29、柴崎という男
翌日の21時47分。
俺は新宿駅から少し離れた通りを歩いていた。
隣にはユイがいる。
昨日と同じく、報酬は1,000円。
これで便利屋を始めて3回目の依頼になるが、売上は合計2,000円だった。
衣装代を回収できる日は、多分かなり遠い。
「ここで合ってるんですか」
「はい」
ユイがスマートフォンを見る。
「この先のファミレスです」
「店じゃないんですね」
「最初は話だけだからって」
待ち合わせは22時。
紹介された仕事の説明を聞く。
それだけ。
俺もユイも、その認識だった。
大通り沿いのファミレスに入ると、ユイが店内を見回した。
「あ」
奥の席で男が手を上げていた。
30歳前後だろうか。
黒いパーカーに細身のパンツ。ホストの担当ほど派手ではなく、街中にいても特に目立たない。
ただ、俺を見た瞬間に手が止まった。
「……何それ」
「付き添いです」
ユイが答える。
「付き添い?」
「はい」
男は俺を見る。
「その格好で?」
「はい」
「顔出せない感じ?」
「出さない感じです」
「…………」
数秒見られた。
「まあいいや。座って」
ユイが男の向かいに座る。
俺も隣に座った。
「俺、柴崎。担当から話聞いてるよ」
「ユイです」
「知ってる。大変なんだって?」
「……まあ」
「580だっけ」
ユイが小さく頷く。
俺は柴崎を見る。
担当は、金額まで伝えているらしい。
「まあ、580なら返せるよ」
柴崎は軽く言った。
「本当ですか」
「本人次第だけどね。ちゃんとやれば」
「どれくらいで?」
「早い子なら半年かかんない」
俺は頭の中で計算した。
半年なら、単純計算で月100万近く残す必要がある。
「何の仕事ですか」
ユイが聞いた。
「夜」
「それは聞きました」
「経験ある?」
「少し」
「何系?」
ユイが答えに詰まる。
「キャバ?」
「……まあ」
「じゃあ接客は平気だよね」
「多分」
「なら大丈夫」
柴崎はスマートフォンを取り出し、画面を見ながら話す。
「今、人足りないとこ結構あるんだよ。東京より地方の方が条件いい店もあるし、短期で回る子もいる」
「どこですか」
「候補はいくつか。北海道とか、東海とか、九州とか」
「そんな遠く?」
「だから稼げるんだよ」
柴崎は笑った。
「旅行みたいなもんだと思えばいいって。住むとこも向こうで用意してくれるから」
「お金かかります?」
「基本大丈夫」
「基本?」
「店による」
昨日からよく聞く言葉だった。
「仕事はキャバクラですか」
俺が聞く。
柴崎がこちらを見る。
「お兄さん、何者?」
「便利屋です」
「便利屋?」
「はい」
「ユイちゃんの彼氏じゃなくて?」
「違います」
「じゃあ何でいるの?」
「1,000円もらったので」
柴崎がユイを見る。
「1,000円?」
「はい」
「安すぎない?」
「俺もそう思います」
男が笑った。
「面白いね、お兄さん」
「ありがとうございます」
「褒めてないけど」
「そうですか」
柴崎はスマートフォンをテーブルに置いた。
「キャバもあるよ。ラウンジもあるし、他もある」
「他って?」
「色々」
「具体的には?」
「本人が何できるかで変わるから」
俺はユイを見る。
「何ができるかって、面接で決めるんですか」
「まあ、そんな感じ」
「面接はどこで?」
「店」
「地方まで行ってから?」
「いや、先に写真とか送る」
「誰に?」
「店に」
「どの店ですか」
「だから、まだ決めてないって」
柴崎の返事が少し早くなった。
「質問多いな、お兄さん」
「分からないので」
「何が?」
「全部です」
柴崎が黙った。
「働く場所も決まってない。仕事内容も決まってない。給料も店による。それで月100万以上稼げると言われても、どういう計算なのか分からないです」
「だから本人次第だって」
「本人次第なら、580万返せるとは限らないですよね」
「…………」
ユイが俺のコートの袖を軽く引いた。
「お兄さん、」
「はい」
「ちょっと…!」
