発芽の魔王
オルゴールの静かな旋律が、張り詰めていた作戦室の空気へゆっくりと溶けていく。
やがて最後の音が消えても、誰もすぐには口を開かなかった。
リリスが遺した記録。勇者と呼ばれながら、人間ではなく理を越えた何かだと語られた存在。そして、オルゴールと共に託されたはずなのに、私達の前へ現れた時にはすでに『発芽済み』となっていた黒い種。
ひとつだけでも十分に大きな謎なのに、それらは互いに繋がっているようでいて、肝心なところだけが綺麗に抜け落ちている。頭の中で整理しようとするたび、新しい疑問が枝分かれして増えていき、考えれば考えるほど深い迷路へ入り込んでしまいそうだった。
そんな重苦しい空気を破ったのは、パン、と乾いた音だった。
「はい。とりあえず、そのヤバい話はいったん置いとこ」
ネネが両手を叩き、半ば強引に空気を切り替える。
「いや、置いておける情報量じゃないんだけど……」
「だからこそだよ。魔王に勇者に昔の大戦っぽい記録、挙げ句に発芽済みの謎の種でしょ? 一回机の端に寄せないと、今日一生そこから動けないよ」
「机の端に寄せていい代物かなぁ。うっかり落としたら世界が滅びそうなんだけど」
「じゃあ丁寧に寄せとこう」
「そういう問題?」
思わず返すと、ようやく円卓の空気がほんの少しだけ緩んだ。
ネネはそこで椅子へ座り直し、今度は私へ向かってびしりと人差し指を突きつける。
「というわけで、先に現実的な戦力分析。リエラちゃんは今回の塔攻略で、さらに一段階『化け物』になりました。……って認識でいい?」
「言い方」
反射的に眉を寄せる。
ところが、誰もすぐには否定してくれなかった。
ミーナはなぜかカップへ視線を落とし、ミルキーは真剣な表情でステータスウィンドウを確認している。ネネに至っては、最初から私の反応を楽しむようににやにやしていた。
「ちょっと待って。誰か1人くらい否定してくれてもよくない?」
「否定して差し上げたい気持ちはあります☆」
ミルキーが顔を上げる。
「ですが、先ほどの戦闘結果を感情抜きで分析すると、かなり難しいですね☆」
「何が難しいの?」
「今後の攻略会議において、『化け物』をリエラさん専用の分類名として正式採用するかどうかです☆」
「絶対に採用しないで」
「便利だと思うけどなぁ、リエラ型化け物」
「ネネも乗っからない!」
頭を抱えながらも、自分自身では否定し切れないことが少し悔しかった。
暴食の塔へ入る前と今とでは、私のキャラクター性能は明らかに別物になっている。
塔踏破による永続補正に、イレギュラー討伐の報酬。グラティアを《捕食》したことでSTRとVITは異常なほど伸び、攻防の両方へ使える《硬質化》まで手に入った。そのうえ、詳細な性能すらまだ確認できていない《暴食》まで追加されている。
一覧にしてしまえば、自分でも少し引くくらいの魔改造だった。
「それに……【憤怒の因子】もある」
私がそう言うと、軽くなりかけていた空気が少しだけ真面目なものへ戻った。
「《ベルセルク》と《ブラッド・リベリオン》。あれって、たぶん【憤怒】を起点にしたスキル系統だよね」
「私もそう見ています☆」
ミルキーが頷く。
「少なくとも《ベルセルク》は、通常のスキルツリーから獲得したものではありません☆ あの場で【憤怒の因子】が一定条件を満たしたことで、専用の選択肢として開放されました☆」
「それで《ブラッド・リベリオン》は、《ベルセルク》中にだけ使える派生……」
ミーナが私の表示しているログを追いながら眉を寄せる。
「リエラさんのVITを削って、その数値をSTRへ変換するんですよね?」
「うん。私の一番高いステータスを、ほとんど丸ごと攻撃側へ持っていく」
私は両手へ視線を落とした。
少し前まで、この手でグラティアを殴っていた。
今では何事もなかったようにティーカップを包み、その温かさを感じているのが妙に不思議だった。
「あの時は必死だったから気にしてなかったけど、変換後の数字だけ見たら本当におかしかったよ。冗談抜きで、その辺の地形くらいなら物理でどうにかできそうな数値だった」
