第73話 厳戒の国境と、スクラップ列車
西の大陸と鉄戦国ドルグを隔てる国境地帯。
荒涼とした岩肌が続く崖の上から、二人の旅人が眼下の巨大なゲートを見下ろしていた。
「おいおい、マジかよ。これは予想外の難易度だぞ」
ナオトが双眼鏡を下ろし、重い溜息を吐く。
視線の先にある国境ゲートは以前訪れた時とは様相が一変していた。
かつて人間の衛兵が立っていた場所には無機質な光を放つ自動警備人形が列を成し、空には監視用のドローンがハエのように飛び回っている。
「なになに? どうしたのナオト、そんなに眉間に皺を寄せて」
「見ろ、あのゲートの警備体制を。あと、あの掲示板だ」
ナオトが指差した先。
検問所の入り口には禍々しい赤インクで印刷された手配書が貼り出されていた。
「掲示板? あ! 私の顔だ! わぁ、大きく描かれてる! でもなんか、目つき悪くない? 私、もっとパッチリ二重なんですけど」
「絵のタッチを気にしている場合か。その下に書かれている文字を読め」
「えーっと? S級・最重要指名手配、爆弾魔ナオト、共犯者ミオ。罪状:要塞都市の壊滅、大量破壊兵器の使用、国家反逆罪……」
「そういうことだ」
かつて、二人はこの国の要塞都市で、都市機能を麻痺させるほどの大爆発を引き起こした。
その一件以来、彼らはドルグにとって国家の敵として認識されていたのだ。
「生死問わず。発見次第、即時射殺を許可する……って、ええええええッ!? 殺す気満々じゃん! なんで!?」
「なんで、も何もないだろ。忘れたか? 俺たちが派手に吹き飛ばしたあの街の惨状を」
「うぅ。あれは不可抗力だったじゃない! 止めなかったらヴァルドリアが消し飛んでたわけだし」
「そんな言い訳は殺気立った警備兵たちに通じないだろうな。見ろ、あの検問の厳しさを」
ゲートでは荷馬車の底板が剥がされ、旅人たちが服を脱がされて身体検査を受けている。
その横には無機質なレンズを光らせる魔導スキャナーが鎮座していた。
「徹底的な身体検査だ。変装しようが、魔法で姿を変えようが、あの魔導スキャナーの前では丸裸にされる。今の俺たちの知名度じゃあ、正面ゲートに近づいた瞬間に警報が鳴り響いてハチの巣だ」
「そんなぁ。せっかくお金持ちになったのに! 『ここを通したまえ』って、金貨の袋をジャラジャラさせて通りたかったのに!」
「金で解決できるのは相手が話を聞いてくれる場合だけだ。即時射殺の命令が出ている相手に賄賂は効かない。交渉判定が自動失敗する状況だな。ダイスを振る権利すらないわけだ」
「じゃあ、どうするの? ここまで来たのに引き返す?」
「まさか。目的は大陸の東へ抜けることだが、お前の剣の強化のためにも、この国境を通過して、中に入ってみせる」
ナオトは視線を巡らせる。
強固な防壁。空を巡回する小型偵察機。
一見して隙はないように思えるが、システムには必ず綻びがあるものだ。
その時、地面が微かに振動し始めた。
「……来たぞ」
「なにが? 地震?」
「違う。時刻表通りだ。見ろ、向こうから来る黒い影を」
荒野の彼方から、黒煙を上げながら疾走してくる巨大な鉄の塊が見えた。
無数の貨車を連結した、長大な蒸気機関車だ。
ただし、客車はない。すべての車両に山のような鉄屑や廃棄物が積載されている。
「あれは?」
「廃棄物輸送列車だ。周辺国の戦場跡や廃墟から回収した金属スクラップをドルグの中央工場へ運ぶための無人列車」
「無人?」
「ああ。ドルグは今、兵器生産のために大量の鉄を欲している。国境を越えて資源を回収し、止まることなく中央へ直行する。つまり、あの列車に乗ればノーチェックで関所を抜けられる」
「えっ? まさか、あれに乗るの?」
「乗るんじゃない。飛び乗るんだ」
「嘘でしょ!? あのスピードよ!?」
「減速するポイントがある。関所の前にある急カーブだ。あそこで列車は速度を落とす。その一瞬の隙に、この高台からダイブする」
