シューティングスター☆
(こんなの、完全に無理ゲーじゃないですか……!)
ミルキーはひび割れた大盾の陰で、誰にも聞こえないよう心の中だけで悪態をついた。
普段の彼女なら、どれだけ理不尽な状況へ放り込まれても、そんな言葉を口にすることはない。エタファンのトップ攻略班として、狂ったようなギミックを突きつけられた時ほど冷静に観察し、情報を整理し、再現性と攻略の糸口を探す。それが盾役として前線に立ち続けてきたミルキーの役割であり、彼女自身の矜持でもあった。
けれど、今だけはさすがに無理だった。
大火力を担っていたミーナが戦線から消え、ネネを庇ったトビーも一瞬で落とされた。そして、神速と呼んでいいほどの機動力を持つネネまでが、自分自身ではなく足元に伸びる『影』を喰われ、まともな回避行動すら許されないまま戦闘不能になった。
あれを見せられた直後に、いつも通り冷静でいろという方が無茶な話だ。
「……絶対、運営に長文のお問い合わせを送ってやりますからね☆」
震える唇から、とうとう小さな愚痴が漏れた。
隣には古びた杖を握るエルーサがいて、そのさらに前には真紅の大剣を構えたベルナデッタもいる。2人が残ってくれていることは心強い。
同時に、怖くもあった。
今のグラティアなら、次の瞬間にはその2人までネネやトビーと同じように戦線から消しかねない。
何より問題なのは、ここから先の攻略法がほとんど見えなくなったことだった。
グラティアの背後へ開いた巨大な黒いゲート。その内側に浮かぶ無数の口は、距離も射線も通常のヘイト管理も無視して対象の『影』へ直接噛みついてくる。
しかも、一度影を捉えられれば本体の動きまで拘束される。
右腕を部位破壊したのだから、本来なら弱体化して然るべきだ。
普通のRPGであれば、厄介な攻撃手段をひとつ潰した時点で攻略は一段階進む。
ところがグラティアは逆だった。
右腕を失ったことで、その奥へ押し込められていたさらに厄介な権能が外へ溢れ出してきたようにしか見えない。
こんな相手へ、しかもレベル70へ強制シンクされた状態で挑み続けるくらいなら、ここで全滅を受け入れて情報を持ち帰る。
攻略班として考えれば、それが最も合理的な判断だ。
グラティアの出現条件は不明だとしても、少なくとも能力や行動については大量の情報を得た。次回同じ相手へ挑める保証がなくても、無謀に全員が消耗し続けるよりは――。
そこまで考えたところで、ミルキーの脳裏へ先ほどの言葉が蘇った。
『――たった今、塔の『制限』が少しだけ解除されたみたい』
「……制限」
グラティアは確かに、そう言った。
ミルキーはてっきり、それがグラティア自身へ掛けられていた制限のことだと思っていた。
右腕を部位破壊されたことをきっかけに、ボス側へ掛かっていたリミッターが1段階外れ、あの黒いゲートを使えるようになった。
だが、本当にそれだけなのか。
ミルキーは虚空へ手を走らせる。
「ステータス、オープン……☆」
視界へ半透明のウィンドウが展開された。
レベル制限。
ステータスへの下方補正。
塔の内部で掛かっている能力抑制。
ここへ入った時から嫌というほど見てきたデバフ表示が並ぶ。
けれど、その数字の一部が変わっていた。
「……え?」
ミルキーの指が止まる。
微々たる差だ。
本来の高レベル状態へ戻ったわけでもなければ、レベル70という枠そのものが消えたわけでもない。
それでも、確かにプレイヤー側へ掛かっていた制限が数%だけ緩んでいる。
そして、より重要な変化がスキル欄にあった。
塔へ入ってから灰色に潰されていた一部の高レベルスキル。そのうちのいくつかへ、ごく薄い光が戻っている。
「グラティアさんだけじゃない……☆」
喉が小さく鳴った。
「塔そのものの制限が、緩んでる……?☆」
グラティアの力が解放された結果、同じシステムによって押さえ込まれているプレイヤー側の制限まで僅かに揺らいだ。
そう考えるのが一番自然だった。
完全解除には程遠い。
でも、ほんの小さな穴なら開いている。
それが分かった瞬間、さっきまで諦めかけていた攻略者としての思考が再び回り始めた。
前方では、《ベルセルク》状態のリエラがグラティアへ肉薄している。
今この場において、間違いなく最大の火力を持っているのは彼女だ。
拳は通っている。
硬質化を力で押し込み、右腕まで部位破壊した。
だが、状況そのものは依然として圧倒的に不利だった。
グラティアの背後に開いた黒いゲートからは、無数の口が空間のあちこちへ現れている。あれに行動範囲を削られ続ければ、いくら《ベルセルク》で強化されたリエラでも、いずれ足元の影を捉えられる。
そうなれば、ネネと同じだ。
回避も、防御も、ステータスによる耐久も関係なくなる可能性が高い。
なら。
あの『暴食』だけを、一瞬でも止める。
攻撃そのものを無効化できなくてもいい。
対象をずらす。
射線を曲げる。
本来リエラへ成立するはずだった攻撃判定を、盾役である自分へ引っ張る。
止める。防ぐ。受ける。
それは、ミルキーがこれまで何千回と繰り返してきた盾役の基本だった。
彼女はスキル一覧を高速でスクロールする。
そして、さっきまで使用不能だった項目のひとつが、弱々しく白く明滅しているのを見つけた。
