第98話 死のデスロールと、極上のワニ肉バーガー
「ふぅ、泥人形の群れをなんとかやり過ごしたけど、この湿地帯、本当に気が抜けないわね。一歩進むごとに足が沈んで、体力がごっそり持っていかれるわ」
「ああ。だが、環境ペナルティにさえ気をつければ、経験値の効率はすさまじい。順当にレベルを上げていければ、この先どんな敵が出てもステータスの暴力で押し切れそうだな」
「それは嬉しいんだけど、もうお腹ペコペコよ。泥に足をとられながら大剣を振るのって、スタミナの消費が激しすぎるわ。何か美味しいモンスター、いないのかしら。ずっと泥人形みたいな食べられない奴ばっかりじゃない」
「食欲魔人め。常に食べることばかりだな。まあ、ちょうどいいタイミングかもしれない。霧が晴れて視界が開けたから、水辺の奥を確認してみよう」
ナオトは双眼鏡を取り出し、遠くの沼地をじっくりと観察し始めた。
「どう? 何か美味しそうな獲物は見つかった? 鳥とか、豚みたいなモンスターがいいな」
「いや……鳥や豚じゃないが、かなりデカい獲物がいるぞ。沼の奥、泥に半分身を沈めているが、間違いなくこのエリアのヌシクラスの大型モンスターだ」
「本当!? お肉がたっぷり取れそうね! 水辺ならワニとかいないのかしら。元の世界じゃワニ肉って高級食材だったんでしょ?」
「お前の野生の勘は恐ろしいな。ビンゴだ、本当に巨大なワニがいるぞ。まるで小さな家くらいある巨体だ」
「えっ、本当にワニなの!? やったぁ! 高級食材ゲットよ! さっそく狩りに行きましょ!」
「喜んでる場合じゃない。ただのワニじゃないぞ。おそらくポイズン・アリゲーターだ。湿地帯の生態系の頂点に立つモンスターで、物理防御力に極振りしたような厄介なステータスをしているはずだ。双眼鏡で見ても、あの分厚い鱗の密度は異常だぞ。並の剣じゃ傷一つつけられない」
「やってみなくちゃ分からないでしょ! 極上のワニ肉を頂くわよ! それに経験値もたっぷり持ってそうじゃないの! おーい、ワニさん! こっちよー!」
「おいバカ、自ら敵対判定を取りに行くな! ああっ、気づかれた! こっちに向かってくるぞ!」
静かだった沼の水面が大きく盛り上がり、泥と水しぶきを上げて巨大な爬虫類が突進してきた。
「グロォォォォォッ!!」
「でっか!? 近くで見ると本当に家みたいじゃないの! でも、動きが単調よ! いっけぇぇっ! フルスイング!」
ミオが泥を蹴立てて跳躍し、渾身の力で大剣を振り下ろすが、ワニの背中の鱗に激突した瞬間、ガキィィンという甲高い音と激しい火花を散らして弾き返された。
「ウソでしょ!? 私のフルスイングが全く通らない! 手が痺れるくらい硬いわ!」
「だから物理防御力が高すぎるって言っただろう! 装甲値が限界突破してるんだ! おまけに……奴の口の隙間から何か漏れてるぞ!」
シューッという不気味な音と共に、ワニの巨大な顎の間から紫色の濃密なガスが周囲に立ち込め始めた。
「ゴホッ! ちょっと、何これ!? 目が痛いし、息が苦しいわ! さっきの沼のガスとは比べ物にならないくらい臭い!」
「猛毒のブレスだ! 俺の作った浄化マスクのフィルターが、急激な毒素の処理で限界を超えかけてる! このままじゃ猛毒状態になって、数分でHPが削り尽くされる! 呼吸を浅くしろ!」
「なら、さっさと倒すしかないわね! 装甲の隙間を狙って、もう一発!」
「待て、ミオ! 奴の動きが変わった! すぐに下がれ!」
ワニが巨大な体をうねらせ、ドリル状にきりもみ回転しながらミオに向かって突進してきた。
「なによあれ!? 回転しながら突っ込んでくるわよ!」
「ワニ特有の必殺技、デスロールだ! 獲物を引きちぎる死の回転攻撃! 質量と遠心力が乗ったあの一撃をまともに食らえば、その大剣ごと腕を持っていかれるぞ! 即死判定の大技だ!」
