40層・メタルグラトニー
「第40階層守護者、銀餐のメタルグラトニー……☆」
ミルキーが虚空に浮かんだシステムメッセージを読み上げた直後、広間の中央に鎮座していた銀色の巨大なスライムが、まるで新しい獲物の到着を歓迎するように、床の上で『ぷるんっ』と可愛らしく身体を震わせた。
丸みを帯びたその動きだけを見るなら、正直ちょっと可愛い。鏡のように周囲の景色を映し込むほど表面はつやつやしているし、全身を覆う金属光沢のせいで、モンスターというより高級ホテルのロビーに置いてありそうな巨大オブジェにも見える。
しかし、エタファンをそれなりに遊んできた私は、経験則として嫌というほど知っていた。
このゲームにおいて、妙に愛嬌があって可愛い見た目をした敵ほど、だいたい碌なことをしない。
「……メタルなスライム。メタルグラトニー、だっけ」
「リエラさん、今、某有名国民的RPGの経験値が美味しいモンスターみたいな名前を言いかけましたね」
「気のせい気のせい。こっちのメタルは絶対に美味しくないやつだから」
ミーナの的確すぎるツッコミを適当に流しながら、私は周囲に浮かせていた白い骨剣を前へ展開する。
第40階層について事前に分かっていた情報は、『物理攻撃が極端に通りにくい』ということくらいだった。ただ、それだけでは戦術を組み立てるには足りない。完全な物理無効なのか、単純に防御値が異常に高いだけなのか、あるいは特定の部位だけ硬いのか。それを実際に叩いて確かめなければ、この先どう攻めるべきかも決められない。
「いくよ!」
私は銀色の床を強く蹴り、一気にメタルグラトニーとの距離を詰めた。
当のスライムは目らしい器官すら持っていないので、こちらを見ているのかいないのかも分からない。ただ呑気そうに、ぷるり、ぷるりと巨大な身体を揺らしている。
間合いへ入った瞬間、私は宙に浮かせていた骨剣へ横から回し蹴りを叩き込み、その勢いをそのまま乗せて銀色の頭頂部へ向けて全力で蹴り飛ばした。
コンッ。
「……え?」
鳴ったのは、思わず耳を疑うほど軽い音だった。
手応えがない。
ただし、単純に刃が表面を滑ったわけでも、攻撃そのものを弾き返されたわけでもない。骨剣が銀色の表面へ触れた瞬間、中身までぎっしり詰まった硬いボウリング球でも叩いたような反発音だけが鳴り、こちらが乗せたはずの威力そのものを、まるごと飲み込まれたような感覚があった。
「なに、この硬さ……」
見た目はどこからどう見ても柔らかいスライムなのに、触れた瞬間だけ材質が完全な金属へ切り替わったような異常な装甲だった。液体じみた柔軟な動きを維持したまま、攻撃を受ける部分だけ圧倒的な硬度を持っているとでも考えなければ説明がつかない。
しかも、厄介なのは硬いことだけではなかった。
「リエラさん、すぐに離れて☆」
後方から飛んできたミルキーの警告に反応して、私は咄嗟に距離を取ろうとする。
その直後、メタルグラトニーの巨体が、弾かれたゴムボールのように跳ねた。
「速っ!?」
いや、速いなんてものじゃない。
あれだけ丸くて重そうなフォルムをしているくせに、地面を蹴ったような勢いで一瞬にして真横へ飛び、そのまま銀色の壁へ激突すると、ほとんど速度を殺さずに跳ね返ってくる。ビリヤードの球を何倍にも巨大化させて、それを狭い盤面の中で全力で弾いたような動きだった。
「そのふざけたフォルムで素早いのは、色々とゲームバランス的にまずいでしょーが!!」
避けきれない。
私は両腕を交差させ、防御姿勢を取った。
直後、銀色の巨体が肩口へ激突し、全身をまとめて押し流すような衝撃が走る。VITへ極端に振っている私だからHPそのものは大きく削られないが、ダメージ表示以上に単純な『質量』が重い。巨大な金属球が明確な意思を持ち、闘技場の壁を利用しながら延々と跳ね回っているようなものだ。