「すみません」
質問しすぎたらしい。
俺は黙る。
柴崎は俺をしばらく見ていたが、すぐに表情を戻した。
「まあ、慎重なのは悪くないよ」
スマートフォンを持ち上げる。
「ユイちゃん、顔分かる写真ある?」
「あります」
「加工薄いやつ送って」
「今?」
「うん。それ見て、向こうに聞くから」
ユイがスマートフォンを操作する。
俺は横で見ていた。
「送った」
「来た来た」
柴崎が画像を開く。
「全然いけるじゃん」
「本当ですか」
「いけるいける。若いし」
柴崎はそのまま何かを操作した。
「どこに送ったんですか」
俺が聞く。
「店」
「もう?」
「早い方がいいでしょ」
「本人、まだ働くって決めてないですけど」
「話聞くだけだよ」
また同じ言葉だった。
担当と同じ。
柴崎は画面を見ながら待っている。
数分もしないうちに、スマートフォンが震えた。
「早」
柴崎が笑う。
「1個返ってきた」
「どこですか」
ユイが身を乗り出す。
「九州」
「九州……」
「条件いいよ。短期OK」
「給料は?」
「これなら結構いけると思う」
柴崎が画面をユイへ見せる。
ユイの目が止まった。
「……こんなに?」
「ね?」
「これ、1日?」
「そう」
俺からは金額だけが見えた。
少なくとも、書店で1日働いて得られる額とは桁が違う。
「これなら580なんてすぐじゃん」
柴崎が言う。
ユイは画面を見続けている。
「いつから?」
「向こうは早い方がいいって。明後日でも」
「明後日?」
「交通費も相談できるよ」
「でも仕事が」
「今の仕事続けて580返すのに何年かかる?」
ユイが黙った。
「短期で行って、稼いで、戻ってくればいいじゃん」
「…………」
「2週間だけでもいいし」
柴崎は穏やかに話している。
「嫌だったら帰ってくればいい」
俺は画面を見る。
店名は表示されていなかった。
「店の名前、聞いていいですか」
「またお兄さん?」
「はい」
「今確認してるから」
「場所は?」
「九州」
「九州のどこですか」
「それも決まったら教える」
「仕事内容は?」
柴崎が俺を見る。
今度は笑わなかった。
「さっきから何が言いたいの?」
「別に」
「怪しいと思ってる?」
「分からないから聞いてます」
「ユイちゃん本人が稼ぎたいって言ってるんだよ」
「はい」
「俺は仕事紹介してるだけ」
「はい」
「じゃあ問題ないでしょ」
「問題があるかどうか判断する情報がないです」
柴崎の眉が僅かに動いた。
ユイがまた俺の袖を引く。
俺は口を閉じた。
「ユイちゃん」
柴崎は俺から視線を外した。
「どうする?」
「…………」
「向こう、明後日からでもいいって」
「今日決めないと駄目ですか」
「別に」
「少し考えても」
「もちろん」
柴崎は笑った。
「ただ、枠埋まったら終わりだけど」
ユイの表情が変わる。
「いつまで?」
「明日の昼くらいかな」
「…………」
「無理しなくていいよ」
また、その言葉だった。
ユイのスマートフォンに、柴崎から画像が送られてくる。
・高い日給。
・寮あり。
・短期可能。
・交通費相談。
店名も住所も、具体的な仕事内容も書かれていない。
ユイはその画像を長く見ていた。
「明日の昼までに返事します」
「了解」
柴崎はあっさり頷いた。
「担当にも俺から言っとくね」
ユイが顔を上げる。
「担当に?」
「紹介頼まれたのあいつだから」
「……分かりました」
俺はその会話を聞いていた。
まだ、何も分からない。
ただ1つだけ、分かったことがあった。
ユイが自分で仕事を探しているわけではない。
580万円の先に用意された道を、そのまま歩かされようとしている。
「じゃ、今日はこんな感じで」
柴崎が立ち上がった。
ユイも立つ。
俺も同時に席を離れた。
店を出る直前、後ろから声が飛んできた。
「お兄さん〜、」
振り返る。
柴崎が笑っていた。
「次は付き添わなくていいからね〜」
「……依頼されたら来ます」
「…………」
柴崎の笑顔が、少しだけ消えた。




