第50階層守護者:暴食の姫・グラティア
グラティアは、まっすぐミルキーへ向かって歩き始めた。
武器を構えるわけでもなく、走るわけでも、跳躍するわけでもない。真紅のドレスに似合う日傘を肩へ乗せ、まるで王宮の庭園でも散歩している貴族令嬢のように、赤い絨毯の上を優雅に進んでくる。
歩幅は小さく、見た目の速度も決して速くない。それなのに、1歩、また1歩と靴音が響くたび、圧倒的なプレッシャーと共に距離だけが不自然なほど縮まっていく。気づけばグラティアはもう、前衛であるミルキーの間合いへ入りかけていた。
おかしい。
さっきまで確かに数メートルは離れていたはずなのに、いつそこまで近づいたのかが分からない。
――なんか、これすごく不味い!
「ミルキー!」
私が警告するより早く、ミルキーは右手の大盾を正面へ構えていた。
けれど、グラティアの視線はただの1度も揺らがない。私も、後方で杖を構えるミーナも、すでに死角へ入り始めているネネも見ていない。漆黒の瞳が最初から最後まで捉え続けているのは、ただ1人、ミルキーだけだった。
それが、どうにも気に食わない。
私はこのパーティで火力を出すこともあれば、召喚兵を使って戦場を制御することもある。それでも根っこの役割は、高いVITを活かして前へ立ち、仲間へ届く攻撃を少しでも引き受けることだ。
なのにこいつは、最初から私を盾としてすら認識していない。
「……それにさ」
私は奥歯を噛み、側へ浮かせていた骨剣を引き寄せた。
「いつまでも蚊帳の外にされてるっていうのも、最高に気に食わないのよ!」
魔力を解放し、盾を持った骨兵を一気に展開する。
狙いは攻撃ではない。グラティアとミルキーを結ぶ一直線の進路へ骨兵を割り込ませ、物理的に歩みを止める。同時にベルナデッタが大剣を構えて正面から踏み込み、私はその側面へ回った。
「ネネ!」
「もう行ってるよ!」
返事が来た時には、ネネの姿はすでに視界から消えていた。
後方ではミーナの杖先へ炎が集まり、エルーサも即座に回復を飛ばせる位置で待機している。敵の進路を前衛と召喚兵で塞ぎ、攻撃対象を分散させ、その隙をネネとミーナが突く。
ここまで何度も繰り返してきた、私達の基本中の基本。
そのはずだった。
私が蹴り飛ばした骨剣が、グラティアの無防備に見える脇腹へ迫る。ほぼ同時にベルナデッタの大剣が肩口へ振り下ろされ、背後からネネの短剣が死角を狙い、骨兵達も槍を突き出して足元の逃げ道を塞ぐ。
四方同時。
それも、ここまでの塔を登る間に何度も精度を高めてきた連携だ。
なのに広間へ響いたのは、
カンッ、コンッ、と。
戦闘にはあまりにも似つかわしくない、澄んだ軽い音だった。
「なっ……!」
グラティアは歩みすら止めていなかった。
こちらへ視線も向けず、細く白い指先や手首をほんの少し動かしただけで、私の骨剣、ベルナデッタの大剣、ネネの短剣、さらに骨兵の槍まで、すべての軌道を外側へ逸らしている。
力任せに受け止めたようには見えない。
ネネのように技術で受け流したわけでもない。
攻撃が身体へ届く直前、その場所へ指先を添えて軽く触れる。それだけで、こちらの武器が硬い何かへぶつかったように弾かれていく。
私は跳ね返ってきた骨剣を引き戻し、その手応えに覚えがあることへ気づいた。
「この感触……!」
硬くて、冷たい。
しかも、攻撃の威力そのものを一瞬で殺してしまうような異様な反発。
「あのメタルスラ……じゃなくて、第40階層の《メタルグラトニー》と同じじゃない!」
危ない。もう少しで完全に別のゲームになりかけた。
けれど冗談を言っている場合ではない。
第40階層で私達の物理攻撃を散々弾き続けた、銀餐のメタルグラトニー。あの金属装甲へ骨剣を叩き込んだ時と、グラティアの指先から返ってきた感触はあまりにもよく似ていた。
ただし、目の前のこいつはメタルグラトニーより遥かに質が悪い。
あちらは全身が常に硬かった。
グラティアは違う。
攻撃が届く直前だけ、その攻撃を受ける場所だけを硬くしている。
私の骨剣が横腹へ届けば、そこへ添えた指先だけ。
ベルナデッタの大剣が肩を狙えば、刃に触れる部分だけ。
ネネの短剣が死角から飛び込めば、その瞬間に必要な接触点だけ。
身体全部を硬くするのではなく、最小限の範囲を瞬間的に硬質化し、こちらの攻撃だけを正確に潰しているのだ。
