第88話 沈黙の回廊と、無限ループの罠
「ねえナオト。ここ、なんか静かすぎない? 足音も響かないんだけど」
「吸音結界が張られているな。音による索敵や合図が使えない。視覚と魔力感知だけが頼りだ」
東の大陸の地下深くに広がる古代遺跡、沈黙の回廊。
その名の通り、一切の音が響かない不気味な静寂に包まれた石造りの迷宮に、二人は足を踏み入れていた。
「声は聞こえるのね。不思議な空間だわ」
「特定の周波数を持つ音だけを通すフィルターが掛かっているんだろう。システム的には面倒なエリアだ」
「第一層からお出ましよ。スケルトンね。骨のお化けが静かに近づいてくるなんて、心臓に悪いわ」
「音がない分、奇襲を受けやすい。背後には常に気をつけろ。俺は後方から支援する」
「任せて。今の私のレベルなら、こんな雑魚ども、大剣の重みだけで十分よ」
ミオが背中の大剣を引き抜く。
20キロの鉄塊が空を切るが、風切り音は吸音結界に吸い込まれていく。
無音のまま、ミオはスケルトンの群れに突っ込んだ。
「遅い。動きがコマ送りみたいに見えるわ」
ミオが大剣を横薙ぎに振るう。
スケルトンたちの胴体が無音で両断され、石畳の上に崩れ落ちる。
「ふぅ。片付いたわ。打撃音がしないと、なんか手応えがないわね」
「贅沢な悩みだな。よし、この先に第二層へ降りる階段があるはずだ」
二人は慎重に進んでいく。
階段を下りた先、第二層は無数のトラップが仕掛けられた回廊だった。
「ナオト、ストップ。床のタイルの色が微妙に違うわ。踏んだらマズいやつでしょ」
「よく気付いたな。圧力感知式の連動トラップだ。踏めば壁から毒矢が飛んでくる仕様だろう。だが、上にも気をつけろ」
「上……石像のフリをしたガーゴイルね。私たちが罠を避ける隙を狙って飛びかかってくる気だわ」
「トラップとガーゴイルの連携攻撃か。いやらしいゲームマスターが好んで配置する殺意の高い陣形だな」
「どうするの。罠を解除してる間に上から来られるわよ」
「逆だ。罠を利用する。ミオ、俺が合図したら罠のタイルを踏んで、すぐにバックステップで下がれ」
「了解。タイミングは任せるわ」
二人は罠の位置を再度確認し、互いに視線を交わす。
「今だ。踏め」
ミオが色の違うタイルを軽く踏み抜き、即座に後ろへ跳躍する。
無音の中、壁の隠し穴から無数の矢が射出された。
それと同時に頭上のガーゴイルたちがミオを狙って急降下してくる。
「かかったな。自滅しろ、石ころども」
ガーゴイルたちはミオに命中するはずだった矢の雨を自らの体で受け止める形となった。
矢を受けたガーゴイルはバランスを崩して動きが鈍る。
「隙だらけよ。落ちてきなさい」
ミオが大剣を振り上げ、落下してくるガーゴイルを次々と叩き割っていく。
無音の破壊劇。石の破片だけが床に散らばる。
「お見事。これで第二層もクリアだ。このまま第三層へ行くぞ」
「次はいよいよ中ボスのお出ましね。どんなのが来るかしら」
さらに階段を下り、広大なホールに出た瞬間、空気が一段と冷たくなった。
中央に佇むのは首のない騎士。デュラハンだ。
左脇に自身の兜を抱え、右手には漆黒の長剣を持っている。
「静寂の番人か。強そうだぞ。物理攻撃と闇属性魔法のハイブリッド型だ」
「首がないのにどうやって私たちを見ているのよ。まあいいわ、物理で黙らせてやる」
「待て。デュラハンは自己再生能力が高い。一撃でコアを破壊しないとジリ貧になるぞ」
「コアってどこにあるの? やっぱり胸のあたり?」
「いや、奴が抱えている兜の中だ。あれが本体で、体はただの操り人形に過ぎない」
「なるほど。じゃあ、あの兜を叩き割ればいいのね」
ミオが踏み込むと、デュラハンが無言で漆黒の剣を振るう。
音のない剣戟。火花だけが暗いホールに散る。
