レベル制限と捕食制限
眩い光に包まれながら身体がふわりと浮く感覚に襲われ、視界が白く染まる。
一瞬だけ意識が遠のき――次に目を開けた時。
≪暴食の塔:第1階層≫
冷たいシステムメッセージが視界に明滅し、私たちは巨大な石造りの回廊へと降り立っていた。
空気はひんやりと冷たく、微かに獣の臭いが混じっている。壁一面には、この塔のテーマを象徴するかのように『巨大な食卓』を描いた不気味なレリーフが延々と続いていた。
果物、肉、酒、パン。ありとあらゆる豪華な料理が精緻に彫刻されているのだが、食卓を囲んで笑い合っている人々の目は、なぜか全員『真っ黒に塗りつぶされて』おり、それが狂気じみた不気味さを際立たせていた。
「……うわぁ、これはさすがに趣味が悪すぎるって言いたくなるね」
ネネが心底嫌そうに顔をしかめ、壁画から目を逸らした。
「暴食という大罪らしい演出ではありますが、精神的にじわじわと削られますね……☆」
ミルキーも右手の盾を前へ構え、左手の剣をいつでも振り抜ける位置に置きながら、油断なく辺りを見回す。
盾を利き手で自在に操り、左手の剣と組み合わせて攻防をめまぐるしく切り替える。それが、彼女が好んで使う『ヴァルキリースタイル』だ。
その直後、回廊の奥からズン、ズン、と床を揺らす重い足音が響いてきた。
「来ます! 前衛、気をつけてください!」
暗がりの中から姿を現したのは、通常の3倍はあろうかという異常なまでに肥え太った巨大な猪型モンスターだった。口元からは涎を垂らし、こちらを極上のエサとでも言わんばかりに目を血走らせている。
「最初のお客さんね、気を引き締めて行きましょうか、骨剣!」
私が骨剣を構えて前へ飛び出そうとした瞬間――隣でステップを踏もうとしたネネが、わずかに足をもつれさせてよろめいた。
「あちゃーやっぱそうなるよね、なんか変な感じ」
ミルキーも右手の盾を構え直そうとして、普段なら一瞬で終わるはずの動作がわずかに遅れたことに眉をひそめる。
「ええ、何度か経験してましたが慣れないですね……身体の感覚が、ひどく重い。いえ、重いというより……☆」
「あはは、そうだよね、重いっていうか、自分の身体じゃないみたいに反応が遅れてる感じ!」
ネネが空中で何度かナイフを振るが、その軌道は明らかに普段の彼女のキレを欠いていた。
VRMMOにおける『レベルシンク(制限)』70は、単にステータス画面の数字が下がるだけではない。
これまでレベル120を超え、圧倒的な敏捷値(AGI)で風のように動いていたネネや、高レベル帯の身体能力を前提に、右手の盾と左手の剣を目まぐるしく切り替えるヴァルキリースタイルを使いこなしていたミルキーからすれば、いきなり身体に重りをつけられ、神経の伝達速度を強制的に遅くされたようなものなのだ。
頭で思い描く理想の動きに、システム上のアバターの肉体が追いつかない。そのズレが、彼女たちの致命的な違和感を生んでいた。
「盾を出す速度も、剣へ繋ぐタイミングも遅く感じてしまいます、これでは、受け流しのタイミングが……イマイチですねっ☆」
ミルキーは突進してくる猪へ右手の盾を差し込もうとするが、普段の感覚で踏み込んだせいでタイミングがわずかに早い。
盾の縁が猪の鼻先を掠め、狙っていた軌道逸らしには届かなかった。
「2人とも無理しないで! まずはレベル70の感覚に身体を慣らすことを優先して!」
私はカバーに入るべく、猪の正面へと躍り出る。
「ミーナ、私に合わせて!」
「はい! いつでもいけます、任せてください!」
背後からのミーナの力強い返事。その一言だけで十分だった。
ネネたちが高レベル帯からの弱体化に苦しむ一方で、レベルがもともと制限と差のない私とミーナの連携には一切の淀みがなかった。
「ブラストフレアで一気に削ります!」
ミーナの杖の先から放たれた極大の爆炎が、突進してくる猪の顔面で轟音とともに炸裂する。私はその爆風と黒煙を一切の躊躇なく突っ切り、怯んだ猪の懐へと潜り込んだ。
