34、金の行方
それから1週間ほど、ユイからはこれといって大きな連絡はなかった。
『今日も出勤です』
『昨日より稼げた』
『疲れた』
『担当に褒められました』
そんな短いメッセージが、ときどき送られてくる。
俺も、
『お疲れ様です』
『無理しないでください』
と返す。
それだけだった。
便利屋として依頼されているわけでもないのに、なぜ報告されているのかは分からない。
俺もなぜ毎回返しているのか分からない。
ただ、ユイは働いていた。
最初の数日は不安だったらしいが、仕事にも少しずつ慣れてきたと言っている。
収入も俺からすればかなり大きい。だったら580万円という金もそれなりに減っている。
俺はそう思っていた。
「お兄さん」
声をかけられたのは、夜の仕事へ向かう途中だった。
振り返る。
ユイがいた。
「……こんばんは」
「何その反応」
「普通です」
「久しぶりなのに?」
「1週間くらいですよね」
「そういうところだよ」
何がそういうところなのか分からない。
ユイは以前とあまり変わっていなかった。
服装も、髪も、化粧も。
ただ、少し疲れているようには見える。
「今から仕事ですか」
「今日は休み」
「じゃあ帰るんですか」
「担当のところ行く」
「…………」
俺は黙った。
「何?」
「いや」
「また何か言いたそう」
「別に」
「絶対あるじゃん」
ユイが俺の顔を覗き込む。
俺は少し迷ってから聞いた。
「580万、どれくらい減りました?」
「え?」
「結構働いてますよね」
「うん」
「だから、どれくらい減ったのかなって」
ユイは視線を逸らした。
「……分かんない」
「分からない?」
「ちゃんと計算してない」
「なんでですか」
「返してはいるよ」
「いくら?」
「毎回違う」
「合計は?」
「だから分かんないって」
「…………」
俺はスマートフォンを取り出した。
「何してるの?」
「計算します」
「なんでお兄さんが?」
「気になるので」
「ほんと変だよね」
知っている。
「この1週間で、何日出ました?」
「5日」
「だいたい1日いくらくらいですか」
「えー……」
ユイが金額を言う。
俺は入力する。
日によって違うらしいので、おおよその数字にしかならない。
「生活費はいくら残しました?」
「そこまで聞く?」
「嫌ならいいです」
「……これくらい」
入力。
「担当の店には?」
「…………」
ユイが黙る。
俺は顔を上げた。
「何回行きました?」
「3回」
「1週間で?」
「多い?」
「俺はホスト行かないので分かりません」
「じゃあ聞かないでよ」
「いくら使いました?」
「覚えてない」
「だいたいで」
「……これくらい」
入力。
数字が並ぶ。
俺はしばらく画面を見た。
「何?」
「いや」
「だから何」
「思ったより減ってないなって」
ユイの表情が少し変わった。
「減ってるよ」
「減ってはいます」
「じゃあいいじゃん」
「でも」
俺はスマートフォンを見せる。
「このくらい稼いでるなら、もっと減ってると思いました」
「…………」
「担当の店に使ってる分が結構大きいです」
ユイは画面を見た後、俺から少し離れた。
「でも、それ私のお金じゃん」
「はい」
「私が働いて稼いだお金」
「そうですね」
「だったら何に使ってもよくない?」
その通りだった。
「はい」
「じゃあいいじゃん」
「はい」
「何なの?」
「いや」
俺は画面を見る。
「このペースで580万返せるのかなって」
「返せるよ」
「どれくらいで?」
「…………」
「半年?」
「分かんない」
「1年?」
「だから、そういう計算してない」
俺は黙った。
ユイが少し苛立っている。
これ以上聞かない方がいい。
「すみません」
「別に」
「俺が口出すことじゃなかったです」
「……うん」
少し気まずくなった。
歌舞伎町の光が、ユイの髪に反射している。
俺はスマートフォンをしまった。
「じゃあ、仕事あるので」
「うん」
「気をつけて」
ユイの横を通り過ぎる。
「お兄さん」
