甘い記憶
≪暴食の塔:第11階層≫
石扉を抜けると、空気が明らかに変わっていた。これまでの階層とはまったく異なる、どこか甘ったるい気配が漂っていた。
第10階層までの無骨で薄暗い石造りの内装とは打って変わり、壁や柱には色鮮やかなステンドグラス風の菓子細工が埋め込まれている。さらに、天井からはキラキラと光を反射する飴細工のシャンデリアがいくつも垂れ下がっており、まるで童話の世界に迷い込んだかのような幻想的な雰囲気を作り出していた。
床はサクサクとしたビスケットのような色合いと質感をしており、通路の両脇に流れる小川は、なんと水ではなくチョコレートの噴水だった。そのせいで、噎せ返るような甘い香りが辺り一面に満ちている。
その光景は、子供が見れば間違いなく歓声を上げて駆け出しそうなほど華やかで、現実離れしたメルヘンチックな美しさを持っていた。
「……暴食というより、これじゃただのお菓子の国だね〜」
ネネが呆れと感心が入り混じったような顔で、苦笑しながら呟いた。
「見た目だけなら、とっても可愛いんですけどね☆」
ミルキーもアイドルスマイルで応じるが、利き手である右手には盾、左手には剣がしっかりと握られており、一切警戒を解いていないことがはっきりと分かる。
その瞬間だった。
床に敷き詰められていた巨大なクッキーたちが、不自然にピョンと跳ね上がり、静寂を破るようにわらわらと動き出した。
「来ます!」
ミルキーが鋭く声を上げると同時に、クッキーたちからニョキッと手足が生え、カサカサと不気味なほどの素早さでこちらへ飛び掛かってきた。
さらに後方では、大人が見上げるほど巨大なショートケーキがゆっくりと立ち上がり、生クリームでできた太い腕を伸ばして攻撃の構えを見せている。
マカロン、プリン、ゼリー、そしてパフェ。
様々なスイーツたちが、まるで意思を持ったかのように動き出し、ピョコピョコと楽しげに踊るような奇妙なステップを踏みながら、こちらへ迫ってくる。
「可愛い!」
思わず素の感想が口を突いて出てしまった。だって、普通に可愛い。サン○オのテーマパークみたいだ。
「リエラさん、可愛いけど敵です☆」
ミルキーの即座のツッコミを合図に、ファンシーで物騒な戦闘の幕が上がった。
◇
「圧縮たる熱素よ、臨界の閾を越え、爆ぜろ、《ブラストフレア》」
ミーナが杖を振り下ろすと同時に、極大の爆炎が通路を一直線に焼き払い、その凄まじい威力で前方のスイーツたちをまとめて一掃していく。
焼き菓子であるクッキー型の魔物たちは特に炎との相性が悪いのか、サクサクに焼き上がるどころか真っ黒焦げになって砕け散り、抵抗する間もなく光の粒子となって消えていった。
「骨兵、前へ!」
私は指示を出しながら骨兵の群れを展開し、一気に前線を押し上げていく。
逃げ場を失い、私の足元でぷるぷると震えながら必死に跳ねて逃げようとする巨大プリンの姿は、見ようによってはどこか哀れで可哀想だった。
「ごめんね……っ!」
小さく謝罪の言葉を呟きながら、一切の容赦なく骨剣をフルスイングする。
ズバァァァンッ! という重い破裂音と共に、プリンはあっけなくカラメルソースを撒き散らして両断された。
「うっ、なんか凄い罪悪感あるんだけど!」
「可愛い敵ほど殺意が高いのがこのゲームの常識です☆」
私の悲鳴めいた声に、ミルキーが冷静すぎる正論を返しながら、迫り来る巨大マカロンの突進を右手の盾でガキィィンッと弾き飛ばす。
そのマカロンが体勢を崩した横を、ネネが風のように素早く駆け抜けた。
「はい終了〜」
