ミルキー&ネネスタイル
ある程度、階層ごとの自動生成の傾向が読めるとはいえ、塔の守護者の行動パターンやギミックは何百種類にも及ぶとされている。トップクランの研究班でさえ、そのすべてを把握しきれているわけではない。
だからこそ、初見のボス部屋に入る時は、どれだけプランを練っていても常に最悪を想定しなければならない。
ズゴゴゴゴ……という重低音とともに、巨大な石扉が完全に開ききった。
途端に、むせ返るような生臭い熱風が回廊へと押し寄せてくる。
扉の向こうに広がっていたのは、10階層の広さとは思えないほど広大な、すり鉢状の闘技場だった。
中央には、巨人が使うような赤錆びた鉄の食卓が鎮座している。その周囲には、獣や人型、多種多様な魔物の白骨が小山のように積み上がり、足の踏み場もないほどだった。
そして、その骨の山の頂に、1体の巨大な影がどっかりと腰を下ろしていた。
見上げるほどの巨躯。優に5メートルは超えるであろう、醜悪で異形なオーガ。
そいつは我々の侵入に気づいているのかいないのか、骨付きの巨大な肉塊を無心で貪っている。グチャリ、バキリという咀嚼音だけが、不気味な静寂に包まれた闘技場に響き渡っていた。
≪第10階層守護者:暴食の喰らい手≫
虚空に浮かび上がった血文字のようなシステムメッセージを確認した瞬間。
「――私たちが行きます☆」
私の横をすり抜け、ミルキーが静かに前へ出た。
彼女の手に握られているのは、右手に小ぶりだが分厚い金属盾、左手には鋭い片手剣。
一般的な剣士の構えとは、左右が逆。
利き手である右手に防御の要たる盾を持ち、逆の左手に攻撃用の剣を握る――エタファンにおいて、極めた者だけが到達できるとされる特異な戦闘スタイル『ヴァルキリースタイル』だ。
「ここまでは、リエラさんとミーナさんにすっかりお任せしてしまいましたから☆」
「だね。それに、レベル70に制限されたこの重たい身体……ここまで来て、ようやく少し馴染んできたところだし」
ミルキーの横に並び立ったネネも、両手に逆手持ちした短剣をくるりと軽く回しながら、不敵な笑みを浮かべた。
その身のこなしに、先ほどまでのような動作の遅れや迷いは一切見られない。完全に斥候としての戦闘態勢に入っている。
「この10階層のボス相手で、完全に感覚を仕上げるよ。だから、ここは私たちに任せて」
私は少し考え、横にいるミーナと顔を見合わせてから、ゆっくりと頷いた。
「わかった。でも、危なくなったらすぐに私たちがヘイトを奪って援護するからね」
「ありがとうございます☆ ですが……『特別なピンチ』にならない限りは、手出し無用でお願いします☆」
ミーナの心配するような視線に、ミルキーが振り返らずに力強く応じる。
「攻略班のトップ層を、舐めないでよね〜」
ネネがウインクと共に放ったその1言で、私の内にあった不安は綺麗に消え去った。
そうだ、この2人はただの美少女配信者じゃない。エタファンの最前線を文字通り切り拓き、いくつもの死線を越えてきた、本物のバケモノたちなのだ。
「分かった。今回は特等席で観客をさせてもらうよ」
私とミーナは大きく距離を取り、2人に戦場を譲った。
◇
先に動いたのは、スカウトであるネネだった。
――消えた。
誇張でもなんでもなく、私の視界から完全に彼女の姿が消失した。
『グォォォォォッ!!』
侵入者を餌と認識した『暴食の喰らい手』が咆哮を上げ、立ち上がる。
大木のような太さの棍棒を頭上高く振り上げた、まさにその瞬間だった。
オーガの無防備な太い首筋に、鮮やかな火花が散った。
「1発」
空中にネネの楽しげな声だけが残る。
次の瞬間には、オーガの巨大な膝裏、分厚い足首、そして手薄な脇腹へと、目にも止まらぬ連続した斬撃が嵐のように走った。
「速い……あれでレベル70に制限されてるの……?」
「速さだけではありません、リエラさん。ネネさんの真の恐ろしさは、あの異常なまでの『視界管理』です」
私の驚愕の呟きに、ミーナが冷静な解説を入れる。
ただ素早く動き回っているわけではない。敵の巨大な眼球の動きを読み、絶対に捉えられない死角への潜り込み、あえて音を立てての視線の誘導、そして攻撃後の鮮やかな離脱。
すべてが、システム上のヘイト(敵視)の仕組みを完全に理解しきった上で、緻密に計算され尽くしているのだ。
怒り狂ったオーガが棍棒をデタラメに振り回し、闘技場の石畳が粉々に砕け散る。
だが、ネネは常に巨大な腕の届かない背後か、あるいは側面の死角に位置取っていた。オーガはただの1度も、ネネの姿を正面に捉えることができていない。
「当たらない……そもそも、見えてすらいない」
まさに、その1言に尽きた。圧倒的なまでの翻弄。
◇
一方、猛り狂うオーガの真正面に陣取っていたのは、右手に盾を構えたミルキーだった。
ネネの度重なる斬撃に苛立ったオーガが、今度こそ目前の敵を粉砕しようと、ミルキーに向かって全体重を乗せた棍棒を大上段から振り下ろす。
普通なら、レベル70のステータスでまともに受ければ、盾ごと吹き飛ばされかねない一撃。
だが、ミルキーは逃げない。右手に構えた金属盾を、ほんのわずかに、絶妙な角度で傾けた。
ガギィィィィンッ!!
