第71話 勝利の宴と、旅立ちの予感
黄金色の稲穂が風に揺れている。
西の大陸・南端に位置する開拓村コメグラ。
大陸でも数少ない、稲作と麹造りが盛んなこの村に、二人の旅人が到着した。
「お米の匂いだ! 炊きたてのご飯の匂いがする!」
ミオが鼻をひくつかせ、村の入り口で大きく深呼吸をする。
その背中にはまだ新しい傷跡が残る鎧と、解体されたベヒモスの素材が山のように積まれている。
「落ち着け。まずは村長との交渉だ。俺たちの目的はここでしか手に入らない最高級の酒米と秘伝の麹だ」
ナオトが荷車――影の倉庫から出した即席のカート――を引きながら村の広場へと進む。
村人たちが異様な迫力を放つ二人と巨大な肉塊を見て、ざわめきながら道を開けた。
◇ ◇ ◇
村長の家。
頑固そうな老人がナオトの差し出した肉を見て、目を見開いていた。
「こ、これは……まさか……」
「暴食のベヒモスのロース肉だ。それも、最も脂が乗っている特上部位のな」
ナオトがドンッ、とテーブルに肉塊を置く。室温で脂が溶け出し、甘い香りが漂う。
「ば、馬鹿な! あれは災害指定の魔獣だぞ! あんなものを狩れる人間がいるわけが……」
「ここにいる。俺たちが求めているのは金じゃない。この村自慢の米と麹だ」
ナオトがニヤリと笑う。
「取引といこうじゃないか、村長。この肉は全部置いていく。代わりに俺が必要とする分だけの米と麹、それに酒造りの場所を貸してほしい」
「ぜ、全部だと!? この量なら村人全員が腹一杯食っても余るぞ!?」
「構わない。俺たち二人じゃ食いきれないし、腐らせるのは食材への冒涜だ。どうだ? 悪い話じゃないだろう?」
村長がゴクリと喉を鳴らす。
伝説の食材と村の特産品の交換。断る理由はなかった。
「分かった! 倉庫を開けよう! 好きなだけ持って行ってくれ!」
◇ ◇ ◇
交渉成立後。
ナオトは借りた醸造小屋で早速作業に取り掛かっていた。
蒸し上がった酒米。撒かれる麹菌。
そして、主役となる水――嘆きの泉の聖水。
「すごい! 聖水と米が混ざった瞬間、光り出したわよ?」
ミオが桶の中を覗き込み、目を輝かせる。
「発酵のプロセスが始まっている証拠だ。通常ならここから数ヶ月かかるが、錬金術と影の倉庫を使えば、最高の状態で保存できる」
ナオトが手際よく仕込みを終え、樽に封をする。そして――。
シュッ。
樽がナオトの影の中へと吸い込まれていった。
「よし。仕込み完了だ。あとはじっくり時間をかけて、極上の聖霊酒に育てる」
「……え?」
ミオが固まる。
「え、終わり? 影に入れちゃったの?」
「ああ。仕込みは済んだが影の倉庫の中じゃ発酵は進まないからな。後で取り出して、しかるべき場所で熟成が必要だ……数ヶ月後、何かの祝いの席で開けよう」
「嘘でしょ!? 今飲めないの!? 私のステーキは!? ベヒモスのお肉はどうなるのよ!?」
ミオがナオトの襟首を掴んで揺さぶる。
「お肉にはお酒が必要なの! 脂っこいお肉を冷酒でキュッと流し込むのが礼儀でしょ!? 酒なしで食えって言うの!?」
「落ち着けミオ! まだ出来てないんだから仕方ないだろ! 未完成の酒を飲むのは素人だ!」
「やだやだやだ! お酒飲むー! じゃないと暴れるー!!」
駄々っ子のように暴れ回る最強の戦士。小屋が揺れる。
「困ったお嬢さんじゃのう」
入り口から村長が苦笑しながら顔を出した。その手には一升瓶が握られている。
「村長?」
「ベヒモスなんていう大物を頂いたんじゃ。米だけじゃ割に合わん。これは村の秘蔵酒、開拓者の魂じゃ。よかったら宴の席で飲んでくれんか?」
「お酒っ!」
ミオが残像を残すほどの速さで村長に駆け寄り、瓶を奪い――いや、恭しく受け取った。
「ありがとうございます村長さん! 一生ついていきます!」
「変わり身の早い娘だ。まあいい。せっかくだ、村の衆も呼んで派手にやるか」
◇ ◇ ◇
夜。
村の広場には巨大な焚き火が用意され、ナオトが即席で作った鉄板が設置されていた。
その上で、分厚いベヒモスのステーキが音を立てて焼かれている。
ジュワァァァァァァッ!!
