第85話 ドワーフの隠れ里と、クロの謎
赤茶けた大地が広がる東の大陸・無法地帯。
その裂け目のような深い谷底に湯気と活気に満ちた集落があった。
岩肌を削って作られた住居、絶え間なく響く鍛冶の音、そして漂ってくる酒と肉の匂い。
ドワーフの隠れ里、鉄床だ。
「帰ってきたぞ! ガンテツの帰還じゃ!」
ガンテツが広場で声を上げると、作業をしていたドワーフたちが一斉に顔を上げた。
「ガンテツ!? 生きてたのか!」
「爺さん! 王都に連れて行かれたって聞いたぞ!」
「ガハハハ! あんな軟弱な国にワシを縛れる鎖などないわ! 土産に面白い客を連れてきたぞ!」
ガンテツがミオとナオトを紹介する。
ドワーフたちは最初は怪訝な顔をしたが、ミオの背中にある剛剣を見た瞬間、目の色を変えた。
「おい、見ろよあの剣。なんて密度だ」
「鉄塊かと思ったら、刃が鏡みてぇに澄んでやがる」
「こいつは……ミスリルの配合比率が絶妙じゃ。誰が打ったんじゃ?」
「ワシと、この嬢ちゃんじゃよ! 動力炉の熱を借りてな!」
ガンテツが得意げに自慢話を始めると、集落は一気にお祭り騒ぎになった。
技術を愛する彼らにとって、至高の武器の完成は何よりの祝い事なのだ。
「宴じゃ! 酒を持ってこい! 肉を焼け!」
日が暮れる頃には広場の中央で盛大な宴会が始まっていた。
丸焼きにされた荒野の魔獣、樽ごとのエール、そしてドワーフたちの豪快な笑い声。
「食え食え! 人間にしてはいい根性しとる」
「おう兄ちゃん、もっと飲め! 水みたいに薄い酒じゃがな!」
「いや、度数50度はあるぞこれ。水だったら世界が滅ぶ」
ナオトは苦笑しながら、勧められる酒をちびちびと舐める。
一方、ミオは既にドワーフたちと肩を組んで踊っていた。
「わっしょい! わっしょい! お肉最高! ドワーフ最高!」
「ガハハ! 姉ちゃん、いい飲みっぷりだ! 気に入った!」
宴の喧騒から少し離れた岩陰で、ナオトは手帳を開きながら、足元の影に話しかけた。
「さて、と。クロ、出てこい」
ポゥン。
影から黒いトカゲ――守護竜のクロが顔を出した。
手には宴会のおこぼれでもらった骨付き肉を持っている。
「きゅ?」
「飯食ってる場合じゃないぞ。検証実験だ。ミオ、ちょっと来い」
「んー? なになに? 今、腕相撲の決勝戦なんだけど」
顔を赤らめたミオが千鳥足で戻ってくる。
「お前のペットの性能テストだ。なあミオ、さっきの列車での一件、こいつが巨大化した時のことだ」
「ああ! バーンって大きくなって、ドローンを片っ端から粉砕したやつね? かっこよかった~!」
「そうだ。あれ以来、こいつはずっとこのサイズだ。どうやったらあの戦闘形態になれるのか、条件を特定しておきたい」
「なるほどね! 必殺技の出し方ってわけか! よし、やってみよう!」
ミオがクロの前にしゃがみ込み、真剣な顔で見つめる。
「クロちゃん、大きくなって! 変身!」
「きゅ?」
クロは首を傾げ、尻尾を振るだけだ。
「言葉じゃダメか。なら、魔力注入! ナオト、お願い!」
「はいはい。ほらよ」
ナオトが指先から青い魔力をクロに送る。
クロは嬉しそうに目を細めて魔力を吸っているが、大きさは変わらない。ただ満腹になっただけだ。
「変化なし。魔力供給量とは関係ないのか?」
「うーん。あの時は私がピンチだったから助けてくれたんだよね? よし、再現してみよう!」
ミオがいきなり自分の首に手をかけ、苦しそうな演技を始めた。
「うっ、ぐあぁぁぁ! 苦しい! 死ぬぅ! 助けてクロ! ご主人様がピンチよ!」
「…………」
クロは骨付き肉を齧りながら、冷めた目でミオを見ている。
「きゅぅ」
「反応が薄いな。演技だとバレてるぞ」
「なんでよ! 私のアカデミー賞級の演技なのに!」
「いや、大根役者だ。おいクロ、本当に変身できないのか? 何かトリガーがあるはずだろ?」
ナオトがクロを持ち上げて振ってみるが、されるがままだ。
完全にリラックスしている。
「ダメだこりゃ。再現性ゼロだ」
「困ったねぇ。いざって時に大きくならなかったら、ただの可愛いマスコットじゃん」
「可愛いからいいけどな。しかし、戦力として計算できないのは残念だ」
二人が頭を抱えていると、背後からしわがれた声が掛かった。
「無駄じゃよ、若いの」
「ん?」
振り向くと、杖をついた白ひげの老ドワーフが立っていた。この集落の長老だ。
「そいつは黄昏の守護竜……じゃな?」
「長老さん、知ってるの? こいつの正体!」
「詳しいことは知らん。ワシらドワーフにとっても、そいつはおとぎ話の中の存在じゃ」
長老は杖で地面を突き、遠い目をした。
「ただ、古い伝承にはこうある。竜とは善神が悪神に対抗するために遣わした神獣であり、神の御意志を体現する、とな」