軽い調子で言いながら、すれ違いざまに両手の短剣を振るう。
その神速の1撃は、マカロンの弱点である中身のクリーム部分だけを正確に十文字に切り裂いていた。マカロンは形を保てず崩れ落ちたが、ネネはそれを確認するため振り返ることすらしなかった。
その直後、ネネの背後で凄まじい爆発が起こり、ミーナの魔法がちょうど後続の敵のど真ん中に命中していた。
「ナイス」
「そっちこそ」
ネネとミーナの会話は、たったそれだけで完結する。
お互いがどこへ移動し、どのタイミングでどこへ攻撃を置くか。それを直感レベルで完全に理解しているため、余計な言葉は一切必要ないのだ。
さらにそこへ私が加わり、「ネクロ・リンク!」とスキルを発動する。
骨兵たちが私のステータスを参照して凶悪に強化され、一斉に敵へ飛び掛かり、コンボ数が一気に跳ね上がっていく。
「散逸する熱量よ、我が支配のもとに逆行せよ
閉鎖の檻にて、理を書き換えん。展開! エントロピー・フィールド」
そこへミーナが追撃の広範囲魔法を放ち、敵の群れをまとめて吹き飛ばした。
奇跡的に範囲から逃げ延びた敵は、すでにネネが待ち構えていた。
「はい捕まえた」
空中で体勢を立て直そうとしたクリームスライムを、ネネがあっさりと真っ二つにする。
そして、わずかに残った残党を、ミルキーが右手の盾で弾き、左手の剣で突き、確実に急所だけを貫いて仕留めていった。
誰1人として無駄な動きや過剰な攻撃をせず、スイーツの魔物たちはまともな反撃をする暇すら与えられずに次々と処理されていった。
◇
「……敵さん、逃げてー」
ネネが、もはや作業と化した戦闘の中で、笑いながら呟いた。その声音には圧倒的な余裕が感じられた。
「ちょっと可哀想になってきたね……」
「ええ。私も少しだけそう思います。でも、止まる気はありません☆」
「うんうん、ありませんな〜」
ミルキーが続け、ネネが同意する。
そのやり取りだけで、2人は同時に左右へと走り出した。
「左お願い」
「了解です☆」
私が前衛として前に出て敵のヘイトを大量に引き付け、ミーナがそこに火力を合わせて一気に削る。
ミルキーが散開しそうな敵を右手の盾によるヴァルキリースタイルの技術で1箇所に集めて動きを制限し、ネネがその隙を逃さず範囲攻撃でまとめて刈り取る。
あるいは、ネネが機動力で敵陣をかき回して崩し、私が漏れた敵を壁として受け止め、ミーナが爆破し、最後をミルキーが左手の剣で確実に仕留める。
4人の役割が、状況に応じて目まぐるしく入れ替わる。
それなのに、誰1人として動線がぶつからず、誰も迷わず、リーダーからの指示を待つ時間すらなく、ただ流れるように戦闘が進んでいく。
必要最低限の、呼吸のような1言だけで戦場が完璧にコントロールされていく様子に、私は思わず「すごい……」と感嘆の声を漏らしてしまった。
私とミーナも、普段から一緒に戦っており、日々の配信やクラン戦、高難易度ダンジョン攻略などを通じて、かなりの時間を共有してきた自負はある。
それでも、エタファンのトップ層として最前線で長い時間を共にしてきた『ミルキーとネネの連携』は、明らかに別格の領域にあった。
ゲームの中で長い時間を共にし、何百、何千という戦闘を積み重ねてきた結果。相手の癖、視線の動き、スキルのクールタイム、さらには呼吸の間隔や歩幅までも、お互いが完全に把握しきっているのだろう。
だからこそ言葉がいらず、一切の迷いもなく、あのような圧倒的で暴力的な強さを発揮できるのだ。
「リエラさん」
ミーナが、杖を構えたまま小さく笑いながら私に声をかけた。
「私達も、負けていられませんね」