脂が跳ね、白い煙と共に濃厚な肉の香りが広場を包み込む。
そこに、樽仕込みの醤油を垂らす。
ジューッ!!
コゲた醤油の香ばしさが、肉の旨味を何倍にも増幅させる。
「うわぁ。匂いだけでご飯3杯いける」
ミオが箸と茶碗を持ってスタンバイしている。
村人たちも、見たことのない巨大な肉に釘付けだ。
「よし、焼けたぞ! 食べごろだ!」
ナオトの号令と共に宴が始まった。
「いっただきまーす!!」
ミオが一番大きな塊を頬張る。噛んだ瞬間、肉汁の爆弾が破裂した。
「んぐっ、んふぅ~ッ!!」
ミオがのけぞる。
「柔らかっ! 歯がいらない! 飲める! このお肉、飲めるよナオト!」
「……飲み物にするな。ちゃんと味わえ」
ナオトも一口食べる。
野生の荒々しい風味と上質な脂の甘み。
そこに醤油の塩気が加わり、完璧なバランスを生み出している。
これぞ、命がけで戦った者だけが味わえる勝利の味だ。
「そして、ここでお酒を投入!」
ミオが酒をコップに注ぎ、一気に煽る。
キュッ。プハァッ!
「あぁぁぁ! 最高! 辛口のお酒がお肉の脂を洗い流して……また一口目が欲しくなる! 無限機関の完成よ!」
「ペース配分を考えろよ。そんなんじゃ、明日は二日酔い確定だぞ」
村人たちも、恐る恐る肉を口にし、その味に驚愕していた。
「うめぇぇぇ! なんだこりゃ!」
「力が湧いてくるぞ! ものすごい滋養だ!」
ベヒモスの肉にはスタミナ回復と筋力増強の効果がある。広場は歓喜の渦に包まれた。
「それにしても、あんたたち」
酒の回った村の若者がナオトに話しかけてきた。
「すげぇな。まさか本当にベヒモスを倒しちまうなんて。噂は本当だったんだな」
「噂?」
ナオトが箸を止める。
「ああ。最近、行商人の間で持ちきりだぜ。西の大陸を荒らし回る、美食の破壊神の話」
「……はい?」
「なんでも、北の海では巨大ガニの甲羅を素手でカチ割り、砂漠ではデザート・クラーケンを踊り食いし、地下闘技場ではオーガを拳ひとつで沈めたっていう……」
「おいおい」
ナオトが苦笑する。
話に尾ひれがついているが、あながち間違いではないのが痛い。
「その正体が、大剣を背負った黒髪の美女と、銀髪の錬金術師だってな。暴食の剣姫と悪魔の調理人なんて二つ名まで付いてるらしいぞ」
「ぶふっ!」
ミオが酒を吹き出した。
「暴食の剣姫!? ひどい! せめて美食の剣姫にしてよ!」
「悪魔の調理人、か。的を射ているだけに否定しづらいな」
ナオトは肩をすくめたが、その表情は満更でもなかった。
TRPGにおいて、名声は金銭以上の価値を持つ資産だ。
名が売れれば、より高難易度の依頼が舞い込み、レアな情報を得やすくなる。
そして何より、名声そのものが魂の器を育てる経験値となる。
「ふっ」
ナオトは口元を緩め、夜空を見上げた。
この宴の盛り上がり、村人たちの感謝、そして広まる噂。
おそらく今、見えないパラメータが上昇し、俺たちのレベルを底上げしているはずだ。
だが、その詳細を確認するのは明日にしよう。今はただ、この美酒と美食を堪能する時間だ。
「ねえ、ナオト」
ミオが酔っ払って、ナオトの肩に寄りかかってきた。
その視線は楽しそうに笑い合う村人たちの方へ向けられている。
「なんか、いいね」
「何がだ?」
「こういうの。いつもはナオトと二人きり、もしくはクロと一緒の食事じゃない?」
ミオが鉄板を囲んで盛り上がる村人たちを指差す。
老若男女が同じ肉を頬張り、同じ酒を飲んで笑っている。
「二人で食べるのも最高に美味しいけどさ。こうやって、大勢で囲むご飯って、また別の味がする気がする」
「共食のスパイスだな」
ナオトも村人たちの笑顔を眺めた。
