挟撃
「ミーナ、MP回復にどれくらいかかる!?」
カーヴァーが光の粒子となって完全に消滅するのを横目で確認しながら、私は後方で膝をついているミーナへ声を飛ばした。
ミーナは乱れた呼吸を整えながらメニュー画面を開き、ほとんど空になった自分のMPバーを確認する。
「自然回復だけでは、《インフェルノ》級の大魔法をもう1度撃つのは無理です。回復薬の効果も合わせれば、通常の攻撃魔法を使える程度までは戻せますが……」
「《コンバート》は?」
「使えば、すぐにでもMPを強制的に戻せます。ただ……」
そこでミーナは言葉を切り、前線へ視線を向けた。
真紅の日傘を閉じたグラティアが、相変わらず余裕に満ちた笑みを浮かべながらミルキーを追い詰めている。ここまで彼女が自分自身の能力として見せた手札は、局所的な硬質化と、それを利用した異常な威力の点攻撃くらいだ。グラトニーブロスの召喚まで含めれば十分すぎるほど理不尽なのだが、それでもまだ、この相手が能力のすべてを見せているとは到底思えない。
「《コンバート》は……グラティアさんに残しておきたいです」
ミーナの声は静かだった。
けれど、その瞳には明確な意思がある。
《コンバート》は、自身のHPとMPを入れ替えることで、枯渇したMPを強引に取り戻す最後の手段だ。使えば再び大火力へ繋げられる代わりに、当然こちらにも大きな負担が残る。
残っているブロスだって、決して前座と呼べるような相手ではない。
それでも、ここで切るべきではないというミーナの判断には私も同意だった。
グラティアが本当に七つの大罪、その『暴食』に近い存在なのだとしたら、絶対にまだ何か隠している。今見えている硬質化だけで終わるような相手なら、わざわざ本来の最終ボスを従えて登場する意味がない。
その未知のギミックを無理やり突破するにしても、大火力で押し切るにしても、ミーナの切り札はグラティア本人へ残しておきたい。
「分かった。《コンバート》はまだ使わない!」
私はすぐに判断を下した。
「ミーナはMP回復薬を飲んで! 最低限、通常魔法が撃てるところまで戻して!」
「はい!」
ミーナがポーチから高位のMP回復薬を取り出す。
淡い青色の液体が入った小瓶を一気に飲み干すが、当然ながら即座にMPが全回復するような都合のいい代物ではない。薬によって自然回復を大きく加速させ、時間をかけて少しずつ戻していくタイプだ。
その間、ミーナはまともな火力を出せない。
なら、その時間を私達が稼ぐ。
「ネネ、ミーナの護衛お願い!」
「了解!」
「トビー、盾持ちブロスはそのまま杭で拘束! 絶対に突進させないで!」
「へい! 野郎ども、リエラ様の命令だ! あのデカブツを闘技場の床飾りにしてやれぇ!」
トビーの号令と共に、ゴブリン隊が再び骨のバリスタへ群がる。
盾持ちブロスは怒り狂ったように咆哮し、脚へ打ち込まれた骨杭を引き抜こうと暴れている。それでもトビー達は怯まず、次々と追加の杭を装填していった。
狙うのは膝、足首、そして巨大な盾を支える腕。
今は倒す必要さえない。
あの巨体から機動力を奪い、こちらの戦場へ干渉できる範囲を少しでも狭められれば、それだけで十分だ。
「私はミルキーに加勢する!」
私は砕けかけていた骨剣を再生成し、グラティアへ向けて全速力で走った。
ミルキーはまだ前線で耐えている。
ベルナデッタが横から大剣を差し込み、グラティアの攻撃軌道を少しでも逸らす。後方ではエルーサが回復を絶やさず重ね続けている。
それでも明確に押されていた。
銀色へ硬質化したグラティアの手刀が大盾へ触れるたび、ミルキーは絶妙な角度でその力を外側へ逃がしている。それでも完全には殺しきれず、逸らされた攻撃が石床へ届けば、硬い床面が簡単に削られていく。
まともに受ければ危険だ。
それは、最高峰の盾役であるミルキーですら変わらない。
そんな攻撃をグラティアは、まるで庭園を散歩しながら花でも摘むような涼しい顔で何度も振るっている。
「そうよね……」
私は走りながら、その動きを必死に観察した。
グラティアが見せているのは、グラトニーブロスを呼び出す力と、身体の一部を瞬間的に硬質化する能力。
今のところ、本当にそれだけだ。
だからこそ怖い。
暴食の塔の頂上で、本来ここにいるはずの守護者をペットのように従え、かつての勇者らしき存在へ異常な執着を見せる。そんな設定を背負った相手が、硬い手刀で殴ってくるだけの単純なボスで終わるとは思えない。
極端な話、ここで攻略を諦めるという選択肢だってある。