「だね」
私も自然と不敵な笑みを返し、「よーし」と気合を入れて魔力を練り上げ、骨兵やゾンビをさらに上限まで追加召喚する。ゴブリンやエルーサ、ベルナデッタはもう少し温存だ。
「新生リエラ魔王軍、勢い
私が声を上げると、「はい!」「りょーかい!」「お任せください☆」と3人の力強い返事が重なり、4人は同時に塔の奥へと駆け出した。
その後の攻略は、もはや『攻略』などという生易しい言葉では到底足りないほどの勢いで進んでいった。
第12階層、第13階層、第14階層。
上の階層へ進むにつれて敵は次々と現れ、数も強さも増していくが、彼女たちにとってはなんの障害にもならなかった。
現れた瞬間にネネに陣形を崩され、ミルキーによって逃げ場を失い、ミーナの炎に焼かれ、ネネの短剣が急所を裂き、ミルキーの剣が確実に仕留め、私の骨兵が物理的に押し切っていく。
トップクランの攻略班が長い年月をかけて積み重ねた洗練された技術と、私たち新生リエラ魔王軍が培ってきた理不尽な爆発力。
その2つが完全に噛み合った結果として生まれたのは、凄惨とすら言える一方的な蹂躙だった。
かつて、これほどまでに滑らかに、そして残酷なまでにスムーズに攻略が進んだ暴食の塔があっただろうか。
私は骨剣を振るいながら、どこか他人事のようにそんなことを考えていた。
◇
≪暴食の塔:第15階層≫
巨大な広間へ足を踏み入れた瞬間、再びお菓子たちが集まって踊っている光景が目に入った。
ショートケーキやマカロン、キャンディやパフェ、さらには巨大なチョコレートフォンデュのタワーまでもが、部屋の中央を囲むようにして円を描き、楽しげにくるくると踊っている。
「可愛いなぁ、やっぱり」
ネネが両手の短剣をだらりと下げ、苦笑しながら言う。これまでの階層の傾向から、こちらから手を出さなければ襲ってこない魔物もいると分かっていたため、その様子にはどこか安心感も混じっていた。
「今回は、いきなり襲ってこない……?」
私は警戒しつつも骨剣を下げ、そのメルヘンな光景を眺めながら小さく首を傾げた。
だが、その直後。
胸の奥に、ぞわりと黒く冷たい感覚が広がっていくのを感じた。
「……あれ?」
強烈な違和感を覚えた私は、目を細め、その光景をじっと見つめ直す。
踊るスイーツたちの配置。中央に置かれた円卓の形。そこに並べられた豪華すぎる料理の数々と、魔物たちの貼り付けたような笑顔の角度。
その、一見でたらめに配置されているように見えるそれらの並び方を、じっと、じっと見つめる。
知っている。
この光景は、確かに見覚えがある。私はこの不気味な光景を『知っている』という、理由のない確信があった。
「リエラさん?」
私が立ち止まったことに気づいたミーナが、心配そうにこちらを見る。
だが、私はすぐに答えることができなかった。
知っているはずなのに、どこで見たのかがどうしても思い出せない。
ゲームの過去のイベントでもない、他の配信者の動画でもない、そしてもちろん、現実の記憶でもない。
もっと別の、ひどくおぞましい場所で見た記憶が、脳の奥底から泥のようにぼんやりと浮かび上がってくる。
それは、私の本来の記憶の奥底に沈んでいたものであり、エタファンを始めるよりもずっとずっと昔の、遠い出来事のように感じられた。
「……ティア……?」
無意識のうちに呟いた瞬間、背筋がぶるりと大きく震え、その言葉が確信へと変わった。
「この光景……私、見たことがある」
私はそう言い切り、誰のものでもない、その『記憶の正体』に触れようと手を伸ばしていた。




