空腹の塔
漆黒の口の奥へ向かって、ネネの両手の短剣が一条の光となって一直線に吸い込まれていく。
それは、文字通り瞬きをする間の出来事だった。
狙ったのは、いかなる物理攻撃も弾き返してきた無敵の銀色の表面ではない。魔法という餌を喰らうために自ら開いた、光すら逃がさないような黒い空洞――メタルグラトニーが戦闘中にほんの一瞬だけ晒す、唯一の『内部』だった。
「入ったぁっ!」
確かな手応えと同時に、ネネの声が弾ける。
両手の短剣には、強力な毒と継続ダメージを与える状態異常が仕込まれている。それまで金属装甲に阻まれて一切届かなかった効果が、今度は黒い口の内側へ直接通り、紫色の禍々しいエフェクトとなって銀色の身体の内部へ一気に広がっていった。
そして、それとほぼ同時だった。
メタルグラトニーの体内では、ミーナから吸収した炎の魔力がすでに膨張を始めている。さっきと同じなら、あと一瞬もしないうちに周囲をまとめて吹き飛ばす爆発へ変わる。
「ミルキー!」
「はい☆」
私の声を待つまでもなく、ミルキーは動いていた。
右手の大盾を真正面から押し付けるのではなく、今まさに膨れ上がろうとしているメタルグラトニーの身体へ斜めから差し込み、盾の縁を銀色の曲面へ滑らせる。
受け止めるためではない。
爆発の衝撃がこちらへ向かって放たれる、その直前。まだ方向すら定まりきっていない僅かな瞬間へ盾を割り込ませ、力の流れそのものを上へ逃がそうとしているのだ。
メタルグラトニーの丸い巨体が、内側から膨らむ魔力と外側から押し込まれた大盾に挟まれ、大きく形を歪ませる。
「っ……来る!」
私は反射的に身構えた。
さっきの爆発を至近距離でもう1度受ける覚悟を決める。
けれど、今度は違った。
黒い口の内側へ通ったネネの攻撃から、毒を示す紫色のエフェクトが急速に広がっていく。さっきまで何をしても平然としていたメタルグラトニーの巨体が、その瞬間だけは明らかに制御を失ったように大きく波打った。
外側は異常なまでに硬く、物理攻撃をほとんど受け付けない。
魔法攻撃なら通るものの、それすら吸収して爆発へ変換する。
しかし、その強固な防御能力を成立させるために、こいつは魔法を『食べる』瞬間だけ、自分から内部へ繋がる口を開かなければならない。
つまり、あの黒い空洞だけは別だった。
無敵の装甲に守られた外側ではなく、食べるために自ら晒す内側。そこだけが、これでもかというほど防御能力を積み重ねたメタルグラトニーに用意された、明確な弱点だったのだ。
「ネネ、離れて!」
「もう離れてるよ!」
「はやっ!」
言われて初めて気づいた時には、ネネはすでに私達から数メートル離れた場所へ着地していた。
攻撃した瞬間には離脱まで始めていたらしい。
さすがに速すぎる。
一方、メタルグラトニーは今までとはまるで違う反応を見せていた。身体の内側へ通った状態異常のエフェクトが広がるたびに巨大な銀色の輪郭が不規則に揺れ、爆発のために膨れ上がっていた身体も、途中で力を失うように縮んでいく。
ミルキーが上方向へ逸らした魔力も、完全な爆発として成立しなかったらしい。頭上へ抜けるような衝撃と熱が走ったものの、先ほど私達をまとめて吹き飛ばしたほどの威力にはならなかった。
「……これ、もしかして」
私は抱え込んでいたメタルグラトニーから慌てて腕を離す。
銀色の身体はもう、自力で丸い形を維持できなくなっていた。
今までぷるぷると愛嬌たっぷりに跳ね回っていた輪郭が徐々に崩れ、床の上へ広がるように薄くなっていく。その身体を覆っていた銀色の光も急速に弱まり、最後には陽炎のように輪郭そのものが透け始めた。
そして、私達が次の攻撃を用意するよりも先に、虚空へシステムメッセージが表示された。
≪第40階層守護者:討伐完了≫
≪第41階層への扉が解放されました≫
「……え?」
あまりにもあっさりと表示された戦闘終了の文字を見て、私は思わず間の抜けた声を漏らしてしまった。