1度全滅して死に戻り、本来のボスとは別にグラティアというネームドが出現したこと、グラトニーブロスを召喚すること、局所的な硬質化を使うこと、そしてミルキーに異常な執着を示すこと。今まで得た情報だけでも持ち帰れば、次回以降の攻略に繋げられる。
最前線を攻略してきたミルキー達なら、それを敗北ではなく、情報収集を終えて撤退するという合理的な判断として選ぶこともあるのだろう。
けれど。
「本当に……こんなバケモノ相手に、どうやって勝つのよ……!」
弱音が漏れた。
グラティアはまだ余裕の笑みを崩していない。
その相手へミルキーが決死の覚悟で盾を構え、ベルナデッタとエルーサが全力で彼女を支えている。ネネはMPを回復しているミーナを守りながら、盾持ちブロスの動きまで警戒していた。トビー率いるゴブリン隊も巨大なバリスタへ取りつき、必死に敵の動きを封じ続けている。
全員が、今の自分にできる最善を尽くしている。
それなのに、まだグラティア本人へはまともなダメージ1つ通せていない。
その時だった。
「リエラ様!」
トビーの切羽詰まった声が、戦場の喧騒を突き抜けた。
「こいつ、盾で攻撃を防いでるんじゃねぇですぜ!」
「……え!?」
私は思わず振り返る。
残った盾持ちブロスは、膝や足首を何本もの骨杭で床へ固定されながらも、まだ激しく暴れている。
巨大な鋸歯の大盾を正面へ構え、トビー達が撃ち込む追加の骨杭を次々と弾いていた。
けれど、よく見るとおかしい。
防御しているにしては、盾を構えている時間が長すぎる。
そして何より、カーヴァーが倒れた頃から、その大盾の中央へ赤黒い光が少しずつ集まり始めていた。
「防御じゃねぇ! 大技の溜めですぜ!」
トビーが叫ぶ。
「あの盾、たぶんバカでけぇ一発を撃つための砲門だ!」
「最悪すぎる!」
その声へ応えるように、盾持ちブロスの大盾が変形を始めた。
鋸歯の並んだ中央部分が左右へ開き、その奥から真っ黒な穴が姿を現す。
「……また口!?」
第40階層のメタルグラトニーを思い出さずにはいられなかった。
魔力を飲み込むために開いた、あの黒い口。
ただし、今度は吸い込むためだけのものではないらしい。
すでに盾の内部へ蓄積されていた赤黒い光が、巨大な口の奥で急速に圧縮されていく。周囲の空気が揺らぎ、それだけでとんでもない量のエネルギーが溜め込まれていることが分かった。
そして、その砲口が狙っている先は――やっぱりミルキーだった。
「あら、気づいたのね」
グラティアが、その様子を見ながら楽しそうに笑う。
「でも、少し遅いわね」
「ミルキー、避けてぇっ!」
私は叫んだ。
でも、叫んだ直後に分かる。
避けられない。
ミルキーの正面にはグラティアがいる。盾を下げれば、あの硬質化した手刀をまともに受けることになる。
横へ逃げれば、後方で支援しているベルナデッタやエルーサが砲撃の射線へ入る。
前からグラティア。
横からブロス。
どちらを選んでも、致命的な一撃を受ける。
偶然こうなったとは思えない。
グラティアがミルキーへ重ねている『勇者』という存在を徹底的に追い詰めるために、最初からそう組み上げられた盤面にすら見えた。
「……っ!」
ミルキーの表情が強張る。
それでも大盾は下げない。
その姿を見た瞬間、私は考えるより先に叫んでいた。
「トビー!」
「へいっ!」
「バリスタ、あの盾の口へ撃ち込める!?」
「無茶言いますねぇ! あんなちっせぇ的へ、あのデカ杭をですかい!?」
「できるの!? できないの!?」
「できますとも!」
即答だった。
「頼もしすぎる!」
「野郎ども、照準変更! 膝は後だ! あのパックリ開いた盾の口へ、一番太ぇ杭をぶち込んでやれ!」
ゴブリン達が一斉に動き、悲鳴のような掛け声を上げながら巨大なバリスタの向きを強引に変える。
けれど、盾持ちブロスも激しく暴れている。
砲口が揺れる。
照準も定まらない。
このままでは撃ったところで外れる。
「《ネクロ・バインド》!」
私は走りながら床へ魔力を流し込んだ。
黒い影から無数の腕が伸び、盾持ちブロスの太い腕や肩へ次々と絡みつく。
もちろん、これだけで完全に止められるはずはない。
それでも、一瞬だけ動きが鈍った。
「ベルナデッタ!」
「承知した!」
私の意図を理解したベルナデッタが、グラティアから一度だけ離れる。
そして手にした真紅の大剣を大きく振りかぶり、そのまま投槍のようにブロスへ投げつけた。
回転しながら飛んだ大剣が、盾を支えていた太い腕へ叩き込まれる。
その衝撃と重量で、腕が大きく沈んだ。
砲口の角度が僅かにずれる。
