暴食の違和感
いや、違う……。
なんだこの違和感。
脳裏に鮮明にフラッシュバックしたその情景は、決して遠い過去のノスタルジックな風景でも、エタファンというゲームを始める以前の曖昧な記憶でもなかった。
つい数時間前の出来事。
現実のカフェの窓際席で、唐突に相席を申し出て私の向かい側に座った、あの底知れない漆黒の瞳を持つ少女だ。
私と同じくらいの低い身長に、不釣り合いなほど精緻で真っ黒なロリータ風のワンピースを身に纏い、こちらの問いに答えているようで肝心な部分はすべてはぐらかしていた、あの奇妙で異質な美少女。
彼女の目の前には、店員がドン引きしながら置き場所に困るほど、異常な質量のパフェが並べられていた。
王道のチョコレート、季節のベリー、白玉の乗った抹茶、トロピカルなマンゴー、レトロなプリン、そして山盛りのアイスクリーム。
色も形も違う暴力的なまでの甘味が狭いテーブルの上を完全に埋め尽くし、それを少女は、その華奢で小さな身体からは到底想像もできないブラックホールのような勢いで、次々と胃の腑へ収めていたのだ。
『美味しい。向こうでは、いくら食べても決して膨らまなかったから』
『だから、まだまだ食べたいわ』
あの時は、ただ言葉のキャッチボールが噛み合わない、不思議で大食いな少女に絡まれただけだと思っていた。
けれど、今私の目の前に広がっている狂気じみたお菓子の晩餐は、あの時の彼女のテーブルとひどくよく似ている。
もちろん、全く同じ料理が並んでいるわけではないし、現実の落ち着いたカフェと塔の巨大な広間とでは、規模も雰囲気もまるで違う。だが、必要以上にうず高く積み上げられた甘味や、「誰かが食べきれるかどうか」なんて最初から一切考慮していない暴力的な量を当然のように並べ立てるその感覚が、不気味なほど完全に一致していた。
「そうだ、この景色……最近、見たんだった」
私は、狂ったように踊り続けるスイーツたちから視線を離せないまま、うわ言のように呟いた。その声に反応し、ミーナが怪訝そうに眉を寄せながら1歩近づいてくる気配を感じる。
「最近、ということは……現実での話ですか?」
「うん。今日、お昼に駅前のカフェへパフェを食べに行った時に、すごく変な女の子といきなり相席になって……その子の前に、これと同じくらい異常な量の大量のパフェが並んでたの」
「同じくらいって、あれ全部!?」
ネネが信じられないという顔で、巨大な広間を見回しながら問い返す。
中央の円卓には、少なく見積もっても数十人分、いや100人分はあろうかという巨大なスイーツが所狭しと並び、その周囲ではたっぷりとクリームを纏ったケーキやゼリー達が、音楽すらない空間でくるくると楽しげに踊り続けているのだ。
「さすがに規模感はこっちの方が多いけど、根本的な雰囲気が似てるというか……食べきれるかどうかなんて、最初から微塵も考えていない『異常な満たされ方』が同じなんだよ」
「その相席の少女は、リエラさんのことを知っていたのですか☆」
ミルキーの鋭い問いに、私はこくりと小さく頷く。
「『最近話題のリエラちゃんよね』って、はっきり言われた。それから、『向こうではいくら食べても膨らまなかった』って……」
「向こう、ですか」
ミーナがその1語だけを重く繰り返し、表情をさらに険しいものへと変える。
「それだけの情報では、彼女がこちらの世界を指しているとは断定しきれません。ただ、今日この暴食の塔へ挑戦するリエラさんの前にピンポイントで現れ、暴食という概念を連想させる異常な量の甘味を平らげていたとなると……単なる偶然のファンとの遭遇で片づけるには、少々出来すぎた話ですね」
「あと、別れ際に『色欲さん』って呼ばれた」
私が最後に思い出したように付け加えると、3人の動きと表情が、まるで動画を一時停止したかのように同時にピタリと止まった。