メタルグラトニーだったものは床の上で銀色の水溜まりのように広がったあと、サラサラと光の粒子へ変わって消えていく。
ついさっきまで、物理は通らない、魔法は吸収して爆発させる、意味が分からないくらい素早い、そのうえ高威力攻撃の予備動作を察知して自動回避までしてくるという、嫌がらせの権化みたいな性能で私達を散々苦しめていた相手だ。
それが、弱点へネネの攻撃が1度通った途端、本当にそのまま倒れてしまった。
「よ、よっわ……!?」
思ったことが、そのまま口から出た。
そして言ってから、自分でも何か違う気がして慌てて首を振る。
「いや、違う違う! 今のは絶対あいつが弱いんじゃなくて、ネネの攻撃がクリティカルして、毒の入り方まで上振れしたとか、そういうやつだよ。きっとそう!」
「リエラちゃん、1人で慌てて自己完結するの早すぎるよ」
ネネが呆れたように笑いながら、両手の短剣を軽く振って戦闘終了のエフェクトを払う。
表情だけ見れば、いつも通り涼しげだ。
けれど、よく見れば肩は大きく上下しているし、息もかなり乱れている。
最後の結果だけ見れば、ネネが弱点へ攻撃を通して一瞬で倒したように見える。
でも、決して簡単な勝利ではなかった。
ミルキーが最初の爆発を受けながら衝撃の方向を観察し、右手の大盾でその流れを逸らした。
ネネが僅かな挙動から、魔法を吸収している間だけ自動回避が止まることと、黒い口の内部だけが銀色の装甲に覆われていないことを見抜いた。
ミーナはダメージを与えることを捨て、口を開かせるためだけに魔力を極限まで絞った炎を正確に撃ち込んだ。
私はその瞬間に逃げようとする巨体を至近距離で固定し、エルーサは直前の爆発で崩れたパーティを立て直して、全員がもう1度動ける状態を維持してくれた。
そして最後に、ほんの一瞬だけ晒された弱点へ、ネネが正確に短剣を通した。
その全部が綺麗に噛み合ったからこそ、最後の数秒だけが異様にあっさり見えただけなのだ。
もし誰か1人でも判断が遅れていたら、ミルキーの盾の角度が少し違っていたら、私が固定しきれなかったら、ネネの刃が僅かに銀色の装甲へ逸れていたら。たぶん私達は今も、あの丸い悪魔に広間中を跳ね回られながら、コンコンと情けない音を響かせ続けていたに違いない。
「弱いというより、極端なギミックへ特化した相手だったのでしょうね☆」
ミルキーが酷使した右腕を軽くさすりながら、大盾をゆっくり下ろした。
「正しい対処法を知らなければ、ほとんど手も足も出ません☆ ですが、ギミックを理解して条件を整え、弱点へ攻撃を通すことさえできれば一気に崩れる。典型的な初見殺し型のボスです☆」
「しかも、その正しい対処法に要求される役割が多すぎます」
ミーナも杖を握り直しながら、消えていく銀色の粒子を見つめる。
「敵を固定する役、回避ギミックの法則を見抜く観察役、爆発の方向を制御する盾役、一瞬だけ開く弱点へ攻撃を通す近接役、魔法で口を開かせる誘導役、そして崩れた時に立て直す回復役。この全部を高い水準で揃えられるパーティでなければ、攻略方法が分かったとしても実行するのは難しかったと思います」
「つまりさ」
私は腕を組み、うんうんと満足げに頷いた。
「私達って、実は結構ちゃんとしたバランスのいい優等生パーティなんだねぇ」
「リエラちゃん、今さら何言ってるの?」
ネネが堪えきれないように吹き出した。
「いや、だってほら! うちのパーティ、文字だけで並べてみてよ。魔王、爆炎魔術師、暗殺系スカウト、ヴァルキリー、真紅の騎士、泥濘の聖女、トビー・トミー率いるゴブリン部隊、それに大量の骨兵と死霊系の召喚までいるんだよ!?」
「……改めて羅列されると、情報量が多すぎて頭が痛くなりますね☆」
ミルキーが、アイドルらしからぬ真顔で呟いた。
「バランスがいいというより、強そうな要素を片っ端から盛りつけた『全部乗せ』に近い気もします☆」
