まったく、よくある話よね……!
ギルドに戻ると、レアルタの街はすっかり夕方の色に沈みかけていた。
嘆きの石窟から戻ってきたばかりの身体には、まだ洞窟の湿った空気の名残がまとわりついている気がした。実際にはゲーム内の感覚だから、服が本当に湿っているわけではないのだろうけれど、鼻の奥には苔と岩と、焼けた甲殻類の香ばしい匂いがまだ残っている。そこへ街の匂いが重なった。
石畳の乾いた匂い、屋台から漂う焼き肉の脂、パン屋らしき店先から流れてくる小麦の甘い香り、そしてギルドの扉を開けた瞬間に押し寄せる、木材とインクと人いきれの混ざった空気。
「帰ってきたって感じがしますね」
隣でミーナがほっとしたように言った。
彼女の赤い髪は、いつもより少し乱れていた。長い探索と連戦のせいで、頬にも疲労の色がある。けれど、その目は明るい。レベルが一気に上がった高揚と、今日の冒険を無事に終えた安堵が、表情の端々ににじんでいた。
「ええ。ギルドのお姉さんに褒めてもらいましょう」
「褒めてもらう前提なんですね」
「これだけ地図を埋めたんだから、褒められる権利くらいあるわ」
胸を張って言うと、シスター服のチェーンがしゃらりと鳴った。黒と白の改造シスター服にも今日一日でだいぶ慣れてきた。最初は見た目の圧に自分で負けそうだったが、今ではむしろこれくらい盛っておかないと、リエラという存在の中身に釣り合わない気すらしている。
受付カウンターへ向かうと、いつもの涼しい顔の受付嬢が、俺たちを見てわずかに目を細めた。
「嘆きの石窟の調査ですね。地図情報を確認します」
ミーナがクエストウィンドウを開き、マッピングデータを提出する。俺の視界にも確認ログが浮かんだ。ギルド側で地図情報が読み込まれ、踏破済みの通路、確認したモンスターの種類、中層手前の中ボス、ファイアリザードの出現地点まで、順に記録されていく。
「確認しました。想定以上の調査進度です。報酬をお受け取りください」
淡々とした声なのに、内容はちゃんと嬉しい。
報酬金額が表示される。素材買取分も加算される。海鮮、ジビエ、石窟系モンスター素材、魔石。数字が増えていくのを見るのは、いつだって気分がいい。現実の給料明細よりも素直に喜べるのはなぜだろう。いや、現実の給料明細には税金やら控除やらが容赦なく入っているからだな。ゲームの報酬は優しい。
「わ、結構ありますね」
ミーナが少し驚いた声を出した。
「当然よ。私たち、かなり働いたもの」
「半分くらい食べてませんでした?」
「吸収よ。食べてないわ」
「その違い、まだよく分からないんですよね」
「ん~……。食べるって咀嚼があるじゃない? あれがなくて喉に直接なんか流される感じね」
「うわ、私そのスキル持ってたら絶対このゲームやめてました」
ミーナが顔をしかめる。特別感っていうより普通にゲームすることを望んでいる普通の反応だ……俺もミーナがいなければやめるかほかの何かを考えていたよ……。心底胸をなでおろす。
受付嬢は、そんな俺たちのやり取りには特に反応せず、続けて新しいウィンドウを表示した。
「追加依頼が発生しています。連続調査依頼、嘆きの石窟の調査。受注しますか?」
内容を確認する。
……ふわっとしている。
すごくふわっとしている。
《嘆きの石窟のさらなる調査》
目的、未踏破エリアの確認。
備考、内部環境の変化、および深層部におけるモンスター分布の確認。
「つまり、もっと奥を見てきてねってことね」
「ですね」
ミーナが苦笑する。
だが、悪くない。
どうせ続きは行くつもりだった。ファイアリザードの奥が気になっているし、火属性対策も必要だ。何より、あのダンジョンはまだまだ未知の味……じゃなかった、未知のモンスターがいそうだ。
「受けるわ」
「私も受けます」
俺がそう言うと、ミーナも頷いた。
クエスト受注ログが流れる。
これで明日の予定は決まったようなものだ。
「まずスキル振りかしらね」
ギルドのカウンターを離れながら、俺は言った。
「ミーナ、レベルかなり上がったでしょ?」
「はい。自分でもちょっと怖いくらいです……」
「その分、ポイントも溜まってるはずよ。今日のファイアリザードみたいな、火耐性の対策も含めて考えましょう」
「はい。ちょっと考えておきますね!」
ミーナの声は弾んでいた。疲れているはずなのに、スキルの話になると目が輝く。分かる。ビルドを考えるのは楽しい。次に何ができるようになるのか、その想像だけで何時間でも溶ける。
ギルドの出口近くまで来たところで、ミーナが時間を確認した。
「あ、すみません。本当にそろそろログアウトしないと」
「ええ。今日はここまでね」
「はい。明日、また時計塔でいいですか?」
「10時?」
「はい」
「分かったわ」
ミーナは少し名残惜しそうにしながらも、笑って手を振った。
「では、お疲れさまでした。リエラさん」
「お疲れさま、ミーナ」
彼女の身体が淡い光に包まれる。赤い髪の輪郭がほどけて、粒子になっていく。最後にもう一度小さく頭を下げ、それから彼女は静かに消えた。
その場に、ほんの少しだけ空白が残る。
さっきまで隣にいた相棒の気配がふっと消えると、ギルドのざわめきが急に一段大きくなったように感じた。周囲には他のプレイヤーもNPCもいる。なのに、不思議とひとりになった感覚が強い。
「……さて」
俺は小さく息を吐いた。
明日はスキル振りから。
ミーナはレベル35。火力担当として、いよいよ本格的に中級魔法へ進めるかもしれない。俺も20を越えてボーナスが結構入ってきた。俺の方も、体術と投擲の使い方をもう少し整理したい。嘆きの石窟の奥へ行くなら、火耐性、拘束、誘導、吸収のタイミングも見直した方がいいかな?