「実際、どうにかしていましたね☆」
ミルキーが淡々と答える。
「グラティアさんの《硬質化》を正面から押し切り、あの空間型の《暴食》が展開されている状態で本体まで攻撃を通しました☆ 最終局面に限れば、火力役としてグラティアさんへ正面から成立していたのはリエラさんだけです☆」
「どっちがバグなのかなぁ」
苦笑しながらも、あの瞬間の感覚はまだ身体に残っている。
《ブラッド・リベリオン》は、普通に考えればまともな攻略で使うスキルではない。私の強みである耐久力を自分から捨て、敵を倒し切ることだけへすべてを賭けるのだから、失敗した瞬間にこちらが崩れる。
けれど、あの場にはミルキーがいた。
私が攻撃へすべてを回している間、自分のHPを削りながら《アンカー》でグラティアの攻撃判定を引き受け、ほんの1秒だけ何も考えずに殴れる時間を作ってくれた。
「問題は、あの組み合わせが一度きりの偶然ではないことです☆」
ミルキーが私の考えを読んだように続ける。
「条件さえ揃えば、ある程度は再現できます☆」
「再現できる……」
ミーナが表情を引き締めた。
「リエラさんが《ベルセルク》から《ブラッド・リベリオン》へ移行して、その危険な時間だけミルキーさんが守り切る。そうすれば、普通なら火力不足で突破できないような相手にも無理やり攻撃を通せる可能性がある、と」
「はい。ただし、戦術として常用するつもりはありません☆」
ミルキーはそこだけは即答した。
「《ブラッド・リベリオン》中のリエラさんは、攻撃力と引き換えに防御能力を極端に失います。私がタイミングを僅かに誤るだけでも致命的ですし、通常の回復では被弾に追いつかない可能性も高いでしょう。使うとしても、本当に他の選択肢がなくなった時だけです☆」
「でもさぁ」
ネネが頬杖をつきながら、面白そうに笑う。
「『最後にはそれがある』ってだけでも、十分めちゃくちゃ強いんだよね。普通なら詰みの状況から、無理やり勝ち筋を1本生やせるんだから」
「私としては切り札というより、起爆装置を胸にぶら下げて歩くことになった気分なんだけど」
「リエラちゃん、爆弾的なお胸だし、もう1つの爆弾があってもいいんじゃない?」
「ネネ、そういうのセクハラ! 私もそろそろ覚えたわ」
また少しだけ笑いが起きる。
ただ、私にはもうひとつ、笑って済ませにくいものが残っていた。
「それより……《暴食》だよ」
口にしただけで、グラティアの背後に開いていた無数の黒い口が脳裏へ蘇る。
影を喰い、距離も防御も無視してこちらの存在そのものへ食らいついてきた、あまりにも理不尽な能力。
私が獲得した《暴食》がグラティアの使っていたものと完全に同じだとは限らない。けれど、彼女を《捕食》した直後に取得した以上、まったく無関係だと考える方が難しかった。
「まだ何をどこまで引き継いだのか分からないから、仮の話だけどね」
私は慎重に言葉を選ぶ。
「【憤怒の因子】があって、今回《暴食》を手に入れた。それに、私のサキュバスとしての能力を仮に『色欲』側の要素だと考えると……なんか、嫌な方向に揃い始めてる気がしない?」
誰もすぐには答えなかった。
冗談として笑うには、積み重なったものが多すぎた。
新生リエラ魔王軍という名前を名乗り始めた頃は、ただの配信上のノリだったはずだ。それがいつの間にか、魔王としか思えないグラティアと遭遇し、その記憶を《捕食》し、大罪の名を持つ能力まで自分の中に抱え込んでいる。
しかも、ゲームの中だけならまだいい。
私には現実で実際に尻尾が現れたことまである。
ひとつひとつなら偶然で済ませられたものが、気づけば同じ方向を向いて並び始めていた。
「リエラさん」
ミーナが、まっすぐ私を見る。
「怖いですか?」
「……うん。怖い」
そこだけは強がる気になれなかった。
「かなり怖いよ。でもね、もっと嫌なのは……こんなに怖いのに、同時に『ものすごく便利な力を手に入れた』って喜んでる自分もちゃんといることなの」