呼び止められた。
振り返る。
「何ですか」
「私、ちゃんと返してるから」
「はい」
「担当も、早く返せなんて言ってないし」
「そうなんですか」
「むしろ無理しなくていいって言ってくれてる」
「…………」
「だから、大丈夫」
ユイはそう言って笑った。
「分かりました」
俺はそれ以上何も言わなかった。
その日の夜。
仕事が終わった俺は、帰りの電車でスマートフォンを見ていた。
便利屋のアカウントには新しい依頼はない。
ミクの件も、あれから何もない。
俺は何となくメモを開いた。
『ユイ』
『580万』
『店 約390万』
『担当立替 約190万』
『担当』
『柴崎』
『紹介先』
その下に、今日聞いた数字を入れてみる。
収入。
生活費。
返済。
担当の店で使った金。
数字だけを見る。
「…………」
おかしい、とまでは言えない。
借金は確かに減っている。それにユイも稼いでいる。
誰かに無理やりホストクラブへ連れて行かれているわけでもない。
担当から店へ来いと脅されているわけでもない。
ユイ自身が会いたいと言っている。
だから、何もおかしくない…はずだった。
俺は電卓を開く。
仮に、この1週間と同じペースで働く。
同じくらい生活費を使う。
同じくらい担当の店にも行く。
残った分を返済する。
580万円。
そこから190万円については、本当に存在するのかすら確認できていない。
俺は画面を閉じた。
「……これ、いつ終わるんだ」
誰に言うでもなく呟いた。
電車の窓に、自分の顔が映っていた。
2日後。
昼の仕事をしていると、ユイから写真が送られてきた。
休憩中に開く。
ホストクラブのテーブル。
グラス。
ボトル。
その横に、担当らしい男の手が写っている。
『今日担当の誕生日なんです』
「…………」
俺は写真を見る。
『そうなんですね』
『はい』
『お祝いしてきます』
『仕事は?』
『今日は休み』
『明日は?』
『出勤』
なるほど。
『使いすぎない方がいいと思います』
送ってから、余計だったかもしれないと思った。
既読。
『今日は特別だから』
返ってくる。
『分かりました』
俺はスマートフォンを閉じた。
それから数時間後。
夜の仕事へ移動している途中で、またユイから連絡が来た。
『やばい笑』
その下に写真。
さっきとは違うボトルだった。
値段は書いていない。
でも、俺でも何となく高そうなのは分かった。
『いくらですか』
既読。
『聞かないで笑』
『580万は?』
『今日くらいいいじゃん』
「…………」
俺は返信しなかった。
確かに今日くらいならいい。
誕生日は年に1度しかない。
それくらい特別に金を使う人間は普通にいる。
俺だって趣味に金を使う。
だから、何も言えない。
22時過ぎ。
仕事を終える。
スマートフォンを見る。
ユイからメッセージが来ていた。
『お兄さん』
『ちょっとお願いある』
便利屋のアカウントではない。
個人の方だった。
『何ですか』
『今から来れます?』
『どこに?』
店の位置情報が送られてくる。
担当のいるホストクラブだった。
『どうしました』
既読。
返信まで少し時間がかかった。
『お金』
『ちょっと足りなくなった』
俺は立ち止まった。
『いくらですか』
金額が送られてくる。
「…………」
俺の口座に入っている金より多かった。
『無理です』
『ですよね』
『なんでそんなに使ったんですか』
『誕生日だから』
『払えないなら止めた方がよかったんじゃ』
途中まで打って、消す。
『今どうなってます?』
『担当が店と話してる』
『私は待ってる』
『帰れないんですか』
既読。
『分かんない』
俺はしばらく画面を見た。
そして、もう1つ聞いた。
『担当は何て言ってます?』
返信。
『大丈夫』
『俺が何とかするって』
「…………」
その文章には、見覚えがあった。
俺はスマートフォンのメモを開く。
『担当立替 約190万』
その文字を見る。
ユイから、もう1件届いた。
『お兄さん』
『どうしよう』