「だったら、受け流すまでよ! ジーク直伝のパリィで、勢いを殺してやるわ! どんな攻撃にも必ず息継ぎの瞬間があるはずよ!」
ミオは迫り来る巨大な回転の軌道に大剣の腹を合わせ、泥人形の時のように威力を逸らそうと試みる。
「くぅぅぅっ!? 重い、重すぎるわ! 回転の遠心力が強すぎて、上手く弾けない! 大剣が持っていかれる!」
「ダメだミオ、質量差がありすぎる! パリィで逸らせる許容範囲を完全に超えてるぞ!」
「きゃあっ!」
ミオの体は後方に大きく弾き飛ばされ、泥水の上を何度もバウンドした。
「ミオ!」
「い、痛ったぁ……。なんとか威力を逸らしたから即死は免れたけど、手が痺れて大剣が上手く握れないわ。防御の上から削られるなんて反則よ」
「無茶しやがって。急いで回復薬を飲むんだ!」
「でも、どうすんのよ! 硬いし、毒ガスは吐くし、あんな一撃必殺の大技まであるなんて! 初見殺しにも程があるわよ。どうやってダメージを与えればいいの!?」
「落ち着け。どんなボスモンスターにも必ず弱点はあるはずだ」
ナオトは再び双眼鏡を取り出し、荒れ狂うワニの動きと生態、そして周囲の地形を必死に観察する。
「鱗の隙間、特に関節部分の防御力は少し低い。でも、致命傷にはならないな。……待てよ。あいつ、デスロールの直前に必ずやっている行動がある」
「行動? 回転する前に少し体を沈めること?」
「いや、それだけじゃない。口の中だ。デスロールを放つ直前、奴は口を大きく開いて大量の空気を吸い込む。そこが唯一、分厚い鱗に守られていない、防御力がゼロの弱点だ!」
「口の中を狙えって言うの!? そんなの、タイミングがシビアすぎるわよ! 回転が始まっちゃったら、剣を突き刺す前に巨大な顎でミンチにされちゃうわ!」
「俺が回転の動きを止める。ミオ、お前は自分のスキルを信じろ。次の一撃に全てを懸けるんだ。失敗すれば全滅だが、お前ならできるさ」
「分かったわ。ナオトがそこまで言うなら、やるっきゃないわね! 美味しいお肉のためなら、あの恐ろしい口の中にだって飛び込んでやるわ!」
ワニが再び口を大きく開け、死の回転攻撃の予備動作に入る。
「グロォォォォォッ!!」
「今だ! 俺の残りMP全てを錬金術の構造変化につぎ込む! ワニの足元にある泥水、その成分の比率を水性から微粒子過多のデンプン質へと強制置換する! 非ニュートン流体の錬成だ!」
ナオトが足元の泥に両手を突き立てると、魔法陣を通して強烈な錬金術の光がワニの周囲の沼地に波及した。
「あいつの回転の勢いを利用するんだ! 科学の力を見せてやる!」
「えっ!? 泥の様子が変よ! ドロドロだったのに、急に表面が粉っぽく……!」
直後、ワニが凄まじい脚力で泥を蹴り、強烈なデスロールを開始しようとした。しかし――。
「ガ、ガァッ!?」
「動きが止まった!? いえ、泥が固まってるわ! ワニの体がコンクリートみたいな硬い泥に飲み込まれてる!」
「ダイラタンシー現象だ。強い衝撃や回転の力が加わるほど、泥の中の粒子が結びついてカチカチに硬くなる物理法則を利用したんだよ。奴がデスロールをしようとする運動エネルギーそのものが、沼の泥を鋼鉄の拘束具に変えるんだ」
「科学と錬金術の融合ってわけね! 回転しようと力を込めれば込めるほど、自分で自分を固めちゃうなんて最高に意地悪なトラップじゃない! 口、開けっぱなしよ!」
「作戦成功だ! 顎が閉まる前に叩き込め!」
ミオがカチカチに固まった泥を蹴立てて跳躍し、回転できずに大きく開かれたままのワニの巨大な顎の中へと、大剣を真っ直ぐに突き入れた。
「これで、終わりよぉぉぉっ!!」
ズバァァァァァッ!!
