進軍進撃リエラ魔王軍
渾身の力で蹴り返した骨剣が、狂気のような熱風を切り裂いた。
焼けるような《インフェルノ》の白炎の中で、真っ白な刃がオルグランの分厚い胸元を深く、そして致命的に捉える。
硬大な重装鎧を打ち砕く、暴力的なまでの感触。
さらに、その骨剣が作り出した一瞬の隙へと、私は真正面から踏み込んだ。
「――発勁ッ!!」
身体の芯から魔力と体重を通した掌底を叩き込む。
確かな手応えと共に、炎の渦に呑まれていたオルグランの巨体が、ついにぐらりと大きく揺れた。
『グオオオォォォ……!!』
低く、腹の底を震わせるような深い咆哮が、第30階層の闘技場全体に轟く。
だが、その最後の声に込められていたのは、敗北への怒りや怨嗟だけではなかった。どこか己の全力を出し切ったような、満足げで誇り高い響きが微かに混ざっていたのだ。
私は、肌を焦がす炎の中でゆっくりと顔を上げる。
オルグランもまた、赤熱して崩れ始めた兜の奥から、静かに私を見下ろしていた。
視線が、熱波の中で交差する。
そこにあるのは、リトグラから受け取ったデータをなぞるだけの、あの無機質で冷たい機械のような観察眼ではなかった。
目の前に立つ小さな私を、自分を打ち倒した明確な『敵』として、そして同じ戦場で全力をぶつけ合った『戦士』として、正面から認めるような熱い光。
――見事だ。
言葉など発していないはずなのに、そんな戦士としての賛辞が、声にならないまま真っ直ぐに伝わってきた気がした。
私は、思わずフッと笑みをこぼした。
超高温の熱で視界がぐにゃりと揺れている。HPバーは《インフェルノ》の直撃でレッドゾーン手前まで削り取られ、黒と紫のサキュバス風ビスチェの端は無残に焦げ、お気に入りの髪の毛先も少しだけ熱でチリチリに跳ねてしまっている。
それでも、私はボロボロの姿で、最高に清々しく笑った。
「そっちも……なかなか重くて、良い1撃だったよ」
その言葉が、轟音の中で彼に届いたかどうかは分からない。
けれど、オルグランの赤い目が、ほんの少しだけ優しく細まったように見えた。
次の瞬間。
ミーナの放った《インフェルノ》が最後にもう1度だけ特大の爆ぜ方をして、純白の炎が闘技場を完全に包み込んだ。
巨体が、さらさらと光の粒子へ変わっていく。
誇り高き戦斧が崩れ、私を苦しめた大盾が砕け、分厚い鎧も美しい赤い火の粉になって、空高くへと散っていく。
≪第30階層守護者:討伐完了≫
≪第31階層への扉が解放されました≫
赤いシステムメッセージが虚空に浮かび上がった時、熱の引いた闘技場の中央に立ち尽くしていたのは、肩で息をする私だけだった。
◇
黒のビスチェの端が少し煤けて、ボロボロになっている。
腕や脚にも、ダメージ表現である焦げ跡のようなエフェクトが残っていた。
でも、私は両足でしっかりと立っている。
普通に。
いや、この状況で立っているのは、普通ではないのだろうか。
「……相変わらず、リエラちゃんってアホみたいに頑丈だねぇ」
物陰から歩み寄ってきたネネが、心底呆れたような、それでいてどこか安心したような顔で言った。
「それ、褒めてる?」
「んー、半分くらいは褒めてるよ」
「残り半分は?」
「ドン引き」
「素直すぎない!?」
私は苦笑して肩を竦めようとしたが、全身にわずかな違和感が走ったので、大人しくやめておいた。
そこへエルーサが小走りで駆け寄り、慈愛に満ちた淡い回復光で私のボロボロの身体を優しく包み込んでくれる。
じんわりとした温かさが広がり、削れていたHPバーが急速に回復していく。
「主様。いくらそのお身体が頑強で耐えられるとはいえ、あまりご自身を顧みない無茶はなさらないでくださいませ」
「ごめんごめん。今回はどうしても必要な経費ってことで」
