第66話 キノコの森と、笑いの胞子
鬱蒼とした木々が空を覆い隠す薄暗い森の中。
地面には湿った苔が広がり、腐葉土の独特な香りが鼻をつく。
西の大陸・北部に広がる霧の樹海。
ここは大陸屈指のキノコの群生地として知られている。
「ねえナオト。暗いし、ジメジメしてるし、なんかカビ臭いよぉ」
ミオが鼻をつまみながら、足元のぬかるみを避けて歩く。
砂漠の乾燥地帯から一転、今度は湿地帯の冒険だ。
「文句を言うな。この湿気こそが、お宝を育てる揺りかごなんだ」
ナオトは真剣な眼差しで、木の根元や倒木を入念にチェックしている。
その手には図鑑が開かれていた。
「今回のターゲットはマツタケモドキ。見た目も味も、あの伝説のキノコ、マツタケに酷似しているが、傘の裏が紫色なのが特徴だ」
「味は? 美味しいの?」
「絶品だそうだ。炭火で焼けば、その香りは1キロ先まで届くと言われている。市場価格は一本で金貨5枚」
「ご、5枚!? やる気出てきた! 探すわよナオト! 根こそぎ採るわよ!」
ミオの目の色が変わり、剛剣を杖代わりに森の奥へと突き進み始める。
「おい、先行しすぎるな。この森には笑い茸という厄介な魔物も生息しているらしい」
「笑い茸? なにそれ、食べたら面白くなるの?」
「いや、胞子を吸うと神経系に作用して、強制的に笑いが止まらなくなる毒を持っているそうだ。戦闘中に吸ったら致命的だぞ」
「へーきへーき! 私、病気とかしないし! 筋肉が免疫になってるから!」
「根拠のない自信だ。まあ、見つけたらすぐに焼却するがな」
二人は森の深部へと進んでいく。
やがて、少し開けた場所に出た。そこには色とりどりのキノコが群生していた。
赤、青、黄色、そして毒々しい紫色の斑点模様。
まるで子供の落書きのような光景だ。
「うわぁ。なんか目が痛くなる色ね」
「待てミオ。様子がおかしい」
ナオトが足を止める。
風がないのにキノコたちがゆらゆらと揺れているのだ。
そして、どこからともなく「ケケケ」という小さな音が聞こえてくる。
「ん? なに? 虫?」
ミオが一番手前の巨大な赤いキノコに顔を近づける。
その瞬間だった。
ボンッ!
キノコの傘が破裂し、ピンク色の粉塵が舞い上がった。
「うわっ!? けほっ、けほっ! なによこれ! 粉っぽい!」
「ミオ、離れろ! それはラフ・マッシュの胞子だ!」
ナオトが慌てて袖で口を覆うが、すでに遅かった。
充満したピンク色の煙は二人の周囲を完全に取り囲んでいた。
甘ったるい、妙な香りが肺の奥まで入り込んでくる。
「うぐっ。やっちまったか! すぐに解毒ポーションを」
ナオトがポーチに手を伸ばす。
しかし、指先が妙に震えて、うまくフラスコが掴めない。
それどころか、こみ上げてくる衝動があった。
「くっ、くくっ……」
「え? ナオト?」
ミオがナオトを見る。
その顔は必死に真面目な表情を作ろうとしているが、口元がだらしなく緩んでいる。
「なにその顔。……ぷっ。変なの」
「な、なにがおかしい。ぶふっ。お前こそ、鼻の頭に……くくく……ピンクの粉がついてるぞ」
「えー? うそぉ……あはっ! あはははは! なにこれ、なんか楽しい!」
「笑うな。これは毒だ。ふふっ。真面目にしろ……あははは!」
ダメだった。
理性が吹き飛ぶほどの面白さが脳内を駆け巡る。
箸が転げてもおかしい年頃どころではない。
風が吹くだけで爆笑ものの面白さだ。
「あひゃひゃひゃ! ナオトの眼鏡、ズレてるぅ~! ウケるぅ~!」
ミオが腹を抱えて地面を転げ回る。
剛剣・ギガントが邪魔で、時折痛がる様子が、また滑稽で笑いを誘う。
「よ、よせ! 俺を見るな! あはははは! ダメだ、ツボに入った! お前のその、間抜けな顔! ヒーッ、腹痛ぇ!」
ナオトも膝をつき、地面をバンバンと叩いて爆笑している。
普段のクールな態度はどこへやら。
涙を流して笑い転げる二人の姿は完全に酔っ払いか狂人だ。
「きゅぅ~! きゅふふふッ!」
影から出てきたクロまでもが、ひっくり返って短い足をバタバタさせている。
どうやら竜にも効くらしい。
その時だった。
ズシン……ズシン……。
地面を揺らす重い足音。
森の奥から巨大な影が現れた。
身長5メートル。全身が古木と菌糸で構成された森の主。
頭部には巨大な王冠のようなキノコが生え、腕の代わり太い蔦と根を振り回している。
「グォォォォォォォォッ!」
森の主・マイコニド・キングの咆哮。普通なら恐怖ですくみ上がる場面だ。
「ぶっ! あははははは! 見た!? 今の見た!?」
ミオが魔物を指差して笑い飛ばす。
「頭! 頭がキノコよ!? しかも、なんか変な形! 卑猥! あはははは!」
「くくくっ! 確かに、あのバランスは……ぷっ! デザイナーの正気を疑うな! あははは! 歩き方も変だぞ! ガニ股すぎる!」
ナオトも笑いが止まらない。
本来なら『推定レベル25、物理耐性あり、火属性弱点』と冷静に分析するところだが、今の彼の脳内では『面白いキノコおじさん』という認識しかなかった。
「グガァッ!?」
魔物が困惑したように立ち止まる。
獲物が逃げもせず、あろうことか自分を見て爆笑しているのだ。
プライドを傷つけられたのか、怒りの咆哮を上げて突進してきた。
「来るぞミオ! 迎撃だ……ぶふっ!」
「了解ぃ~! 斬ってやるわよ、キノコおじさん! あひゃひゃ!」
ミオがふらつく足取りで立ち上がり、剛剣を構える。
しかし、笑いすぎて力が入らない。
「とりゃぁぁぁ……あはっ、手が滑った!」
ブォン。
剣が明後日の方向へ振られる。
魔物の太い腕がミオの真横を通過して地面を砕いた。
「危なっ! あははは! 死ぬところだった! ウケる!」
「ちゃんと狙え! くくっ! 俺が援護する!」
ナオトがフラスコを取り出す。火炎瓶だ。
これを投げれば大ダメージだ。
「食らえ! 燃えろ……あははは!」
ヒュッ。
投げたフラスコは魔物の頭上を遥かに越えていき、遠くの木に当たって虚しく割れた。
ボォッ!
