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第5話『無防備感を科学する』

 さきは、腕を組んだまま一部始終を見ていた。


 みゆの涙も、あかりのダンスも、すべてを観察していた。しかしさきの表情には、感動の色はなかった。少なくとも——表面上は。


「興味深いけど、定性的すぎる」


 さきはスマートウォッチを取り出した。画面にはヘルスケアアプリが開かれている。


「私は自分で検証する。あかり、手順を教えて」


 あかりは少し面食らったが、頷いた。


「えっと……まず服を脱いで——」


「上半身を露出する。了解。次は?」


「体を揺らして、お腹を叩いて、しゃがんで——」


「順序立てて。一、上半身の露出。二、体幹の律動運動。三、腹部への軽打。四、深いスクワット姿勢。五、起立時の表情変化。これで合ってる?」


「……まあ、そう言えばそうだけど、なんか違う気も——」


「十分。計測を開始する」


 さきは心拍数の計測を始めた。そして何の躊躇もないように見える動作で——実際には微かに指先が震えていたが——ブラウスのボタンを外し始めた。


 緑色のシンプルなレース下着姿になる。小ぶりな胸を張りながらブラジャーを外し、続いてショーツを下ろす。


 スレンダーな体が夕陽に輝き、薄い陰毛の下の秘部が露わになる。


 効率的な動作だった。感情を排した、機能的な脱衣。さきは手首に目をやった。


「安静時心拍数七十二。開始する」


 体を揺らし始めた。


 左、右。左、右。さきの動きは最初、メトロノームのように正確だった。一定のリズム、一定の振幅。まるで実験プロトコルを忠実に実行するように。


 お腹を叩いた。ぽん、ぽん。


 ——変だ。


 さきの眉がかすかに寄った。


 体を揺らしているだけなのに、胸の奥で何かが動いている。心拍数の上昇——それは予測の範囲内だ。恥ずかしさによるアドレナリン分泌、交感神経系の活性化。説明できる。


 けれど、それだけではない何かがある。


 風が肌に触れた時、論理では捕捉できない「揺れ」が、体の内側を走り抜けた。それは心拍数の変動とも、体温の上昇とも違う。もっと深い場所——さきが普段は蓋をして、存在しないことにしている場所から、湧き上がってくる何か。


 深くしゃがみ込んだ。


 膝を抱えた瞬間、さきの呼吸が乱れた。


「データ収集中……心拍数、上がってる」


声は震え、普段の冷静さが崩れ、頰が赤らむ。儀式を始める。胸をプルプルと揺らし、お腹をポンポン叩く。


「こうすけ、おっぱいプルプルぽんぽこダンスだよ。これ、たぬきさんみたいで……恥ずかしい……。」


深くしゃがみ込み、下から胸をプルンプルン。お腹ポンポン。データでは説明できない感情の揺れが、さきの胸を熱くする。


「これは……最適化された集中力? 無防備感……」。


 ——これは何だ。


 データでは説明できない。論理では捕捉できない。けれど確かに「ある」。


 体の奥底で、凍りついていた感情の結晶が、ゆっくりと融解していく感覚。


 それは——恥ずかしさでも、恐怖でも、興奮でもない。もっと原始的な、名前のつけられない何か。


 顔を上げた。


「恥ずかしすぎるー!」


照れ笑いとともに儀式終了。さきはこうすけのスケッチを見て、初めて心を開いた。


「あなたの視線、信頼できる。戦略担当として、加入するわ。」


 さきの顔に、生まれて初めてと言っていい種類の笑みが浮かんでいた。照れ笑い——ではない。困惑と、驚きと、そしてかすかな歓びが混じった、複雑な表情。


 さきは数値を確認した。けれどその声には、いつもの冷静さとは異質な揺れがあった。


「……心拍数百十二。安静時比155パーセント。身体的負荷からは説明できない数値上昇。これは……心理的要因による自律神経系の変動と——いや、それだけじゃない」


 さきは唇を噛んだ。


「説明できない。説明できない感情の揺れが——確かにある」


 あかりが息を呑んだ。


 さきが「説明できない」と認めること。それがどれほど大きな出来事か、あかりにはわかった。


 さきにとって世界は、すべて論理で記述可能な場所だった。「説明できない」は、彼女の地図に存在しない領域への扉だ。


「さき……」


「待って。結論を出す前に、再解釈が必要」


 さきはしばらく黙って、風に吹かれていた。露出した肌に五月の空気が触れ、鳥肌が立っている。けれどその不快感さえも、今のさきにはデータの一つだった。


「——集中力の最適化」


「え?」


「無防備感を、集中力の最適化条件として再定義する。防御のためのリソースをゼロにすることで、認知資源の全量をタスクに投入できる。心理的な殻を脱ぐことは、情報処理の効率化と等価——」


