第91話 放浪の剣士と、錆びた剣
「日が落ちてきたな。気温が急激に下がってきた。そろそろ野営の準備をするか」
「そうね。流石に夜の荒野を歩き続けるのは危ないわ。アンデッドとか夜行性の魔物がうろうろしてる時間帯だし」
「それにしても、このあたりは本当に何もないな。岩と砂ばかりで、風除けになりそうな地形すら見当たらない」
「ナオト、あそこ見て。微かに光が見えるわ。あれって焚き火じゃない?」
「本当だ。モンスターじゃなく、人工的な火のようだ」
「他の冒険者かしら。それとも行商人?」
「警戒は怠るなよ。ここは無法地帯だ。盗賊がカモを待つための罠かもしれない。俺の隠密スキルで近づいて、様子を探ってみよう」
「了解。私はいつでも剣を抜けるようにしておくわ」
二人は足音を殺し、岩陰からそっと焚き火の様子を窺った。
「どう。ナオト。何が見える?」
「一人だけだな。焚き火のそばに座っている。服装はボロボロのマントで、武器らしきものは背中に背負った剣一本。仲間が隠れている様子もない」
「一人でこんな荒野のど真ん中に? 変わった人ね。どうする? 声をかけてみる?」
「少し待て。俺の|鑑定スキルでステータスを確認する。……なんだ?」
「どうしたの? 凄く強いとか?」
「いや、逆だ。ステータスが低すぎる。レベルも一桁、スキルも農作業や家事といった一般NPCレベルのものしか表示されない。まるで、どこにでもいる村人Aだ」
「村人Aが一人で無法地帯の夜を過ごせるわけないでしょ。隠蔽スキルでも使ってるんじゃないの」
「その可能性は高いな。だが、殺気は感じない。接触してみる価値はあるだろう。情報収集はTRPGの基本だからな」
二人が焚き火に近づくと、男はゆっくりと顔を上げた。
無精髭を生やし、疲労の色が濃い中年男性だ。
「こんばんは。隣、空いてるかしら?」
「ああ。火に当たりたいなら、好きにするといい。ただし、分ける食い物はないぞ」
「警戒しなくていいですよ。俺たちはただの旅人です。火のそばを少し貸していただきたいだけで」
「旅人、ね。こんな夜更けに、しかもそんな身なりでか。まあいい。ここは誰の土地でもないからな」
「ありがとうございます。ミオ、座ろう」
焚き火の火がパチパチとはぜる。男は二人に興味を示すでもなく、ただ炎を見つめていた。
「俺はナオト。こっちは相棒のミオだ。あんたは?」
「名乗るほどの者じゃない。ただの放浪者だ」
「放浪者ねぇ。こんな過酷な環境を一人で旅してるなんて、よっぽどの凄腕か、命知らずのどっちかよ」
「ただ、行く当てがないだけだ。お前さんたちこそ、どこから来たんだ? 東の大陸の奥地へ向かうのか?」
「ええ。いろいろあってね。ちょっとしたお宝探しと、レベル上げの旅ってところかしら」
「レベル上げ、か。若者は元気でいいな」
男の言葉には深い諦観が混じっていた。
「なぁ、おっさん。さっき食い物はないって言ったよな。俺たちが夕飯を馳走するから、代わりにこの辺りの地理や情報を教えてくれないか?」
「夕飯? 干し肉なら間に合ってる。この荒野じゃ、それ以上のものは望めないだろう?」
「ふふっ。ナオトを甘く見ない方がいいわよ。彼は最高の調理人なんだから」
「ミオ、ハードルを上げるな。影の倉庫、展開。テーブルと椅子、それから食材を取り出す」
ナオトの足元の影が波打ち、そこから木製のテーブルと折りたたみ椅子が現れる。
男はわずかに目を見開いた。
「……空間収納魔法か。珍しいものを持っているな」
