第81話 機工の魔将マキナと、冷徹な演算
地下ステーションの冷たい空気の中、機械仕掛けの翼を広げた男が重力を無視して宙に浮いていた。
魔王軍四天王の一角、機工の魔将マキナ。
その赤い義眼が明滅し、ナオトたち三人を冷徹にスキャンしている。
「鑑定。……ふむ。ナオト、レベル25。錬金術師。ミオ、レベル25。戦士。ガンテツ、レベル15。鍛冶師」
マキナが抑揚のない声でデータを読み上げる。
「所持スキル、装備、身体能力、魔力残量……全て把握した。僕のデータベースにある情報と99.8%一致する。残り0.2%の誤差は、その新造された剣か」
「勝手に人のステータスを覗くなよ。プライバシーの侵害だぞ」
ナオトが皮肉っぽく返すものの、その背中には冷や汗が流れていた。
鑑定スキルで情報が丸裸にされる。
それはつまり、相手のレベルがこちらよりも圧倒的に上であることを意味していた。
「プライバシー? バグに人権などないよ。君たちはシステムを乱すノイズだ。速やかにデリートする必要がある」
マキナが指先を向ける。
ただそれだけの動作で、ナオトの直感が警鐘を鳴らした。
「ミオ、散開しろ! 攻撃が来るぞ!」
「えっ!?」
二人が左右に飛び退いた瞬間、今まで立っていた場所が見えない力によって押し潰された。
ドォンッ!!
コンクリートの床が円形に陥没し、蜘蛛の巣状の亀裂が走る。
「重力魔法……いや、重力操作か!」
「正解だ。僕の演算領域内では物理法則が自由に書き換えられる。重力、ベクトル、摩擦係数……全て僕の数式の変数に過ぎない」
マキナが空中で腕を組む。
余裕の表れではない。彼にとってはこれが最も効率的な待機姿勢なのだ。
「やってくれるじゃないの。でも、こっちには剛剣・断がある!」
ミオが瓦礫を蹴って飛び出す。
その速度はカジノで見せた動きよりもさらに速い。
新生した剣とのシンクロ率が、彼女の身体能力を底上げしているのだ。
「いっけぇぇぇ! 一刀両断!」
ミオがマキナの懐に飛び込み、渾身の斬撃を放つ。
あらゆる防御を無視して切り裂く、必殺の一撃。だが――。
「遅い」
マキナの体が揺らぎ、ミオの剣は空を切った。
「なっ! 完全に捉えたはずなのに避けたの!? かすりもしないなんて!」
「君がそこに剣を振ることを予測し、移動していたのさ」
マキナがミオの背後に現れる。
「君の筋肉の収縮、視線の動き、呼吸のリズム、そして地面との摩擦。全てのパラメータから攻撃の軌道は計算できる。君が剣を振り上げる0.5秒前に僕はすでに安全な座標への移動を完了しているんだ。」
「それって、未来予知のパッシブスキルでも持ってるの!?」
「超高速演算だ。未来を見る必要はない。現在の状況を完璧に解析すれば、次の瞬間の未来は自ずと確定する。君たちの敗北はすでに確定しているんだ。――重力波」
ドンッ!!