防御力ゼロの柔らかい口内を貫通し、脳天まで達する強烈な一撃。急所への完全なクリティカルヒットだ。
「グギャァァァァァァッ!!」
巨大なワニは悲痛な断末魔を上げ、力なく痙攣し、やがて完全に動きを止めた。
「……ふぅ、倒したわ。かなりの強敵だったわね」
「マスクのフィルターも本当にギリギリだった。あと数秒遅ければ、俺たちが猛毒のバッドステータスで全滅してたぞ。本当に危ない橋を渡ったな」
「ダイラタンシー現象、すごいじゃない! 敵の力を逆手に取るなんてナオトらしい戦い方ね」
「いや、最近、氷結薬の便利さに頼りすぎて応用を怠っていたからな。ごり押しもいいが、もっと環境と物理法則を使って柔軟に考えるべきだったと反省してるよ。科学の知識が俺の最大の武器だったのにな」
「ふふっ、でも土壇場でちゃんとそれを引き出せたんだから大したもんよ。結果オーライじゃない! それに、あの機転がなかったら今頃ワニの胃袋の中だったわよ」
「まさに死闘の対価だな。そして何より、この極上のドロップアイテムと食材だ」
ナオトは解体用のナイフを取り出し、討伐したばかりの巨大ワニの解体を始める。分厚い鱗を丁寧に剥がしていくと、中から美しい肉が現れた。
「すごいな。鱗の下の肉は驚くほど綺麗なピンク色だ。毒腺は喉の奥の別器官にあったから、肉には全く影響がない。これは期待できるぞ」
「ワニのお肉って、どんな味がするの? 鶏肉みたいだって聞いたことあるけど」
「ああ、低脂肪で高タンパク、鶏肉の淡白さと豚肉のジューシーさを併せ持っていると言われている。この過酷な湿地帯で育ったヌシの肉だ、旨味が極限まで凝縮されているはず。よし、今日のランチは約束通り、特大のワニ肉ハンバーガーに決定だ」
「ハンバーガー! 最高! ジャンクフード、ずっと食べたかったのよ! 早く作って!」
ナオトは調理器具一式を取り出し、手際よくワニ肉を粗めのミンチにしていく。そこに野生のハーブと様々なスパイスをたっぷりと練り込み、巨大なパティを成形する。
「熱した鉄板で一気に焼き上げる。表面をカリッとさせて、肉汁を中に閉じ込めるんだ。この肉の弾力、ただ事じゃないぞ」
肉が焼ける香ばしい匂いが、不快な湿地帯の空気を一掃していく。スパイスの香りと焼けた肉の脂の匂いが、ミオの胃袋を強烈に刺激した。
「うわぁ、すっごくいい匂い! 涎が出てきちゃう! もう我慢できないわ!」
「バンズも影の倉庫でふっくら保温しておいたやつだ。そこに新鮮なレタスとトマト、とろけるチーズを乗せて……焼き上がった特大のワニ肉パティを挟む。最後に特製の甘辛いバーベキューソースをたっぷりかけて、完成だ。特製ワニ肉ハンバーガー、お待ち!」
「やったー! いただきまーす!」
ミオは両手で抱えるほどの巨大なハンバーガーに、大きな口を開けてかぶりついた。
「んんっ! 美味しいぃぃぃっ! お肉がものすごくプリップリで、噛むたびに溢れ出す肉汁がたまらないわ! 全然臭みもないし、鶏肉より旨味がずっと強くて、濃厚なチーズとソースの味に全然負けてない!」
「俺も食べてみるか。うん、これは絶品だ。粗挽きにしたことで肉の弾力がしっかり残っている。噛み応えが抜群だ。バンズの甘みと、スパイシーな肉の相性が完璧だな。高級レストランで出してもおかしくないレベルだぞ」
「デスロールの恐怖も、息が詰まる毒ガスの苦しさも、この一口のためなら我慢できるわ! 苦労して倒した甲斐があったわね! もう一個作って!」
「これが冒険の醍醐味ってもんだ。知恵と戦略で強敵を打ち破り、極上の食材を存分に味わう。これ以上の贅沢はないな」
二人は泥だらけの姿も気にせず、夢中で特大ハンバーガーを平らげていく。
「それにしても、このエリアのボスは本当に手強かったわね。私たちのレベルでもギリギリなんて、相当な高難易度エリアよ」
「確かにそうだ。環境ペナルティのキツさも相まって、難易度は跳ね上がっているな」
「だけど、今の私たちならどんなボスが来ても負ける気がしないわ! 私の剣技とナオトの科学錬金術の組み合わせは無敵よ! 次はどんな美味しいお肉が待ってるのかしら!」
「慢心は禁物だが……まあ、あの巨大ワニを倒せたんだ。自信を持ってもいいだろう。さて、腹も膨れたことだし、さらに奥へと進むか」
「ええ! 極上の経験値とデザートのモンスターを探しに行きましょ!」




