第69話 呪いの廃村と、聖なる水
ヒュルルル。
生温かい風が朽ち果てた家々の隙間を吹き抜ける。
西の大陸・西部の森の奥深く。人々が寄り付かぬ場所、嘆きの廃村。
昼間だというのに分厚い霧が立ち込め、視界は真っ白に閉ざされていた。
「うぅ。寒い。なんか、背筋がゾクゾクするよぉ」
ミオがナオトのローブの裾を掴み、背中に隠れるようにして歩く。
雷の山で見せた勇猛さはどこへやら。彼女はオバケが苦手だった。
「気温は適正だ。その寒気は環境要因ではなく精神的なもの……つまりSAN値 (正気度)が削られている証拠だ」
ナオトは冷静に霧の成分を分析しながら、足元のぬかるみを進んでいく。
「SAN値とかどうでもいいよ! 帰ろう? ねえ、帰ろうよナオトぉ! ここ絶対出るよ! うらめしや~って!」
「出るだろうな。この村は100年前に疫病で全滅し、そのままアンデッドの巣窟になったという記録がある」
「ひぃぃッ! 分かってるなら来ないでよ!」
「仕方ないだろう。ここにしかないんだから」
ナオトが霧の奥を指差す。
「この村の奥にある嘆きの泉。そこから湧き出る水は高濃度の聖属性を含んだ天然の聖水だ。万病に効くだけでなく、酒の仕込み水として使えば、最高級の神酒が作れる」
「お酒?」
ミオの耳がピクリと動く。
「でも、ちょっと待って。万病に効くお水があるなら、なんで村の人たちは疫病で全滅しちゃったの? それ飲めば治ったんじゃない?」
ミオの鋭いツッコミに、ナオトは「いい質問だ」とばかりにうなずいた。
「そこがこの村の悲劇だ。実はその泉が湧き出したのは村が全滅した後なんだ」
「えっ? どういうこと?」
「伝承によれば、村人たちが死に絶えた翌朝、突如として村の中央から清らかな水が噴き出したらしい。人々はそれを女神の涙、あるいは遅すぎた奇跡と呼んだ」
「うわぁ。なにそれ、すっごい皮肉」
「ああ。だからこそ、ここに留まる霊たちは強力だ。助かる術が目の前にあるのに、自分たちはもう手遅れだったという絶望と未練が、彼らをこの地に縛り付けている」
「重い! 話が重いよナオト!」
「だが、水に罪はない。俺たちはその、遅すぎた奇跡を有効活用させてもらうだけだ」
二人が村の広場に差し掛かった時だった。
オォォォォォ。
地を這うような呻き声。
霧が渦を巻き、半透明の人影が次々と実体化していく。
ボロボロの服を着た青白い顔の幽霊たち。
救われなかった村人たちの成れの果てだ。
「出たぁぁぁッ!!」
ミオが悲鳴を上げ、反射的に剛剣・ギガントを振り回す。
「来ないで! あっち行って! シッ、シッ!」
ブンッ! ブンッ!
剛剣が空を切る。
いや、空ではない。確かに幽霊の体を捉えているはずなのだが――。
スカッ。
手応えがない。
巨大な刃は幽霊の体をすり抜け、霧を払うだけだった。
「え? なんで? 当たらない!?」
「言っただろ。奴らは実体を持たない霊体だ。物理無効の特性を持っている」
ナオトが冷静に解説する。
「どうすんのよ! 私、魔法剣使えないのよ!? 今の私はただの筋肉なのよ!?」
「落ち着け。奴らの攻撃も、物理的なダメージじゃない」
幽霊の一体がミオに近づき、その冷たい手を伸ばした。
ヒヤリ。
触れられた肩から、力が抜けていく。
「あれ? なんか、体が重い……」
「ドレイン・タッチだ。生命力とスタミナを直接吸い取られるぞ。囲まれたら終わりだ」
「いやぁぁぁ! 吸わないで! 私の筋肉を返してぇ!」
ミオがパニックになり、デタラメに剣を振り回す。
しかし、効果がないどころか、幽霊たちはあざ笑うかのように増殖していく。
数十、いや百に近い数が二人を取り囲んでいた。
彼らの目は生への嫉妬と、自分たちが飲めなかった聖水を奪おうとする者への殺意に満ちている。
「数が多いな。いちいち魔法で浄化してたら、MPが持たん」
ナオトは足元の影に意識を集中させた。
「ねえナオト! なんか出して! 聖水とかないの!? 小瓶に入ってるやつ!」
「小瓶? そんなチマチマした量じゃ、この数は捌けないぞ」
「じゃあどうすんのよ! 私たち、ここで呪い殺されるの!?」
「安心しろ。在庫処分の時間だ」
ナオトがニヤリと笑う。
影の倉庫が大きく開いた。
そこからせり出してきたのは巨大な木樽――ではなく、金属製のタンクがついた、見たこともない機械だった。
赤い塗装に長いホース。そして先端には銃のようなノズルがついている。
「な、なにこれ? 消火用のホース?」
「高圧洗浄機・改だ。以前、教会のバザーで消費期限切れ間近の聖水をタンクごと買い占めておいたんだが……使い道がなくて困っていたところだ」
「消費期限切れって……効果あるの?」
「腐っても聖水だ。質より量で勝負する!」
ナオトがタンクのバルブを全開にし、魔力エンジンを起動させる。
キュイィィィィン!!