「……その悪びれない言い方をなさる時は、絶対に次も同じ無茶をやりますよね?」
「…………否定はしない」
私が目を逸らすと、エルーサが本気で心配そうな、少しだけ困ったような顔を見せた。
一方のミーナはというと、愛用の杖を支えにしてへたり込み、肩を大きく上下させて息を吐いていた。
それもそのはずだ。
超広範囲殲滅魔法。
その火力は他の追随を許さないほど圧倒的だが、代償として全MPを根こそぎ持っていくため、そう何度も気軽に撃てる魔法ではないのだ。
「ミーナ、大丈夫? 無理させちゃったね」
「いえ……ただ、MPが完全に空っぽになりました。ポーションを飲むので、少しだけ休憩をください」
「もちろん。ゆっくり休んで」
私は深く頷き、改めて周囲を見回した。
第30階層の闘技場には、暴食の将軍が消滅した後の、ひんやりとした静けさだけが残っている。
肉の宴を模していた悪趣味な装飾も、めちゃくちゃに砕け散った石床も、真っ黒に焦げた赤黒い絨毯も、さっきまでの戦闘がいかに常軌を逸した激しいものだったかを無言で物語っていた。
けれど、私がそれ以上に気になっているのは、ここから先の『見えない道』だ。
私達は勝った。
強敵オルグランを正面から打ち倒した。
だが、それはつまり、私たちが限界を超えて見せた『今の戦いと切り札』もまた、この塔のシステムにバッチリ見られてしまったということだ。
◇
私たちは、闘技場の端で短い一時休憩を取ることになった。
ミーナは高価なMP回復用のアイテムをチビチビと使いながら座り込み、ミルキーは虚空のウィンドウを開いて戦闘ログの詳細な確認を始め、ネネは休む間もなく周囲の罠や隠し通路がないかを身軽に確認して回っている。
ベルナデッタは私の護衛として無言で立ち尽くし、エルーサは私とミーナのステータス異常がないかを順番に診てくれていた。
「……今の1戦で、完全にバレましたね☆」
静寂を破り、最初に口を開いたのはログ確認を終えたミルキーだった。
「バレた、というよりは」
ミーナが空になったポーションの瓶を置きながら、少し険しい顔で言葉を繋ぐ。
「塔のシステムに、私たちの限界値を『学習された』と言うべきです」
私は小さく、けれど重い息を吐き出した。
「だよねぇ……」
第30階層の戦闘の最終盤。
私は窮地を脱するため、この塔に入ってから意図的にあまり見せていなかった、私の本来の戦い方を使った。
骨兵やゾンビ兵を軸にして盤面をコントロールする中衛寄りのサモナー運用ではなく、自分自身の異常なVITを最大の盾にして敵の懐へ突っ込み、ヘイトを強引に買い、《発勁》をはじめとする武芸スキルで殴り合い、さらには骨剣すらも投擲武器や足場のように扱う、極めて雑で強引な『ゴリ押し前衛スタイル』だ。
あれは確かに、第20階層のリトグラから「リエラは中衛で召喚を操る」という初期データを受け取り、第21階層以降もその戦い方を学習していたオルグランの想定を完全に崩した。
崩したからこそ、勝てた。
けれど、手札を晒した以上、次はもう同じ手は通じないかもしれない。
「リトグラの収集した初期情報に加えて、ここまでの戦闘データが上の階層へ伝わっているなら、当然、今のオルグラン戦の最新情報も、さらに上の階層へアップデートされていくよね」
索敵を終えたネネが、ひらりと身軽に戻ってきながら言う。
「第40階層以降の敵は、リエラちゃんの『ゴリ押し脳筋前衛スタイル』も完全に前提として対策を練ってくると思うよ」
「ちょっとネネ、ゴリ押しとか脳筋とかって言い方!」
「えっ、違うの?」
「……まあ、微塵も違わないけどさ」
自分のプレイスタイルを一切否定できないのが、ひどく悲しい。
とはいえ、戦力を温存してどうにかなるような甘い難易度でもなくなってきたのは事実だ。
第20階層までの無双劇は、完全に終わった。