「くっ、重い。さすがに中ボスね。でも、スピードなら負けないわ」
ミオがデュラハンの懐に潜り込み、大剣を叩きつける。
デュラハンの鎧に切り込みが入り、巨体がよろめく。
「ナオト、今よ。足を止めて」
「了解だ。拘束用の錬金薬を使う」
ナオトがフラスコを投げる。
デュラハンの足元でガラスが割れ、急速凝固する特殊な樹脂が広がる。
「よし、足が止まった。ミオ、兜を狙え」
「もらったわ。兜割り!」
ミオが跳躍し、大剣の柄尻でデュラハンの抱える兜を強打した。
硬質な兜がひび割れ、中に隠されていた魔石が粉々に砕け散る。
デュラハンが黒い霧となって消滅した。
「ふぅ。勝ったわね。無音だと本当に調子が狂うわ」
「ああ。だが、ここからが本番だ。この奥が最深部のはずだ」
ナオトが奥の重厚な扉を開く。
そこには今までと同じような石造りの長い回廊が続いていた。
「ねえ。ここ、さっき通らなかった?」
しばらく歩いた後、ミオが立ち止まって壁を指差した。
「気のせいだと言いたいが、この壁の傷。さっきお前がスケルトンを倒した時につけたものと同じだな」
二人は顔を見合わせた。
延々と続く回廊。曲がり角を曲がり、階段を降りたつもりが、気づけば元の場所に戻っている。
「迷ったの? 一本道だったのに」
「いや、空間が歪んでいるわけじゃない。俺のマッピングは完璧だ。地図上では真っ直ぐ進んでいるはずなのに、現実は円を描いている」
「無限ループの罠か。タチが悪いわね。私の野生の勘でも、どっちに進めばいいか全く分からないわ」
「空間転移の結界だな。特定の条件を満たさない限り、永遠に入り口に戻される仕様だ」
「どうするの? 壁を壊して無理やり進む?」
「試してみるか。ミオ、あの壁を叩いてみてくれ」
「オッケー。粉砕モードよ」
ミオが大剣で壁をぶち破る。
土煙が晴れた向こうに現れたのは見慣れた同じ回廊だった。
「はぁ? なんでよ! 物理的に穴を開けたのに」
「やはりダメか。物理的な破壊では抜け出せないようプログラミングされているな」
ナオトが顎に手を当て、思考を巡らせる。
これは力技で解くパズルではない。論理で解くプログラムだ。
「観察しろ。この回廊には必ず法則があるはずだ。脱出するためのデバッグコードが隠されている」
ナオトは自らの目で、回廊の構造を細かく分析し始めた。
壁に並ぶ松明。床のタイルの模様。天井のアーチの数。
一見ランダムに見える配置だが、そこには不自然な偏りがあった。
「……なるほど。そういうことか」
「分かったの? ナオト」
「ああ。このダンジョンは巨大なプログラムコードだ。このループを抜けるには特定のフラグを立てなきゃいけない」
ナオトが壁の松明を指差す。
「見てみろ。松明の炎の色が微妙に違う。赤、青、赤、赤、青……と規則的に並んでいる」
「言われてみれば、そうね。それがどうかしたの?」
「これは二進数だ。赤を1、青を0とすれば、あるメッセージが浮かび上がってくる。古代の魔導技師も、考えることは現代のプログラマーと同じらしい」
「に、二進数。頭痛くなってきたわ」
「俺が解読した結果、沈黙を破れ、というコマンドが隠されている。だが、ここは吸音結界で音が出ないエリアだ。大声を出しても意味がない」
「じゃあどうするのよ。手詰まりじゃない」
「逆転の発想だ。沈黙を破るんじゃない。沈黙を完成させるんだ」
ナオトは回廊にある松明のうち、青い炎のものだけを消すように指示した。
「ミオ、剣の風圧で青い松明だけを全部消してくれ。赤いのは残すんだぞ」
「え。暗くなるけど、それでいいの?」
「いいからやれ。これがループを抜けるための隠しスイッチだ」
ミオが言われた通りに青い松明の火を正確に消していく。
最後の青い炎が消えた瞬間。
地響きと共に回廊の突き当たりの壁がスライドし、隠された階段が現れた。