高周波の音が響き渡る。
「ミオ、ノズルを持て! 水圧が強いぞ、しっかり踏ん張るんだ!」
「えっ? 私がやるの!?」
「俺は出力調整をする! お前が狙いを定めて撃て!」
「もう、なんでもいい! やってやるわよ! 汚物は消毒よぉぉぉッ!」
ミオがヤケクソ気味にノズルのトリガーを引いた。
バシュアアアアアアアッ!!!
凄まじい勢いで、白く輝く液体が噴射された。
まるで高圧放水車だ。
聖なる光を帯びた水流が、一直線に幽霊の群れへと突き刺さる。
「ギャアアアアアアッ!?」
先頭にいたレイスが聖水を浴びた瞬間にジュッという音を立てて霧散した。
物理無効など関係ない。これは属性攻撃の津波だ。
「すごい! 消える! どんどん消える!」
「右だミオ! 3時方向に増援!」
「ラジャ! そっちもお風呂の時間よぉぉぉ!」
ミオが腰を落とし、ホースを振り回す。
強靭な足腰と腕力が、暴れそうになるホースを完全に制御していた。
ブシャァァァァッ!!
広範囲にばら撒かれた聖水のシャワーが広場を埋め尽くす幽霊たちを次々と浄化していく。
断末魔の合唱。それは恐怖の悲鳴ではなく、成仏する際の安らかな声にも聞こえた。
生前、浴びることのできなかった救いの水を今、その身に浴びているのだから。
「タンク残量50%! まだ撃てるぞ! 村ごと洗い流せ!」
「あははは! 楽しい! これ楽しい!」
ミオのSAN値が回復していく。
恐怖の対象が、ただの的に変わった瞬間だ。
彼女はトリガーを引き絞り、逃げ惑う幽霊たちを追いかけ回す。
「待ちなさいよ! 背中流してあげるってば!」
完全に立場が逆転していた。
幽霊たちが恐怖に顔を歪め (元から怖いが)、必死に霧の奥へと逃げていく。
「よし、ラストだ! 最大出力!」
ナオトがレバーを押し込む。
シュバァァァァァァァァ!!
極太の水流が村の中央を貫き、最後に残っていたボス格のレイス・ロードをも消滅させた。
プシュゥゥゥ。
タンクが空になり、蒸気が上がる。
静寂が戻った広場には綺麗に浄化された空気と、水浸しになった地面だけが残っていた。
「ふぅ。スッキリした」
ミオがノズルを下ろし、額の汗を拭う。
「完璧な除霊だな。これならゴーストバスターズとして開業できるレベルだ」
ナオトも満足げに機械を影に収納する。
大量の不良在庫を一掃できたことも、彼にとっては大きな収穫だった。
◇ ◇ ◇
幽霊を一掃した後、二人は村の最奥にある泉へと辿り着いた。
そこは不思議な場所だった。
周囲の腐敗した空気とは裏腹に、泉の周りだけ青々とした草が生え、清らかな水が湧き出ている。
ここだけ時間が止まっているようだ。
「これが、嘆きの泉……」
ミオがそっと水面を覗き込む。底が見えるほど透明度が高い。
「解析完了。間違いなく最上級の聖水だ。さっきばら撒いた期限切れの聖水とは格が違う。これは女神の涙そのものだ」
ナオトがコップで水をすくい、一口飲む。
「美味い。雑味がなく、体に染み渡るようだ」
「私も!」
ミオも手で水をすくって飲む。
「んんっ! 甘い! 水なのに甘いよナオト!」
「ミネラルと魔力が凝縮されているからな。よし、これを汲んで帰るぞ」
ナオトは空になったタンクを取り出し、今度はこの極上の水を満タンになるまで汲み上げた。
さらに、樽にも詰めていく。
「これでお酒造るの?」
「ああ。帰ったらすぐに仕込みだ。米と麹、そしてこの水があれば、一ヶ月後には極上の濁り酒が飲める」
「一ヶ月!? 待てない! 今飲みたい!」
「我慢しろ。待つのも調味料のうちだ」
「ぶー。ケチ」
ミオが口を尖らせるが、その顔にはもう恐怖の色はない。
日が差し込み始めた廃村は、どこか穏やかな表情を見せていた。
自分たちを縛り付けていた未練ごと洗い流され、霊たちはようやく眠りについたのかもしれない。
「さあ、行くか。長居すると、また別の何かが出そうだしな」
「うん! 早く帰って、お酒の準備しよ!」
二人は廃村を後にした。
背中には未来の美酒という希望を背負って。
手帳に新たな項目が追加される。
【入手アイテム:嘆きの泉の聖水】
【効能:万能薬、除霊、そして最高級の酒の原料】
【備考:物理無効の敵には高圧洗浄機が有効。SAN値回復にも効果あり】
西の大陸・放浪グルメ旅。
恐怖スポットすらも、彼らにとってはただの食材調達場所に過ぎなかった。




