リエラとミーナ
「リエラさんって、NPCですか?」
その一言は、思っていたよりもずっと軽い調子で投げられたのに、妙に俺の胸の奥に引っかかった。
洞窟の湿った空気の中、ミーナはまだ少し肩で息をしながら、それでも真っ直ぐ俺を見ていた。赤い瞳が、じっとこちらを観察している。さっきまで命の危機にあったとは思えないくらい、好奇心が勝っている顔だ。
NPC。
つまり、この世界の住人。プログラムで動いている存在。
「……は?」
思わず間の抜けた声が出た。
いや、確かにこの見た目だし、気持ちは分かる。分かるけど、あれだけブンブン動き回ってるの見たよね?
「救出イベントじゃない……とすれば、じゃあじゃあ、Vtuberさんとか?」
俺は尻尾と首両方で、首を横に振る。違う違う。
「え、リアルなんですか? 本当に……?」
間髪入れずに畳みかけてくるミーナ。距離が近い。顔が近い。瞳がきらきらしている。さっきまで死にかけてたとは思えない回復力だなこの子。
そしてその質問の内容が、だいぶ鋭いところを突いてくる。
Vtuber。
ネット主体で活動している場合、この世界においても現実の姿と乖離したアバターも許容される、例外的な存在。
つまり――
「いや、あの、そのどっちでもないけど……」
言葉に詰まる。
これ、どう答えるのが正解なんだ?「いや実は現実で男だったんですけど起きたら女の子になっててそのままVRにダイブしてます」なんて言ったら、確実に頭おかしい人認定される。いや事実なんだけど。事実だけど、説明としては最低だ。
かといって、完全に嘘をつくのもどうなんだ。いやもうこの時点でかなり嘘をついている気もするけど。
「……これには、複雑な事情があるのよ」
とりあえず、それっぽいことを言ってみる。
うん、便利な言葉だな「複雑な事情」。何も説明していないのに、なんとなくそれっぽく聞こえる。
ミーナは「ほうほう」とでも言いたげに頷いた。
「やっぱり……言えない系ですか?」
「言えない系ね」
「事務所勢? 個人勢ですか? お忍び配信とか……」
「えっと、何を言ってるの?」
ミーナは一瞬考え込むような顔をしてから、「なるほど……」と妙に納得した様子で頷いた。
いや、何を納得したんだ。
俺は軽く咳払いをひとつした。
「……とりあえず、出ましょうか」
このままここで立ち話を続けるのもどうかと思う。ダンジョンの中だし。さっきネームドがいた場所だし。空気もなんかじめっとしてるし。何よりゴブリン臭がまだ残ってるし。
ミーナも素直に頷いた。
「は、はい……」
◇
帰り道は、来たときよりも静かだった。
同じ洞窟なのに、音の印象がまるで違う。さっきまでの喧騒が嘘みたいに消えて、ぽたり、ぽたりと水が落ちる音だけが、やけに大きく響く。足元の小石を踏む音も、さっきよりはっきり聞こえる気がする。
湿った空気が肌にまとわりつく感覚は変わらないが、不思議と嫌な感じはしない。戦闘の緊張が解けたせいか、むしろ「帰ってきた」みたいな妙な安心感すらある。
俺の後ろを、ミーナがついてくる。
さっきよりは足取りが安定しているが、それでもまだ完全に回復しているわけではないらしく、時々足元がふらつく。そのたびにローブの裾が石に擦れて、かさり、と小さな音が鳴る。
「……大丈夫?」
振り返って声をかける。
「は、はい……なんとか……」
言いながらも、ミーナは少しだけ苦笑した。額にはまだ汗が残っているし、顔色も完全には戻っていない。
毒か、あるいは他の状態異常の残りか。
「無理しないで。まだ変なの残ってるかもしれないわよ」
「……はい」
素直に頷くあたり、いい子だなと思う。ちょっと無防備な気もするけど。まあさっきまで命の危機だったんだから、それどころじゃないか。