「開いた。ナオト、すごすぎよ。ただの迷路じゃなかったのね」
「簡単な論理パズルだよ。ゼロを消してイチだけを残す。つまり、オンの信号だけをシステムに送って、ループ処理を強制終了させたんだ。いわゆるデバッグ作業だな」
「よく分かんないけど、さすが元SEね。頼りになるわ」
隠し階段を下りると、そこは最深部の祭壇だった。
厳重な魔法の封印が施された宝箱が一つ、鎮座している。
「やっと着いたわね。長かったぁ。これだけ苦労したんだから、よっぽどのお宝が入ってるんでしょうね」
「さあ、報酬の時間だ。俺の推理が正しければ、強力なアーティファクトが眠っているはずだ」
ナオトが慎重に封印を解除し、宝箱の蓋を開ける。
中に入っていたのは一本の短剣だった。
装飾は派手で宝石が埋め込まれているが、どこか古びている。
「短剣。強そうだけど、私の大剣の代わりにはならないわね。ナオトが使う?」
「俺の鑑定スキルで調べてみる。確かにアーティファクト級の強力な魔力反応があるぞ。付与効果も多そうだ」
ミオがおそるおそる短剣の柄を握り、持ち上げた。その瞬間。
『やあ。やっと出してくれたね。待ちくたびれたよ。百年ぶりの外の空気だ』
「うわっ。喋った!?」
ミオが驚いて短剣を取り落としそうになるが、剣は手に吸い付いて離れない。
『おいおい、乱暴に扱わないでくれよ。僕は伝説の鍛冶師の従兄弟の友人が打ったとされる名剣、エクス・カリバーンもどきだ。以後お見知りおきを』
「長いし、胡散臭いわね。この剣」
『失敬な。僕には持ち主をサポートする超高性能なナビゲート機能がついているんだぞ。おい、そこの君。右足の重心が甘いぞ。もっと腰を入れろ。それじゃあゴブリン一匹倒せないよ』
「はぁ?」
『あと、今日の服のセンス、イマイチだね。露出が多すぎる。防御力とか考えてるの? 品がないよ、まったく』
ミオのこめかみに青筋が浮かぶ。
「ナオト。これ、何?」
「お喋りな短剣だな。呪いのアイテムの一種だ。装備した者の精神を、その無駄なマシンガントークで削り続けるという厄介な代物だ」
『呪いとは失礼な。的確なアドバイスだよ。あ、君、少し太ったんじゃない。お腹周りが……』
「太ってないわよ! 筋肉よ!」
ミオが絶叫する。
音のない沈黙の回廊の最深部で、この世で一番うるさいアイテムを手に入れてしまった皮肉。
「いらない。これ、絶対にいらないわ。精神衛生上悪すぎる」
『えっ。捨てるの? こんなに優秀で親切な僕を? 後悔するよ。夜道で寂しくなっても話し相手になってあげないよ』
「うるさぁぁぁぁぁい」
ミオが短剣をナオトの胸に押し付ける。
「ナオト。影の倉庫に入れて。今すぐ。一番奥の、声が聞こえないくらい深い場所に封印してちょうだい」
「やれやれ。高値で売れるかと思ったが、この口の減らない仕様じゃ、買い手もつかないな。ただのジャンク品だ」
ナオトが足元の影を開く。
『あ、ちょっと待って。暗いのは嫌だ。せめて日に一度は外に出してよ。おい、聞いてるの? ねえってば』
短剣の抗議を無視して、ナオトはそれを影の底へと放り込んだ。
再び訪れた静寂。
「はぁ。疲れたわ。あいつの声のせいでどっと疲労が出た」
「無限ループの罠を解いてまで手に入れたのがこれか。骨折り損のくたびれ儲けとはこのことだな。まあ、経験値にはなったと思おう」
二人はがっくりと肩を落とし、帰路についた。
王道ダンジョンの最深部の報酬が、必ずしも最高のお宝とは限らない。
それがTRPGの、そしてこの世界の世知辛い現実だった。
「帰ったら、お肉食べましょう。にぎやかで、楽しい場所でね」
「賛成だ。次からは報酬の事前リサーチを徹底しよう」
次の冒険こそはまともなアイテムが出ることを祈りながら、二人は沈黙の迷宮を後にした。