「やだ! 私、お風呂入ったばっかりだよ!? 新しい鎧だって着てるのに! ゴミに飛び込むなんて絶対イヤ!」
「命と鎧、どっちが大事だ?」
「命だけど……でも、乙女としての尊厳が……」
「尊厳よりも実利だ。それに運が良ければ中にお宝が眠っているかもしれないぞ?」
「子供騙しね! ゴミの中にレアアイテムがあるわけないじゃん!」
「あるかもしれないだろ。戦場跡からの回収品だぞ? 破損した魔剣とか、未鑑定のアーティファクトとか」
「む……魔剣?」
「ほら、迷ってる暇はないぞ。列車がカーブに差し掛かる。減速してるのは今だけだ!」
轟音と共に鋼鉄の巨体が迫ってくる。
蒸気の熱気と油の臭いが風に乗って押し寄せる。
車輪が軋む音が鼓膜をつんざくように響いた。
「うぅぅ! ナオトの鬼! 悪魔! 爆弾魔!」
「最後のは事実だから否定できんな。お前の敏捷性なら、目をつぶってても着地できるはずだろ。ほらっ、今だ! 跳べ!」
「とうっ!」
二人は空中に身を躍らせた。
眼下を流れる黒い貨車。積み上げられた鉄屑の山へ向かって、重力に身を任せる。
ガシャーン! ガラガラガラ!
激しい衝撃音と共に、二人の姿はスクラップの中に消えた。
幸い、積まれていたのは柔らかい薄板のスクラップだったようで、クッション代わりになった。
「いっ……たぁ……。なんか硬いのが背中に当たった……」
「静かにしろ。声が大きい。まだゲートの監視範囲内だぞ」
「だって痛いんだもん! で、これ何の部品? 歯車?」
「魔導戦車のキャタピラの一部だな。おっと、頭を下げろ。ゲートを通過するぞ」
列車が国境ゲートを通過する瞬間、強烈な赤いレーザー光が貨車の上を走った。
自動スキャンシステムだ。
二人は息を殺し、冷たい鉄屑の下に深く潜り込む。
頭上を赤い光が舐めるように通過していった。
「……もう行った?」
「よし、通り過ぎた。どうやら廃棄物に対するスキャンはザルみたいだな。金属反応だらけだから、人間二人の反応なんてノイズに紛れて消える。隠密判定成功ってところか」
「ねえ、息苦しいよぉ。油の匂いで気持ち悪くなってきた」
「鼻をつまんで、口で息をしろ。それより、顔を上げてみろよ。景色が変わったぞ」
ミオが恐る恐る鉄屑の山から顔を出すと、そこには異様な光景が広がっていた。
国境を越えた瞬間、空の色が変わっていたのだ。
排煙によって薄紫色に濁った空。
地平線の彼方まで続く荒野には植物の代わりに無数のパイプラインが血管のように張り巡らされている。
「すごい光景だろ」
「パイプだらけ。地面から生えてるみたい。気持ち悪い」
「地熱魔導パイプだ。地下の魔力溜まりからエネルギーを吸い上げ、中央都市へ送っているんだな。以前のドルグよりも、明らかに技術レベルが上がっている。文明レベルが一つ進んでいるな」
「ねえ、あの働いてる人たち……なんか変じゃない?」
線路沿いの施設で働く作業員たちが目に入った。
彼らは一様に同じ灰色の作業服を着て、無言で機械のようにツルハシを振るっている。
休憩も、会話もなく、ただひたすらに単純作業を繰り返している。
監視役の警備人形が鞭のような電流をバチバチと光らせて彼らを監督していた。
「気づいたか?」
「うん。誰も喋ってない。みんな同じ顔して、同じリズムで動いてる。人間なのにロボットみたい」
「効率化の成れの果てだ。人間から感情や無駄を削ぎ落とし、ただ命令通りに動く部品に変える。洗脳に近い状態かもしれん」
「ひどい。あんなの生きてるって言えないよ」
「どうやら今のドルグを支配している奴は相当な合理主義者らしいな。非効率を憎み、すべてを数字で管理しようとしている。以前の野蛮な王様とは明らかに質が違う」
以前ナオトたちが訪れた時のドルグは荒々しく野蛮な国だったが、そこには確かに人間の活気があった。
酒場で喧嘩をし、笑い合い、明日の糧を得るために泥臭く生きる人間臭さがあった。