「リエラちゃん、それはゲーマーなら仕方なくない?」
「それで済ませていいのかなぁ……」
苦笑しながら、私は自分のスキル欄へ視線を落とす。
強い敵を《捕食》すれば能力が伸びる。
特殊な相手なら、スキルそのものまで取得できるかもしれない。
ゲームとして考えるなら、これほど魅力的な成長手段はない。
「極端な話、『強力なユニークスキルをお持ちのお客様はいらっしゃいませんかー』って募集して、捕食大会でも開けば最強になれるのかな、とか一瞬考えたもん」
「リエラさん☆」
ミルキーの声がすっと低くなった。
「やらないよ!?」
私は慌てて両手を上げる。
「今のは自分でも最低だなと思ってる冗談だから! プレイヤーを食べて能力検証しようとか絶対やらない!」
「今のリエラさんが言うと、冗談として処理するには若干迫力がありすぎます☆」
「自覚はある!」
ネネが小さく吹き出した。
「でも、考えちゃう気持ちは分かるけどね。ゲームならさ、ユニーク持ちを取り込んで能力が増えるなんて仕様を見つけたら、『どこまで伸ばせるんだろ』って絶対気になるじゃん」
「考えることと、実際にやることは別です」
ミーナがすぐに線を引いた。
「そこは絶対に混同しないでください」
「……はい」
妙に先生へ怒られた生徒みたいになりながら、私は頷く。
けれど、その線引きが必要なのは自分でも分かっていた。
《捕食》は強すぎる。
相手を倒して終わるのではなく、その力まで自分のものにできてしまう。
だから便利さだけを追いかけ始めたら、いつの間にか目の前にいる誰かを『人』ではなく、自分を強くするための素材として見るようになるかもしれない。
それは、グラティアが私達へ向けていた目と、きっとよく似ている。
「ルールを決めましょう」
ミーナが静かに言った。
「リエラさんの《捕食》について、今のうちに」
「……うん」
「まず、プレイヤーには使わない。これは例外なしです」
「異議なし」
「NPCについても同じです。本人の意思や、《捕食》された後に何が起こるのか分からない状態では使わないでください」
「それも分かった」
「そして敵対対象についても、システム上明確に戦闘対象となっていて、討伐が必要な相手であり、なおかつ《捕食可能》という表示が出た場合に限る。その時も、できるだけ私達で一度相談してから判断する」
私はひとつずつ聞きながら頷いた。
今回のグラティアのように、相談している暇そのものが存在しない状況もあるかもしれない。それでも、原則を先に決めておく意味は大きい。
「それくらい厳しくした方がいいと思う」
「はい」
ミーナの表情が少しだけ柔らかくなる。
「リエラさんが今、自分の力を怖いと思えているなら、私は大丈夫だと思っています。でも、もし便利だからという理由だけで何でも《捕食》し始めたら、その時は止めます」
その言葉が、不思議なくらい胸へすっと入ってきた。
私は少し迷ってから、自分からお願いする。
「その時は、ちゃんと止めてね。私が『大丈夫だから』とか『今回だけだから』とか言っても」
「もちろんです」
ミーナは迷わなかった。
「必要なら、魔法で止めます」
「私も手伝うよー」
ネネが軽く手を挙げる。
「正面から止めるの怖いから、とりあえず足元に罠いっぱい敷くけど」
「そこは友情パワーで正面から来てよ」
「無茶言わないでよ。さっきグラティアを素手で殴り倒してた相手だよ?」
「……それもそうか」
「リエラさんを止める必要がある時は、私も盾を持って参加します☆」
ミルキーも当然のように加わった。
「最初から4対1を想定されてるんだけど」
「今のリエラさんを相手にするなら、それくらい必要です☆」
「自分の評価が上がるほど嬉しくない会話ってあるんだね……」
思わず笑うと、ミーナまで口元を緩めた。
張り詰めていた胸の奥が、そこでほんの少しだけ軽くなる。
「ただし、戦力面だけを見れば」
ミルキーが改めて私のステータスを表示した。
