抗う者たち
明らかに、手札が足りていなかった。
本来の第50階層守護者であるグラトニーブロスが2体。それだけでも、レベル70へ強制的にシンクされた今の私達にとって十分すぎるほど厄介なのに、そのさらに奥では、真紅の日傘を肩へ乗せたグラティアが余裕たっぷりに微笑んでいる。
想定されていた最終ボスと、完全なイレギュラー。
いや、もう『ネームド』なんて便利なゲーム用語だけで片づけていい相手ではないのだろう。
七つの大罪、その『暴食』に限りなく近い位置へいる何か。それも、かつて存在したらしい勇者へ尋常ではない執着を抱き、塔の仕組みにまで干渉して、本来の最終守護者すら「おいで」の一言で従えてみせる。
もし、ここにレベル70制限なんてものがなくて、ネネやミルキーが本来のトッププレイヤーとしてのステータスを使えていたら、状況はもう少し違っていたのだろうか。
いつもの圧倒的な速度や耐久力があれば。ミーナも含め、全員が本来の火力を遠慮なく叩き込めれば。
そこまで考えて、私はすぐに思考を打ち切った。
分からない。
そもそも、これはステータスを盛れば解決するような戦闘なのかすら怪しい。
戦場はすでに、単純な数値差を比較できる段階を越えていた。
鋸歯のついた大盾を持つブロスが、地鳴りを立てながらミルキーを押し潰そうと突進する。その横からは肉切り包丁を持ったもう1体が入り込み、ベルナデッタごと前衛を薙ぎ払うように巨大な武器を振るう。
ネネは何度も死角へ潜り込み、足元や背後へ短剣を通している。それでも、ブロスの身体を覆う分厚い脂肪と妙な弾力が斬撃の威力を吸収し、いつものように急所へ深く刃が入らない。
ミーナだって、状況を変えるだけの火力は持っている。
けれど、大魔法を撃った瞬間、後方でこちらを観察しているグラティアが何をしてくるか分からない。第40階層で魔法を吸収して反射したメタルグラトニーと同系統の力まで持っている可能性を考えれば、迂闊な大火力は敵だけでなく私達までまとめて吹き飛ばしかねない。
ここまで塔の中で散々苦しめられてきた嫌な要素を、全部まとめて最悪の形で押しつけられている。
「くっ……!」
私は側へ戻ってきた骨剣を蹴り飛ばし、肉切り包丁を持つブロスの太い膝へ全力で叩き込んだ。
重い。
硬い。
手応えはあるのに、深く入らない。
そして、ブロスへ意識を向けた一瞬の隙を、グラティアは見逃さなかった。
細く白い指先が、視界の端をすっと横切る。
見えた時には、もう遅い。
「っ、また!」
肩へ軽く触れられたようにしか見えなかったのに、その接触点から重い衝撃だけが身体の奥へ抜けてくる。
表面で受け止めるはずの《スライムボディ》の防御特性を無視されたような、不快な感覚だった。高いVITがあるから即座に倒されるわけではない。それでも、外側の硬さとは関係なく内部へ力を通される以上、何度も受け続けられるような攻撃でもない。
ほぼ同時に、エルーサの回復光が飛んできた。
「ありがとうございます!」
「まだいけます、リエラ様!」
削れたHPがすぐに戻っていく。
本当に助かる。
ただ、それはあくまで減ったものを必死に戻しているだけだ。
エルーサの回復が追いついているから戦線を維持できているのであって、こちらが有利になっているわけでは1ミリもない。
しかも、グラティアにはまだ余裕がある。
真紅の日傘を肩へ乗せ、庭園を歩くような軽い足取りで戦場を移動しながら、こちらの渾身の攻撃を指先ひとつで処理していく。そのうえ、意識の大半は最初からずっとミルキーへ向いたままだった。
「ミルキー、右!」
「分かっています☆」
私の声に反応し、ミルキーが即座に右手の大盾を傾ける。
そこへグラティアの硬質化した手刀が滑り込んだ。
激しい金属音と火花が弾けるものの、ミルキーは真正面から受けず、盾の角度を合わせて力を外側へ逃がす。そのまま逸らされた攻撃が石床へ走り、硬い床面を深く抉った。
ところが、グラティアへの対応で体勢が僅かに崩れた瞬間を狙うように、今度は盾持ちのブロスが正面から突っ込んでくる。
「っ、重い……☆」
ミルキーが再び大盾を構える。
巨体と巨体――と言いたいところだが、体格差だけを見れば冗談にもならない。巨大なブロスの突進を真正面から受けたミルキーの足元へ亀裂が広がり、その身体がじわじわと後ろへ押されていく。
「《ネクロマンス》!」
私は咄嗟に骨兵を何体も割り込ませ、少しでも突進の勢いを削ろうとした。
だが、ブロスは止まらない。
大盾へ触れた骨兵達がまとめて吹き飛ばされ、光の粒子へ変わって消えていく。
「あぁっ、私の可愛い骨兵達が!」
可愛がっている暇なんてないのは分かっている。
それでも、あれだけまとめて雑に消されると普通に腹が立つ。
次の攻撃を警戒して位置を変えた結果、気づけば私はミルキーと背中合わせになっていた。
「これ、マジでどうしたらいいのよ……」
「……本当に、今のところ完全なお手上げですね☆」
ミルキーが珍しく、弱音に近い言葉を吐いた。
私も肩で息をしているが、彼女も同じだ。
右手の大盾を握る細い腕は、ここまで繰り返した防御の負荷でわずかに震えている。それでも盾は下げないし、視線も敵から外さない。