「自分の身体を部分的に硬質化して、攻撃が当たる場所だけ防いでる……!」
「半分は、正解よ」
グラティアが、そこで初めて私を見た。
ほんの一瞬、漆黒の瞳と視線が重なる。
それだけで背筋へ冷たいものが走った。
「でも、もう半分は不正解」
「え――」
次の瞬間には、グラティアが私のすぐ目の前にいた。
細い指先が、軽く押すように私の腹部へ触れる。
たった、それだけだった。
なのに衝撃は表面で止まらず、私の防御をすり抜けるように身体の奥へ直接響いた。
「がっ……!」
反射的に息が詰まり、私は数歩後ろへ押し戻される。
何これ。
単純な攻撃力が高いだけじゃない。
私の身体はサキュバス系の特性に加え、《スライムボディ》によって衝撃を受け流しやすくなっている。高いVITも合わせれば、普通の打撃なら多少まともに受けたところで、そう簡単に崩されるはずがない。
ところが今の一撃は、その『受け流す』という過程そのものを飛ばしてきた。
表面へ大きな力をぶつけるのではなく、硬質化した小さな接触点から、力だけを内側へ押し込んでくる。
「なんなのよ、このデタラメな攻撃……!」
思わず叫びながらも、頭の中ではさっきの言葉が繋がり始めていた。
半分正解。
グラティアがやっているのは、単純な部分硬質化だけではない。
硬くした場所を盾として使うこともできる。
同じ硬さを、今度は攻撃するための一点へ集中させることもできる。
つまり、防御と攻撃が同じ技術の表裏なのだ。
物理を弾く鉄壁の防御と、その硬度を極端に小さな一点へ集めてこちらの防御を抜く攻撃。その2つを当然のように同じ身体へ積んでくる辺り、ゲームバランスという言葉への情緒が完全に欠如している。
「リエラさん!」
ミーナの声が飛ぶ。
ほぼ同時にエルーサの回復光が私を包み、削れたHPがすぐに押し戻された。
「助かった!」
お礼を言いながら前を向き直る。
けれど、グラティアはもう私を見てすらいなかった。
攻撃に使った指先を何事もなかったように引き、再びミルキーへ向かって歩いている。
「この子、マジで何なのよ!」
私は砕けかけた骨剣を再生成して、もう1度前へ出る。
その間にもグラティアは肩に乗せていた日傘をくるりと回し、進路を塞いだ骨兵の前へ立った。
見た目だけなら、舞踏会の余興みたいに優雅で可愛らしい。
ところが日傘の先端が骨兵の盾へ軽く触れた途端、強い衝撃を受けた骨兵がその場で大きく崩れ、組み上がっていた骨が床へ散らばった。
「頑丈な骨兵が、あれだけで!?」
「硬質化した先端へ力を集中させた、極端な点攻撃です☆」
ミルキーが焦燥を滲ませながら叫ぶ。
「盾で受ける場合も、ただ面を向けるだけでは駄目です☆ 当たる瞬間に角度を合わせて力を逃がさないと、その一点から防御を崩されます☆」
「そんな冷静に分析してる場合じゃないでしょ! 今一番狙われてるのミルキーなんだから!」
「分かっています☆」
ベルナデッタが再び大剣を振り下ろす。
グラティアは振り返らない。
刃が肩へ触れる直前、そこへ白い指をそっと添え、カンッという軽い音と共に大剣の軌道を外へ逃がす。
続けてネネが左右から高速の連撃を仕掛けた。
足元、膝、脇腹、首筋。
普通なら目で追うことすら難しい速度で、両手の短剣が次々と別の角度から飛び込む。
それでもグラティアの指先は、全部そこにいた。
カンッ、コンッ、と軽い音が連続して響くたび、ネネの刃だけが僅かに軌道を変えられていく。
「全部見えてるっていうか……こっちの動き、完全に読まれてる!」
ネネが舌打ちし、大きく距離を取る。
「違います☆」
ミルキーが右手の大盾を構えたまま、グラティアの手元を凝視していた。
「見てから反応しているというより……私達の攻撃が身体へ届く『接触点』を先に押さえているように見えます☆」
「接触点?」
「どこへ武器が通れば身体に触れるのか、その位置だけを先回りして硬質化しているんです☆ 回避する必要も、攻撃全体を受け止める必要もない。自分へ触れる最後の一点だけ支配できれば、攻撃そのものを成立させない☆」
「接触点の支配って何よ、それ!?」
「私も説明していて怖くなってきました☆」
いつものミルキーなら笑いを混ぜそうなところだが、今はそんな余裕すらないらしい。
それでも視線だけはグラティアから外さない。
一方、当の本人は私達の必死の分析など聞いているのかいないのか、楽しそうに口元を緩めていた。