「圧縮たる熱素よ、臨界の閾を越え、爆ぜろ、《ブラストフレア》」
私が弾き飛ばされた隙を埋めるように、ミーナの杖から高密度の炎弾が放たれる。
ところが、メタルグラトニーは炎が届くより先に、氷の上を滑るような不自然な挙動で横へスーッと移動した。ミーナの炎弾は銀色の床へ虚しく着弾し、強烈な熱だけを周囲へ撒き散らす。
今のを見る限り、魔法そのものは当たりさえすれば通りそうだ。
問題は、その『当てる』までが異常に難しい。
「うわ、なに今の動き……めちゃくちゃ素早い……!」
ネネが両手の短剣を構えながら、忌々しそうに目を細める。
「物理攻撃がほとんど通らない上に、この機動力ですか☆ 前衛としては、かなり相性が悪い相手ですね☆」
ミルキーも右手の大盾を構えたまま、不用意には近づかず、相手の挙動を慎重に観察している。
倒し方だけを単純に考えるなら、答えは簡単だ。
物理が効かないなら、ミーナの高火力魔法を叩き込めばいい。
ところが、そのミーナの魔法をクリーンヒットさせるには、闘技場を縦横無尽に跳ね回るこの銀玉を、どうにかして1箇所へ止めなければならない。動きを止めようと私達前衛が近づけば、骨剣も短剣も盾も、コンコンと情けない音を立てて装甲に弾かれる。その隙に相手だけが反射を利用した体当たりを仕掛けてくるのだから、こちらとしてはひたすら面倒くさい。
早く倒したい敵ほど、倒し方へ辿り着くまでが遠い。
「っ、もう! 面倒くさいなぁ!」
前衛として何もできない時間が続くことに苛立ち、私はもう1度大きく踏み込んだ。
浮かせた骨剣を蹴り飛ばすために腰を捻る。
その瞬間。
まだ私が攻撃していないにもかかわらず、メタルグラトニーがスッと後ろへ距離を取った。
「……?」
違和感を覚える。
すぐにミルキーが別角度から前へ出た。
すると、今度はそちらから逃げるように、ほとんどミリ単位の正確さで別方向へ滑る。
ネネが隠密を使い、背後へ回り込もうとする。
その瞬間、まるで背中に目があるかのように反対側へ跳ねて離れる。
私達が攻撃するたびに避けているのではない。
それよりも、少し早い。
水滴が熱した鉄板の上を跳ねるように、スッ、サッ、とこちらの動きに合わせて位置を変え続けているうちに、ミルキーも同じ違和感へ辿り着いたらしい。
「……あれ☆」
彼女の声が変わった。
普段の柔らかな配信者の声音ではなく、攻略中に敵のギミックや法則を見つけた時だけ出る、冷静な攻略班の声だった。
「リエラさん、ネネさん。少し待ってください☆」
ミルキーは右手の盾を構えたまま、左手に持った片手剣を、実際に攻撃する気もないのにわざと大げさに振りかぶってみせた。
メタルグラトニーが即座に反応する。
サッ、とミルキーから一定距離を取るように、反対方向へ逃げた。
攻撃はまだ振られていない。
ミルキーは『構えた』だけだ。
「……なるほどねぇ」
ネネも意図を察したらしい。音もなくメタルグラトニーの背後へ回り込み、今度はこちらが両手の短剣をわざと大きく振りかぶる。
すると銀色のスライムは、ネネから逃げるように移動し、さっきまで避けていたミルキーの側へ戻ってきた。
「やっぱりです☆」
ミルキーがもう1度、大きく片手剣を振りかぶる。
メタルグラトニーがネネ側へ逃げる。
ネネが振りかぶる。
今度はミルキー側へ戻る。
2人は1度も実際の攻撃を振っていないのに、その間を銀色のスライムだけが忙しなく反復横跳びしている。
「これ……もしかして、攻撃そのものを見て避けてるんじゃなくて、こっちの『振りかぶり』に反応してない?」
私が口にすると、ミルキーが深く頷いた。
「おそらく、一定以上のダメージが発生する攻撃の『予備動作』に反応して、自動回避する処理が入っています☆ 実際に攻撃判定が発生したかどうかではなく、危険な攻撃へ繋がるモーションを検知した時点で、強制的に一定距離を取るギミックですね☆」
