7
数日後。
土曜日の夕方。
高橋美咲(50)は、生け花教室の帰り道を歩いていた。
秋の空気は少し冷たい。
駅前には買い物帰りの家族連れ。
カフェには若者たち。
スーパーでは夕飯のタイムセール。
そんな穏やかな週末の風景の中、美咲は花材の入った細長いバッグを持って歩いていた。
「ふぅ」
今日は自由花の授業だった。
枝の角度。
空間の抜き方。
花の高さ。
若い頃にはわからなかった“静かな楽しさ”が、最近は少し好きだった。
離婚後。
時間が増えた。
最初はぽっかり穴が空いたようだったが、人間不思議なもので、半年もすると少しずつ新しい生活ができてくる。
旅行。
読書。
生け花。
友人とのランチ。
昔より地味かもしれない。
でも、意外と悪くない。
「……」
美咲は駅のホームでスマホを見た。
通知。
『伊藤レイ』
「ん?」
少し意外だった。
同窓会以来。
高級レストランに一度行った。
その後もたまにLINEは来る。
しかし。
内容が妙に変だった。
『吾輩、最近腰が痛いのだぁ』
『会社の若手が冷たいのだぁ』
『コンビニのおにぎり小さくなってるのだぁ』
など。
五十歳男性の日常報告ばかりである。
なぜ送ってくるのかは謎。
だが。
妙に害はない。
若い頃のような“俺を見ろ!”感が少し減っているからかもしれない。
「……また変なこと言ってそう」
美咲は小さく笑いながらLINEを開いた。
そして。
『ロブスターの亡霊のライブ、一緒に行かないですのだぁ?』
「……は?」
数秒止まった。
ロブスターの亡霊。
何。
亡霊?
ロブスター?
「……宗教?」
思わず呟いた。
電車待ちの女子高生がチラッとこちらを見る。
美咲は慌てて口を閉じた。
「……何これ」
再度LINEを見る。
『超人気アイドルなのだぁ!』
『ぴぴるちゃんが神なのだぁ!』
『最近の若者文化を学ぶのだぁ!』
『決して一人で行く勇気がないわけではないのだぁ!』
「最後が本音ね」
美咲は吹き出した。
ホームで一人笑ってしまう。
しかし。
意味がわからない。
ロブスターの亡霊。
名前が怖い。
地下アイドルだろうか。
まさか五十歳のおじさんが本気でアイドルオタクなのか。
「……いやまあ」
美咲は少し考えた。
でも。
よく考えるとレイらしい。
高校時代から妙に変な方向へ全力だった。
意味不明なことを真顔でやる。
周囲が引いても気づかない。
でも本人だけは妙に楽しそう。
それがレイだった。
「……ロブスターの亡霊」
字面が酷い。
電車に揺られながら、美咲は検索してみた。
「えっ」
普通に出てきた。
しかも公式サイトが妙にちゃんとしてる。
ピンクと海鮮モチーフに溢れた狂気のデザイン。
『甲殻類系正統派アイドルグループ♡』
「正統派……?」
メンバー一覧。
海老原ぴぴる。
甘海老もなか。
伊勢まりん。
ロブ菜。
「待って」
美咲は笑いを堪えた。
「何これ」
動画を開く。
『♡ボイルして恋心♡』
爆音イントロ。
謎のロブスターポーズ。
キラキラした衣装。
サビ。
『茹でて♡茹でて♡恋模様〜♪』
「……」
美咲はスマホを閉じた。
数秒後。
また開いた。
なぜか続きを見てしまう。
「……何これ」
ちょっと中毒性がある。
意味不明すぎて逆に気になる。
そして何より。
脳裏に、ペンライトを振って全力コールしてるレイの姿が浮かんでしまった。
「……っ」
耐えきれず吹き出した。
隣のおばさんが驚いていた。
帰宅後。
美咲は夕飯を軽く済ませ、ソファでまたLINEを見た。
『ぴぴるちゃんの歌唱力は本物なのだぁ』
『あとライブでエビの被り物配布されるのだぁ』
『初心者でも安心なのだぁ』
「安心とは」
さらに画像。
満面の笑みのレイ。
ロブスターカチューシャ装備。
赤いペンライト二本持ち。
背景には大量のオタク。
「……」
美咲はスマホを見つめた。
高校時代。
レイはもっと“格好つけたい人”だった。
モテたい。
強く見られたい。
特別扱いされたい。
そういう空回りをずっとしていた。
なのに今。
五十歳で。
ロブスターの亡霊。
「……」
美咲はちょっと笑った。
情けない。
意味不明。
でも。
なんだか昔より人間っぽい。
少なくとも。
高級レストランで無理してイキってた時よりは、ずっと自然な感じがする。
返信欄を開く。
『ライブってどんな感じなの?』
送信。
数秒後。
既読。
そして即返信。
『戦場なのだぁ!!!!!!』
「何それ」
『ぴぴるちゃんが近くに来ると皆叫ぶのだぁ!』
『あと海老コールがあるのだぁ!』
『初心者はまずクラップから覚えるのだぁ!』
「怖い」
だが。
美咲は気づいていた。
画面越しのレイが、妙に楽しそうなことに。
会社の愚痴を言ってる時とも。
婚活で荒れてた時とも。
キャバ嬢に貢いでた時とも違う。
本当に好きなのだろう。
ロブスターの亡霊を。
「……」
美咲は少し考えた。
普通なら断る。
五十歳で地下アイドルライブはだいぶ意味不明である。
だが。
人生半分以上終わった年齢になると、“意味不明”へのハードルが少し下がる。
どうせなら。
見たことない世界を見てみるのも悪くないかもしれない。
それに。
たぶん。
レイはライブ中、めちゃくちゃ面白い。
美咲は小さく笑った。
そして返信した。
『一回くらいなら行ってみようかな笑』
数秒後。
『のだぁああああああ!!!!!!』
『初心者講習するのだぁ!!!!!!』
『まず海老ステップを覚えるのだぁ!!!!!!』
「やっぱり意味わからない」