そんなことを考えながら、ギルドを出ようとした、そのときだった。
「――あれ、ツインテちゃんだけになっちゃった」
背後から、声がかかった。
それは、妙に軽い声だった。
だが、軽いだけじゃない。表面だけはへらへらしているのに、その下にべっとりとした侮蔑と敵意が混じっている。営業時代、何度か出会ったことがあるタイプの声だ。こちらを対等な相手として見ていない。値踏みしている。踏み込んでもいい相手だと勝手に判断している。
俺は足を止めた。振り返る。
三人組だった。
男性プレイヤーが三人。装備を見る限り、全員そこそこ進んでいる。初心者装備ではない。革鎧や軽金属の防具を組み合わせ、武器もそれなりのものを持っている。ひとりは片手剣、ひとりは槍、もうひとりは杖を背負っていた。
ただ、立ち方が嫌だった。
横に広がって進路を塞ぐように立っている。わざと逃げ道を狭めている。顔には薄笑い。視線は遠慮なく俺の全身を舐めるように動き、ツインテール、シスター服、胸元、尻尾へ順番に流れていく。
「まぁいいや。君のが本命だし」
真ん中の片手剣の男が笑った。チンピラ。露骨なチンピラ。
どこにでもいるんだよな、こういうの。
リアルでも、ゲームでも、ネットでも、結局こういうタイプは湧く。自分たちの方が人数が多いから強いと思っている。相手の都合を想像しない。声をかける時点で、もう相手が断る可能性を本気で考えていない。
俺は内心でため息をつきながら、外面だけは崩さなかった。
「何か用かしら」
できるだけ冷たく返す。
ツンデレお嬢様ロール、こういうときも便利だ。内心の不快感を、キャラとしての高慢さに変換できる。
槍持ちの男が、にやにやしながら言った。
「なんか知らないけど、特殊クエストのNPCと組んでる魔導士がいるって話題になってたんだよね」
特殊クエストのNPC?
……なるほど。俺のことか。
そういえば、ミーナに最初に聞かれた。「リエラさんってNPCですか?」と。あの時は冗談半分だったが、他人から見ると本当にそう見えるらしい。
現実準拠のアバターが基本のこのゲームで、プラチナブロンドツインテール爆乳悪魔シスターという、だいぶ属性過多な姿。トビートミーを倒した時の騒ぎを見られたか。いずれにしてもそれは噂になったらしい。
「それで?」
俺は顎を少し上げる。
「君ら二人なら、うちのパーティ入れられるぜ」
杖持ちの男が言った。
「なんならクランに入ってくれよ。NPCだろうとなんだろうと、このゲームの本当の楽しみ方、教えてやるから」
その瞬間、背筋に冷たいものが走った。
言葉そのものは、よくある勧誘の形をしている。だが、声音が違う。目が違う。
楽しみ方を教える?