「……受け流した!?」
「ただのガード(防御)じゃありません。盾の角度を細かく調整して、意図的に『パリィ(弾き)』を発生させています」
真正面から受け止めるのではなく、ほんの僅かな角度調整で、巨体の生み出す圧倒的な破壊力を側面へと受け流す。
最も器用に動かせる利き手である右手だからこそ可能な、ミリ単位の精密な盾の制御。
それこそが、攻防一体を極めた『ヴァルキリースタイル』の真骨頂だった。
自らの全力の1撃を流され、つんのめるように棍棒を床へ叩きつけてしまったオーガ。
その致命的な隙を、ミルキーが見逃すはずがない。
1歩、深く踏み込む。
左手の剣による鋭い1閃。返す刀での離脱。オーガの反撃の裏拳を再び右手の盾で受け流し、装甲の薄い関節部へ正確な突きを放つ。
無駄な力みが一切ない、流れるような水面のごとき連携が延々と続く。
「綺麗……」
思わず、見惚れるような吐息が漏れた。
防御から攻撃、攻撃から防御へと、彼女の攻防は完全に1つの美しい線として繋がっているのだ。
「あれが、極められたヴァルキリースタイルの姿」
ミーナが感嘆の声を漏らして呟く。
「攻防一体を極めると、最も美しく、最も理不尽な剣舞になります」
勝負が決したのは、一瞬だった。
ネネの執拗な下段への斬撃により、ついにオーガの巨大な足がバランスを崩し、大きく膝をついた瞬間。
「――今です、ネネさん☆」
ミルキーが前傾姿勢から跳躍し、右手の盾の面で、オーガの広大な胸板を強烈に打ち据える(シールドバッシュ)。
巨体がぐらりと大きく仰け反り、完全に無防備な上半身が露わになった。
そこへ、上空の死角から弾丸のように飛び込んできたネネが、2本の短剣で十字の斬撃を刻み込む。
『ギャァァァァァァッ!!』
咆哮を上げて大きく仰け反る巨体。
その動きの先には、すでに左手の剣を真っ直ぐに構えたミルキーが待ち構えていた。
自重で倒れ込んでくるオーガの急所へ、ミルキーの放った渾身の刺突が深く突き刺さる。
一瞬の沈黙。
やがて、5メートルを超える巨体は光の粒子へと変換され、闘技場の石畳の上にパラパラと崩れ落ちていった。
≪第10階層守護者:討伐完了≫
≪第11階層への扉が解放されました≫
◇
「ふぅーっ!」
光の粒子が舞う中、ネネが両手の短剣をくるりと回して鞘に収め、大きく肩を回した。
「これで、ようやくこのステータスに完全に馴染んだかな。うん、もうバッチリ!」
その軽快な動きに、もはや一切の迷いや違和感はない。
ミルキーも、右手の盾についた汚れを軽く払ってから左手の剣を収め、ふわりといつもの柔らかな笑顔を浮かべた。
「ええ☆ 私も、本来の感覚にほぼ戻りました。2人とも、見守っていただきありがとうございます☆」
激戦の直後だというのに、2人の足取りは羽のように軽く、息1つ乱れていなかった。
私とミーナが2人の経験値に合わせて戦っていたこれまでの連携とは違う。最前線の攻略班として、一昼夜を共に戦い抜き、死線を越えてきた者たちだけが持つ、システムと化したような異常な精度の連携。それを目の当たりにさせられた気分だった。
「お待たせ、リエラちゃん、ミーナちゃん。ここからが塔クエストの本番だよ!」
「はいっ☆ 11階層以降は、最初から全力でサポートに行けますから、任せてくださいね☆」
得意げに笑うネネと、アイドルスマイル全開のミルキー。
私は、頼もしすぎる仲間たちの姿に思わず吹き出し、満面の笑みで頷いた。
「やっぱり、うちのトッププレイヤーたちはとんでもないね。よし、この勢いで11階層も蹴散らして行こう!」