私達の連携を見たグラティアの瞳が、初めてほんの少しだけ不機嫌そうに細くなった。
「あなた達」
甘さの消えた低い声が響く。
「本当に、目障りね」
「今さら気づいたのよ!」
私はそのままグラティアの懐へ飛び込んだ。
側へ浮かべていた骨剣を蹴り飛ばし、真正面から叩き込む。
当然、防がれた。
硬質化した指先へ触れた瞬間、骨剣は簡単に外側へ弾かれる。
でも、今はそれでいい。
グラティアの攻撃をミルキーから引き剥がせれば、それだけで役目は果たせる。
「ミルキー!」
私は叫ぶ。
「盾、ブロスの砲撃に合わせて!」
「はい☆」
ミルキーが即座に右手の大盾を斜め下へ構え直した。
真正面から受け止めるのではない。
第40階層から何度も使ってきたように、力を逸らす。
そして同時に、自分の盾が邪魔にならないよう、トビー達のバリスタからブロスの口へ繋がる射線を開ける。
「撃てぇぇぇぇっ!」
トビーの号令が響いた。
巨大な骨のバリスタが大きくしなり、特大の骨杭を撃ち出す。
白い杭が一直線に空間を抜け、今まさに赤黒い光を放とうとしている盾の口へ迫る。
その瞬間、グラティアが動いた。
白い指先が、骨杭へ向かって伸びる。
まずい。
あれに触れられたら、今までと同じように簡単に軌道を変えられる。
「させないって言ってるでしょ!」
グラティアの死角から、ネネが飛び込んだ。
両手の短剣を、伸ばされた指先へ叩き込む。
カンッ、と硬い音が響いた。
当然、攻撃そのものは弾かれる。
でも、その衝撃でグラティアの指がほんの少しだけ横へずれた。
それだけで十分だった。
骨杭が指先の横を抜け、そのまま盾の中央に開いた黒い口へ真っ直ぐ飛び込んでいく。
直後、盾の内部から凄まじい光が膨れ上がった。
「みんな、伏せて!」
大きな爆発が起こった。
本来は外へ放出されるはずだった膨大な魔力が、骨杭によって出口を塞がれ、盾の内部で暴発したのだ。
赤黒い光と強烈な衝撃波が広間へ広がる。
ミルキーは即座に大盾を正面へ戻し、こちらへ届く余波を受け止めた。そこへエルーサの回復光が重なり、私は爆風に押されながらも床を滑るようにしてグラティアとの距離を取る。
「っ……どうなった!?」
光が収まり始める。
その向こうで、盾持ちブロスの巨体が大きく傾いていた。
巨大な大盾は砲撃機能を失ったらしく、中央部分から光を失い、いくつもの破損エフェクトが走っている。膝や足首にはトビー達が撃ち込んだ骨杭が残り、盾を支えていた腕も力なく下がっていた。
まだHPは残っている。
それでも、もうさっきまでのようには動けない。
突進できない。
あの大盾から砲撃も撃てない。
私達を散々苦しめた動く要塞は、ようやくその機能の大半を失っていた。
「今なら……!」
背後からミーナの声が飛ぶ。
振り返ると、先ほどまで膝をついていたミーナが、杖を支えにしながらも立ち上がっている。
MPはまだ十分とは言えない。
《インフェルノ》はもちろん、《ブラストフレア》を連発できるほどにも戻っていない。
けれど、杖の先には細く鋭い炎が灯っていた。
「《フレア・ピアス》なら撃てます」
「上等! それで十分!」
そこで私は、グラティアの表情が変わっていることに気づいた。
ほんの僅かだった。
笑みが完全に消えたわけではない。
けれど、半壊したブロスを見た瞬間、それまでずっと浮かべていた楽しげな表情が一瞬だけ薄れた。
届いている。
まだグラティア本人へダメージは与えられていない。
それでも、彼女が思い描いていた盤面を、私達は確実に崩し始めている。
「……いいわ」
グラティアが冷たく呟いた。
先ほどまでの甘ったるい遊びの声ではない。
「前菜のつもりだったのだけれど」
真紅の日傘の先端が、こちらへ向けられる。
「少しだけ、私も本気で食べたくなってきたわ」
その言葉と同時に、肌を撫でる空気まで変わった気がした。
まだグラティアは、ほとんど手札を見せていない。
その事実は何も変わらない。
でも、こちらも完全に追い詰められているわけではなくなった。
カーヴァーは倒した。
残ったブロスも、主要な攻撃手段を失っている。
ミーナも最低限の魔法を使えるところまで戻った。
だったら、次へ進める。
「全員、まずは盾持ちブロスを完全に落とすよ!」
私は骨剣を自分の側へ引き戻し、もう一度前へ踏み込む。
グラティアが本気の手札を切る前に、本来の第50階層守護者を完全に片づける。
そうしてようやく、この異常なボスと真正面から戦える。
今はまだ、それがグラティアへ勝つための最低条件だった。




