燃え上がる攻略班
「パラメーターの暴力がすべてではありません。それが、私達の戦いです☆」
ミルキーが、ひび割れた大盾を支えにしてゆっくりと立ち上がった。
膝は極限の負荷に小さく震え、盾を握る右腕もとっくに限界へ近づいているはずだ。それでも、その瞳に宿った光だけは少しも死んでいない。
「だからこそ、私達にしか通せない戦い方があります☆」
次の瞬間、ミルキーの身体が眩い青白色の光に包まれた。
回復魔法ではない。
防御力を高めるだけのスキルエフェクトとも違う。
身体能力そのものを一瞬だけ押し上げるような鋭い輝きが全身を駆け抜け、その背中へ薄い光の翼が広がっていく。
「――《シールドストライク》☆」
ミルキーが走った。
いや、飛んだと言った方が近い。
右手の大盾を前へ構えたまま、青白い残光を引いてグラティアへ一直線に突っ込んでいく。
《シールドストライク》自体は、盾役なら珍しくもない基本的な突進スキルだ。
ただし、今回の目的はダメージではなかった。
グラティアへ盾を叩き込むためでも、私の代わりに攻撃を受けるためでもない。
私とグラティアの間へ自分から割り込み、その視界を一瞬だけ奪う。
それだけのために、ミルキーは捕食の右腕が届く距離へ自ら飛び込んだのだ。
「ミルキー!」
赤く染まった視界の中で、私の声が僅かに遅れて響く。
グラティアも、その無謀な突進へ反応した。
理由は分からない。
ミルキーという盾役の在り方そのものへ執着しているからなのか、彼女の向こう側へ見ている『勇者』がそうさせるのか。
ただ、確かにグラティアの視線が私から外れた。
そして、右腕に並ぶ黒い口が一斉に開く。
空間が歪み、ミルキーを丸ごと呑み込もうとするように黒い闇が蠢いた。
けれど、ミルキーはそこへ真正面から突っ込んだわけではない。
捕食の間合いへ入る寸前、身体を大きく横へ流す。
青白い光を残しながらグラティアの眼前を高速で横切り、そのまま急角度で射線の外へ抜けた。
盾を当てない。
捕食も受けない。
ただ光と大盾で視界を塞ぎ、グラティアの狙いだけを自分へ引きつけて空振りさせる。
盾役が即座に戦線離脱しかねない攻撃の鼻先を自ら横切るなんて、普通なら選択肢にも入らない。
でも、今の相手に普通の攻略法なんて通じない。
そして、ミルキーがそこまでして作った一瞬を、ネネが見逃すはずもなかった。
「――今!」
影の中から、ネネが音もなく飛び出した。
狙ったのは黒い口そのものではない。
右腕の付け根。
華奢な肩口へ、両手の短剣のうち片方を正確に叩き込む。
赤いダメージエフェクトと共に、黒紫色の状態異常表示が一瞬だけ走った。
ネネは欲張らない。
攻撃が通ったことを確認した瞬間には短剣を引き、そのまま後方へ大きく跳んでいる。
ミルキーに視界を奪われ、右腕の捕食を空振りさせられ、さらにネネによって腕の付け根へ攻撃を通された。
全部が重なったことで、あれほど隙のなかったグラティアの右腕がほんの一瞬だけ遅れた。
私は、その一瞬を見ていた。
ミーナを落とした腕。
骨剣を何本も存在ごと呑み込んだ腕。
触れればこちらまで一瞬で戦線から消されるかもしれない、最も危険な部位。
それでも今だけは違う。
肩口へネネの攻撃が入り、捕食の口も空振りした直後で、私へ向き直るには僅かな遅れがある。
ここしかない。
「――っ!」
私は迷わず踏み込んだ。
グラティアの右手首よりもさらに上、ネネが攻撃を入れた肩に近い位置へ両手を伸ばし、その腕を力任せに掴む。
途端に、右腕へ浮かんでいた口がこちらを喰らおうと向きを変え始めた。
でも、遅い。
「っらぁぁぁっ!」
《ベルセルク》によって引き上げられた力を全部使い、私は掴んだ腕ごとグラティアの身体を引き崩した。
「なっ……!」
グラティアの小柄な身体が初めて大きくバランスを崩す。
私はその勢いを止めないまま身体ごと押し込み、彼女を石床へ叩きつけた。
重い衝撃と共に、第50階層の床へ新しい亀裂が広がる。
「ちょっと……!」
初めて聞いた。
苛立ちでも、嘲笑でもない。
明確に余裕を失ったグラティアの声だった。
私はそのまま右腕を床へ押さえ込み、自分の体重まで乗せる。
逃がさない。
もう、あの口を自由に使わせない。
「ミーナは……」
腕の表面で黒い口が開こうとしている。
それでも、ネネが通した肩口のダメージと私の拘束が重なり、今までのような滑らかな動きはできていない。
「もっと怖かったはずよッ!」
怒鳴ると同時に、私は右腕を両手で掴み直した。
狙うのはグラティア本人ではない。
この戦闘で最も危険な捕食能力を持った右腕。
ここで潰す。
グラティアも私の狙いを察したのか、肩から腕全体へ一気に銀色の硬質化を走らせた。
《メタルグラトニー》と同じ、攻撃そのものを拒絶する異常な硬度。
それでも、私は手を離さなかった。
「あああぁぁぁっ!」
力任せに引く。
硬質化した腕と肩の接続部分へ、赤いダメージエフェクトが次々と走る。
グラティアも身体を捻って抵抗するが、《ベルセルク》による今の私の出力と、すでにネネが作っていた弱点が重なり、その場所だけが耐えきれず大きく揺らいだ。
そしてついに、鋭い破砕音と共に右肩を覆っていたアバターの輪郭へ無数の光の亀裂が走る。
次の瞬間、グラティアの右腕が本体から分離した。