その言葉に、相手を尊重する気配がひとつもない。ただただ気持ちが悪い。
自分たちの都合のいい形に巻き込むつもりだ。ミーナの火力と、俺の特殊性。
あるいは俺が本当にNPCなら、何か抜け道に使えると思っているのかもしれない。
「……興味ないわ」
俺は短く返した。
それだけ言って、横を抜けようとする。
ここはPvP無効エリアだ。ギルド内で攻撃はできない。向こうがどれだけ嫌な連中でも、無視して出ればいい。関わるだけ時間の無駄だ。
そう、頭では分かっていた。
だが――胸騒ぎがした。
もしここで俺が無視して離れたら。
こいつらは、ミーナにも声をかけるだろうか。
いや、もう名前や姿を知られている可能性がある。赤髪の火魔法使い。特殊NPCらしきリエラと組んでいた魔導士。もしかしなくても少し、ミーナのことも調べているかもしれない。
ほっといたら、ミーナに被害が及ぶ。
そう思った瞬間、足が止まった。
「お、聞こえなかった?」
片手剣の男が一歩近づく。
「君らにとっても悪い話じゃないって。俺ら、けっこう人数いるしさ。クラン入れば、育成も手伝えるよ?」
「そうそう。今のって嘆きのマッピングだろ? 戦闘を避ければ適正レベルの25でも十分可能なクエストだよな? 経験値ほしいんじゃないか?」
「NPCなら、連れ回し方とか検証したいよな」
下、下、下。目線も下。こいつら胸しか見てないし、なんなら徹頭徹尾、俺たちのこと下に見ていやがる。それに最後の言葉で、俺の中の温度が少し下がった。
連れ回し方。検証。
こいつらは俺を、もしかしたらミーナのことさえ人として見ていない。
いや、俺の正体を知らないのだから仕方ない部分はある。だが、仮に本当にNPCだったとしても、その言い方は気に入らない。ミーナが聞いたら、たぶん嫌な顔をする。あの子はNPC相手にも普通に礼を言うタイプだ。
「……ふうん」
俺はゆっくりと振り返った。
逃げるのは簡単だ。無視もできる。
でも、ここで中途半端に放置したら、ミーナに向く。
なら、俺が引き受ける。
わざと挑発に乗ることにした。
「随分と自信があるのね」
俺はにっこり笑った。
ツンデレお嬢様の笑顔ではない。
たぶん、もっと悪い笑顔だった。
三人組が一瞬だけ目を細める。
「でも残念。あなたたち程度のパーティに、このリエラ様が入る価値なんてあるのかしら?」
空気が変わった。
周囲のざわめきが、少しだけ遠くなる。
片手剣の男の笑みが、薄く固まる。槍持ちが眉を動かす。杖持ちは、へえ、と口元だけで笑った。
「うわ~……言うじゃん」
「言うわよ。だって事実だもの」
俺は胸を張った。
シスター服の金のクロスが光る。尻尾が、背後でゆらりと揺れた。内心では心臓が少しだけ速くなっている。だが、表には出さない。
「本当の楽しみ方を教えてやる? ずいぶん安っぽい台詞ね。あなたたち、このゲームの楽しみ方を語れるほど、何か成し遂げているの?」
「……おい」
槍持ちの声が低くなる。
怒った。よし。
俺はさらに笑みを深める。
「それとも、低レベルの女の子二人を人数で囲んで勧誘するのが、あなたたちのクランのやり方なのかしら?」
周囲の数人が、ちらりとこちらを見る。
ギルド内だ。注目が集まれば、向こうはやりにくくなる。PvP無効エリアで暴力が使えない以上、場の空気は武器になる。
片手剣の男が、奥歯を噛むように笑った。
「……その発言、肉入りだとしたらお前、後悔するぞ?」
「肉入り? ああ、私はプレイヤーです、なんて明言したかしら?」
わざと曖昧に返す。
三人の顔に、微妙な迷いが走った。
そこだ。
俺が本当にプレイヤーなのか、特殊NPCなのか、こいつらは確信を持っていない。なら、その曖昧さを使える。
「このリエラ様を連れ回したいなら、まず相応の実力を見せなさい」
「実力?」
「ええ」
俺は一歩、前に出た。
「あなたたちが私たちに絡む価値があるかどうか、試してあげる」
言いながら、内心では必死に考える。
PvP無効エリア。直接戦闘は無理。
でも、勝負の形はいくつもある。ダンジョン攻略、タイムアタック、討伐数、模擬戦システムもあるかもしれない。
時間を稼ぐ。相手の情報を引き出す。
できれば、ミーナから引き離す。
俺は挑発の笑みを浮かべたまま、三人を見据えた。
「まさか、口だけじゃないでしょうね?」
言いながら俺は胸の下で腕を組み、苛ついているふりをして指をトントンッとしながらステータスウィンドを出す。
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リエラ Lv23
HP:1238
MP:137
STR:23
VIT:431
AGI:144
DEX:42
INT:18
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ミーナには悪いけど、ここは相手がどう来るかわからないから今できることをしたほうがいい。
出来ること、そう対人戦の準備だ。
そして今の俺のスキルでもっとも対人戦に向いていると思うスキルは、投擲。
今のところあんなに悪意があって卑しいモンスターは出会っていない。ずる賢くて、被虐的。だからトビートミーの力に頼ることにする。
「リエラ様を満足させるクエスト、やるの? やらないの?」
指をトントンとしながらスキルにポイントを割り振る。
尻尾をプラプラさせて特殊個体っぽさを演出。
投擲のスキルポイント連射を上げるとその先に速射姿勢が見える。構えを取らず投擲することが出来る、とある。たぶんトビーが「◇」みたいな座り方をして、適当な姿勢でゲラゲラと笑いながらミーナにダーツを投げていたのはこのスキルだろう。
ギルドの中の空気が、じわりと張り詰める。
チンピラ三人組の顔から、へらへらした笑みが薄れていく。
そして俺は、心の中でそっと呟いた。
――ミーナがログアウトした後で、本当によかった。
今は、この場を俺ひとりで受け止めればいい。
所持スキル
パッシブ
《スキル:スライムボディ(軟体)》
《物理耐性(小)》
《水耐性(小)》
《体捌き》
《速射姿勢》
《状態異常強化》
アクティブ
《体液吸収》
《連射》
《サブミッション》
本日はあと3話更新します。長いですがお付き合いいただけますと幸いです。