「ただの便利な鞄ですよ。さて、今夜のメニューはオイル・ボアの塩焼きと、サウザンド・ニードルの果肉ステーキ、それにドワーフの村で仕入れたエールだ」
「オイル・ボアに、サウザンド・ニードル? どちらもこの辺りを縄張りにしている凶悪な魔獣じゃないか。それを食うだと?」
「ええ、とても美味しかったですよ。あ、オイル・ボアは少し脂が強いので、お腹の調子には気をつけてくださいね」
「ミオ、余計なことを言うな。あの悲劇は二度と繰り返さん」
ナオトが手際よく魔導コンロを設置し、肉を焼き始める。
香ばしい脂の匂いが立ち込め、男の喉がゴクリと鳴った。
「さあ、焼けましたよ。エールもよく冷えています。遠慮なくどうぞ」
「いいのか。こんなご馳走を、見ず知らずの俺に」
「情報料の前払いです。それに、美味しいものは誰かと分け合った方が、バフ効果……じゃなかった、気分が良いですからね」
「恩に着る」
男は肉を口に運び、目を丸くした。
「美味い。こんな荒野で、温かくて美味いものが食えるとは」
「でしょ。このエールも最高だから、グイッと飲んでみて」
「ああ。五臓六腑に染み渡る。何年も忘れていた感覚だ」
「喜んでもらえて何よりです。俺たち、金塊は腐るほど持ってるんですが、この無法地帯じゃ店もなくて困ってたんですよ」
「金塊か。それは難儀だな。この地では金よりも水一杯、パン一切れの方が価値がある。貨幣経済が崩壊しているからな」
「本当にそうね。お金持ちになっても、結局自給自足のサバイバルだなんて、世知辛いわ」
食事を進めながら、ナオトは男に地形の情報を尋ねた。
「この先、何か気をつけるべき魔物や、未踏のダンジョンはありますか?」
「そうだな。東へ三日ほど歩いた先に古い遺跡がある。だが、あそこには近づかない方がいい」
「なぜです? ボスが強すぎるんですか?」
「魔将の眷属がうろついている。ただの魔獣とは違う。組織だった知性を持つ化け物どもだ。お前さんたちがいくら腕に自信があろうと、多勢に無勢だぞ」
「魔将の眷属。やっぱり、この大陸にも魔族の手が伸びているんですね」
「ああ。奴らは文明の気配を嗅ぎつけてやってくる。だから、この地は荒れ果てているほうがいいのさ」
男はエールのグラスを置き、遠くの闇を見つめた。
その時、ミオがじっと男の背中を見つめていることにナオトは気づいた。
「(……ミオ。どうした。何か変か?)」
「(……ねえナオト。このおじさん、なんかおかしいわよ)」
「(おかしい? 魔族が化けてる、とか?)」
「(そうじゃないわ。私の野生の勘が、ガンガン警鐘を鳴らしてるの。あのドワーフの村で会った長老とか、カジノの支配人なんて目じゃないくらい)」
「(なんだと? 俺の鑑定では、ただの村人レベルのステータスしか出ていないぞ)」
「(そんなの偽装に決まってるじゃない。あの人の背中にある剣……ただの錆びた剣に見えるけど、あれ、とんでもない力を隠し持ってるわよ)」
ミオの言葉にナオトは改めて男の背負う剣を観察した。
鍔は欠け、刀身は赤錆に覆われている。どう見てもゴミ捨て場から拾ってきたようなガラクタだ。
しかし、ミオの直感は過去に何度も彼らを窮地から救ってきた。TRPGにおいて、知覚特化のキャラクターが発する警告を無視するのは三流プレイヤーのやることだ。
「なぁ、おっさん。あんた、ただの放浪者って言ったけど、背中のその剣はなんだ? 護身用にしては随分と使い込まれているようだが」
「これか。ただのなまくらだ。薪を割ったり、魔獣を威嚇したりするのには使えるが、人を斬るような代物じゃない」
