墜ちる巨躯
その瞬間、戦場の空気が変わった。
「分かった。信じるよ」
私がそう言い終えるより早く、トビーは床へぶちまけられた大量の骨素材の中へ飛び込んでいた。
「野郎ども! 手ぇ貸せ! でっけぇの組むぞ!」
『ギャッギャッギャーッ!』
号令を受けたゴブリン部隊が、一斉に骨の山へ群がっていく。
何を作ろうとしているのか、まだ私にも分からない。けれど、問いかけている暇はなかった。ブロス2体とグラティアを同時に相手取っている今、トビーが何か突破口を作ろうとしているのなら、私達がやるべきことは完成するまでの時間を稼ぐことだけだ。
「ミルキー、10秒耐えて!」
「10秒、ですね☆」
ミルキーが顔を上げ、右手の大盾を改めて構え直した。
「何としてでも持たせます☆」
「本当に無茶だけはしないでよ!」
「この状況でそれは少し難しい注文ですね☆」
困る。ものすごく困るのだが、今は彼女の不屈の防御力に賭けるしかない。
「ベルナデッタ、ミルキーの横を固めて!」
「承知!」
「エルーサ、前衛2人への回復を厚めに!」
「はい、リエラ様!」
「ネネはグラティアの意識を一瞬でも逸らして!」
「超絶難題だけど、やる!」
「ミーナは大魔法の詠唱待機! こっちでブロスの防御を崩したら、そこへ最大火力を合わせて!」
「了解です!」
矢継ぎ早に指示を飛ばすと、全員が迷うことなく動き始めた。
ミーナはグラティアから距離を取り、杖を構えて魔力の集中へ入る。ミルキーとベルナデッタは前衛を押し戻そうとするブロスを受け止め、ネネはグラティアの死角を探して姿を消した。
その間に、私は床へ積み上がった大量の骨素材へ魔力を流し込む。
「《ボーン・クリエイト》!」
黒い魔法陣が、骨の山を丸ごと包み込むように広がった。
今回は、骨そのものを一から作り出す必要はない。材料なら目の前に腐るほどある。私がするのは、それぞれ形も大きさも違う大量の素材へ魔力を通し、トビー達が求める形へ加工しやすくすることだけだ。
「こいつを軸にしろ! 長ぇのは左右! 太い骨は真ん中に全部寄越せ!」
トビーが骨の山を走り回りながら、ゴブリン達へ次々と指示を飛ばす。
巨大な肋骨を思わせる湾曲した骨材が左右へ運ばれ、弓のような形へ組み上げられていく。その中央には太い背骨を何本も束ねた支柱が通され、さらに硬質な骨素材を何重にも重ね、魔力で圧縮した巨大な一本の杭が作られていった。
骨同士が噛み合い、軋みながら形を変えていく。
最初はただの素材の山だったものが、ゴブリン達の手によって少しずつ意味のある輪郭を持ち始め、やがて私にもトビーが何を作ろうとしているのかが分かった。
「……バリスタ?」
巨大で、歪で、どう見ても綺麗な設計図から生まれたとは思えない。
左右のバランスも少し怪しいし、補強材として使われている骨なんて、明らかに途中で「ここ弱そうだから足しとけ」と追加されたものに見える。
でも、いい。
美しくある必要なんてない。
撃てれば、それで十分だ。
「トビー!」
「任されやしたぁっ!」
トビーが身軽に骨のバリスタへよじ登り、小さな両手で巨大なレバーを掴む。
その下ではゴブリン達が滑車代わりに組まれた骨の輪へ群がり、何人もかりで必死に回し始めた。
「もっと引け! 腰入れろ! リエラ様の骨だ、遠慮すんな!」
「私の骨って言い方、本当にやめて!」
「あくまで素材の所有権の話ですぜ!」
「それでも嫌なのよ!」
そんなやり取りをしている間にも、巨大な弓部分がぎりぎりと引き絞られていく。
装填された極太の骨杭が狙っているのは、盾持ちブロスの膝だった。
硬い大盾ではない。
脂肪に覆われた胴体でもない。
まして急所を狙って一撃で倒そうとしているわけでもない。
あの理不尽な巨体を支えている脚を崩し、得意の突進そのものを封じるための一撃だ。
「リエラちゃん、グラティアが気づいた!」
ネネの焦った声が飛ぶ。
視線を向ければ、グラティアがこちらを見ていた。
私達が苦し紛れに組み上げた奇妙な兵器を、初めて見る玩具でも眺めるような目で楽しそうに観察している。