「……これなら☆」
普段なら、より高難度の大規模戦で使う上位防御支援スキル。
万能な無敵技ではない。
効果時間は極端に短く、消費も重い。
それでも、対象への攻撃判定を強制的に自分へ固定し、ほんの僅かな時間だけ『ここから動かさない』ための技だった。
影を喰うなら、その影へのターゲット判定ごと盾役へ引っ張る。
数値で防げないなら、数値以外のゲームシステムで割り込む。
「……まだ、やれます☆」
ミルキーは大盾のグリップを強く握り直した。
右腕は重い。
膝も限界に近い。
それでも、薄く光るスキルアイコンひとつで、消えかけていた攻略者としての火が一気に戻ってきた。
「エルーサさん☆」
「はい」
「私へ回復を集中してください☆ 継続回復も、可能な限り厚くお願いします☆」
「承知いたしました」
「ベルナデッタさん☆」
今度は真紅の騎士へ声を掛ける。
「リエラさんの足元の影を見ていてください☆ グラティアさんの口が、次にそこを噛もうとした瞬間……私を、その場所へ全力で投げてください☆」
ベルナデッタが一瞬だけ黙った。
「……投げる、だと?」
「はい☆」
「その大盾も含めて、あなたをか?」
「はい☆」
「承知した」
「納得が早いですね☆」
「リエラ様の戦場において、常識へ拘泥している暇はない」
「それは……否定できませんね☆」
思わず苦笑しそうになったが、すぐに前方へ意識を戻す。
グラティアの背後では、無数の黒い口が不規則に開閉していた。
リエラはまだ殴り合っている。
赤い光に照らされたその足元から長い影が伸び、その端へ、黒い歯形のようなものがじわりと浮かび始めた。
「来ます☆」
ミルキーは右手の大盾を正面へ構えた。
薄い青白い光が身体を包む。
先ほどの《シールドストライク》ほど強い輝きではない。
それでも、背中へ僅かに光の羽が浮かび上がった。
今度は攻撃するためではない。
仲間の前へただ立つためでもない。
暴食の黒姫が使う理不尽なシステムへ、盾役として自分自身を割り込ませる。
「リエラさん☆」
声が届くかは分からない。
それでも叫ぶ。
「1秒だけ、作ります☆」
リエラは振り返らなかった。
《ベルセルク》に染まった彼女が、今どこまでこちらの声を理解できているのかも分からない。
だが、それでいい。
今のリエラに長い説明は必要ない。
グラティアを殴れる1秒さえあれば、あとは勝手に拳を叩き込む。
「ベルナデッタさん☆」
「行くぞ!」
ベルナデッタがミルキーの背中側へ回り、その鎧をがっしりと掴んだ。
次の瞬間、重装備に大盾まで抱えた身体が持ち上がる。
普通なら絶対にやらない。
盾役そのものを投擲するなんて、攻略動画にでも残ればコメント欄が荒れるどころではない作戦だ。
でも、普通の方法で勝てる相手なら、とっくにこんなことにはなっていない。
グラティアの黒い口が、リエラの影へ噛みつこうと大きく開く。
「今だ!」
ベルナデッタが腕を振り抜いた。
ミルキーの身体が、弾丸のように飛ぶ。
「《アンカー》☆」
青白い光が、大盾を中心に一気に広がった。
空中を飛ぶミルキーから伸びた光の影が、リエラの足元へ重なる。
スキルが対象を固定する。
本来ならリエラへ向いていた攻撃判定を、盾役であるミルキーへ強引に引き寄せる。
そして次の瞬間、空間に開いた巨大な口が噛みついた。
「ぐっ……ぁ……☆」
ミルキーのHPが一気に削られる。
直接攻撃を受けたわけではない。
それでも《アンカー》を通して繋いだ対象判定ごと、耐久力そのものを持っていかれているような凄まじい負荷だった。
しかし、ゼロにはならない。
ミルキーの姿は光の粒子へ変わらず、まだそこに残っている。
エルーサが事前に重ねていた継続回復が、激しく削れていくHPを必死に押し戻していた。
「通った……☆」
成功した。
ほんの一瞬だけ。
グラティアの『暴食』が喰らう対象を、リエラから自分へずらした。
しかも、黒いゲートの口は《アンカー》へ噛みついたまま僅かに硬直している。
「リエラさん、今です☆」
ミルキーが声の限り叫ぶ。
その声へ反応したように、赤い視界の中にいるリエラの顔が僅かに動いた。
グラティアの背後にある黒い口はミルキーへ捕食判定を奪われ、本体の意識もほんの一瞬だけそちらへ引かれている。
1秒。
本当に、それだけ。
でも、十分だった。
リエラが床を蹴る。
石床へ亀裂が走り、白い拳が大きく振り上げられた。
それを見ながら、ミルキーは猛烈な勢いで削られ続ける自分のHPバーに歯を食いしばる。
(やっぱり、無理ゲーです☆)
理不尽だ。
初見殺しもいいところだ。
帰ったら本当に問い合わせを書いてやる。
それでも、どれだけ狂ったギミックにも、ほんの一瞬くらいはシステムの隙がある。
その隙を見つけるために何度も失敗し、仲間と手札を繋ぎ合わせ、最後には意地でも攻撃を通す。
たぶん、攻略というのはそういう泥臭いものなのだ。
そして今、エタファンでも屈指の盾役であるミルキーは、自分のHPを削りながら、その一瞬を確かに作った。
「届けぇぇぇっ☆」
ミルキーの叫びと同時に。
リエラの拳が、無防備になったグラティアへ真っ直ぐ突き進んだ。




