上層は水辺と苔が中心で、モススライムやスピアフィッシュ、ケイブシュリンプ、ジャイアントクラブなど、いかにも水場にいそうな相手が多かった。
だが中層は、もっと生態系が濃い。
水場は相変わらずある。岩の隙間には小型のクラブが潜み、浅い水路では銀色の魚影が走る。苔むした壁にはロックリザードが張り付き、天井近くにはルミナスジェリーが淡く光りながら漂っている。
そして、それらを狙っているのだろう。
さっきのロックグリズリーの小型版のクマが、ちらほら現れるようになっていた。
表示名は《ストーンベア》。
ロックグリズリーほど巨大ではないが、それでも十分大きい。毛皮は茶褐色で、背中に小さな石の突起がいくつかあり、鼻先を水辺へ向けてふんふんと動かしている。設定上は、この海鮮モンスターたちを餌にしているのかもしれない。
「食物連鎖ね」
俺はそれを見て、しみじみと言った。
「そうですね。自然ダンジョンらしいです」
ミーナも真面目に頷く。
俺はもう少しだけ真面目な顔を作ってから、ぼそっと続けた。
「つまり、あのクマも海鮮を食べて育った旨味の塊……」
「リエラさん」
「冗談よ」
半分くらいは。
ストーンベアがこちらに気づく。
低く唸り、前脚で地面をかいた。湿った岩床に爪が当たり、がり、と嫌な音が響く。獣臭が空気に混じる。海鮮系モンスターの淡い水っぽい匂いとは違う、強い生き物の匂いだ。
「試すわ」
俺は一歩前に出た。
「サブミッションですね?」
「ええ」
「燃やすタイミングは?」
「HPが赤くなったらお願い」
「了解です。生ジビエ回避ですね」
「よく分かってるじゃない」
「分かりたくなかったです」
ミーナはそう言いつつも、もう杖を構えている。頼もしい。本当に頼もしい。火力担当であり、調理担当である。本人には絶対言わないけど。
ストーンベアが突っ込んでくる。
ロックグリズリーより小型とはいえ、迫力は十分だ。足音が重く、洞窟の床が震える。岩壁から水滴が落ち、視界の端で光る。
俺は正面から受けず、斜めに踏み込む。
体捌きの補助が、身体の動きを滑らかにしてくれる。相手の前脚が振られる直前、肩の入り方が見える。爪の軌道が読める。大きく避ける必要はない。ほんの少し、角度をずらすだけでいい。
毛皮の匂いが鼻を掠めるほど近い距離で、俺はその腕へ絡みついた。
「よい……しょっと!」
腕を取る。手首を捻る。肘を極める。
体を密着させ、重心を乗せる。
ゴギャッッ
鈍い音がして、ストーンベアのHPが削れた。
「やっぱりダメージが入ってますね!」
ミーナが声を上げる。
俺も口元が緩む。この感覚、悪くない。
ポイズンニードルの1ダメージとは違う。魔ダーツの状態異常とも違う。自分の身体で相手を制し、相手の動きを奪い、そのまま削る。初めて“近接で戦っている”感じがした。
ただし、絵面はだいぶ独特だ。
悪魔シスター服の美少女が、クマの腕に文字通りぬるりと絡みついて関節を極めている。
何だこれ。
いや、今さらか。
ストーンベアが暴れる。
俺の身体は、その力に引きずられる前に、ニュルンと滑った。肩から背中、脇腹へ。スライムボディの軟体性が、相手の抵抗をまともに受けずに逃がしてくれる。
「本当に滑ってますね……」
「ローションみたいよね!」
「ロー……?」
そう言うがミーナの頭に「?」が浮かぶ。
「忘れなさいっ!」
その間にも、戦闘は進み俺は反対の腕を取る。
ゴギャ。
さらに足元へ回る。
ストーンベアはロックグリズリーほど耐久がない。サブミッションが決まるたびに、HPバーが分かりやすく減っていく。
やがて赤い領域へ入った。
尻尾がぴくりと反応する。
「ミーナ!」
「はい!」
ミーナはもう詠唱に入っていた。
「ファイアーアロー!」
赤い炎の矢が、ケイブベアの胴体へ突き刺さる。
ぼっ、と毛皮に炎が広がり、獣臭の中に香ばしさが混じる。正直、この瞬間だけは完全に料理の匂いだ。