第30階層までの道程で、塔はこちらの強みを削りに来た。そして第30階層のオルグランは、こちらの信頼関係や連携の前提すらも物理的に崩そうとしてきた。
次は、もっと陰湿で、もっと嫌な手を使ってくる。
それだけは間違いない。
「ここから先は、本当の意味での総力戦になりますね☆」
ミルキーが、アイドルらしからぬ鋭い視線で静かに言った。
「出し惜しみをして突破できるほど、上の階層は甘くはないでしょう☆ むしろ、隠し札を温存しすぎれば、それを使う前にジリ貧になって消耗させられるだけです☆」
「同感です」
ミーナも立ち上がり、杖を握り直して深く頷く。
「私も、大魔法を切る判断をこれまでより早めます。ただし、連発はできないので、MP管理だけは引き続き慎重にさせてください」
「じゃあ私は、召喚を壁としての使い捨て前提じゃなくて、絶対に防ぎたい必要なところだけにピンポイントで厚くする。あと、前衛に出る時は変に隠さず、最初からゴリゴリ前に出るよ」
「その場合、私がリエラさんの真横につきます☆」
ミルキーが即座に提案する。
「さっきの終盤の形ですね」
「はい☆ リエラさんが真っ向から正面でヘイトを買い、暴れる☆ 私がその隙間に入り、右手の盾で攻撃の軌道をずらしながら、左手の剣で小さなダメージを積み重ねる☆ ネネさんが完全に死角から背後を取る☆ そして、ミーナさんが最高火力を通す☆」
「分かりやすくてすっごくいいね!」
ネネが両手の短剣をチャキッと鳴らし、悪戯っぽく、しかし好戦的ににっと笑う。
「じゃあ、私は私の仕事をするよ。塔のシステムが学習しきれないくらい、本気で嫌がらせしてやる」
「ネネのそれ、敵からすると1番胃が痛くなる嫌なやつだよね……」
「最高の褒め言葉として受け取っておくね!」
それぞれが自分の役割と新たなスタンスを確認し合う中で、短い休憩は終わった。
ミーナのMPがある程度実戦レベルまで戻り、私のHPもエルーサの献身的な回復でほぼ全快する。
焦げて傷んだビスチェの端だけはそのままだったが、これはもう激戦を乗り越えた勲章みたいなものとして、大人しく諦めることにした。
「では、行きましょうか☆」
ミルキーが立ち上がり、前を向く。
第31階層へ続く階段の厳重な封印が音を立てて解け、上へ向かう暗い通路がゆっくりと開いていく。
これまでの階層に漂っていた、あの噎せ返るような甘いお菓子の香りは完全に薄れていた。
代わりに、血の匂いにも似た、ひどく冷たくて無機質な『金属の匂い』が、階段の奥から微かに流れ込んできていた。
◇
第31階層から第39階層までの攻略は、一言で表すなら『重圧』だった。
敵の数が極端に多いわけではない。
むしろ、階層を上がるごとに魔物の絶対数は少なくなっていった。
けれど、現れる魔物の1体1体が、こちらの嫌がるポイントをこれでもかと正確に突いてくるのだ。
ミーナの魔法の射線を意図的に遮り、魔法を反射しようとする鏡面の装甲を持った菓子兵。
ネネの隠密スキルを感知し、無効化するためにフロア全体へ撒き散らされる粉砂糖の霧。
ミルキーの精密な盾受けのタイミングを滑らせるために、床一面に張られた油膜のようなトラップ。
そして、私の脳筋突進を誘い込み、足元を絡め取ろうと待ち構える極彩色の飴細工の沼。
塔は、恐ろしいほどの精度で学習していた。
私達がどう動くか。誰を火力の起点にするか。
どの瞬間に攻め込み、どの瞬間に互いを庇い合うか。
その戦闘データの全てをリトグラ以降の戦闘から吸い上げ、次の階層のギミックへ即座に反映している。
だが、変わったのは塔だけではない。こちらも変わったのだ。
もう、手の内を隠さない。
私が一切の躊躇なく前へ出る。
ミルキーがそのすぐ横で、右手の盾を使って敵の反撃を完璧に受け流す。
