第74話 鋼鉄のスラムと、高圧蒸気ロブスター
鉄戦国ドルグ、中央工業区画・旧市街スラム。
頭上を覆う配管の森が、昼間だというのに太陽の光を遮り、路地裏には薄暗い影が落ちている。
至る所からシューッという排気音と、ガタンという駆動音が響くその場所で、地鳴りのような轟音が響き渡った。
グゥゥゥゥゥゥゥゥゥ――ッ!!
「なっ、なんだ!? 敵襲か!? この振動、ゴーレムの足音か!?」
ナオトが反射的に身構え、周囲を警戒する。
瓦礫の山から飛び出し、即座に戦闘態勢をとるその動きは流石だが、敵の姿はどこにもない。
「ごめん、私のお腹」
ミオが申し訳なさそうに、ペタンコになった腹をさすりながら瓦礫の陰から出てきた。
「その音量は威嚇判定ならクリティカル成功だぞ。半径50メートルの敵が逃げ出すレベルだ」
「だってぇ、朝から何も食べてないんだよ! 泥水の中を歩いて、走る列車に飛び乗って、ゴミ山にダイブして、カロリー消費がマッハなんだもん。もう限界だよナオト。私の胃袋ゲージが赤く点滅して、警告音が鳴り止まないの!」
「わかった、わかったから。そんな恨めしそうな目で俺を見るな。まずは飯だな。このままじゃ空腹デバフで全ステータスが半減しかねない」
ナオトは鼻を鳴らし、空気中の匂いを分析する。
強烈な錆と油の臭い。だが、その奥底に微かだが食欲をそそる香ばしい香りが漂っていた。
「こっちだ。風上から、焦がした醤油と甲殻類の匂いがする」
「甲殻類!? エビ? カニ? 行く! 絶対行く!」
ミオが猛ダッシュで路地を駆け抜ける。
さっきまでの疲労困憊した姿はどこへやら、獲物を見つけた猛獣のような速さだ。
「おい待て! 隠密行動中だぞ! 走るな!」
ナオトが慌てて追いかける。
二人がたどり着いたのは太いパイプの根本にへばりつくように建てられた、ボロボロのトタン屋根の屋台だった。
看板にはペンキで殴り書きされた文字で『蒸気食堂』とある。
店主らしき頑固そうな親父が巨大な鉄鍋を前に仁王立ちしていた。
「へいらっしゃい! 見ない顔だな、アンタら」
親父は片手に巨大なモンキーレンチを持ち、もう片方の手で鍋の蓋を力任せに押さえている。
その鍋からは尋常ではない圧力で白い蒸気が漏れ出していた。
「二人だ。何か食わせてくれ。連れが餓死寸前なんだ」
「へっ、この街の労働者はみんな死にそうな顔して食いに来るんだよ。座りな! 今の時間は廃棄物しかねぇがな!」
「は? 廃棄物?」
ミオがギョッとしてナオトを見る。
「言葉のあやだろ。おそらく、市場に出回らない規格外品という意味だ。……そうだよな、親父さん?」
「その通りだ兄ちゃん! 今日仕入れたのはコイツだ!」
親父が足元の木箱を蹴り開ける。
中に入っていたのは黒光りする金属光沢を放つエビ――のような怪物だった。
ハサミの一つ一つが人間の腕ほどもあり、殻の表面にはリベットのような突起が並んでいる。
「うわっ、硬そう! なにこれ、金属? ゴーレムのパーツ?」
「鉄甲海老だ。この街の運河に住み着いて、工場から垂れ流される鉄屑や廃液ばっかり食って育った変異種さ。殻の硬度はミスリル並み。普通の包丁じゃ刃が欠けるし、煮ても焼いても火が通らねぇ」
「それ、食べ物なの? 武器の素材じゃなくて?」
「食えるさ! こいつの身は鉄分たっぷりで滋養強壮に抜群だ。ただし、調理するにはコツがいるがな」
親父はニヤリと笑うと、暴れるロブスターを素手で掴み、強引に鉄鍋に放り込んで厳重にロックを掛けた。
そして、壁から突き出ている太いパイプのバルブに手をかけた。
パイプには『危険! 高圧排熱蒸気』というドクロマーク付きの注意書きがある。
「工場の排熱蒸気を直結! 圧力最大! 爆裂調理開始だぁっ!」
ガキンッ!
親父がレンチでバルブを一気に回した。
ズドォォォォォン!!
「うわぁっ!? 爆発した!?」
ミオが悲鳴を上げてテーブルの下に隠れる。
鉄鍋全体が赤熱し、激しく振動している。
ボルトが悲鳴を上げ、鍋の隙間からジェット噴射のような蒸気が吹き出す。
「すげえな。圧力釜どころの話じゃない。これじゃ爆弾処理だ」
「おうよ! 普通の火力じゃビクともしねぇ殻も、300気圧の蒸気で一気に加圧すれば、中身だけが蒸し焼きになる! 殻と身の隙間に高圧蒸気を叩き込んで、細胞レベルで熱を通すんだよ! あと30秒で食えるぞ!」
「30秒!? 早っ!」
「時は金なり、効率こそが正義! それがこのドルグ流だ!」
プシュゥゥゥゥゥ……!
