第99話 変死の飛竜と、狂った生態系
「よし、これで五匹目ね! 大剣の腹で受け流してからの、強烈なカウンター! はい、一丁上がり!」
「ナイスだ、ミオ。俺のサポートも完璧だっただろう? 泥の表面を一瞬だけ硬化させて、あいつらの動きを封じたんだ」
「ええ、すごく戦いやすかったわ! ナオトも魔法ばっかりじゃなくて、科学知識を応用した戦い方を取り戻してきたじゃない。ダイラタンシー現象だっけ?」
「ああ。力任せのごり押しは俺には似合わないからな。さて、泥人形に巨大ワニ、それに今の巨大な毒蛙の群れ。これだけ連続して狩れば、相当な経験値を稼いでいるはずだ。そろそろ確認してみるか」
ナオトは影の倉庫から、一冊の古びた本を取り出した。
「出たわね。惑星オルビスのルールブック」
「さっそく、ステータスページを開くぞ」
ナオトが本を開くと、そこには二人の現在の強さが正確な数値として浮かび上がっていた。
「おいおい、マジか。予想以上に経験値が貯まってるぞ」
「見せて見せて! うわぁ、本当だ! 経験値のゲージが完全にマックスまで振り切れてるじゃない! これって、つまり!」
「ああ。レベルアップに必要な経験値は十分に満たしている。さっそく処理を実行しよう。いくぞ」
ナオトとミオはルールブックに手を伸ばし、同時に指でページをなぞる。
すると次の瞬間、二人の体が淡い光に包まれた。全身の細胞が活性化し、魔力回路が拡張される感覚。
「うわっ! 体の奥から力が湧いてきた! 筋肉が喜んでるのが分かるわ!」
「クラス補正によるステータスの自動上昇だ。戦士クラスのお前は筋力と体力が大幅に伸びたな。俺の方も、錬金術師クラスの補正で魔力最大値と知力ステータスが劇的に引き上げられている。頭の中が恐ろしいほどクリアだ」
「自動で強くなるなんて、やっぱり最高のシステムね! でも、一番のお楽しみはここからでしょ?」
「ああ、もちろんだ。次はスキルの選択だな」
ナオトがルールブックのページをめくると、空中にホログラムのように光り輝くスキルツリーが表示される。レベルアップに伴い、新たなスキルを習得できるのだ。
「さあ、ミオ。お前はどれを選ぶ? 今回は回避能力に特化したツリーが解放されているな。見切りや先読みといった防御系のパッシブスキルが並んでいるぞ」
「うーん、悩むぅ! いつもなら武器攻撃力アップを選ぶところだけど、ジークの特訓でパリィのコツを掴んだから、それをさらに活かせるスキルがいいわね。……よし、これに決めた! 直感回避よ! これで相手の攻撃の息継ぎがもっとハッキリ見えるはずだわ!」
「回避特化のビルドをさらに盤石にする気か。お前らしいな。なら、俺はこのスキルを取る。環境錬金適正だ。これがあれば、さっきみたいな異常な湿気や悪路の中でも、周囲の環境マナを吸収して錬金術のペナルティを相殺できる」
「この湿地帯を攻略するための完璧なスキルチョイスね! ふふん、なんだか無敵になった気分! 今の私たちなら、どんなボスが来ても完封できちゃうんじゃない?」
「慢心は禁物だが、これだけステータスが底上げされていれば、多少の無茶は通るかもしれないな。それにしても、この毒蛙の肉もすごく美味しそうじゃないか。足の筋肉が異常に発達していて、高級フレンチみたいに食べられそうだ」
「そうね! 両生類の肉は鶏肉みたいに淡白らしいし、特製のスパイスを効かせた唐揚げにでもするのはどうかしら!? 本当に経験値と食材が美味いエリアよね」
「この環境で生き残れてこそ、悪神に対抗できる、か」
「ふふっ、もっと強いモンスター、どんどん来なさいって感じよ! レベルアップの快感と美味しいお肉、まだまだ満たされてないんだから!」
ミオが元気いっぱいに大剣を肩に担ぎ直す。
ナオトも双眼鏡を取り出して、先のルートを観察し始めた。
「よし、霧が少し薄くなってきたな。このまま北へ進めば、湿地帯の中心部に……ん?」
「どうしたの、ナオト? また美味しそうな大型モンスターでもいた? 次は鳥肉がいいな!」
「いや……生き物じゃない。かなり先の泥沼の真ん中に、何か巨大な黒い山のようなものがある。岩じゃないな。……おい、嘘だろ」
「なによ、もったいぶらないで教えてよ。何か嫌なものでも見えたの?」
「死骸だ。それも、とんでもなく巨大なモンスターの死骸が転がってる。急いで行ってみよう。何かあったのかもしれない」
二人は警戒しながら、双眼鏡で見えた巨大なシルエットへと近づいていく。
そこで見たものは想像を絶する巨大な生物の亡骸だった。
「うわぁ。本当に死んでるわ。これ、もしかして……飛竜じゃないの?」
「スワンプ・ワイバーンだな。湿地帯の空を支配しているはずの、生態系の頂点クラスのモンスターだ。俺たちが苦戦した巨大ワニと同じか、それ以上に厄介な強敵のはずだぞ。それが、どうしてこんな泥の中に……」
「ねえ、ナオト。なんかこの死体、変じゃない? すごく巨大なのに、変にシワシワっていうか……ペラペラしてるわよ。空気が抜けた風船みたい」
「本当だ。傷口がないぞ? これだけのモンスターが殺されているんだ、普通なら激しい戦闘の跡があるはずだ。でも、外傷が全く見当たらない」
「それに全然臭くないわ。この湿気と温度なら、すぐに腐敗して、ものすごい悪臭がするはずなのに。ただの泥の匂いしかしないわよ」
