骨まで喰らう
白い刃の雨が、グラティアへ向けて嵐のように殺到する。
それと同時に、私は床を強く蹴った。
狙うのは右手の射線から外れた側面。真正面からあの黒い口へ飛び込むほど理性を失ってはいないが、だからといって距離を取るつもりもない。《ベルセルク》によって赤く染まった視界の中心には、相変わらずグラティアだけが鮮明に浮かんでいた。
先に骨を食わせ、その間に私が殴る。
今はそれだけでいい。
私の意図を察したのか、グラティアの異形と化した右腕が大きく開いた。白い皮膚の上に並んだ無数の口が、正面から飛び込んでくる骨剣を次々と呑み込んでいく。
触れた刃は弾かれることも、砕けることもない。
ただ黒い口へ吸い込まれ、そのまま存在ごと消えていく。
気味が悪い。
けれど、食べるためには右腕をそちらへ向けなければならない。
私はその僅かな拘束を利用してグラティアの左側へ潜り込み、空いた脇腹へ拳を叩き込んだ。
「っらぁぁあっ!」
確かな手応えが返ってくる。
硬い。
それでも、今度は弾かれなかった。
拳を受けたグラティアの身体が横へ流れ、細い靴底が石床を擦りながら数歩分後退する。すかさず追撃へ入ろうとした私から少し離れた場所で、ネネとミルキーが息を呑んでいるのが視界の端に映った。
ミルキーは右手の大盾を支えにしながら辛うじて立ち、ネネも両手の短剣を構えている。
それでも2人は、すぐには入ってこない。
今の私とグラティアの間には、無理に割り込めば巻き込まれるだけの速度と攻撃が飛び交っている。私自身、《ベルセルク》の影響で細かな加減に自信がない。
「ねえ」
ネネが前線を見つめたまま、低い声で尋ねた。
「あれ……私達のレベル制限がなくて、本来のステータスで戦えたら倒せると思う?」
ミルキーは、すぐには答えなかった。
漆黒の口をいくつも開いたグラティアの右腕と、それを避けながら懐へ飛び込み続ける私を見つめ、しばらく考えてから口を開く。
「……分かりません☆」
「うわ。ミルキーらしくないというか、攻略班らしくない答え」
「攻略班だからこそ、そう答えるしかないんです☆」
ミルキーは悔しそうに表情を曇らせながらも、戦闘から目を逸らさなかった。
「RPGなら、本来はレベルを上げて、装備やスキルを揃え、強敵に合わせて対策を積むことで少しずつ勝率を上げていきます☆ それが基本ですし、エタファンだって例外ではありません☆」
「うん」
「でも、グラティアは……そういう数値の積み重ねだけで考えていい相手には見えません☆ 仮にこちらがレベル999のカンスト状態だったとしても、何か別の理屈を持ち出して致命的な攻撃を通してきそうな怖さがあります☆」
その言葉に、ネネの顔からいつもの軽い笑みが消えた。
大げさな話には聞こえなかった。
グラティアが見せてきた能力は、単純に攻撃力や防御力が高いというだけではない。
必要な接触点だけを硬質化して攻撃を弾き、その硬度を一点へ集中させればこちらの防御を崩す攻撃へ変える。ミーナを一瞬で戦線から落とした右腕の捕食に至っては、通常の耐久力でどこまで防げるのかすら分からない。
こちらのヘイト管理を無視して、自分が執着した相手を狙い続ける。
本来の階層守護者まで配下のように呼び出す。
そして相手の役割や陣形を観察し、もっとも嫌な場所へ平然と手を伸ばしてくる。
HPを増やせば耐えられる。
防御力を上げれば安全になる。
圧倒的なレベル差を作れば力で押し潰せる。
そういうゲームとして当たり前の前提そのものが、どこまで通用するのか分からない相手なのだ。
「もちろん、勝てる可能性は上がると思います☆」
ミルキーは続ける。
「十分な準備期間があって、この強制シンクもなくて、全員が本来のパラメーターと装備で挑めるなら、今より遥かに楽になるはずです☆ 今見えている能力への対策も全部積めます☆」
「でも、それでも絶対じゃない?」
「はい☆」
ミルキーの声が、僅かに硬くなる。