真っ先に沈黙を破って反応したのは、ネネだった。
「いやいやいや! それ、1番最初に報告すべき最重要事項じゃない!?」
「だって、その時は意味が全く分からなかったし! 単純に別の配信者と名前を間違えられたのかなって思って……」
「リエラと色欲をどうやったら聞き間違えるのさ! 1文字も合ってないよ!」
「それは私にも分からないよ!」
思わず声を上げて反論すると、ミルキーは冷静に額へ指を当てながら、先ほどクランハウスで確認したばかりの『7つの大罪の塔』の名称を、頭の中で素早く並べ直しているようだった。
「現在未確認とされている3つの塔のうち、1つは『色欲の塔』である可能性が極めて高いと推測されています☆ そして、その未確認の塔の名称でリエラさんを呼ぶ謎の人物が、現実世界に現れた……☆」
「しかも、私たちが暴食の塔へ挑む、まさにその当日に、です」
ミーナがミルキーの言葉を引き継ぎ、心配そうに私の腰の辺りへ一瞬だけ視線を落とした。
数日前に現実の私の身体に現れ、翌朝には跡形もなく消えていた黒い尻尾。
絶対にあれと関係している。
まだ確たる証拠はないし、すべてを論理的に結びつけるには情報が圧倒的に少なすぎる。だが、それでもこれらが全くの無関係なバグだと考える方が、もはや不自然なくらい難しくなってきていた。
「う~ん……ミーナちゃん一瞬、配信側の音声切れる?」
ネネがいつもの軽い口調のまま言ったが、その瞳の奥には一切の笑みがなく、本気の警告の色が浮かんでいた。
「あ、はい、『緊急作戦会議』ですね」
「えっ?」
「リエラちゃん……現実側で、目的も正体も不明な相手に意図的に接触されてるんだよね? 私だったら、すでに住所とか日々の生活パターンを完全に把握されてる前提で動くレベルの事案だよ」
「人気配信者の危機管理としても、ネネさんのその判断が最も妥当です☆」
ミルキーも深く同意し、力強く何度も頷いている。
私が気分転換に1人でパフェを食べに行った結果、今後の現実での単独行動を徹底的に禁止されそうになっている。
「で、でも……」
「なんですか?」
「また会おうって言っちゃったかも……」
「あちゃー……」
ネネはわかりやすく頭を抑える。
「まぁ今回は相手も女の子ひとりだったしまだいいかも知れないけど」
「ミーナちゃん、手綱はちゃんとにぎるんですよ☆」
「はい……肝に銘じておきます」
私をよそに三人が納得していく。
魔王の威厳とは一体どこへいったのだろうか。
「じゃあ作戦会議は大体オッケーってことで、今は目の前の塔の攻略を優先しましょう☆」
再度音声をオンにする。
ミルキーが気を引き締めるように右手の盾を持ち直し、踊るスイーツたちの向こう側に続く巨大な扉へと鋭い視線を向ける。
「もしこの狂った光景が、意図的にリエラさんへ見せつけられているものなのだとしたら、立ち止まるよりも先へ進むことで、何か新たな手がかりが分かる可能性があります☆」
「逆に、進んでも全く意味が分からない可能性もあるけどね〜」
ネネは肩をすくめてそう言いながら、腰の短剣をすっと抜き、近くで呑気に踊っていた巨大キャンディを柄の底で軽く小突いた。
キャンディはころんと可愛らしく1回転すると、何事もなかったように再びステップを踏んで踊りを再開した。
「うん、敵意は本当にゼロみたい。この広間は素通りして、先へ進んでも大丈夫そうだよ」
「じゃあ、行こうか」
私は道を塞ぐように踊るスイーツたちの間を慎重に通り抜けながら、背中へねっとりと向けられているような奇妙な視線を感じて、思わず振り返った。だが、そこにいるのは貼り付いたような笑顔を模した不気味なケーキや、無心で身体を揺らし続けるゼリーたちだけだった。
それでも、誰かに、あるいは『何か』に確実に見られている。
そんな氷のような感覚だけは、この甘ったるい広間を抜けても決して消えることはなかった。