「あら」
真紅の日傘の奥で、漆黒の瞳が細くなる。
「とても面白そうなおもちゃね」
まずい。
あいつなら、一瞬で壊せる。
そう直感した時には、ネネがすでに動いていた。
「こっちを見てる暇、あるの!?」
影から飛び出し、両手の短剣でグラティアの首元を狙う。
当然のように防がれた。
カンッ、とあの軽い金属音が響き、ネネの刃が硬質化した指先に弾かれる。
けれど、それでいい。
ほんの一瞬だけでも、グラティアの指と意識がネネへ向けば十分だった。
「今ですぜ、リエラ様!」
トビーが叫ぶ。
「撃てぇぇぇぇっ!!」
巨大な骨の弓が、一気に解放された。
空気を押し退けながら、特大の骨杭が一直線に飛ぶ。
もはや矢と呼べる大きさではない。城門を破るための攻城兵器を、そのまま横向きに撃ち出したような代物だった。
速度より、重量。
技巧より、純粋な質量。
分厚い脂肪の防御ごと、ただ力任せに巨体を崩すためだけの一撃。
重い衝撃音が、広間の底まで響いた。
骨杭が盾持ちブロスの膝を正面から捉え、その巨体が大きく揺らぐ。
「入った!」
膝がわずかに沈む。
けれど、倒れない。
やはり、あの異常に分厚い脂肪が衝撃を吸収している。巨大な骨杭の勢いすら完全には通らず、致命的な崩れには届かなかった。
だったら。
「足りないなら、足すまでよ!」
私は即座に次の指示を飛ばす。
「ゴブリン隊、そのまま同じ脚を狙って! あいつをその場から動けなくして!」
「へい、リエラ様!」
トビーがバリスタの上で、軍曹のように声を張り上げる。
「2射目、3射目、急いで準備しろ! 狙うのは膝だけだ! あのデカブツを床に縫いつけるつもりで撃て!」
ゴブリン達が一斉に動き出した。
小さな身体が巨大な骨製機構へ群がり、滑車を回し、新しい骨杭を押し込み、再び弦を限界まで引き絞っていく。
盾持ちブロスも黙ってはいない。
怒りに任せて大盾を振り回し、脚へ食い込んだ骨杭を外そうともがく。けれど、巨大な杭の先端は床へまで達しており、その巨体をアンカーのようにその場へ引き留めていた。
完全な拘束ではない。
それでも明らかに動きは鈍っている。
重い脚が上がらず、最大の脅威だった突進へすぐ移れない。
「今!」
私は叫んだ。
ただし、狙うのは足を止めた盾持ちではない。
もう1体。
まだ自由に動ける、肉切り包丁持ちのブロスだ。
片方をバリスタとゴブリン隊で強引に封じ、その間にもう片方へ火力を集中して確実に落とす。
今の私達に取れる、一番現実的な勝ち筋だった。
「ネネ!」
「分かってる!」
「ミーナ!」
「大魔法の詠唱に入ります!」
役割を一気に切り替える。
私とネネ、それにミーナの火力を肉切り包丁持ちへ集中させる。
一方、ミルキーとベルナデッタ、エルーサにはグラティア側を任せる。
正直、ものすごく乱暴な分担だ。
グラティアがミルキーへ異常なほど執着しているのなら、今はその性質すら利用する。ミルキーが盾で耐え、ベルナデッタが横から補助し、エルーサが回復を最優先で回し続ける。
綺麗なタクティクスなんて、もう選んでいられない。
「ミルキー!」
「こちらは任せてください☆」
ミルキーが右手の大盾を強く構えたまま、頼もしい返事を返してくる。
声には明らかな疲労が滲んでいた。ここまでグラティアとブロスの攻撃を受け続けているのだから当然だ。
それでも、心はまだ折れていない。
「本当に、魔王軍は無茶な作戦ばかりですね☆」
「ごめん!」
「いえ☆」
ミルキーが、ほんの少しだけ笑った。
「こういうヒリヒリする攻略、嫌いではありません☆」
「そう言うと思った!」
だったら任せる。
私は振り返らない。
振り返れば、ミルキーがどれだけギリギリなのか気になって、判断が鈍る。
今は目の前の1体だけを見る。
肉切り包丁持ちのブロスが、私達をまとめて押し潰すように巨大な武器を振り上げた。
真正面から力比べをすれば勝てない。
あの分厚い脂肪へ適当に斬撃を当てても、また威力を殺される。