「全部乗せ魔王軍……」
ミーナが、なぜか少し気に入ったようにその言葉を繰り返す。
「やめてよ。それじゃ学生街のガッツリ系定食屋の看板メニューみたいじゃん」
私は苦笑しながらも、内心では別の意味で興奮が収まらなくなっていた。
純粋に、ゲームとして面白い。
この暴食の塔は、ただ階層が上がるたびに敵のHPや攻撃力を増やしているだけではない。こちらが見せた戦い方を観察し、その次の階層で別の方向から対応を要求してくる。
第20階層では、こちらの戦術や火力、戦い方の癖を観察された。
第30階層では、それまで積み上げてきた連携を前提にしながら、逆にパーティ同士の距離や判断を崩すような戦いを要求された。
そして第40階層では、物理耐性、魔法吸収、異常な機動力、自動回避という面倒な性能をまとめて押しつけられたうえで、最終的には誰か1人の火力ではなく、パーティ全体の観察力と対応力を組み合わせなければ突破できない構造になっていた。
タンクがひたすら硬いだけでも駄目。
ミーナ1人が圧倒的な火力を持っていても駄目。
ネネがどれだけ速くても、エルーサの回復がどれだけ優秀でも、それ単体では攻略に届かない。
全員が自分の得意なことを理解したうえで、戦闘中に見つかった情報を即座に共有し、その場で役割を組み替えて初めて正解に辿り着ける。
それが分かった瞬間、さっきまで散々「性格が悪い」と文句を言っていたはずなのに、1人のコアゲーマーとしてはむしろテンションが上がってしまう。
「……これ、めちゃくちゃ良くない? 最高のゲームじゃない?」
思わず漏れた私の声に、ミルキーがゆっくり頷いた。
「ええ☆ 最前線の攻略をしてきた側から見ても、かなり完成度の高い設計だと思います☆ 知らなければ理不尽に感じますが、実際には観察すれば解法があり、それを実行するだけの技量も要求される。難しいですが、攻略する価値のある階層ですね☆」
「分かる分かる。負けた時に『クソゲー!』って叫びたくなるけど、答えが分かった瞬間にもう1回やりたくなるタイプ」
ネネも肩をすくめながら、楽しそうに笑っている。
「しかも答えを知って終わりじゃなくて、ちゃんと実行できるかまで試してくるんだもんね。こういうの、悔しいけど好き」
「すっごく分かる」
私は心の底から同意して頷いた。
◇
第40階層の戦闘が終わったところで、私達は次へ進む前に短い休憩を取ることにした。
ミーナのMPはまだ完全には戻っていないものの、今回は最後に使った魔法を極端に弱く抑えたこともあり、《インフェルノ》を全力で撃ち放った第30階層直後ほど深刻な枯渇状態ではない。他のメンバーもエルーサの回復によってHPそのものは戻っているので、少し休めば戦闘を続けることはできそうだった。
問題は、ここから先だ。
暴食の塔は全50階層。
つまり、残りはあと10層しかない。
数字だけ見れば、ついにゴールが見えてきたと言ってもいい。
ただし、ミルキーが事前に集めていた僅かな攻略情報によると、ここから塔の構造そのものが変わるらしい。
「第41階層以降は、ほぼ『1フロアにつき1戦闘』が続くと考えてください☆」
ミルキーが空中へ半透明のマップウィンドウを表示する。
塔の断面図を見ると、下層にあった迷路のような通路や、いくつもの小部屋へ枝分かれする構造はほとんど消えていた。上へ向かうほど塔自体が細くなり、それぞれの階層にはコロッセオのような大きな戦闘区域が1つだけ配置されている。
そこで敵を倒す。
階段が開く。
次へ進む。
仕組みだけなら、これ以上なく分かりやすい。
けれど、それは同時に、ここまで使えていた寄り道や探索、敵を避けて進むといった選択肢がほとんどなくなり、毎階層ごとに正面から試練を突破しなければならないという意味でもあった。
「雑魚をいっぱい処理しながら進むっていうより、ここからずっと中ボスラッシュみたいな感じ?」
「その認識が近いです☆」