「リエラさんは、間違いなく以前とは別の段階へ進んでいます☆ 高VITを軸にした前衛能力に加えて、《ベルセルク》による瞬間的な強化、《ブラッド・リベリオン》による火力変換、《硬質化》による局所的な攻防、《暴食》、そして既存の《捕食》と死霊術☆ 召喚系の能力まで含めれば、対応できる状況がかなり増えています☆」
「こうやって並べられると、やっぱりおかしくない?」
「おかしいねぇ」
ネネが即答する。
「何のゲームやってたら、タンクが途中から狂戦士になって、敵を食べて成長しながら骨まで操るようになるの?」
「エタファン……?」
「説得力ないなぁ」
投影盤には、今回新しく増えた能力がずらりと並んでいる。
【憤怒の因子】。
《ベルセルク》。
《ブラッド・リベリオン》。
《硬質化》。
《暴食》。
発動条件そのものへ変更が入った《捕食》。
塔踏破による永続的な補正。
そして、私だけが獲得した【暴食を食らうもの】。
「……これ、なんていう魔王育成ゲーム?」
ネネが呆れたように言った。
「私が育成されてる側なの?」
「今のところ、すっごく順調に育ってる」
「嬉しくない順調さだなぁ……」
冗談を返しながらも、心のどこかでは笑い切れなかった。
ここまで同じ方向へ能力が集まり始めると、ただ運が良かっただけとは考えにくい。
この世界のシステムが私をそういう方向へ押しているのか。
それとも、私自身の中にもともと何かがあって、ゲーム側がそれを拾い上げているのか。
今の私には、まだ分からない。
けれど、グラティアが言った言葉だけは覚えている。
『なんで、そっち側にいるの?』
『こっち側の方が、よく似合うわ』
あの時は腹が立って、ほとんど反射的に返した。
「……私は、私の側にいる」
気づけば、その言葉がもう一度口から出ていた。
今度は《ベルセルク》に理性を削られているわけでもない。
静かな作戦室で、仲間達の顔を見ながら、自分の意思で言葉にする。
「私の中に憤怒が増えて、暴食まで手に入れて、これからもっと訳の分からないものが増えたとしても、それで私が急に別の誰かになるわけじゃない。私はリエラとして、ミーナ達と一緒にいる側を選ぶよ」
「はい」
ミーナが柔らかく笑った。
「そのことだけは、忘れないでください」
「もし忘れたら?」
「止めます」
「やっぱり魔法で?」
「必要なら」
迷いなく返され、私は思わず笑った。
「ネネは?」
「私は死角から全力で蹴る」
「正面から来てくれないんだ」
「勝てる方法で戦うのが斥候だからねぇ」
「私は正面から《シールドストライク》で止めます☆」
「ミルキーだけが正々堂々してる……」
「その後でネネさんの罠へ押し込みます☆」
「連携する気満々じゃん!」
今度こそ、作戦室へ明るい笑い声が広がった。
私はそれを聞きながら、円卓へ肘をつき、少しだけ身体の力を抜く。
甘いお菓子の匂いと、すっかりぬるくなった紅茶。円卓の中央には、リリスの遠い過去を映し出した古びたオルゴールが残っている。
ほんの少し前まで、私は自分の中に増えていく得体の知れない力が怖くて仕方がなかった。
今だって、怖くなくなったわけではない。
ただ、その怖さを1人で抱えている必要はないのだと思えた。
便利だからと浮かれすぎた時には止めてくれる人がいる。怖くなった時には、それを怖いと口にできる相手もいる。そして自分だけでは判断できなくなった時には、いったん力を使わないという選択を一緒にしてくれる仲間がいる。
だから今のうちに、境界線を引いておく。
何をしていいのか。
何をしてはいけないのか。
もし自分でその線が見えなくなったら、誰に止めてもらうのか。
グラティアを《捕食》して力を得た今だからこそ、それだけは曖昧にしてはいけない。
私はたぶん、これから先も強くなる。
その強くなり方が、普通のプレイヤーとは少し違うものになっていく可能性もある。
それでも、その力を使う理由まで変わる必要はない。
円卓を囲んで笑う3人を眺めながら、私は改めてそう思った。
どれだけ私の中に『魔王』らしいものが増えていったとしても、私がどちら側に立つのかだけは、最後まで自分自身で選び続けよう。