「神の……意志?」
「そうじゃ。そいつは人間に飼われるペットでもなければ、命令に従う使い魔でもない。神の代行者じゃよ。ゆえに、人の言うことなど聞きはせん」
「聞きはしないって……じゃあ、どうすれば言うことを聞くの?」
「聞かんのじゃよ。そいつが戦うべきと判断した時、あるいは守るべきと神の意志が働いた時にのみ、その力を振るう。気まぐれに見えるかもしれんが、それが神獣というもんじゃ」
「えぇ~。じゃあ、お手とかお座りも無理?」
「無理じゃろうな。神様にお手をさせるようなもんじゃ」
長老はそう言って笑い、クロに干し肉を投げた。
クロは空中でそれをキャッチし、嬉しそうに喉を鳴らした。
「なるほど。コマンド入力式じゃなくて、完全なブラックボックスってことか。制御不能な最終兵器だな」
「神様かぁ。まあいいわ、クロが可愛いから許す! ご飯の時だけは言うこと聞くしね!」
「きゅッ!」
ミオがクロを抱きしめる。
謎は深まったが、こっちの都合では動かない、ということだけは理解した。
◇ ◇ ◇
翌朝。
二日酔いの頭を抱えるドワーフたちを尻目に、ナオトは集落の倉庫前に立っていた。
「よし、買い出しだ。これからの旅は長い。金は使えなくても、物資があれば何とかなる」
ナオトの目の前にはドワーフたちが備蓄していた食料や資材が山積みにされている。
乾燥させた芋、燻製肉、岩塩、薬草、そして修理用の鉄インゴットや木材。
「これ全部もらうぞ。支払いは……これで足りるか?」
ナオトがリュックから金塊を一本取り出す。
1キログラムの純金。この集落の1年分の生活費に相当する額だ。
「お、おい兄ちゃん、本気か!? こんないっぺんに食いきれんだろう?」
倉庫番のドワーフが目を丸くする。
「構わん。俺には無限の胃袋があるからな。収納開始」
ナオトが影を広げる。
黒い沼が広がり、山積みの物資を次々と飲み込んでいく。
樽も、麻袋も、木箱も、まるで底なし沼に沈むように消えていく。
「便利なもんじゃな。魔法使いってのはみんなこうなのか?」
「俺だけだ。よし、水も食料も調味料も確保した。これで何年でも野宿できるぞ」
「やったー! これで飢え死にする心配はないわね!」
ミオが伸びをする。
昨夜の宴会で飲みすぎた顔は少しむくんでいるが、元気そうだ。
「装備のメンテも終わったし、準備万端ね。ガンテツさんは?」
「あっちだ。工房にいる」
二人は鍛冶場へと向かった。
そこではガンテツが若いドワーフたちに熱心に指導をしている最中だった。
「違う! そこは叩くんじゃない、撫でるんじゃ! 鉄の声を聞け!」
「はいッ! 師匠!」
活気に満ちた工房。ガンテツの顔はタワーの地下で腐っていた時とは別人のように生き生きとしている。
「爺さん。世話になったな」
ナオトが声をかけると、ガンテツが槌を置いて振り返った。
「おう、行くのか。早いのう」
「長居すると迷惑がかかる。俺たちは指名手配犯だからな」
「ガハハ! ここに来る奴らはみんな訳ありじゃよ。だがまあ、引き止めはせん」
ガンテツはミオの方を向き、背中の剛剣を指差した。
「嬢ちゃん。その剣、大事にしろよ。ワシの最高傑作じゃ」
「うん! 絶対離さない! お爺ちゃんも、元気でね!」
「当たり前じゃ。ワシはここで、失われた技術をこいつらに叩き込む。いつかお前さんたちが戻ってきた時、もっとすごい武器を作れるようにな」
「期待してるよ。凄腕の職人さん」
「ふん、口の減らん小僧じゃ。ほれ、餞別だ」
ガンテツが放り投げてきたのは小さな包みだった。
中には最高級の砥石とメンテナンスオイルが入っている。
「手入れを怠るなよ。錆びさせたら承知せんぞ」
「ありがたく使わせてもらおう」
ナオトは包みを影にしまい、深く頭を下げた。
短い間だったが、この頑固なドワーフがいなければ、今の自分たちはなかっただろう。
「行くぞ、ミオ」
「うん。バイバイ、お爺ちゃん! またね!」
二人は手を振り、集落の出口へと歩き出した。
ドワーフたちが見送ってくれる中、再び荒野へと足を踏み出す。
ザッ、ザッ、ザッ。
乾いた風が吹き抜ける。
影の中には無限の物資。懐には最強の相棒。
無法地帯の旅はここからが本番だ。
「さて、次はどっちだ?」
「東よ! とりあえず、広いところに行きたい!」
「アバウトだな。まあいい、地図によれば、この先に行商人のルートがあるはずだ」
ナオトは空を見上げた。
雲ひとつない青空。
自由だ。
追手もいない、借金もない、会社もない。
あるのは自分たちの足跡だけ。
「悪くない気分だ」
「でしょ? さあ、競争よナオト! あの岩まで!」
「待て、体力温存しろ!」
走り出すミオを追いかけて、ナオトも駆け出した。
新たな冒険の幕開けは砂埃と共に始まった。