衝撃波がミオの背中を直撃し、彼女は壁面に叩きつけられた。
「ぐぅ……ッ。い、痛い……。でも、服に塗っておいた潤滑オイルのおかげで、衝撃が滑って直撃は免れた……かも」
「ほう。表面の潤滑油で衝撃を3%拡散させたか。防具のパッシブ効果ではなく、外部アイテムによる一時的な補正だな。ならば次は出力を50%上げて処理しよう。君の耐久値の残量からして、次の直撃で戦闘不能になる確率は94%だ」
マキナが再び指を向ける。
ナオトがその射線上に割って入った。
「させるかよ! 閃光弾!」
ナオトが影の倉庫から取り出したフラスコを投げる。
空中で炸裂し、強烈な閃光と爆音が視界を奪う――はずだった。
「無駄だ」
マキナが視線を動かすことなく、左手を振るう。
すると、炸裂するはずの閃光が、まるで時間を巻き戻したかのように収束し、小さな球体となって彼の手のひらに収まった。
「な、なんだと!?」
「化学反応のプロセスを阻害し、エネルギーのベクトルを逆転させた。錬金術とは所詮、物質の構成式の書き換えだ。僕の演算能力の前では君の術式構成は児戯に等しい。論理的に構築された戦術は、より上位の論理によって容易に上書きできる。君が次に投げるアイテムの予測確率は87%だ。手の内がすべて透けている状態で、僕に対抗できると思わないことだね」
「レベル差だけじゃないな……相性が最悪すぎる。こいつは論理で戦う相手に対して、絶対的な優位性を持っていやがる。俺たちが論理的に正しい行動をすればするほど、あいつの予測の精度が上がっていくんだ。ゲームの仕様を完全にハッキングされてるようなもんだぞ。定石通りの立ち回りをすればするほど、確実にハメ殺されるルートに誘導されていく!」
「どうした? 次の手は? 君の思考パターンから推測すると……次は右ポケットに入っている酸性霧のスクロールを使用する確率が87%、左の靴底に仕込んだ隠しナイフで不意打ちを狙う確率が11%だが」
「……読むなよ、人の手札を」
ナオトはポケットに突っ込んでいた手を止めた。完全に読まれている。
行動、思考、装備。すべてがデータとして解析され、対策されている。
「おい、どうするんじゃ兄ちゃん! このままじゃジリ貧じゃぞ! ワシがハンマーで特攻するか?」
ガンテツがハンマーを構えるが、ナオトは首を横に振った。
「やめろ爺さん。あんたの敏捷性じゃ、マキナにかすりもしない。ただの的だ」
「じゃあどうするんじゃ! 逃げるか!?」
「逃げる? 計算してみよう」
マキナが冷ややかに告げる。
「このステーションの出口は3箇所。全て封鎖済みだ。装甲列車を奪っての発車シークエンスには最低30秒かかる。その間に僕が君たちを殺害できる確率は100%。逃げ場はないよ」
絶望的な数字が突きつけられる。
しかし、ミオは諦めていなかった。ボロボロになった体で立ち上がり、剣を構え直す。
「確率とか計算とか、知ったこっちゃないのよ! 当たるまで振れば、確率は100%になるんだから!」
「ミオ、無茶だ!」
「だぁぁぁぁッ!」
ミオが再び突っ込む。
今度は直線ではない。ジグザグに動き、フェイントを織り交ぜた変則的な動きだ。
壁を蹴り、天井を蹴り、三次元的な軌道でマキナに迫る。
「無駄な努力だ。君の関節の可動域、筋肉の疲労度、そこから導き出される行動パターンは有限だ」
マキナは空中でわずかに体をひねるだけで、ミオの斬撃を全て回避する。
紙一重。だが、その紙一重は無限の壁よりも厚い。
「くっ、そ! なんで! なんで当たらないの!?」
「君の剣は素晴らしい。その切れ味は僕の防御障壁すら貫通するだろう。だが、当たらなければどうということはない」
マキナが指を弾く。
強烈な反発力が生まれ、ミオは再び弾き飛ばされた。
「がはっ!」
地面を転がるミオ。
新生した剛剣・断が、虚しく床に突き刺さる。
「そろそろ終わりにする。これ以上のデータ収集は無意味だと判断した」
マキナが両手を広げる。部屋中の空気が震え、重圧が増していく。
「超重力プレスの最大出力だよ。君たちを原子レベルまで圧縮して、リサイクル資源に変えてあげよう」
ズズズズズッ!
超重力プレスが降り注ぎ、三人の体は床にめり込んでいく。
「ぐぅ……ッ! 動け……ない……!」
「骨が……骨がミシミシ言うとる……。せっかく最高の素材で名剣を打ったばかりじゃというのに、ここで朽ちるのか」
ガンテツが呻く。
ナオトも必死に抵抗するが、呼吸をするのが精いっぱいだ。
マキナの言う通り、論理的に考えれば詰んでいる。
(……あいつは完璧な計算機だ。だからこそ、俺たちの行動を合理的な範囲内で完璧に予測しているんだ。定石通りの立ち回りをしている限り、俺たちは絶対に勝てない。なら、その予測のさらに外側、データにないバグをぶち込むにはどうすればいい?)
