第86話 優雅なサバイバルと、通貨の無価値
ジリジリと肌を焼く音が聞こえてきそうなほどの陽射し。
東の大陸・無法地帯。
赤茶けた岩と乾いた土だけが延々と続く荒野をナオトとミオは歩いていた。
「暑い! 無理! 溶ける! 私がスライムならとっくに蒸発して薄皮だけになってるわ!」
「口を開けると水分が逃げるぞ。このエリアは乾燥地帯だ。湿度10%以下、気温45度。サウナの中を歩いているようなもんだ」
「サウナなら水風呂があるじゃない! ここには何もないのよ!? あるのは石と砂と、じりじりとHPを削ってくる太陽だけ!」
「文句を言う元気があるなら足を動かせ。無駄口を叩くたびにスタミナゲージが減っていくぞ」
「減ってるわよ! もう赤ゲージよ! 点滅してるわよ! ねえナオト、冷たいジュース飲みたい! 果汁100%の甘くて酸っぱいやつ!」
「わがままだな。さっき水を飲んだばかりだろ」
「水じゃなくてジュースがいいの! ビタミンが足りないの! お肌がカサカサになっちゃう!」
「ビタミンならサプリメントがあるだろ。ほら、かじっとけ」
「あんな薬みたいなの嫌! 情緒がない! 私は心潤す甘露が欲しいの!」
「贅沢な奴だな。だがまあ、気持ちは分かる。俺も喉が張り付いて喋るのが億劫になってきた」
「でしょ!? ねえ、なんか出してよドラえも……じゃなかった、ナオえもん! 影の倉庫に冷たいもの入ってるんでしょ?」
「入ってはいるが在庫には限りがある。次の補給ポイントまで温存したいんだがな」
「ケチ! 守銭奴! 水守り!」
「なんとでも言え。リソース管理はリーダーの務めだ。ん? おいミオ、あれを見ろ」
「なによ今度は。蜃気楼? それともまたサソリ?」
「違う。11時の方向。陽炎の向こうから砂煙が上がっている。何かが近づいてくるぞ」
「え? 敵襲? エンカウント?」
「いや、あのシルエット……巨大なトカゲに荷車を引かせているな。キャラバンだ」
「キャラバン!? ってことは商人!?」
「ああ。行商人だ。渡りに船だな。向こうも休憩ポイントを探しているのかもしれん」
「やった! 果物! 絶対果物持ってるよ! 買いに行こう! ダッシュ!」
「待て待て、走るな! 消耗するぞ! 向こうから来るのを待てばいい」
「待てない! 私の喉は限界なの! すいませーん! そこの人ー! 止まってー!」
ミオが大きく手を振りながら駆け出す。ナオトはやれやれと肩をすくめて後を追った。
近づいてきたキャラバンは、がっしりとした体格の男たちが数人で護衛する、小規模な隊商だった。
先頭を行く男が手綱を引き、巨大な砂漠トカゲを止める。
ターバンを巻き、日焼けした肌に警戒心を滲ませた男だ。
「なんだい、旅の人。こんな何もない場所で遭難か? 水なら恵んでやれないよ。こっちもカツカツなんだ」
「いや、恵んでもらおうとは考えていない。商談だ」
「商談? こんな荒野のど真ん中でか? 冗談だろう?」
「大真面目だ。その荷車に積んである樽、中身は果実水か何かだろう? 甘い匂いが漏れてるぞ。俺の鼻は誤魔化せん」
「ほう、鼻がいいな。確かに、砂漠の蜜リンゴのジュースだが、こいつは売り物じゃない。次の街の領主への献上品でな。手をつけるわけにはいかないんだよ」
「献上品か。なるほど、品質は保証付きってわけだ。なら、相場の倍……いや、10倍でどうだ?」
「10倍だと? 兄ちゃん、からかうのはよしてくれ。そんな大金、持ってるようには見えないぜ? その汚れたローブといい、どう見ても金欠の冒険者だろう」
「人は見かけによらないものさ。身なりで判断すると損をするぞ」
「へっ、言うねえ。じゃあ見せてみな。金貨10枚、ポンと出せるのか?」
「10枚? そんな端金でいいのか? ほらよ」
ナオトはリュックからある物を取り出した。