なら、同じ場所を狙い続ける。
「いくよ!」
私は骨剣を低い位置へ浮かせ、一気に踏み込んだ。
狙うのは、武器を振り上げたことで生まれた胴体側面のわずかな隙間。
骨剣をそのまま振るのではなく、回し蹴りで一気に加速させて飛ばす。
目的は一撃で倒すことではない。
脂肪の防御を少しでも押し込み、次の攻撃が同じ場所へ通るための起点を作る。
「ぐっ、重っ……!」
骨剣が厚い防御へ食い込み、途中で動きを止められる。
でも、それで十分。
「ネネ!」
「はいはいっ!」
直後、私の背中へ軽い衝撃が来た。
「ちょっと!?」
「ごめんね、ちょうどいい足場!」
私を踏み台にしたネネが、一気にブロスの上方へ跳ぶ。
空中で両手の短剣が閃き、私の骨剣が作った一点へ、寸分違わず連撃を重ねていく。
右、左、さらに右。
広く狙わない。
厚い防御を同じ場所から削り、毒の効果まで重ねながら、少しずつ突破口を広げていく。
ブロスが腕を振るい、巨大な肉切り包丁を横薙ぎに払った。
私は近くの骨兵へ即座に命令を飛ばす。
骨兵が自らその軌道へ飛び込み、武器とぶつかって砕ける。
完全に止める必要なんてない。
ほんの一瞬、速度が落ちればいい。
「助かった!」
ネネが空中で身体を捻り、僅かに遅くなった包丁の下を抜ける。
私は弾かれた骨剣を引き戻し、再び同じ位置へ踏み込む。
「もう1回!」
「バッチリ合わせる!」
私が作った隙をネネが広げる。
ネネが広げた隙へ、さらに私が骨剣を重ねる。
そこへ後方から、ミーナの澄んだ詠唱が聞こえてきた。
「燃え、逅になれ」
戦場中に武器の音と咆哮が響いているのに、その声だけは不思議なくらいはっきりと耳へ届く。
杖の先へ、これまでとは比べものにならないほどの魔力が集まっていく。
ただの炎ではない。
周囲の空気そのものが熱を帯び、視界が揺らぐほどの高密度な魔力。
ミーナは出し惜しみをするつもりなど最初からなかった。
まず1体。
確実に落とす。
そのために、持っている魔力を全部使うつもりだ。
MPバーが、目に見えて削れていく。
「ミーナ、撃てる!?」
「撃ちます!」
その膨大な魔力に、当然グラティアも気づいた。
漆黒の瞳が、ほんの僅かにこちらへ向く。
まずい。
《インフェルノ》の詠唱へ介入されれば、今まで積み上げてきた流れが全部崩れる。
「ネネ!」
「はいはい、また無茶振りね!」
ネネがブロスから一瞬だけ離れ、そのまま影の中へ姿を消した。
次に現れたのは、グラティアのすぐ足元。
下から跳ね上げるように、両手の短剣が日傘の柄を狙う。
カンッ。
当然、硬質化した指先に弾かれる。
けれど、その攻撃に反応して、グラティアの意識は確実にネネへ向いた。
「礼儀知らずね」
「そっちこそ、よそ見しすぎだよ」
ネネが不敵に笑う。
さらにベルナデッタが、ミーナへの進路を遮るように大剣を振り下ろした。
当てることが目的ではない。
1秒でも長く、その場所へグラティアを留める。
「リエラ様の邪魔はさせん!」
大剣がグラティアの硬質化した腕に弾かれ、甲高い音を響かせる。
そこへミルキーが右手の大盾を押し込んだ。
「あなたの相手は、こちらです☆」
挑発スキルではない。
システム上のヘイト値でもない。
ただ、この戦場で誰よりも勇敢に盾を構え続けることで、グラティアが執着する『何か』をこれでもかと見せつける。
狙い通り、グラティアの瞳がミルキーへ戻った。
それも、嬉しそうに。
「そう。あなたは、そうやって足掻かなくちゃ」
「褒められても、少しも嬉しくありませんね☆」
グラティアの手刀を、ミルキーが大盾の角度を変えて外側へ流す。
逸らされた力が床へ走る。
それでもミルキーは崩れない。
すぐにエルーサの回復光が重なり、酷使され続ける前衛を支える。
そして、ついに。
ミーナの長い詠唱が最後へ辿り着いた。
「其の未来を終焉へ」
広間の空気が、一気に乾く。
盾持ちブロスの動きを制限し続ける、トビー率いるゴブリン隊と骨のバリスタ。
肉切り包丁持ちの防御を同じ一点から削り続けた、私とネネ。
