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星羅によると、銀河は塾講師のアルバイトをしているらしく、カレンはその塾の前の物陰に隠れながら、標的を待った。
塾の室内を覗き見ると、銀河は同い年くらいの男二人と、彼らより少し年上の三十代に見える男と楽しそうに談笑していた。
午後三時頃になると、小学校低学年くらいの子供たちが塾に向かって歩いていく姿が見え始めた。
そこに真面目そうな顔つきをして、メガネをかけた少年が歩いてきた。恐らく三、四年生くらいだろう。カレンは物陰から姿を現し、その少年に近づいた。
「こんにちは」
急に話しかけられて驚いたのか、ビクッと体を震わせて少年は立ち止まった。
「こ、こんにちは」
「あなたこれからあそこの塾に行くの?」
「そうだけど……お姉さんは誰?」
「銀河先生って知ってる? 私は銀河先生の知り合い」
「あぁ、銀河先生のお友だちですか」
知ってる名前が出て安心したのか、少年は強ばっていた顔をほころばせ、年相応の顔を見せた。
「今日、銀河先生と話すかな? えっと、お名前は?」
「杉本龍神。今日銀河先生の授業を受けるよ」
「そっか! じゃあ龍神くん、私の目を見てくれるかな?」
カレンはしゃがんで龍神に視線の高さを合わせ、彼の目を正面にとらえた。すると龍神はピタリと動きを止めた。マネキンのように、瞬きも、息も、心臓でさえも、一瞬動きが止まり、主の言葉に耳を傾けた。
「龍神くんが見たこと、聞いたこと、私に教えてね」
龍神がこくんと頷くのを確認して、カレンは彼の頭を優しく撫でた。その場を離れ、十数メートル離れたところで手を一度叩いた。
その瞬間、龍神の瞳は焦点を取り戻し、何事もなかったかのように歩き出した。彼の記憶には、カレンと話したことは残っていない。
カレンはすぐに人気のない路地裏に入り、そのまま自分の姿を猫に変えた。カレンが猫の姿になるときは、いつも決まって三毛猫になる。
カレンは猫の姿でぴょんぴょんと住宅の塀や屋根を跳び回り、誰にも邪魔されなさそうな茂みに丸くなった。
そして目を閉じて、神経を目と耳に集中させていくと、いつもより目線が低い視界と、子供たちの声が聞こえてくる。
カレンは龍神の視覚と聴覚を共有した。このまま銀河の様子を探る。
「銀河先生こんにちは!」
「おっ、龍か。ちゃんと宿題やってきたかー?」
龍神に接する銀河は、カレンの会った時とはまるで別人になっていた。気さくで、子供たちからとても好かれていた。
「先生宿題やってきたよ!」
「おー、偉いぞ千花」
千花と呼ばれていた少女は、銀河に頭を撫でられて嬉しそうにしている。
「星野くん、ちょっといいかな?」
「はい?」
一番年増の男性に呼ばれて龍神のもとを離れていった銀河は、何やら話し込んでいるようだったが、龍神の耳には届かない。
程なくして席に着き始めた生徒たちは、授業を受けるというわけではなく、各々テキストを開いて勉強をして、わからないところを巡回している先生に訊くという形式らしい。
龍神は算数の問題を解いていたが、図形問題が出てくると、手が止まってしまった。
「銀河せんせー」
「どうしたー?」
龍神のもとを訪れた銀河の説明は、とても丁寧でわかりやすかった。しばらく龍神のテキストと、耳に入ってくる声を聞いていたが、今のところ特に目ぼしい情報は得られてない。
「こんにちはー」
声に反応して振り返った龍神の目には、高学年と思われる少女が入ってくる姿が写った。体の成長は早く、中学生と言っても納得してしまう。
「あ! 銀河先生!」
「おぉ。早く席着けよー」
明らかに塩対応の銀河にその女子生徒は頬を膨らます。
「先生冷たい! でも、かっこいいから許せる」
カレンは小学生の成長を侮っていた。体こそ子供だが、心はすでに女だ。
「はいはい」
銀河はあからさまに嫌そうな態度を取っていた。カレンは瞳と耳を龍神に返し、茂みから出た。
銀河は千花と呼ばれる低学年の少女にはフレンドリーに接し、好意を剥き出しにした高学年の少女には嫌悪感を抱いていた。銀河は女、と呼べるものになると途端に態度を変えるということがわかった。
恐らく、女性が本能的に男性に対して発する態度や好意を、銀河は敏感に察知して毛嫌いしているのだろう。星羅から聞いてはいたが、この徹底ぶりは少々厄介だ。
しかしカレンには、本当に銀河が全ての女性に対してそうなのか疑問を持っていた。現に星羅とは友人なわけで、『友達』という括りに自分が入れた場合は問題ないのだろうか。
銀河のことは今後も観察するとして、星羅についても少し様子を伺う必要があるとカレンは思った。
「よぉ、姉ちゃん」
考え込んでいたカレンは声をかけられ、声の方へ視線を向けると、体つきのいいトラネコのオスがカレンに近づいてきた。
「この辺じゃ見ない顔だな。それにしても綺麗な毛並みしてんじゃねえか」
カレンは自分が猫の姿だったことをすっかり忘れていた。
「あら、嬉しいわ。お兄さんは随分とたくましいのね」
「この辺じゃ俺に勝てるやつはいねえよ」
「そうなの。ちょっとこっち来てくれる?」
カレンは広いところに出て周囲に人がいないことを確認した。
「なんだい?」
「少し目をつむっててもらえる?」
オス猫は素直に従い、目を閉じた。
「もう開けていいわよ」
カレンの合図で目を開けたオス猫は、跳び上がって驚いた。
「なっ、え?」
「どうする? 私と遊ぶ?」
しゃがんでじりじりと近づくカレンに怯えて、オス猫は一目散に逃げ出していった。
「ちょっと悪いことしちゃったわね」
カレンは立ち上がってから大きく伸びをし、次のプランを考えながら自分の店へと帰った。