太陽の光を反射して、黄金の輝きが目に刺さる。
1キログラムの純金インゴットだ。
「は?」
行商人の目が点になる。
「これで樽ごと売ってくれ。釣りはいらない」
「き、金……? これ、全部金か? メッキじゃなくて?」
「疑うなら鑑定してみろ。純度99.9%の正真正銘のゴールドだ。かじってみるか? 歯が折れるぞ」
「い、いや、待て待て。兄ちゃん、正気か? こんなデカい金塊、どうしろってんだ」
「どうしろって、金は金だろ? どこでも通用する最強の通貨だ。これを換金すれば、お前らの商売敵を丸ごと買収できるくらいの価値はあるぞ」
「通用しねえよ。こんな高額なもん、市場で出してみろ。偽造通貨か盗品だと疑われて衛兵に通報されるのがオチだ。それに、こんなもん持ち歩いてたら盗賊に狙われて命がいくつあっても足りねえよ」
「盗賊なら返り討ちにすればいい。護衛なら俺たちがしてやってもいいが?」
「結構だ。アンタらが一番怪しいんだよ。なんだその金塊は! どこの遺跡からくすねてきたんだ!?」
「失敬な。正真正銘、労働の対価として手に入れたものだぞ。出所は……まあ、ちょっとした銀行の金庫だが」
「やっぱり盗品じゃねえか! 関わりたくねえ! 行くぞ野郎ども! こいつらはヤバい!」
「おい、待て! 商談はまだ終わってないぞ! ジュース一杯でいいんだ!」
「知らねえよ! 命の方が大事だ! ハッ! 進め!」
行商人は怯えたようにトカゲに鞭を入れ、そそくさと去っていってしまった。
砂煙の中に消えていくキャラバンを見送りながら、ナオトは肩をすくめた。
「……行っちゃった」
「……ああ。行っちまったな。交渉決裂だ」
「ジュース……。私の蜜リンゴジュース……。冷たくて甘いジュース……」
ミオががっくりと項垂れ、砂の上に膝をつく。
「勉強になったな。高額紙幣はコンビニじゃ使えないってことだ。資産があっても、流通性がなければただの石ころだ。インゴットを通貨として使うには相手を選ぶ必要がある」
「そんな経済学の授業はどうでもいいのよ! 喉が渇いたの! ナオトのバカ! なんでもっと小銭を用意しておかなかったのよ!」
「いや、持ってはいたんだが……つい金塊を見せびらかしたくて……すまん」
「もういい! 休憩する! やってらんない!」
ミオが岩陰にドカッと座り込む。
拗ねて頬を膨らませるその顔は歴戦の女戦士というよりは駄々っ子のようだ。
「賛成だ。ちょうど昼時だしな。ランチタイムといくか」
「ランチって言っても、干し肉とぬるい水でしょ? はぁ、侘しい。お金はあるのに、なんでこんな惨めな思いをしなきゃいけないの」
「誰がそんな貧乏くさい飯にすると言った?」
「え?」
ナオトがニヤリと笑い、足元の影を指差した。
「忘れたか? 俺たちには最強の補給庫があることを。影の倉庫、展開。まずは環境構築からだ」
ナオトが指を鳴らすと影が波打ち、そこから家具がせり出してきた。
「取り出し、ガーデンテーブルセット、リクライニングチェア、日除けの大型パラソル」
ズズッ。
影から次々と家具がせり出し、何もない荒野の一角があっという間に高級リゾートのオープンカフェのような空間に早変わりした。
白いクロスのかかったテーブルに座り心地の良さそうな椅子。そして直射日光を遮る大きなパラソルが、心地よい日陰を作り出す。
「えっ? すごっ! いつの間にこんなの入れてたの?」
「ドワーフの村で廃材をもらってDIYしたんだ。座り心地は保証するぞ。クッションにはスライムのコアを加工した衝撃吸収材を使ってるからな」
「やるじゃんナオト! さすが凝り性! でも、肝心の食べ物は? テーブルだけ豪華でもお腹は膨れないよ?」
「任せろ。取り出し、極冷エールとスモークチキン、それに彩り野菜の冷製パスタ」
ズンッ!