しばらく無言で歩いたあと、ミーナがぽつりと口を開いた。
「……あの」
「なに?」
「さっきのこと、なんですけど……」
ああ、来た。
来るよね、そりゃ。
「どうして助けに来てくれたんですか?」
まっすぐな問いだった。
俺は少しだけ考える。
理由なんて、正直なところ大したものじゃない。
偶然見つけたから。なんとなく気になったから。放っておくと後味が悪そうだったから。
でも、それをそのまま言うのもなんか違う気がして、少しだけ言葉を選ぶ。
「……できることをしただけよ」
結局、出てきたのはそんな言葉だった。
ミーナは一瞬きょとんとしたあと、じっと俺の顔を見た。
「できること……ですか?」
「そう」
歩きながら、少しだけ肩をすくめる。
「私、正直あんまり何もできないのよ。スキルも偏ってるし、普通の戦い方もできないし」
自分で言っていて、ちょっと悲しくなる。いや事実なんだけど。STR9ってなんだよ。泣くぞ。
「でも、その代わりに、できることがある」
背中を軽く叩いてみせる。
ぽよん、と自分でも聞き慣れた音がした。
「殴られても平気だし、時間をかければ削れる」
「……たしかに、平気そうでしたね」
ミーナが遠い目をした。
あの光景、第三者視点で見たらだいぶシュールだっただろうな。洞窟の中でゴブリンに囲まれてぽよんぽよよんしてる美少女。うん、想像しただけでカオスだ。
「だから、できることをしただけ」
繰り返す。
ミーナはしばらく黙ってから、小さく笑った。
「……すごいです」
「え?」
真顔で言われて、俺は一瞬言葉に詰まった。
いや、そう言われると照れるな。いや、でもこれ、すごいのか? 方向性がだいぶおかしい気がするんだけど。
「……まあ、ちょっと変わってるとは思うわ」
苦笑いでごまかす。
すると、ミーナが今度は少しだけ首を傾げた。
「リエラさんって、最初からあんな感じなんですか?」
「どんな感じ?」
「えっと……ぽよんぽよんして、吸って……」
言いづらそうに言うな。
自覚はあるけど、改めて言われるとちょっとダメージが来る。
「……最初は、何もできなかったわよ」
ぽつりと答える。
あのチュートリアルの地獄を思い出す。剣も槍もまともに扱えず、魔法もろくに当てられず、全部が中途半端だったあの時間。
「チュートリアルギルド、突破できなかったし」
何気なく言ったその一言で、ミーナの動きが止まった。
「えぇ!?」
振り返ると、ミーナがすごい顔をしていた。
「突破できなかった、って……あれ、できない人いるんですね……」
「……いるわよ!」
思わず声が大きくなる。
なにその珍獣を見るみたいな目。やめろ。俺だって好きでできなかったわけじゃないんだ。
「忘れないからな、その目……!」
「え、あ、すみません! そんなつもりじゃ……!」
慌てて手を振るミーナを見て、思わず笑ってしまう。
洞窟の湿った空気の中で、その笑い声は少しだけ軽く響いた。
さっきまでの緊張が、少しずつほどけていく。
「……まあいいわ」
息を吐く。
前を見ると、出口の光が少しだけ見えてきていた。外の明るさが、洞窟の暗がりの中でぼんやりと浮かんでいる。
「こうしてなんとかなってるんだから」
ミーナは、もう一度俺を見た。
今度の視線は、さっきとは違う。
驚きでも、困惑でもなく、少しだけ――尊敬に近い何かが混じっていた。
「っ……はい!」
小さく、しかしはっきりと頷く。
その反応に、俺は少しだけくすぐったい気持ちになりながら、洞窟の出口へと足を進めた。
書き溜めたものを更新してます。少し長いですがお付き合いいただけると嬉しいです。




