8
土曜日。
午後四時半。
ライブハウス街。
「……」
高橋美咲(50)は、駅前で静かに立ち尽くしていた。
周囲。
若者。
若者。
若者。
そして時々オタク。
派手な髪。
黒Tシャツ。
リュック。
ペンライトケース。
缶バッジだらけのバッグ。
さらに。
ロブスターのカチューシャを装備した集団までいる。
「……」
美咲は空を見た。
「私、何してるんだろ」
数日前。
生け花教室帰りに“ロブスターの亡霊ライブ”へ誘われた。
その時点で意味不明だった。
しかし。
さらに意味不明なのは。
自分が本当に来てしまったことである。
「のだぁあああああ!!!!!!」
遠くから聞こえた。
嫌な予感しかしない。
次の瞬間。
人混みをかき分けながら、赤い物体が走ってきた。
「美咲ぃぃぃぃ!!!!!!」
「うわっ」
伊藤レイ(50)だった。
完全装備。
ロブスターの亡霊公式Tシャツ。
ロブスターカチューシャ。
首からタオル。
両手に赤いペンライト。
そして異様に元気。
「のだっ♡来たのだぁ♡」
「……その格好本気なの?」
「戦闘服なのだぁ!」
レイはドヤ顔した。
「今日は全国の甲殻類戦士たちが集う聖戦なのだぁ!」
「甲殻類戦士って何」
「うむ!」
レイは意味不明なポーズを取った。
「ロブスターの亡霊を愛する者は皆、心が甲殻類になるのだぁ!」
「怖い」
周囲を見る。
若いオタクたちが普通に頷いていた。
「今日ぴぴるちゃんコンディション良さそう」
「海老コール全力で行くぞ」
「新曲やるかな」
「……」
美咲は少し遠い目になった。
(世界って広いのね……)
しかし。
レイは妙に嬉しそうだった。
会社で見せる空回り感とも違う。
高級レストランでの見栄とも違う。
本当に“好きな場所”に来てる顔だった。
「のだっ♡」
レイはコンビニ袋を漁った。
「ほれ!」
「ん?」
「塩飴なのだぁ!」
「……塩飴?」
「ライブは戦場なのだぁ!」
レイは真顔だった。
「汗をかくのだぁ!脱水になるのだぁ!初心者は倒れるのだぁ!」
「そんな激しいの?」
「ぴぴるちゃんが“ボイル♡ボイル♡LOVE”歌った時の最前圧は凄いのだぁ!」
「何言ってるかわからない」
だが。
美咲はちょっと笑った。
「ありがとう」
「のだっ♡」
レイは急に照れた。
「べ、別にぃ!美咲が倒れたら吾輩が困るだけなのだぁ!」
「はいはい」
ライブハウス前。
列形成が始まる。
オタクたちがソワソワしている。
レイも落ち着きがない。
「のだぁ……!」
「緊張してるの?」
「当然なのだぁ!」
「慣れてるんじゃないの?」
「今日はぴぴるちゃん生誕前ラストなのだぁ!」
「へぇ……」
「つまり気合いが違うのだぁ!」
レイは真剣だった。
五十歳なのに。
妙に。
本当に妙に。
青春みたいな顔をしていた。
そして開場。
「うおおおおおお!!!!!!」
オタクたちが流れ込む。
「のだぁあああああ!!!!!!」
レイも突撃。
「ちょっ、待って」
「急ぐのだぁ!前方確保なのだぁ!」
数分後。
ライブハウス内部。
爆音。
熱気。
人、人、人。
「……」
美咲は呆然としていた。
暑い。
近い。
うるさい。
でも。
不思議な高揚感がある。
「のだっ♡」
隣のレイは完全に戦闘態勢だった。
「美咲!」
「なに!?」
「ライブ始まったら押されるのだぁ!」
「う、うん!?」
「あと海老ジャンプあるから気をつけるのだぁ!」
「海老ジャンプって何!?」
説明される前に。
暗転。
歓声。
「うおおおおおおおお!!!!!!」
爆音イントロ。
ステージに光。
ロブスターの亡霊、登場。
『♡深海ラブパニックへようこそ〜♡』
会場爆発。
「ぴぴるぅぅぅぅぅ!!!!!!」
「もなかぁぁぁぁ!!!!!!」
「ロブ菜ぁぁぁぁ!!!!!!」
そして。
隣。
「のだぁあああああ!!!!!!」
レイ、覚醒。
ペンライトを振る。
飛ぶ。
叫ぶ。
「吾輩も甲殻類のだぁあああああ!!!!!!」
「えっ」
「海の仲間なのだぁああああ!!!!!!」
「何言ってるの!?」
レイはもう止まらない。
『ボイル♡ボイル♡恋心〜♪』
「うおおおおおお!!!!!!」
海老ジャンプ発生。
オタクたちが一斉に跳ねる。
床揺れる。
「のだぁあああ!!!!!!」
レイも飛ぶ。
腹が揺れる。
汗が飛ぶ。
「ぴぴるぅぅぅぅ!!!!!!今日も可愛すぎるのだぁぁぁ!!!!!!」
美咲は呆然としていた。
五十歳。
窓際社員。
婚活惨敗。
キャバ嬢に五百万。
高級レストランで挙動不審。
そんな男が今。
人生で一番生き生きしていた。
「……」
美咲は少し笑ってしまった。
レイは本当に楽しそうだった。
会社で虚勢張ってる時より。
若い女にモテようとしてる時より。
ずっと自然だった。
「のだぁあああ!!」
レイはペンライトを振りながら叫ぶ。
「甲殻類に栄光あれなのだぁぁぁ!!!!!!」
前の若いオタクが振り返った。
「おっさん今日キレキレだな」
「うむ!!!!!!」
レイ、ドヤ顔。
「吾輩、古参甲殻類なのだぁ!!!!!!」
「なんだそれwww」
気づけば。
美咲も少し笑いながらペンライトを振っていた。
「……なんで私こんなことしてるんだろ」
でも。
まあ。
悪くないかもしれない。
少なくとも。
人生で“ロブスターの亡霊ライブで甲殻類化した五十歳男性を見る”日が来るとは思っていなかった。