「ミオ……考えるな……!」
「え……っ、ナオト……?」
「でたらめをぶち込めっ!完璧な計算機をバグらせるには……純粋な、カオスだけだ!」
「でたらめ……カオス……」
ミオの瞳に、かすかな光が宿った。
彼女は重圧に押し潰されそうになりながら、ポケットの中にあるお守りの感触を思い出した。
以前、ナオトが暇つぶしにと作った6面体のダイスが2つ。
直感を捨てろと、ナオトは言った。合理的思考を放棄しろと。
(だったら、このダイスに私の全ての行動を委ねればいいんだわ!)
(1なら前! 2なら後ろ! 3なら左で、4なら右っ! 5は停止で、6はクリティカル!)
ミオは脳内で、即座に数字と行動のベクトルを強制的に結びつけた。
そして、死に物狂いで右手を動かし、這いつくばった床の上へ、お守りのサイコロを勢いよく転がした。
コロコロコロ……。
世界で最も単純で、最も不合理な乱数生成器が、超重力の檻の中で回転する。
マキナの赤い義眼が、その予測不能な立方体の軌道を捉えた。
(……? 死の間際に何を……)
マキナの演算プロセッサが、一瞬だけサイコロの挙動解析にリソースを割く。
そして、ダイスが止まった。出た目は――4。
「4っ! 右側よっ!!」
ミオは叫ぶと同時に、持てる力を振り絞って立ち上がった。
マキナの現在位置など一切見ず、あいつが右に避けると勝手に脳内で予測し、何もない右側の空間に向けて、猛然と剛剣を振り抜いたのだ。
ビュンッ!!
鋭い風切り音と共に、ミオの剣は虚しく何もない空間を切り裂いた。完全なる大空振りだ。
マキナは全く動いておらず、とどまったままだ。当然の結果だった。
しかし――マキナの赤い義眼が、かつてないほど激しく明滅し始めた。
「不合理。なぜ、僕のいない空間を攻撃した? 君の筋肉の予備動作から導き出された攻撃座標と、実際のベクトルが完全に乖離している。なぜだ? 何を狙った? 僕の予測のどこにエラーがあった!?」
完璧な計算機ゆえに、マキナはミオの全く意味のない不合理な大空振りの理由を解析しようとしてしまった。
その結果、マキナの膨大な演算領域に致命的な停滞――システムラグが発生した。
全体の処理がガタつき、ナオトたちの体を押し潰していた超重力プレスの束縛が、劇的に緩む。
「ナイスだミオ! システムに強烈なノイズが走ったぞ! 今なら動ける!」
「ダイスの神様! ラスト一個よ! 運命を回せっ、ダイスロールッ!!」
ミオは手元にあった最後のダイスを再び宙へと放り投げた。
回転する立方体が、ラグの発生した空間で静かに静止する。
示された出目は――6。
「6……! だったら、何も考えずに真っ直ぐ突っ込むだけよっ!」
ミオが弾かれたように地面を蹴った。
剣の構えすら取らず、合理的配慮もクソもない、まるでデタラメなステップでマキナの懐へと肉薄する。
「……!?」
マキナの表情が初めて凍りついた。
合理的配慮がない。体当たり? フェイント? ミオを囮にナオトが攻撃してくる? 記録から類似データの照合……該当無し……予測不能!?。
ただの6という数字に従っただけの、純粋なカオス。
マキナが防御障壁を展開しようとするが、遅かった。
ミオの剛剣が論理の壁を食い破り、マキナの懐へと吸い込まれていく。
「これが私たちの! 卓上遊戯だぁぁぁッ!!」
閃光が走る。
予測された未来をダイスの目でねじ伏せ、その刃が、ついに魔将を捉えた瞬間だった。