切断された肉体が残るわけではない。
ゲーム上の部位破壊として処理された右腕が、赤黒いポリゴンと銀色の粒子を撒き散らしながら私の手の中へ残ったのだ。
「……取れた!」
その腕には、まだ黒い口が残っていた。
こちらを喰らおうと何度も開閉している。
「もういらない!」
私はそのまま遠くへ投げ捨てた。
床へ落ちた右腕は数度跳ねた後、黒い霧と光の粒子へ変わりながら完全に消滅していく。
これで、ミーナを一瞬で戦線から消した能力は潰した。
「……あなた」
グラティアが、右肩を左手で押さえながらゆっくりと立ち上がる。
もちろん、そこから何かが流れ出しているわけではない。失われた部位はゲームらしく黒い靄と粒子に覆われ、輪郭そのものが欠落した状態になっている。
けれど、その表情だけは今までとはまるで違っていた。
怒り。
驚き。
そして、私という存在そのものへ向けた異様な興味。
それらが混ざり合い、今までの上品な令嬢の笑みとは違う、ひどく歪な表情を作っている。
「本当に、乱暴な人ね」
「そっちが先に手を出したんでしょ」
私は荒い息を吐きながら、拳を握り直す。
背後ではミルキーが着地し、大盾を床へ突いたまま肩で息をしていた。
顔色も良くない。
今の《シールドストライク》で、残っていた体力をかなり使ったのだろう。
ネネも少し離れた場所で両手の短剣を構え直している。
「リエラちゃん……やったの?」
「まだです☆」
ネネの問いへ、ミルキーが即座に答えた。
「一番危険だった右腕を部位破壊しただけです☆ グラティア本体のHPは、まだ十分残っています☆」
そう。
分かっている。
最悪だった捕食の右腕は潰した。
でも、グラティア本人を倒したわけではない。
むしろ、右腕という明確な部位を失ったことで、このボスが次に何をしてくるのかは完全に未知になった。
「……ふふ」
グラティアが、片腕のまま小さく笑う。
今度は余裕を取り繕った笑いではない。
何かが壊れた結果、その奥にあった別のものが表へ出てきたような笑い方だった。
「いいわ」
失われた右肩を覆っていた黒い靄が、少しずつ濃くなる。
「私、痛いのは……嫌いじゃないの」
ぞわりと背筋へ嫌な感覚が走った。
《ベルセルク》で危険を無視しやすくなっているはずの身体でさえ、ここから何かが変わると理解している。
まだある。
右腕を失ったことで弱体化したのではなく、むしろ別の段階へ移ろうとしている。
私が構え直した、その時だった。
「リエラさん☆」
ミルキーの声に緊張が走る。
視線は私ではなく、その足元へ向いていた。
「……下です☆」
「え?」
見れば、グラティアの足元から伸びていた黒い影が、いつの間にか床一面へ薄く広がり始めている。
さっきまでとは違う。
ただの演出でも、魔力が漏れているだけでもない。
影そのものが意思を持って這うように伸び、私達の足元へ近づいていた。
「ミルキーちゃん、一旦距離取ろう!」
ネネが即座に判断する。
「今のリエラちゃんとグラティアの間に入る方が危ない! 私達まで巻き込まれたら支援すらできなくなる!」
ミルキーが一瞬だけ迷った。
それでも、すぐに戦況を見回し、小さく頷く。
「……はい☆」
その表情には明らかな悔しさがあった。
「このレベル制限と、今の消耗状態では……ここから先、近接でグラティアさんへ追従できるのはリエラさんだけです☆」
盾を握る右手へ、さらに力が入る。
それでもミルキーは一歩下がった。
逃げるためではない。
私が自由に動ける範囲を広げるためだ。
「ネネさんも、無理に中へ入らないでください☆」
「了解。外から穴だけ作るよ」
ネネも距離を取る。
ただし完全には戦線から外れない。
いつでも短剣を投げ、死角を作り、グラティアの意識を逸らせる位置を保ったまま、私とグラティアの間合いからだけ外れる。
それを確認してから、ミルキーが私へ顔を向けた。
「リエラさん☆」
「なに?」
ミルキーは疲れ切った顔のまま、それでも少しだけいつもの笑みを浮かべた。
「……あとは、任せました☆」
ほんの少し気の抜ける、でも今の私には十分すぎる言葉だった。
私は肺に溜まった熱い息を吐き出す。
「任されたわ」
その瞬間。
グラティアを包んでいた黒い靄が、一気に膨れ上がった。
失われた右肩から立ち上った影が背後へ流れ、まるで巨大な何かの輪郭を作ろうとしている。
空気まで変わる。
右腕を潰したことで、私達は確かにひとつの脅威を奪った。
けれど同時に、それまで何かに押さえ込まれていた力まで解放してしまったような嫌な感覚があった。
私は腰を落とし、拳を握る。
ミーナを落としたグラティアへの怒りは、まだ少しも消えていない。
ただ、さっきまでとは違った。
何も考えずに突っ込むだけの怒りではない。
ミルキーとネネが作ってくれた隙を見て、仲間の位置を最低限把握し、それでも最後に殴るべき相手だけを真っ直ぐ見据える。
《ベルセルク》の狂気の中へ、僅かながら戦うための思考が戻り始めている。
それでもグラティアを倒すという目的だけは変わらない。
私を信じて距離を取ったミルキーのために。
外から機会を作ろうとしているネネのために。
そして、戦線から消えたミーナのために。
私は黒い影を纏い始めた暴食の黒姫へ向け、再び床を蹴った。