「人間は古来より、獲物を分け合い、火を囲んで食事をすることで社会を作ってきた。美味しいという感情を共有することで、味覚以上の満足感が得られると言われている」
「むずかしいことは分かんないけど」
ミオがヘラリと笑い、空になったコップを掲げた。
「みんなが笑ってると、ご飯がもっと美味しくなる! それだけは確かだよ!」
「違いない」
ナオトは自分のコップをミオのコップに軽くぶつけた。
チンッ、と澄んだ音が夜空に響く。
「乾杯だ、ミオ。この最高の宴に」
「うん! 乾杯!」
二人は残りの酒を飲み干した。
心地よい疲労感と胃袋から湧き上がる幸福感。
村人たちの笑い声と、薪が爆ぜる音はいつまでも止むことはなかった。
◇ ◇ ◇
宴も終盤となり、村人たちが上機嫌で踊り始めた頃。
すっかり出来上がった村長が赤ら顔で二人の元へやってきた。
「いやぁ、あっぱれじゃった。ひっく……ベヒモス退治の英雄に野宿をさせるわけにはいかん」
村長がヒックとしゃっくりをして、鍵束をチャリチャリと鳴らす。
「村一番のゲストハウスを空けておいた。好きなだけ泊まっていくといい」
「助かります。テントも悪くないですが、やはり屋根と壁がある場所は落ち着きますから」
ナオトが礼を言うと、村長はニヤニヤと笑いながら付け加えた。
「安心せい。気を使わせんよう、村外れの一軒家じゃ。それに、寝室にはキングサイズベッドを用意させておいたぞ」
「は? キングサイズ?」
「うむ。お前さんらほどのアツアツなご夫婦なら、狭いベッドじゃ窮屈じゃろうて。若いもんは元気じゃからのぅ! カッカッカッ!」
村長がナオトの背中をバシバシと叩く。
「ご、ごふうふッ!?」
横で肉を頬張っていたミオが、変な声を上げてむせた。
「けほっ! ち、違いますよ村長さん! 私たち、そういうんじゃ!」
「そうじゃったか? しかし、さっきから見ておると息もぴったりじゃし、何より……」
村長が二人の距離感を指差す。
無意識のうちにミオはナオトのすぐ隣に座り、ナオトも当然のようにミオの皿に肉を取り分けていた。
パーソナルスペースなど存在しない、ゼロ距離だ。
「どう見ても、新婚旅行中のカップルにしか見えんがのぅ?」
「……ッ!!」
ミオの顔が火がついたように赤くなる。
今までダンジョンで一緒に野営したり、狭いテントで背中合わせに寝ることは日常茶飯事だった。
だが、それはあくまでパーティーメンバーとしての信頼関係であり、生存のための効率的な配置だったはずだ。
それを改めて男女の仲として指摘されると――。
「な、ナオトぉ。私たち、夫婦に見えるの?」
ミオが上目遣いで、モジモジしながら聞いてくる。
その仕草が妙に色っぽく、ナオトも思わず視線を逸らした。
「……コホン。あくまで外野から見れば、そう見えることもあるだろうな。これだけ長く一緒にいれば、空気感も似てくる」
「そ、そうだよね! あくまで外野の意見だよね! でも、キングサイズベッドって……一緒に寝るの?」
「嫌なら、俺は床で寝るが」
「い、嫌とは言ってないけど! ほら、せっかくのご厚意だし? ベッド広いなら、クロも一緒に寝れるし?」
ミオが慌てて言い訳を並べ立てる。
その耳まで真っ赤に染まっているのを見て、ナオトはため息をつきつつも、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。
「分かったよ。ありがたく使わせてもらおう、村長」
「うむうむ。精が出るのぅ! 子作りも応援しておるぞ!」
「「ぶーっ!!」」
二人同時に酒を吹き出した。
その夜。
案内されたゲストハウスの、無駄にムーディーな照明と巨大なベッドの前で。
二人は妙によそよそしく、背中を向け合って眠ることになったのだった。