私の問いにミルキーが頷く。
「第41階層以降は、それぞれの階層に明確なギミックや試練が用意されている可能性が高いです☆ そもそも第40階層まで到達できるパーティ自体が非常に少ないため、情報共有フォーラムにもこの先の詳細な記録はほとんど残っていません☆」
「つまり、ここから先は攻略情報もほぼなし?」
「はい☆ あったとしても断片的です☆」
「最高じゃん」
「リエラさん、本当に楽しそうですね☆」
「だって、ここまで来て先が分からないんだよ? そりゃ楽しいでしょ」
我ながら、完全にゲーマーの悪い癖が出ていると思う。
未知だから怖いのではなく、未知だから自分で確かめたくなる。
しかも厄介なことに、この塔はこちらの戦い方を見ている。
「塔が私達の戦術を学習してるのも、ここから先ずっと継続だよね」
ネネが両手の短剣を点検しながら言った。
「第40階層で、私の毒を弱点へ直接入れるやり方も見せた。ミルキーの盾で衝撃の方向を変えられることも、ミーナちゃんが魔力をものすごく細かく調整できることも、リエラちゃんがあの重たいスライムを無理やり固定できることも、全部見られたわけでしょ?」
「はい」
ミーナが真剣な表情で頷く。
「おそらく最上階の第50階層へ辿り着く頃には、私達がここまで使ってきた手札のほとんどが、敵側にも情報として蓄積されているでしょう。もし塔が本当にこちらの行動を学習し続けているのなら、第50階層のボスは、それらを使えることを最初から前提にした戦い方をしてくる可能性があります」
「隠したままだと途中で勝てない。でも、勝つために使えば次の階層で対策される……か」
私は自分の骨剣へ視線を落とした。
実に嫌らしい。
でも、そのジレンマまで含めて攻略になっている。
強い技を手に入れたからといって、同じ必殺技だけを最後まで押しつけて進めるわけではない。その階層を突破するためには今持っている手札を使うしかないのに、使った瞬間から次の試練ではそれが『既知の情報』として扱われる。
だから、前の階層で正解だった戦術が、そのまま次でも正解になるとは限らない。
「……やっぱり、よくできてるなぁ」
厄介だし、難しい。
それでも私は、疲労より先に期待の方が膨らんでいる自分を自覚していた。
この塔はずっと、私達を観察している。
何ができるのかを見て、どう戦うのかを学習して、その次にもう1段難しい問題を出してくる。
だったら、こっちもそのたびに新しい答えを見つければいい。
私は休憩中、側へ置いていた骨剣を再び浮かせ、第41階層へ続く階段の方へ向き直った。
「――さあ、残り10層だよ」
その声に応えるように、ベルナデッタが真紅の大剣を構え直す。
エルーサは古びた杖を胸元へ寄せ、次の戦闘へ備えて魔力の状態を確認する。トビー・トミーはやる気満々で小さく敬礼し、その後ろに並んだゴブリン隊も思い思いに武器を掲げた。
ミーナは杖の先に残っていた炎の残滓を払い、ネネは両手の短剣を軽く回して感触を確かめる。ミルキーも右手の大盾を持ち上げ、酷使した腕が問題なく動くことを確認すると、小さく頷いた。
誰も万全ではない。
それでも、まだ全員戦える。
そして何より、誰の心も折れていない。
「じゃあ、行こう」
私は第41階層へ続く階段へ、最初の1歩を踏み出した。
「このまま第50階層まで、一気に登るよ!」
皆を連れて階段を上り始める。
すると、不思議なことに、それまで塔のどこへ行っても漂っていた菓子や料理の甘い香りが、階段を上るにつれて少しずつ薄れていった。
第40階層を離れ、第41階層へ近づく頃には、ほとんど何も感じなくなる。
代わりに上から流れてきたのは、これまでの『食欲』とは少し違う、もっと底の見えない感覚だった。
食べても満たされない。
どれだけ取り込んでも、まだ足りない。
そんな際限のない空腹だけが、この先にある何かの存在を知らせるように、塔の奥深くから静かに漂ってきていた。