「じゃあ、振りかぶらずに小突けば?」
「ネネさんのような素早い軽攻撃なら、おそらく当てること自体はできます☆ ですが、それでは表面の金属装甲を突破できない☆ 有効な威力を出すために大きな攻撃を準備すると、その予備動作を検知されて逃げられる……かなり嫌らしい設計です☆」
「うっわ、考えた運営の性格悪すぎ」
ネネが心の底から嫌そうな顔をする。
塔がこちらの戦い方を学習していること自体は、第30階層のオルグラン戦までで嫌というほど思い知らされていた。今回用意されたのは、大振りな必殺技や詠唱を伴う高火力魔法を、発動するより前に察知してオートで回避する相手らしい。
物理装甲を突破するには高威力の一撃が必要なのに、高威力の一撃を用意すると逃げる。
魔法を当てればダメージは通りそうなのに、詠唱や構えを見た時点で射線から消える。
こちらの強みを一つずつ嫌らしく潰すという方向にだけ、妙に完成度が高い。
「でも、オートで逃げてるなら……逆に使えるよね」
私は広間全体へ視線を巡らせた。
ここはかなり広い。壁も床も滑りやすい銀色で統一され、メタルグラトニーが好き放題跳ね回っても困らないだけの空間が、最初から十分すぎるほど用意されている。
つまり。
このボスの回避性能は、自分で逃げ先を選んでいるわけではなく、『危険なモーションから一定距離を取る』という単純な規則によって成立している。
なら、その逃げ先そのものをこちらで潰せばいい。
「ねえ、これさ」
私は肩の後ろに浮かぶ悪魔の髑髏へ意識を向けた。眼窩の奥で青白い魔力が揺らめき、それに呼応するように足元の影がゆっくりと広がっていく。
「私が骨兵を大量に出して広間を囲って、その包囲網を少しずつ狭めていけば良くない?」
ミーナは一瞬で私の意図を理解したらしく、すぐに目を輝かせた。
「なるほど。敵のオート回避そのものを止めるのではなく、回避した先にこちらの壁を置いて、移動可能な範囲を削っていくんですね」
「そう。危険な構えを見ると勝手に逃げてくれるなら、むしろ私達が『どっちへ逃げるか』を決めてやればいい。最後に逃げられる場所を1箇所だけ残して、そこへ追い込むの」
「有効だと思います☆」
ミルキーも右手の盾を構えたまま頷く。
「ただし、骨兵が直接接触すると、あの金属装甲や突進で簡単に崩される可能性があります☆」
「それでいい。一瞬でも壁になれば十分。攻撃して倒してもらう必要なんてないから」
私は両手を大きく広げ、床へ魔力を流し込む。
「《ネクロマンス》!」
銀色の床を割るように無数の骨がせり上がり、カタカタと組み合わさって次々と人型を形成していく。10体、20体と現れた骨兵達は、今回は敵へ突撃するための兵士ではない。広間そのものを狭くし、素早いスライムを追い詰めるための『動く壁』だ。
さらに私は息を整え、今度は自分の足元へ広がる影の中へどす黒い魔力を流し込んだ。
「《ネクロ・バインド》!」
直後、光沢のある銀色だった床が、私を中心にじわりと黒く濁り始める。
沼のように変質した床面から次々と伸びてきたのは、無数の死霊の腕だった。何十本もの黒い手が床を這い、メタルグラトニーの周囲へまとわりつくように、ゆっくりと包囲を狭めていく。
「……リエラさん、相変わらずご自身の使うスキルの絵面が最悪ですね☆」
「ミルキー、今はそれ最高の褒め言葉として受け取っておくよ」
「一切褒めてはいません☆」
ミルキーの辛辣な評価はさておき、見た目の悪さに比例するように、包囲網そのものはかなり有効だった。
這い寄る腕が一定距離まで近づくたび、メタルグラトニーが危険を察知して細かく位置を変える。しかし、その逃げ先にはすでに骨兵達が列を作って待ち構えている。
骨兵へ近づけば、今度は壁を避けるように別方向へ逃げる。
その瞬間を狙ってミルキーが大げさに剣を振りかぶれば、オート回避が発動してさらに別方向へ飛ぶ。ネネも反対側から短剣を構え、逃げ先を調整する。