「圧縮たる熱素よ、臨界の閾を越え、爆ぜろ、《ブラストフレア》」
ミーナの詠唱に合わせ、ボーンソードを数本同時に空中から振り切る。
「はぁぁっ! ここで決める!」
大上段から振り下ろした骨剣が、分厚い脂肪と肉を切り裂く。
「……っと、なるほどね……ミーナ!」
「はい!」
「これ、尻尾が全く反応しない、捕食できないタイプのダンジョンだ」
「了解、そんな予感はしてました……なので大丈夫です。魔法多めに打ちます!」
「助かる!」
ミーナの魔法が着弾するタイミング、爆風の広がり方、ヘイトの移り変わり。
振り返らなくても、彼女が今どこで、次の詠唱をどう準備しているかが手にとるように分かった。
「リエラさん、右側からも増援来ます!」
「了解! そこにスケルトン呼ぶから、合わせて撃ち込んで!」
「合わせます!」
私が召喚した骨兵が右側の敵の足止めをしたコンマ1秒後、完璧なタイミングでミーナの追撃魔法が着弾する。爆炎と骨剣の斬撃、発勁による打撃とネクロ・リンクのコンボが息つく暇もなく繋がり、巨大な猪たちは悲鳴を上げる間もなく光の粒子となって崩れ落ちた。
「わぉ……さすがの連携……これもしかして踏破いけちゃう?」
後方で様子を見ていたネネが、思わずナイフを下ろして呆然と呟いた。
「本当に……普段以上に連携の精度が上がっているようにすら見えます☆」
ミルキーも驚きを隠せない様子で、右手の盾を下ろしながら感嘆の息を漏らしている。
私とミーナは顔を見合わせ、戦闘中だというのにふわりと笑い合った。
「よし、この調子なら火力役と壁役は問題なさそうだね」
「はい。ネネさんとミルキーさんの感覚が戻るまで、前線は私たちが支えます」
言葉は少なくても、しっかりと意思は通じ合っていた。この連携が維持できるなら、問題ないどころか、まだまだ余裕がある。
◇
1階から2階、そして3階へ。
塔を上るにつれて、暴食の魔物たちは徐々に硬く、そして厄介なギミックを使ってくるようになったが、ミーナの圧倒的な魔法火力と私の鉄壁の前衛で強引に押し切っていく。
私たちが露払いをしている間に、ネネも徐々に制限された身体の軽さに馴染み始め、持ち前のトリッキーな身のこなしを取り戻していった。
ミルキーもまた、レベル70にシンクされた身体の反応速度へ感覚を合わせていく。
敵の攻撃へ右手の盾を滑り込ませ、受け止めるのではなく軌道を逸らす。そのまま身体を回転させ、空いた死角へ左手の剣を走らせる。守りと攻めを分離せず、盾そのものを攻撃の起点として扱う、彼女独特のヴァルキリースタイル。
1戦ごとに、その動きからぎこちなさが消えていった。
「うん、だいぶ身体が慣れてきた! ようやく本来の動きに近づいてきたよ!」
「私も同じです☆ これなら、ヴァルキリースタイルもいつも通り使えそうですね☆」
2人が完全に勘を取り戻し、4人の連携が完璧な歯車として回り始めた頃。
虚空に、心地よいシステムメッセージの音が響き渡った。
≪第9階層:クリア≫
「よしっ、9階クリア! みんなの調子も戻ったし、このままの勢いで行けそうだね!」
私が歓声を上げると、目の前の通路の先にある、ひときわ巨大な重い石扉が、ズゴゴゴゴ……と地鳴りを立てながら静かに開き始めた。
扉の向こうから、むわっとした生暖かい熱風が吹き込んでくる。そして、腹の底を震わせるような恐ろしい低音の咆哮と、ドスッ、ドスッという巨大な質量が床を叩く足音が伝わってきた。
ミルキーが静かに息を呑み、利き手である右手の盾を前へ出す。左手の剣を低く構え、いつでもヴァルキリースタイルへ移れるよう腰を落とした。
私は、背筋に冷たいものが走るのを自覚しながら、骨剣を呼び直し覚悟を決めた。
完全に開け放たれた石扉。
その暗がりの奥で、巨大な赤い双眸が、ギラリと獲物を定めるように光った。
「……第10階層、いよいよ最初の守護者が待っています。気を引き締めましょう☆」