テーブルの上に並べられたのは、汗をかいた冷たい瓶と、湯気ではなく冷気を漂わせる料理の数々だった。
ドワーフの村で大量に仕入れ、影の中で保存しておいた食料だ。
「うそ……冷えてる! なんで!? ここ砂漠だよ!?」
「影の中は時間が止まっているようなもんだからな。入れた時の状態が維持される。つまり、冷たいものは冷たいままだ。魔法的な真空断熱タンブラーみたいなもんだと思え」
「天才! ナオト、あんた天才よ! 一生ついてく!」
「現金なやつだ。さあ、座れ。貴族のティータイムと行こうじゃないか」
「いただきまーす!」
ミオが椅子に飛び乗り、エールの瓶を掴んで栓を抜く。
プシュッという小気味良い音と共に白い泡が溢れ出した。
「くぅ~っ! 冷たい! 喉が痛い! 炭酸が染みるぅ!」
「美味いな。この暑さの中で飲む冷えた酒は格別だ。五臓六腑に染み渡るとはこのことか」
ナオトもグラスに注いで優雅に傾ける。
外気は45度を超えているが、パラソルの下で冷たい飲み物を飲んでいると、まるで避暑地にいるような錯覚を覚える。
「チキンも美味しい! 燻製の香りが食欲をそそるわ! この塩加減、汗かいた体に最高!」
ミオが骨付き肉にかぶりつく。
口の周りを油だらけにして貪るその姿は貴族というより野生児だが、その笑顔は輝いている。
「パスタも食べてみろ。ドワーフ秘伝の香草ソースを絡めてある。酸味が効いててさっぱりするぞ」
「ん~っ! 麺がシコシコ! 野菜もシャキシャキしてる! 保存食の味がしないよ!」
「当然だ。作りたてをそのまま時間停止させて保存したからな。鮮度はそのままだ」
「どうだ。金は使えなくても物資はある。これが俺たちの新しい冒険スタイルだ。これを富豪のキャンプ術と名付けよう」
「最高! さっきの行商人さん、可哀想にね。こんな美味しいもの食べられないなんて。あんなぬるいジュース大事に抱えてさ」
「あいつらはあいつらで、必死に生きてるんだよ。俺たちみたいなイレギュラーとは違う。普通の商人は冷蔵庫を持ち歩いたりはできないからな」
ナオトはパスタをフォークで巻き取りながら、遠くの地平線を見た。
かつては水一滴に命を懸けていたこの荒野で、今はこうして優雅にランチを楽しんでいる。
圧倒的な成長と影の倉庫というチート能力の恩恵だ。
「ねえナオト。私たち、強くなったね」
「レベルの話か? それとも装備か?」
「ううん。なんとなく、生きる力が強くなった気がする。前までは、どうしよう、死ぬかもって思ってたけど、今はなんとかなるでしょって思えるの」
「そうだな。サバイバル能力はカンストしてるかもしれん。どんな環境でも、俺たちは食って、寝て、笑っていられる」
「それが一番の強さかもね! おかわり!」
「食うなぁ。ほらよ、サンドイッチもあるぞ」
「わーい! 具だくさん!」
二人は笑い合い、グラスを合わせた。
荒野の真ん中で繰り広げられる、場違いなほど優雅なランチタイム。
遠くで魔物の咆哮が聞こえるが、今の二人にはBGM程度にしか感じられない。
それは彼らがこの過酷な世界に適応し、そして支配し始めている証でもあった。
「さあ、食ったら出発だ。次はもっと美味い肉を探しに行くぞ。地図によると、この先に脂の谷と呼ばれるエリアがあるらしい」
「脂の谷!? じゅるり。名前だけでご飯三杯いけるわ」
「そこにはオイル・ボアという、全身が霜降り肉の塊みたいな魔獣がいるそうだ。焼けば脂が滴り落ちて、口の中で溶けるらしいぞ」
「おー! 絶対狩る! 絶滅させる勢いで狩る!」
「デザートにプリンもあるぞ? 食べるか?」
「あるの!? 食べる! 別腹!」
「とっておきのやつがな。濃厚カスタードだ」
ナオトが影からガラス瓶に入ったプリンを取り出す。
カラメルソースが底に沈み、黄色い生地がプルプルと震えている。
「ん~っ! 甘い! 滑らか! ナオト、あんた本当にいいお嫁さんになれるわよ」
「誰が嫁だ。さあ、片付けるぞ」
ナオトとミオの旅は余裕と食欲を道連れに続いていく。
金塊という無用の長物を背負いつつも、彼らの足取りはどこまでも軽かった。
無限の物資と、尽きない食欲があれば、この世界のどこへだって行ける気がした。