ミルキーへの執着を利用され、その場から離れられないグラティア。
全部が、ほんの一瞬だけ噛み合った。
「《インフェルノ》」
ミーナの杖先から魔力が解放される。
「焼き尽くせ!」
巨大な炎が、肉切り包丁持ちのブロスを中心に一気に広がった。
広範囲へ雑に撒き散らすのではない。
私とネネが繰り返し同じ場所へ攻撃を重ね、防御を崩してきた位置を中心に、圧倒的な熱量が集中していく。
ブロスが低い咆哮を上げる。
巨大なHPバーが、目に見えて削れていった。
「離れてください!」
ミーナの声に、私とネネは同時に後方へ退く。
炎の勢いがさらに増し、肉切り包丁が大きな音を立てて床へ落ちた。
そして数秒後。
巨体を包んでいた光が崩れ、ブロスの身体がサラサラと粒子へ変わっていく。
≪グラトニーブロス・カーヴァー討伐≫
赤いシステムメッセージが虚空へ浮かんだ。
「やったぁ!」
ネネが歓喜の声を上げる。
まず1体。
ようやく、本来の最終守護者の片割れを倒した。
けれど、手放しで喜んでいる余裕はない。
後方では、魔法を撃ち終えたミーナがその場へ膝をついていた。
《インフェルノ》は、ミーナのMPを一気に使い切る切り札だ。視界にあるMPバーは、文字通り空になっている。
「ミーナ!」
「大丈夫、です……まだ倒れてはいませんから」
「それ、全然大丈夫って言わないから!」
今すぐ駆け寄りたい。
けれど、私は足を止めた。
まだ戦闘は終わっていない。
もう1体の盾持ちブロスが、骨杭とゴブリン隊に動きを封じられたまま、それでも大盾を振り回して暴れている。
「3射目! 4射目! 撃て撃て! 狙いは同じだ! あのデカブツを動かすな!」
トビーの頼もしい号令が飛ぶ。
ゴブリン達は必死にバリスタを再装填し、追加の骨杭を撃ち込み続けている。
よく持たせている。
でも、長くは続かない。
そして何より。
グラティアがまだいる。
彼女は消えていくカーヴァーの光を、面白そうに目で追っていた。
手駒を失って怒っているようには見えない。
惜しんでいるようにも見えない。
むしろ、私達がようやく1体を倒したことそのものを、楽しんでいるようにすら見えた。
「あら。1匹……食べ切ったのね」
鈴を転がすような声が響く。
まるで、ようやく料理の味が分かるようになった子供でも褒めるような口調だった。
「いいわ」
グラティアが肩に乗せていた真紅の日傘を、ゆっくりと閉じる。
ぱちん、と軽い音が鳴った。
それだけなのに、背筋へ冷たいものが走る。
「じゃあ、次はもう少しだけ『味を濃く』してあげましょう」
残った盾持ちブロスが、その言葉へ応えるように咆哮した。
ゴブリン達の骨杭で動きを制限されながらも、巨大な大盾を強引に持ち上げる。
そして、その背後からグラティアが1歩前へ出た。
さっきまでより、はっきりと。
ただ配下を戦わせて眺めていただけの時とは違う。
ほんの少しだけ、本気でこの戦場へ参加しようとしている。
「ミルキー!」
「分かっています☆」
限界が近いはずのミルキーが、それでも右手の大盾を構え直す。
ベルナデッタがその横へ並び、エルーサも残る魔力を惜しまず2人へ回復を重ねる。ネネは両手の短剣を握り直し、ミーナは膝をついたまま、それでも杖だけは手放していない。
私も再生成した骨剣を自分の側へ浮かせ、改めて戦場を見渡した。
カーヴァーを倒したことで、少なくとも敵の数は1体減った。あれだけ厄介だったグラトニーブロスの連携も崩れ、ほんの少し前までと比べれば、確実にこちらが動ける余地は増えているはずだ。
それなのに、不思議と状況が好転したようには思えなかった。
残ったブロスの背後からゆっくりと前へ出てきたグラティアは、こちらがようやく1体を倒したことすら、新しい遊びの始まりくらいにしか考えていないように笑っている。その余裕に満ちた表情を見ていると、むしろ今までの戦いは前座でしかなく、ここからようやく本当の第50階層が始まるのではないかという、嫌な予感ばかりが強くなっていった。