「体液吸収!」
俺は尻尾を伸ばす。
がぶり。どくん。ごく。
「……うん」
ジビエだ。
癖はある。けれど、火が通っているおかげで飲める。いや、飲めるという表現自体が間違っている気もするが、少なくとも耐えられる。ロックグリズリーよりやや軽く、野性味は残りつつも、火入れでまろやかになっている。
《STR+0.3 HP+6》
「来た!」
俺は思わず拳を握った。
「STR!」
「おめでとうございます!」
ミーナも釣られて笑う。
STR+0.3。小さい。
でも大きすぎる。
このダンジョンは海鮮パラダイスであり、同時にジビエによるSTR供給源でもある。
「嘆きの石窟……恐ろしい子ね」
「なんで急に劇っぽいんですか」
「美味しすぎて」
「やっぱり味基準なんですね」
否定はできない。
その後も、俺たちは中層を進んだ。
海鮮系モンスターをリンクさせ、ミーナの炎で焼き、俺が吸収する。ストーンベアが出ればサブミッションを試し、赤くなったところで火を通し、また吸収する。
この流れが、とんでもなく噛み合っていた。
海鮮からはAGIやHPが伸びることが多い。
クマ系からはSTRが入る。
ルミナスジェリーからはMPが少し伸びることもあった。
ロックリザードはVIT寄り。
つまり、種類が多いぶん、伸び方も多彩だ。
今までスライムやゴブリンに偏っていた俺にとって、ここはまさに宝庫だった。
「……涎なしには進めないわね」
「そうですね、さっきからずっとでっぱなしです……ふふ」
ミーナがハンカチを差し出してきた。
やめなさい。優しさが刺さる。
そんな調子で進んでいると、当然ながらミーナの経験値もすごい勢いで増えていった。
俺が集める。ミーナが焼く。
吸えるものは俺が吸うが、討伐経験値はパーティに入る。しかも中層のモンスターはゴブリンより経験値が高いらしい。リンクでまとめて処理している分、効率も跳ね上がっている。
休憩中、ミーナがステータスを見て固まった。
「……リエラさん」
「なに?」
「私、レベル35になっちゃいました」
「……」
「私は23よ?」
俺も固まった。レベル35。
朝までレベル19だった子がどんな経験値の入り方をしたらそうなるのか……。
ゴブリンの洞窟を越えて、嘆きの石窟を進んで。
もう35。
「うーん……成長期ね」
「そんな軽い言葉で済みますか!?」
ミーナの声がひっくり返る。
いや、分かる。意味が分からない。俺も分からない。でも結果は結果だ。
「まあ、ほら」
俺は少し考えてから、胸を張った。
「火魔法を極めたミーナ様が強いということよ」
「リエラさんが大量に集めてくるからですよ!」
「相性が良すぎるのね」
それは本当にそう思う。
俺は耐える。集める。拘束する。吸う。
ミーナは焼く。燃やす。削る。ときどき俺の食生活を救う。
この組み合わせ、想像以上に危険だ。
効率が良すぎる。
「……でも、少し休憩しましょう」
ミーナはステータス画面を閉じながら言った。
「MPも減ってますし、私も頭が追いつかないです」
「そうね」
俺も頷く。
浮かれているが、疲れはある。戦闘そのものは大きな危機が少ないとはいえ、誘導、吸収、指示、マッピングを同時にやっている。集中力は確実に削れている。
俺たちは苔の光る岩場の近くで腰を下ろした。
水の流れる音が静かに響く。
遠くで、何か甲殻が岩を擦る音が聞こえる。
鼻の奥には、火を通した海鮮の残り香と、湿った石の匂いが残っていた。
俺はぼんやりと地図ウィンドウを確認する。
中層の地図は、かなり埋まっている。
クエストとしても順調。
冒険としても順調。
食材探索としては、あまりにも順調。
「……ねえ、ミーナ、私、このダンジョン、大好きよ」
「理由は聞かなくても分かります」
ミーナが呆れながらも笑う。
その笑顔を見て、俺も笑った。