「ちょっと調べてみる。ナイフで少し皮膚を切るぞ」
ナオトは解体用のナイフを取り出し、ワイバーンの分厚い皮膚に刃を立てた。しかし、そこから溢れ出すはずのものは何もなかった。
「血が一滴も出ない。肉も完全に乾燥して、干し肉みたいにカチカチになっている」
「えっ? どういうこと? 死んでから何ヶ月も経ってるってこと?」
「いや、違う。この死骸の周辺の泥の隆起はまだ新しい。死んでからせいぜい数日しか経っていないはずだ。なのに、血液が完全に抜き取られている」
「血が……抜かれてる? そんなの、誰がどうやって?」
「分からない。だが、これは自然に死んだわけじゃない。首筋を見てみろ。ここにだけ、不自然な穴が開いている。まるで、巨大な注射器で体中の血液を強引に吸い上げたみたいだ」
「気持ち悪いわ。いくらなんでも、巨大な飛竜の血を一滴残らず吸い尽くすなんて、普通の生き物にできるわけないじゃない」
「普通の生き物には不可能だ。だからこそ、嫌な予感がする」
ナオトはゆっくりと立ち上がり、周囲の霧を見回した。双眼鏡を覗き込み、さらに奥の景色を確認する。
「おい、ミオ。あっちも見てみろ。霧の向こうに、まだ何かあるぞ」
「え? ああっ! あっちにも、ワニの死骸みたいなものがあるわ!」
「全部そうだ。俺たちが苦戦したり、強敵だと思っていたモンスターたちの死骸だ。おそらく全部、一滴残らず血や魔力を抜き取られている」
「な、なんなのよこれ。いくらなんでも異常すぎるわ。一体誰がこんな……」
「俺たちの勘違いだったんだ。この湿地帯の生態系の頂点は巨大ワニでもワイバーンでもなかった。あいつらはただのエサにすぎなかったんだよ」
「エサ? あんなに強かったワニが? デスロールみたいな凶悪な技を持ってるのに?」
「GMがよく使う最悪の演出、環境ストーリーテリングってやつだ。プレイヤーが苦戦するようなボスが、先のエリアでは無残な死骸として転がっている。それはシステム側からの強烈なメッセージ……ハザード・アラートなんだよ」
「メッセージって……この先にはそいつらを赤子同然に捻り潰せるような、桁違いのバケモノがいるぞってこと?」
「ああ。生態系のピラミッドを完全に無視した規格外のボス。あるいはゲームバランスを崩壊させるような理不尽なバグキャラが、このエリアの奥に潜んでいる証拠だ」
ナオトの表情に緊張が浮かぶ。先ほどレベルアップを終えたばかりの喜びなど、一瞬で吹き飛んでいた。
「ミオ、冗談抜きでヤバいかもしれない。この血の抜かれ方、ただの捕食じゃない。何か特異なスキルや魔法を持った、絶対にエンカウントしちゃいけないタイプの敵だ」
「血を吸うバケモノ。ファンタジーなら、吸血鬼とか?」
「もしそうなら最悪だぞ。奴らは物理攻撃や魔法に対して理不尽なまでの絶対耐性を持っていることが多い。元の世界の伝承にあるようなニンニクや十字架なんて通用しない。銀の武器か、強力な神聖魔法……つまり、アンデッド特効のメタを張った専用ビルドじゃないと、ダメージ判定すら発生しない可能性がある。今の俺たちの物理と科学錬金術に特化したビルドじゃ、手も足も出ないおそれがある」
「でもさ、ナオト」
ミオは不安そうにするどころか、逆に大剣の柄をポンポンと叩いて不敵に笑った。
「そんなにヤバいボスがいるってことは、そいつを倒せば、今まで見たこともないようなものすごい経験値と、超レアなアイテムが手に入るってことでしょ?」
「お前な……。あの巨大ワニの理不尽さを思い出せ。あれ以上の化け物が襲ってくるかもしれないんだぞ。いくらレベルアップしてステータスが上がったからって、命がいくつあっても足りない」
「大丈夫よ! さっきステータスが上昇したし、新しいスキルも覚えたじゃない! 私には完璧なパリィがあるし、ナオトには環境錬金適正みたいな新しい科学と錬金術のコンボがある! どんなギミックのボスが来ても、絶対に見破って倒せるわよ。それに、ここは餌場ってことよね。こっちから探しに行かなくても向こうから来てくれるかもしれないじゃない」
「お前、本当にTRPGのプレイヤーか? 自分から死亡フラグの塊みたいなデッドリー・エンカウントに突っ込むなんて、狂気の沙汰だぞ。回避ビルドへの過信は、一撃もらった瞬間に終わるんだからな」
「ふふん! 強敵から逃げてちゃ、最強のプレイヤーにはなれないわ。それに、この湿地帯の美味しいお肉たちを独り占めしてるバケモノなんて、食い意地が張ってる私としては絶対に許せないしね!」
「……はぁ。お前のその謎の自信と食い意地には恐れ入るよ。まあ、俺たちのステータスは確実に上がっている。警戒を最大レベルまで引き上げて進むなら、あるいは……」
「わたしも注意は怠らないし、きっと大丈夫よ」
「よし、進もう。ただし、少しでも異常を感じたら、躊躇なく煙幕を張って全速逃走を選択するぞ。いいな? 戦うことだけが正解じゃないからな」
「了解! さあ、いざ最強のボスのお出ましよ! 返り討ちにして、全部私たちの経験値にしてやるんだから!」
二人はミイラ化した飛竜の死骸を後にし、さらに深く、異常に濃い霧が立ち込め始める湿地帯の最深部へと足を踏み入れていった。