「そうは見えませんけどね。剣士のミオが、あんたの立ち振る舞いを見て、只者じゃないって言ってるんですよ」
「買い被りすぎだ。俺はもう、剣を振るうような気力もない、ただのくたびれた中年さ」
男は自嘲気味に笑った。
しかし、その笑みの奥には何か重い過去を背負っているような影があった。
「俺たちは魔将ベルゼビュートと一戦交えて、這々の体で逃げてきたんです。だから、魔族の恐ろしさは身に染みてわかっています」
「ベルゼビュートだと? あの空を支配する魔将と戦って、生き延びたのか?」
「運が良かっただけですよ。ダイスの目が味方してくれたというか。でも、次は負けるつもりはありません。俺たちはもっと強くなるために旅をしているんです」
男はナオトとミオの顔を交互に見つめ、小さくため息をついた。
「強くなって、どうする? 魔王を倒すつもりか? それとも、世界を救うとでも言うのか?」
「そんな大層な目的はありませんよ。ただ、俺たちが快適に、誰にも縛られずに生きていくために、邪魔なシステムを壊したいだけです。俺たちから搾取しようとする連中を、ぶっ飛ばすための力が欲しいんです」
「……そうか。お前たちは自分のために戦っているんだな」
男は立ち上がり、焚き火の火を細い棒でつついた。
火の粉が舞い上がり、男の横顔を赤く照らす。
「あんた、名前はなんて言うんだ?」
ナオトの問いかけに、男は少し沈黙した後、静かに口を開いた。
「ジークだ。ただの、ジークだ」
「ジーク。覚えておくよ。美味しい情報をくれたお礼に、このエールの樽、半分置いていくよ。夜は冷えるからな」
「いいのか。こんな貴重なものを」
「俺たちは影の倉庫があるから、いくつも持っているんだ。気にしないでくれ」
「感謝する」
ジークは短く礼を言い、再び焚き火の前に座り込んだ。
ナオトとミオは自分たちのテントの準備を始める。
「(ねえナオト。ジークって名前、どっかで聞いたことない?)」
「(ジーク。王道RPGなら、勇者や伝説の剣士によくつけられる名前だな。偶然の一致かもしれないが)」
「(絶対ただのおじさんじゃないわよ。いざとなったら、私の大剣で本性を暴いてやろうか?)」
「(やめとけ。絶対に普通じゃない。達観した空気を感じた。敵に回さない方が賢明だぞ)」
「(ちぇっ。まあ、ご飯を美味しそうに食べてくれたから、悪い人じゃないとは思うけど)」
テントの中で、二人は小声で相談を終え、眠りについた。
外では焚き火の爆ぜる音と、ジークが静かにエールを飲む気配だけがしていた。
翌朝、ナオトたちが目を覚ますと、ジークはまだそこにいた。
「おはよう、ジークさん。夜はよく眠れましたか?」
「ああ。久しぶりに悪夢を見ずに眠れたよ。お前さんたちの酒と肉のおかげだ」
「それは良かった。俺たちはこれから、あんたが教えてくれた東の遺跡の方へ向かおうと思う」
「やめておけと言ったはずだが?」
「俺たちは忠告されると逆に燃えるタイプなんですよ。それに、魔将の眷属がいるなら、良い経験値稼ぎになるかもしれないし」
ナオトがニヤリと笑う。ジークは呆れたように首を振った。
「死に急ぐ若者を見るのはあまり気分の良いものじゃないな。仕方ない、俺も少し東へ用がある。途中まで同行しよう」
「本当ですか。それは心強い。荒野のベテランがいれば、道中の生存率も上がるってもんです」
「遺跡までの道案内くらいはしてやろう」
「ジークさんの護衛は私に任せて!」
ミオが胸を張る。
こうして、ナオトとミオの旅に、謎多き放浪の剣士ジークが加わることになった。