親父がバルブを閉めると鍋から白い蒸気が爆煙のように広がった。
あたり一面に潮の香りと焦げた甲殻類の香ばしい匂いが充満する。
「お待ちどお! 爆裂スチーム・ロブスターの完成だ!」
ドンッ!
テーブルに置かれたのは熱で真っ赤に変色した鉄の塊だった。
湯気がもうもうと立ち上っている。
「これ、どうやって食べるの? 殻、まだカチカチだよ?」
ミオがフォークで突いてみるが、カチンカチンと高い音がするだけだ。
「素人はこれだから困る。貸してみな」
親父が腰から巨大なハンマーを取り出した。
「いいか、ここを叩くんだ! 関節の隙間を狙ってな!」
ガァンッ!!
親父がロブスターの背中をハンマーで全力殴打する。
すると、パキィィィンという甲高い音と共に鋼鉄の殻が見事に砕け散った。
「わぁ!」
殻の下から現れたのは白く輝くプリプリの身だった。
高圧で凝縮された旨味のエキスがジュワジュワと音を立てて溢れ出している。
「熱いうちに食いな! 冷めるとまた硬くなるぞ!」
「いっただきまーす!!」
ミオがフォークを突き刺し、大ぶりな身を口に放り込む。
ハフハフと息を吐きながら熱々の塊を咀嚼する。
「んんっ! んぐっ、はふっ! あつつ!」
「どうだミオ。味は」
「すごい! ナオト、これすごいよ! 噛んだときには弾力がすごいのに、次の瞬間には溶けるの! 圧力のおかげで繊維がほどけてる!」
ミオが目を丸くして叫ぶ。
口の端から肉汁が滴り落ちるのも構わず、次の一切れを頬張る。
「味は濃厚なエビそのものなんだけど、どこか鉄っぽい風味もあるの! それが嫌な感じじゃなくて、野性味あふれるスパイスになってる! 噛めば噛むほど、力が湧いてくる味だよ!」
「ほう、どれ」
ナオトも一口食べる。
ガツン。
口の中に広がるのは暴力的なまでの旨味だ。
繊細さは皆無。だが、この油と鉄の街にはこの荒々しい味がよく似合う。
「なるほど。鉄分とミネラルが豊富だ。これなら毒耐性や麻痺耐性の判定にボーナスがつきそうだな。鉱物食のスキルがなくても、これならいける」
「理屈はいいから食べなよ! ほら、この頭のミソの部分! ここが一番美味しいんだから!」
ミオが殻に残った濃厚なオレンジ色のミソをスプーンですくい、ナオトの口に強引に押し込む。
「んぐっ。熱っ! だが、美味い。濃厚なウニとレバーを混ぜたようなコクがある」
「でしょ? ご飯! おじさん、ご飯ないの!?」
「あるぜ! 蒸気で炊いたスチーム・ライスだ! 一粒一粒が立ってるぞ!」
「最高! 大盛りで!」
二人は指名手配中であることを忘れ、一心不乱に鉄甲海老を貪った。
周りの労働者たちも、そんな二人の凄まじい食べっぷりを見てニヤニヤしている。
「いい食いっぷりだなぁ、兄ちゃんたち。見てて気持ちがいいや」
親父が汚れた布巾で手を拭きながら話しかけてきた。
「代金は金貨でもいいか? この街じゃ電子マネーしか使えないって聞いたが」
ナオトが懐を探る。国境ゲートでの一件があったため、慎重に確認する。
「ここは旧市街だ。マキナが作った電子ゴミなんざ信用してねぇよ。金なら大歓迎だ。むしろプレミアが付く」
「助かる。ついでに情報も買いたいんだが」
「情報?」
「俺たちは腕のいい職人を探している。この剣を鍛えられるような、とびきりの頑固者をな」
ナオトが顎でミオの腰にある剛剣ギガントをしゃくった。
数々の獲物を屠ってきた剛剣には凸凹の歪みが生じていた。
「ほう。こいつはまた、ひどいな。薪割りでもしたのか?」
「ベヒモスをぶっ叩いたんだ」
親父の目が一瞬鋭くなる。ただの屋台の親父とは思えない眼光だ。
「なるほど。普通の鍛冶師じゃ断られるな。こいつの刀身を何とかできそうなのは、この街でも一人しか思いつかねぇ」
「心当たりがあるのか?」
「噂じゃ、この旧市街にその鍛冶師がいると聞いた。ガンテツというドワーフだ」
「ビンゴだ。そのガンテツって人に会いたい」
親父は渋い顔で、咥えていたタバコを地面に捨て、靴底でグリグリと踏み消した。
「残念だが、遅かったな。ガンテツの爺さんはもうここにはいねぇ」
「いない? 死んだのか?」