無関係な木が燃え上がる。
「どこ投げてるのよナオトぉ! ノーコン! あはははは!」
「うるさい! 手が震えて……ぶふっ! お前が変な動きするからだ!」
絶体絶命のピンチなのに緊張感ゼロ。
魔物が蔦を振り上げ、二人をまとめて叩き潰そうとする。
「グォォォォッ!」
「うわぁ、大きい! あんなので叩かれたら……ペシャンコね! あひゃひゃ!」
「笑ってる場合か! 避けろ……ぷっ!」
ドガァァァン!!
蔦が振り下ろされる直前。
ミオが笑い転げてバランスを崩し、ナオトの方へ倒れ込んだ。
ナオトも巻き添えを食らって転倒する。
その結果、二人は偶然にも蔦の一撃を回避した。
それどころか、ミオが倒れる拍子に蹴り上げた足が剛剣の柄にヒットする。
カィィィン!!
テコの原理で跳ね上がった剛剣が、まるで意思を持ったかのように回転しながら飛んでいった。
「あ、剣が飛んだ。くるくる回ってるぅ~」
「何やってんだ……あははは」
その剣は美しい放物線を描き――。
魔物の股間 (に見える太い根の分岐点)に深々と突き刺さった。
ズドォォォッ!
「ギャアアアアアアアアッ!!」
森の主が男なら誰でも共感できるような悲鳴を上げて悶絶した。
植物に急所があるのかは不明だが、とにかく痛かったらしい。
「ぶっ! あはははははは! そこ!? そこに刺さる!?」
ミオが地面を叩いてのたうち回る。
「くくくっ! クリティカルヒットだ! あははは! まさに急所攻撃!」
ナオトも涙を拭いながら爆笑する。
魔物は痛みに耐えかねて、よろよろと後退し、そのまま背後の巨木に激突して気絶した。
ドスゥン。
勝負あり。
笑いの神が舞い降りた、奇跡の勝利だった。
◇ ◇ ◇
数時間後。
胞子の効果が切れ、正気に戻った二人は森の開けた場所で焚き火を囲んでいた。
その鍋からは極上の香りが立ち上っている。
「……はぁ。死ぬかと思った。笑い死にって本当にあるのかもね」
ミオがげっそりした顔で鍋を見つめる。
腹筋が筋肉痛でバキバキだ。
「全くだ。一生分の笑いを消費した気分だ」
ナオトも疲れ切った顔をしている。
だが、その手にはしっかりと戦利品が握られていた。
「で、これがそのマツタケモドキ?」
ナオトが握っているのは倒した魔物の頭に生えていた、立派なキノコだ。
「ああ。どうやらあの魔物はマツタケモドキの苗床だったらしい。極上の栄養を吸って育った最高級品だ」
ナオトがナイフで薄くスライスし、煮立った鍋へと投入する。
ジュワァ。
一気に広がる芳醇で上品な香り。土と森の恵みが凝縮された匂いだ。
「いい匂い! さっきの毒胞子とは大違い!」
「さあ、食うぞ。笑い疲れた体にはキノコ鍋が一番だ」
二人は器によそい、ハフハフと言いながら口に運ぶ。
「んん~っ!! シャキシャキ! 香りが鼻に抜けるぅ!」
ミオが目を見開く。
「美味いな。噛むたびに旨味が染み出してくる。苦労して (笑って)手に入れた甲斐があった」
「これ、いくらでも食べられるわ! ナオト、おかわり!」
「待て。シメの雑炊もある。米を入れるぞ」
ナオトが影の倉庫から米を取り出し、キノコの出汁がたっぷり出たスープに投入する。
卵でとじれば黄金色のキノコ雑炊の完成だ。
「幸せ……。ねえナオト」
「ん?」
「さっきのナオトの顔、ほんとに面白かったわよ?」
「うるさい。忘れるんだ」
「あはは! 思い出しただけで笑えてくるぅ! ぷっ!」
「まだ胞子が残ってるんじゃないだろうな?」
「違うもん! ナオトの変顔が目に焼き付いてるだけ!」
ミオが楽しそうに笑い、ナオトはバツが悪そうにそっぽを向いて雑炊を啜った。
森の夜は更けていく。
時折、遠くから「ケケケ」という笑い声が聞こえるような気がしたが、満腹の二人にはもう関係のないことだった。
手帳に新たな記録が刻まれる。
【戦利品:マツタケモドキ (極上)】
【備考:笑い茸には要注意。腹筋崩壊の危険あり】
西の大陸・放浪グルメ旅。
時には涙を流すほど笑い、そして美味いものを食う。
それもまた、旅の醍醐味なのだ。