ネネが粉砂糖の霧すら利用して敵の視界から完全に消える。
ミーナが、仲間が作った一瞬の隙に、最も必要な火力を一切の無駄なく叩き落とす。
ベルナデッタが力で押し込み、エルーサが万全のサポートで支える。
トビー・トミー率いるゴブリン部隊は無闇に突撃させず、罠の誘導や視界妨害に特化して回し、骨兵やゾンビ兵は防衛だけでなく、一点突破のための駒として使う。
確かに消耗はある。ポーションの数も減っている。
でも、私達の陣形は決して崩れない。
それぞれの持ち味を隠さず、むしろ「これが私達の全力だ、どうだ」と塔のシステムに見せつけるように、理不尽なギミックを力と技で捻じ伏せて進んでいく。
どうせ学習されるなら、塔の処理能力が追いつかないほどの速度で、学習しきれない量の手札を重ねて叩き潰す。
それが、私達魔王軍が出したシンプルな答えだった。
◇
そして、ついに第40階層。
重厚な扉の前に立った時、誰からともなく全員が自然と深く息を整えた。
第30階層のオルグランの時のように、扉越しに伝わってくる荒々しい熱や咆哮はない。
第20階層のリトグラの時のように、食器が触れ合う不気味な晩餐の音もしない。
扉の向こうから聞こえてくるのは、水がゆっくりと床を這って流れるような、ちゃぷ……ちゃぷ……という、ぬるりとした不気味な音だけだった。
「ミルキーさん、第40階層の守護者の情報は?」
私が小声で聞くと、ミルキーは少しだけ悔しそうに小さく首を振った。
「……攻略情報は、極めて少ないです☆ ここまで到達できるプレイヤー自体が限られているため、具体的な行動パターンやギミックは情報が錯綜していて安定していません☆ ただ、1つだけ、全ての到達者に共通している報告があります☆」
「何?」
「『物理攻撃が、極端に通りにくい』……と☆」
嫌な予感がした。
ものすごく、背筋が凍るような嫌な予感が。
ギィィィ……と、重い扉が自動で開く。
中に広がっていたのは、巨大な『銀色の広間』だった。
壁も、床も、高い天井も、まるで限界まで磨き上げた金属のように、冷たい光を乱反射している。
そして、その広間の中央。
液体のようにゆらゆらと揺れる、巨大な銀色の塊が蠢いていた。
最初は、ただの水銀のプールかと思った。
けれどその不定形な塊は、私達の侵入を感知すると、ゆっくりと中央が盛り上がり、明確な形を作っていく。
丸く、巨大な身体。
表面に走る、冷たくて硬質な金属光沢。
こちらの渾身の物理攻撃を、全部ぬるりと受け流してしまいそうな、絶望的に嫌な質感。
≪第40階層守護者:銀餐のメタルグラトニー≫
システムメッセージが表示されると同時に、その巨大な銀色のスライムが、獲物を歓迎するようにぷるりと大きく揺れた。
私は、思わず頭を抱えて天を仰いだ。
「……どうしてこうも、私はスライム系の敵に縁があるのかねぇ……」
私のボヤキを聞いて、隣でネネがプッと吹き出す。
「あははっ! リエラちゃん、エタファン中のスライムに好かれてるんじゃない?」
「微塵も嬉しくない好かれ方なんだけど!? しかも今回はメタル化してるとか最悪すぎる!」
私が嘆いている横で、ミーナはすでに杖を構え、一切の笑みがない真顔になっていた。
「物理無効、あるいは極端な高耐性を持っている可能性があります。私の魔法火力が要になりますね」
ミルキーも、油断なく右手の盾を構えて前に出る。
「ここからは、今までのような物理のゴリ押しが通用しない、全く違う戦いになります。リエラさん、ネネさん、サポートをお願いします☆」
銀色の巨大なメタルなスライムが、ゆったりとこちらへ向き直った気がした。
顔も、目なんてものもないはずなのに。
確かに、その冷たい金属の表面から、私達のすべてを見透かすように『見られた』気がした。