「いや。連れて行かれたんだよ。上にな」
親父が指差したのは、スラムの谷間から見える、空高くそびえ立つ巨大なタワーだった。
工場の煙を突き抜け、雲の上まで伸びるその塔は、この国の支配の中枢、兵器開発局だ。
「一ヶ月前だ。上層の親衛隊が来て、爺さんを無理やり連行していった。『その技術を国家のために提供しろ』とかなんとか言ってな」
「徴用されたってことか」
「ああ。爺さんは『魂のない兵器なんぞ作らん!』って抵抗したんだが、最後は麻酔銃で撃たれて……。今頃はあのタワーにある工房で兵器を作らされてるはずさ」
「許せない」
ミオがガチャンとフォークを置いた。その瞳には怒りの炎が宿っている。
料理を食べ終えた満足感は消え失せ、戦士の顔に戻っている。
「職人さんの魂を踏みにじるなんて、料理人を馬鹿にするのと同じくらい罪深いよ! ナオト、助けに行こう!」
「簡単に言うな。あそこは敵の本拠地だぞ。警備レベルは国境ゲートの比じゃない。正面から行けば、今度こそ俺たちは処理される」
「でも、ガンテツさんに会わなきゃ、剣はどうにもならないんでしょ? それに、あんな高いタワーなら、東の大陸へ行くための何かがあるかもしれないじゃん」
「まあな。兵器工場なら、東への長距離移動手段……飛行船か、高速列車くらいはあるかもしれない。リスクに見合うリターンはあるか」
ナオトはタワーを見上げる。
要塞のように聳え立つ鋼鉄の塔。あそこに侵入するなど自殺行為に等しい。
だが、今の二人には不可能という言葉は似合わない。
「親父さん。あのタワーに入るルートを知らないか? 正面突破以外で」
「正規ルートはID管理されたエレベーターだけだ。だが……噂じゃ、上層区画に住む上級市民たちが出入りする裏口があるらしい」
「裏口?」
「ああ。金持ち連中が夜な夜な遊んでいるカジノ・ロワイヤルだ。あそこのVIPルームはタワーの来賓室と直結してるって話だぜ」
「カジノ!」
その単語を聞いた瞬間、ミオの表情が一変した。
怒りの表情から、一気に欲望に満ちたキラキラした顔へ。
それは、アイアン・ロブスターを見た時以上の食いつきだ。
「カジノ!? あるの!? この街にカジノがあるの!?」
「おいミオ、ヨダレが出てるぞ。さっき食べたばっかりだろ」
「ナオト! 決定! ルート決定! カジノ経由でタワーに侵入するよ!」
「お前の目的が剣の修理からギャンブルにすり替わっている気がするんだが」
「違うわ! 潜入捜査よ! カジノに客として潜り込んで、VIPルームを目指すの! VIPになるには勝たなきゃいけないでしょ? だから遊ぶのは手段なの!」
ミオが鼻息荒く力説する。
確かに真正面から兵器工場に突っ込むよりは客を装ってカジノに入る方が確率は高い。
ナオトたちの所持金は潤沢だ。金持ちのフリなど造作もない。
それに、ナオト自身も嫌いではない。確率と運の勝負は。
「やれやれ。一理あるのが癪だな。それに軍資金を増やすチャンスでもあるか」
ナオトは残りのロブスターを口に放り込み、立ち上がった。
「親父さん、釣りはいらない。美味かったよ」
金貨を一枚、テーブルに弾く。
「へっ、気前がいいねぇ。死ぬんじゃねぇぞ、お尋ね者さんたち」
親父はニカっと笑い、再びレンチを構えた。
「さあ、次の客だ! 蒸気が逃げる前に注文しな!」
店を出た二人の足取りは軽かった。
空腹は満たされ、目的も定まった。
目指すは上層区画、欲望の掃き溜めカジノ・ロワイヤル。
「ねえナオト! 私、ルーレットやりたい! あとポーカー! バカラも!」
「作戦費だぞ。使い込むなよ」
「分かってるって! 倍にして返すから! 今の私、幸運の女神がついてる気がする!」
「そのセリフを言う奴で、勝った奴を見たことがない。まあいい、俺の計算能力と、お前の直感があれば、カジノごとき恐れるに足らん」
ナオトの不安をよそに、ミオは鼻歌混じりで歩き出した。
背中の剛剣ギガントが、早く研いでくれと鳴いているようだったが、今の持ち主の頭の中は回転するルーレットの盤面と、積み上がるチップの山で一杯だった。
鋼鉄の空の下、二人の英雄が動き出す。