やっぱり、この子は強い。
「グラティアって、なんであんなにミルキーばっかり狙ってるの?」
「おそらくですが……彼女は私という『プレイヤー』そのものを見ているわけではありません☆」
「だよね」
それは私も分かっていた。
グラティアはミルキーという1人のプレイヤーを見ているようでいて、その姿の向こう側に、明らかに別の誰かを重ねている。
彼女が何度も口にした勇敢さや勇猛さ、野蛮なまでに退かない戦い方も、すべてはその『誰か』へ向けられたものなのだろう。極めつけは、ノイズに塗り潰されて聞き取れなかった、「親愛なる」とまで呼んだあの名前だ。
たぶん、勇者。
グラティアにとっては、忘れられないほどの何かだった存在。
だからこそ、これはゲーム上のヘイト管理だけではどうにもならない。
挑発しても、攻撃を集中させても、陣形を変えても、グラティア自身がミルキーを勇者の代わりとして認識している限り、執着そのものを剥がすことができないのだ。
そのうえ本人には、まだ底の見えない余裕まで残っている。
「……この階層、ゲームバランスが完全にぶっ壊れてるわ」
塔だけに。
……いや。
今のは自分でもないと思う。
追い詰められすぎたせいで、ついに脳がくだらない駄洒落へ逃げ始めたらしい。
「リエラさん? どうかしましたか☆」
「大丈夫。今、この空気を凍らせるくらい最悪な駄洒落思いついただけ」
「本当に大丈夫ですか☆ 頭を打っていませんか☆」
「たぶん結構ダメかもしれない」
とはいえ、ダメな頭なりに考え続けるしかない。
このままでは、グラティア本人へまともな攻撃を届かせることすらできない。
なら、まずは前にいるグラトニーブロスを減らす。
2体いるから最悪なのだ。
盾持ちを突破しようとすれば包丁持ちが横から割り込み、包丁持ちを集中して崩そうとすれば盾持ちが突進して陣形を壊す。互いの弱点を補うように動く2体が同時にいるせいで、こちらはグラティアへ手を伸ばす余裕すら作れない。
逆に言えば、片方だけでも落とせれば戦場は変わる。
問題は、その片方を落とすための決定打がないことだった。
「ネネ! もっと深く短剣入らない!?」
「無理! 脂肪がクッションになって邪魔! 毒は入ってるけど、このペースじゃ削り切る前にこっちが潰れる!」
「ミーナ!」
「大火力なら撃てます! ですが、グラティアさんが介入した場合、吸収や反射でこちらまで巻き込まれる可能性があります!」
「だよね!」
分かっていた答えが、そのまま返ってくる。
正面から削り合うには、こちらの消耗が大きすぎる。
せめて、あの分厚い脂肪による防御を無視して、一撃で体勢を大きく崩せる何かがあればいい。
刃で切るのではなく、もっと大きくて、重くて。
外側の柔らかい防御ごと、まとめて衝撃を通せるような何か。
そんな都合のいいものが――。
「……ん?」
そこで私は、自分の足元へ目を落とした。
乱戦を避けるように私の影の近くで待機している、小さな緑色の影。
「トビー!」
「へい、リエラ様!」
名前を呼んだ瞬間、トビーが待っていましたとばかりに駆け寄ってきた。
小柄な身体はここまでの爆風や混戦でかなり汚れている。それでも本人は元気そのもので、目だけは獲物を狙う狩人のようにぎらぎらと輝いていた。
「何かない!? あのブロス、どっちか1体だけでも一気に崩す方法! もうこの際なんでもいい、藁でも骨でも掴むから!」
「骨なら、山ほどありやすぜ」
「……え?」
トビーが、にやりと笑った。
「リエラ様。持ってる骨素材、ありったけ出せやすか?」
「骨素材?」
「へい。骨兵に使ってねぇ余りも、拾った素材も、全部です」
言われて、私は自分のインベントリへ視線を向ける。
確かにある。
普段の召喚へ使うものから、敵のドロップ、素材として回収した獣骨や竜骨、それに壊れた装備や召喚兵から再利用できる骨片まで。ネクロマンサーというクラスの性質上、私は他のプレイヤーならまず溜め込まないような骨素材を大量に持ち歩いていた。
「全部出せばいいの?」
「全部でさぁ」
「何する気?」
「まだ、“組める”んで」
その言葉と一緒に、トビーの笑みが深くなる。
よく分からない。
でも、今の私には選り好みしている余裕なんてなかった。
「分かった。出す!」
私はインベントリを開き、保管していた骨素材をまとめて選択する。
次の瞬間、闘技場の床へ大量の素材が一気に放出された。
「うわっ、多っ!?」
自分で溜め込んでおいて言うことではないが、想像以上だった。
肋骨、脊椎、獣骨、巨大な魔物から回収した太い骨、竜種由来の硬質な素材、それに壊れた骨兵から回収していた残骸まで。白い骨の山が、戦場の一角へ雪崩のように積み上がっていく。
トビーはその山を見上げた。
そして、いつものコミカルな表情とは少し違う、獲物を前にした職人のような目をする。
「リエラ様の骨、全部ここへ集めりゃ……まだ組めやす」
「何を?」
私の問いに、トビーは歯を見せて笑った。
「でっけぇのを、でさぁ」
その言葉と同時に、床へ散らばった大量の骨が、かすかにカタカタと震え始めた。