そのさらに外側では、ベルナデッタが真紅の大剣を構えて仁王立ちし、エルーサも退路へ浄化の光を展開していた。
こちらは攻撃していない。
ただ『攻撃しそうな構え』と、『逃げられない壁』だけを置いている。
にもかかわらず、メタルグラトニーは自分に組み込まれた優秀すぎる回避処理へ忠実に従い、私達が用意した道を自分から進んでいく。
「いい感じだよ、リエラちゃん!」
ネネが両手の短剣を軽く鳴らしながら、獲物を追い詰める狩人のように笑った。
「この子、こっちの威嚇全部に律儀に反応してる。自動回避が優秀すぎるせいで、自分から逃げられる場所を減らしてるよ」
「性能が高いこと自体が、逆に弱点になっていますね」
ミーナも、私達が狭めていく包囲網の中心へ杖を向ける。
「自分で『ここには逃げない』と判断できない以上、危険判定をこちらから順番に与えてやれば、進路そのものを操作できる」
「盤面コントロールとしては、かなり綺麗ですね☆」
ミルキーの分析を聞きながら、私は骨兵へさらに前進するよう命令を送った。
包囲網が狭まる。
メタルグラトニーが逃げる。
骨兵の盾に進路を塞がれ、別方向へ跳ねる。
そこへネネが大きく短剣を振りかぶり、さらに反対側へ追いやる。
ミルキーが片手剣を構え、ベルナデッタが一歩踏み込む。逃げようとした先にはエルーサの光と、床を這う無数の腕が待っている。
あれほど好き放題に広間を跳ね回っていた銀色のスライムの可動範囲が、目に見えて狭くなっていく。
「リエラさん、ネネさん、ミルキーさん」
ミーナの声が鋭くなる。
彼女の杖の先に生まれたのは、《インフェルノ》のように広い範囲を焼き尽くすための巨大な炎ではなかった。ごく細い一点へ熱量を集中させるために、魔力が針のように圧縮されている。
「あと少しだけ、あの場所へ固定できますか?」
「任せて!」
私は骨兵と死霊の腕へ最後の指示を送った。
包囲網を、一気に狭める。
メタルグラトニーが反射的に跳ねた。
骨兵の盾へ接触し、コンッ、と軽い音を立てて別方向へ逃げる。そこには黒い腕が待ち構え、さらに逃げればミルキーが片手剣を振りかぶる。
ネネも短剣を構える。
ベルナデッタが前へ出る。
エルーサの光が最後の逃げ道を消す。
逃げる。
逃げる。
そして、次に逃げるべき場所がなくなった。
銀色の巨体が、ほんの一瞬だけ動きを止める。
回避すべき危険判定が四方から同時に押し寄せ、プログラムが次の移動先を決められなくなったかのような、致命的な硬直だった。
「今です☆」
ミルキーが鋭く声を上げる。
「――焦熱よ、一点に収束し穿て!」
私達が何度も誘導を重ねて作り出した、ほんの一瞬の停止。
そのわずかな隙を、ミーナが逃すはずがなかった。
「《シェイプト・フレア》!」
杖の先で極限まで圧縮されていた炎が、細い熱線となって一直線に走る。
普段のように大きく爆発して焼き払うための炎ではない。逃げ場を失った一点だけを確実に射抜くために、すべての熱量を細く、鋭く束ねた一撃だった。
炎がメタルグラトニーの銀色の表面へ触れた瞬間、初めて、あの忌々しい『コンッ』という軽い反発音とは違う音が広間へ響いた。
ジュッ、と熱が金属装甲へ食い込み、表面を一点から赤熱させていく。
今までどんな物理攻撃にも平然としていた巨大な身体が、そこで初めて明確なダメージ反応を示した。
「通った!」
私が思わず声を上げる。
メタルグラトニーの巨体が大きく震え、熱線を受けた一点だけが歪むように変形していた。
倒せる。
少なくとも、攻略不能ではない。
物理を弾き、高火力を自動で避け、こちらの攻撃手段をことごとく潰してくる嫌らしいボスではある。それでも、ギミックとして作られている以上、必ずどこかに攻略の糸口が存在する。
そして今、私達はようやく、その最初の1本を掴んだ。