だが今は不気味なほどの静寂と秩序が支配している。
何者かが、この国全体を一つの巨大な兵器工場へと作り変えているのだ。
「誰の仕業なのかな? 国王様が変わったの?」
「さあな。最近はまともな情報収集ができていないからな。だが、ただの代替わりじゃなさそうだ」
「どういうこと?」
「この異様な効率化。人間をただの資源としか見ていない奴がトップに座っている証拠だ。まるで……以前戦ったハエ男、ベルゼビュートのような化け物の気配がする」
「うわぁ。絶対会いたくないタイプ。私、そういう理屈っぽい敵って苦手なんだよね」
「奇遇だな。俺も同族嫌悪で苦手だ。だからこそ、見つからずに通り抜けたいんだがな」
列車は速度を上げ、中央部へと突き進んでいく。
目指すはこの国の心臓部であり、最も警備が厳重な中央工業区画。
この国の腕利きの職人は、あの一帯に工房を構えていた。
ミオの剣を鍛えられる職人を探すなら、あそこに行くのが最も確率が高い。
「ナオト、見てよ。服が油まみれ」
「俺のローブもだ。最高級の絹だったんだがな。クリーニング魔法が欲しいところだが、魔力反応を探知されるリスクがある。物理的に拭うしかないな」
「最悪ぅ。髪の毛ギトギトする……。これじゃ、せっかくの美人剣士が台無しだよ」
「安心しろ。油まみれでも強さは損なわれてないぞ。ある意味、物理耐性が上がっていいんじゃないか?」
「嬉しくない! あーもう、ベタベタして気持ち悪い!」
「とりあえず、侵入には成功だ。だが、ここからが本番だぞ。俺たちはS級指名手配犯だ。誰に見つかっても即通報、即戦闘だ。街に入ったら情報の遮断と変装が必要になる」
「わかってるわ。でもさ、この列車でどこまで行くの?」
「終点は中央工業都市ギア・セントラルの溶鉱炉だ。そのまま乗っていれば、俺たちも鉄と一緒にドロドロに溶かされて、新しい戦車の装甲板にリサイクルされる」
「ひえっ!? 降りる! 今すぐ降りる!」
「まだだ。都市の手前にスラム街が広がっているエリアがある。そこで飛び降りる」
「また飛び降りるの!? 今日は厄日だよぉ! 私の華麗な着地スキルが、こんなことに使われるなんて!」
「文句を言うな。ほら、見えてきたぞ。あの煙突の群れが中央都市だ」
遠くに霞む、摩天楼のような工場群。
無数の煙突から吐き出される煙が空を黒く染めている。
その足元には黒い煤に覆われたスラム街が、まるでゴミ溜めのように広がっている。
「ねえナオト。スラム街ってことは美味しいお店とかないんじゃない?」
「お前の心配事はそれか。命の危機よりも食い気か」
「だって、もうお腹ペコペコだよ! 緊張したらお腹空くんだもん! それに、美味しいものを食べないと元気がでないし、元気がでないと戦えないよ!」
「正論だな。まあ安心しろ。どんな場所にも、その土地ならではの味があるもんだ。たとえそれが鉄と油の味だとしてもな」
「鉄の味は嫌だー! お肉がいいー! ジューシーなお肉!」
「労働者の街だ、きっとスタミナ満点のジャンクフードがあるはずだ。高カロリーで、味が濃くて、体に悪そうなやつがな」
「体に悪そうなやつ! それだ! ジャンクフード最高!」
「さあ、そろそろだ。あのカーブでブレーキがかかる。しっかり掴まってろ」
キィィィィン……!
ブレーキ音が響き、列車の速度が落ちていく。
スラム街の路地裏が、すぐ目の前を流れていく。
「ナオト、あそこ! ゴミ捨て場の山! あそこなら柔らかそう!」
「よし、目標地点確認。行くぞミオ! ドルグ攻略戦、およびグルメ探訪、開始だ!」
「了解! 待ってなさい、ドルグのご飯!」
食欲という最強のエンジンを点火させ、二人は列車から身を躍らせた。
黒い煤煙の中へと消えていくその背中には指名手配犯の悲壮感など微塵もなく、ただ未知なる冒険と食事への期待だけが溢れていた。