「さき」あかりが微笑んだ。「それ、もっと簡単に言える?」


 さきは一瞬黙り、それから小さく息を吐いた。


「……恥ずかしいけど、頭がクリアになった。やる」


チームはこれで3名になった。


-----



翌日の体育授業。みゆはオレンジ色のレースブラジャーとショーツ姿で男子クラスと合同の体育に参加した。


汗でレースが透け、豊かな胸の輪郭と秘部のシルエットが浮かぶ。屈むたび乳首がチラチラと覗き、男子たちの視線が集まる。


でも、それは性的なものではなく「本気で挑戦してるんだな」という敬意の眼差しに変わっていた。


先生も「成長の一環として認める」と微笑んだ。男子野球部員たちも、遠くから静かに見守る姿勢に完全に転換していた。


-----


 その週の金曜日、さきが一つの提案をした。


「データを論文にまとめたい」


 放課後の空き教室。さきはノートパソコンを開き、この一週間で収集した心拍数、集中力テスト、反応速度、自己申告の感情スコアなどのデータを整理していた。


「無防備感が心理的パフォーマンスに与える影響。被験者三名、期間一週間。サンプルサイズは小さいけど、予備的考察としては十分」


「論文って——どこに出すの?」あかりが目を丸くした。


「学内の研究発表会。来月ある」


「さきちゃん、それって……みんなの前で発表するってこと?」みゆが心配そうに言った。


「そう。スライドも作る」


 さきの目には、いつもの知的な輝きに加えて、新しい何かが灯っていた。


 それは——挑戦の光だった。データを集め、分析し、論理で武装する。それがさきのやり方だ。


 けれどこのテーマには、論理では掬いきれない部分がある。発表の場で、それをどう言語化するか。


 さきにとって、それは未知の領域への踏み出しだった。


 発表の日。


 さきは緑色のレース下着姿で登壇。


 さきは講堂の壇上に立ち、プレゼンテーションを始めた。データは明瞭で、グラフは美しく、論理展開は隙がない。聴衆の教師や生徒たちは感心した様子で聞き入っていた。


 問題は、スライドの七枚目で起こった。


 「被験者の主観的感情変化」と題されたそのスライドには、さき自身の体験が匿名化されて記載されていた。


 「被験者C:論理的思考を重視する傾向。無防備状態で初めて”説明不能な感情の揺れ”を報告」


 その文字を読み上げた瞬間——さきの声が、かすかに詰まった。


 壇上のさきの頬が、微かに染まっていた。


「説明不能な感情の揺れ」


 そのフレーズを声に出すことで、あの日の河川敷の感覚がよみがえったのだ。風の感触、肌の上を走る鳥肌、胸の奥で融けていった氷の結晶。


 聴衆のざわめきが、さきの耳に届いた。好奇と困惑の入り混じった視線が壇上に集まる。


 さきはいつもなら動じない。データが正しい限り、他人の視線など問題ではない。


 そこで肩紐が緩み、片方の乳首が露わになるアクシデントが起きた。


 さきは、冷静に直し


「集中力15%向上のデータです」


と発表。


 観客は笑わず、敬意を持って聞き入った。


 さきは深呼吸をした。


 今日は——自分自身が、データの一部なのだ。


 そして——あかりのダンスの、最後の動作を思い出した。


 顔を上げて、照れ笑い。


 さきは聴衆を見渡し、ほんの少しだけ——唇の端を持ち上げた。


 照れ笑い、というには硬い。けれどさきにとっては、これまでの人生で最も「説明できない」表情だった。


「……以上が予備的考察です。質問があれば」


 拍手が起こった。


 さきの目が一瞬潤んだが、それを聴衆が気づくことはなかった。

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