「それでも負ける可能性を捨て切れないくらい、底が見えません☆」
ネネが小さく息を吐く。
「……マジでやばいね、あいつ」
「はい☆」
「まあ、今のリエラちゃんも大概だけど」
ネネが再び私へ視線を戻した。
その時の私は、グラティアの右手が開くたびに骨剣を押し込み、その隙を使って懐へ入っていた。
拳を当て、距離が近ければ肘や膝も使う。
グラティアの反撃を紙一重でかわし、避けきれなければ受けながらでも前へ出る。
後方からエルーサの回復光は届き続けているものの、私のHPは目に見えて減っていた。《ベルセルク》の強化が身体へ掛ける負担に加え、グラティアの攻撃を完全に避け続けることもできていない。
それでも、グラティアのHPにも少しずつダメージは蓄積している。
今だけは、押せている。
ただし、このまま続ければ先に私の方が限界を迎える可能性は高い。
「止める?」
ネネが両手の短剣を握り直す。
ミルキーは少しだけ黙り、やがてはっきりと首を横へ振った。
「今止めたら、たぶん私達は負けます☆」
「だよねぇ」
「今のリエラさんは、味方にとっても近づき方を間違えれば危険です☆ でも同時に、今までほとんど攻撃を通せなかったグラティアへ、確実にダメージを与えられています☆」
ミルキーは震えの残る右腕へ力を込め、大盾を持ち直した。
「だから、私達がすることはリエラさんを止めることではありません☆」
「じゃあ?」
「リエラさんの拳が届くところまで、道を残します☆」
その答えを聞いたネネが、にやりと笑った。
さっきまでの強がるような笑みではない。
難しい攻略ほど燃える、いつものトッププレイヤーの顔だった。
「じゃ、やろっか」
「はい☆」
2人がほぼ同時に動く。
ネネは気配を消して影へ沈み、ミルキーは大盾を構えながら私とグラティアの戦いの外周へ回った。
私を止めるためではない。
私を庇って前へ立つためでもない。
グラティアが捕食の右腕を開いた時、その攻撃方向を少しでも限定する。そのうえで、私が踏み込める場所を1本だけ残す。
それだけでいい。
今の私は、その細い道さえ見えれば勝手に突っ込む。
その間にも、私はグラティアとの距離を詰め続けていた。
拳を振るい、肘を入れ、近づけば膝を使う。捕食の右腕が開けば骨剣を餌として押し込み、その処理へ意識を向けさせた隙に、自分の身体ごとぶつけるように攻撃する。
さっきまで完璧だったグラティアの表情も、少しずつ崩れていた。
余裕を失ったわけではない。
それでも、何をされても楽しげに笑っていただけの頃とは明らかに違う。
「ああ……」
グラティアが熱を帯びた息を吐いた。
「やっぱり、あなた」
右腕に浮かぶ黒い口が一斉に開く。
赤い視界の中で、私はその奥の闇を睨み返した。
漆黒の瞳も、今はミルキーではなく私だけを見ている。
「こっち側の方が、よく似合うわ」
「うるさい」
私は心底からの嫌悪を込めて吐き捨てた。
その直後、グラティアの視界の端で小さな影が動く。
ネネだ。
死角から飛んだ刃がグラティアの意識を一瞬だけ横へ引っ張り、ほぼ同時にミルキーの大盾が別方向から進路を狭める。
右手の口がこちらを捉えようと動く。
けれど、その射線にはほんの僅かな穴が残った。
2人が作った道だ。
《ベルセルク》に削られた思考でも、それだけははっきりと分かった。
私は迷わず、その細い死角へ身体を滑り込ませる。
「私は」
左手を強く握る。
右腕の捕食は、すぐそこまで迫っている。
それでも止まらない。
「いつだって、私の側にいるわよッ!」
グラティアの右手が、私を追うように振られた。
無数の口が空間へ噛みつく。
その直前、私は半身を鋭くずらす。
右手が僅かに脇を抜けた。
その瞬間、完全に空いたグラティアの身体へ踏み込む。
ネネが作った一瞬。
ミルキーが残してくれた一本道。
そこへ《ベルセルク》で引き上げられた力と、ミーナを落とされた怒りを全部乗せる。
そして私は、固く握り込んだ左拳をグラティアへ全力で叩き込んだ。