「ねえ」
甘い吐息のような声が広間へ響く。
「もっと、私に見せて?」
言葉そのものは私達全員へ向けられているように聞こえる。
けれど、その瞳だけは変わらずミルキーを映していた。
「あなたの、その頑丈な盾も」
1歩、近づく。
「無謀なくらい真っ直ぐな勇気も」
さらに距離が縮まる。
「どれだけ叩いても、決して折れないその心も」
グラティアは嬉しそうに微笑み、肩に乗せていた日傘をパチンと閉じた。
「全部、私に味わわせて」
軽い音が広間へ響いた瞬間、空気が変わる。
これまでの攻撃は、邪魔をしてきた私達を適当にあしらっただけだった。
今度は違う。
明確にミルキーを攻撃するつもりだ。
「ミルキー、来るよ!」
私が叫ぶのとほぼ同時に、グラティアの右腕がゆっくりと持ち上がった。
武器は使わない。
ただの手刀。
子供が遊びで空を斬る時と大差ない、細く白い腕だった。
けれど、その手の縁だけが冷たい銀色の光を帯びている。
さっきまで指先や手首へ一瞬だけ使っていた硬質化を、今度は手刀の形へ合わせて集中させているのだ。
そしてグラティアは、散歩の途中で道端の花でも摘むような自然さで、その腕をミルキーへ振り下ろした。
「っ……!」
大盾と手刀が真正面から激突し、甲高い金属音が広間中へ響き渡った。
火花が散り、ミルキーの身体が大きく沈む。
「あれを、盾で……!?」
受け止めている。
けれど、明らかに押されている。
グラティアはミルキーより遥かに小柄で、腕も細い。なのに右手の大盾を通して伝わっている圧力は、見た目から想像できるものとはまるで釣り合っていなかった。
「ミルキー!」
「大丈夫……です☆」
ミルキーは歯を食いしばり、正面から力比べをするのをやめた。
右腕をわずかに引き、盾の角度を変える。
第40階層でメタルグラトニーの爆発を逸らした時と同じだ。
受け止められないなら、流す。
大盾の表面を斜めに滑らせることで、グラティアの硬質化した手刀へ横方向の逃げ道を作る。
耳障りな金属音を立てながら手刀が盾の表面を滑り、そのままミルキーの横へ抜けていく。
直後、その先にあった石床へ強い衝撃が走った。
硬い床面に長い亀裂が走り、砕けた破片が跳ねる。
「……うそでしょ。デタラメすぎる……」
思わずそんな声が漏れた。
今のをまともに受けていたら、ミルキーの盾がどうなっていたか分からない。
ところがグラティアは、自分の攻撃を逸らされたことに苛立つどころか、むしろ嬉しそうに小さく笑った。
「今のを流すのね」
本当に楽しそうだった。
攻略を邪魔されたボスの顔ではなく、期待以上の反応を返してくれたお気に入りのおもちゃを見つけた子供そのものだ。
「やっぱり、あなたって最高に美味しそう」
その言葉に、ミルキーの表情がわずかに強張る。
それを見た瞬間、私の中で別の感情が一気に熱を持った。
怖いからではない。
強すぎる相手を前に、心が折れたわけでもない。
ただ、純粋に腹が立った。
「何度も言うけどさ」
私は再生成した骨剣を側へ浮かせ、グラティアとミルキーの間へ1歩踏み込む。
「さっきからミルキーのことだけ見てるの、本っ当に気に食わないのよ!」
その叫びに、グラティアがようやくこちらへ顔を向けた。
豪奢な金髪を揺らしながら、首を不思議そうに小さく傾ける。
「なにかしら。あなたも、私に食べられたいの?」
「違うわよ」
私は引きつりそうになる頬を無理やり持ち上げ、精一杯不敵に笑い返した。
「こっちを見なさいって言ってんのよ、この変態お嬢様」
一瞬の沈黙。
そしてグラティアの口元が、面白いものを見つけたようにゆっくりと吊り上がった。
その背後では、ミーナの杖へ再び炎が集まり始めている。ネネはもう正面にはいない。ミルキーも痛む右腕を庇いながら大盾を構え直し、エルーサの回復光が薄く私達全員を包んでいた。
攻撃は通らない。
触れればこちらの防御を抜くような一撃が返ってくる。
しかも、グラティアが使っているのが本当に第40階層で見た硬質化と同系統の力なのだとしたら、まだ何か別の仕掛けが残っている可能性も高い。
それでも、ここまでの塔と同じなら、絶対に何かある。
どれだけ理不尽に見えても、観察して、試して、こちらの手札を組み替えて、突破口を見つけるしかない。
規格外のネームドを相手にした第50階層の戦いは、まだ始まったばかりだった。




