第65話 砂漠の氷売りと、蜃気楼の主
ジリジリと肌を焼く音が聞こえてきそうなほどの陽射し。
西の大陸・南西部。
渇きの海と呼ばれる大砂漠地帯は今日も今日とて生命を拒絶する熱波に包まれていた。
「あー、無理。もうダメ。私、干物になっちゃう」
ミオが頼りない足取りで、砂山を登っていく。
その顔は真っ赤で、目は虚ろだ。
「暑い。暑すぎて思考回路がショートしそう。ねえナオト、ここ何度あるの?」
「気温52度。地表温度は70度を超えてるな。生卵を落とせば3分で目玉焼きだ」
ナオトは涼しい顔で――といっても、冷却魔法を付与したローブのおかげだが――温度計を確認する。
「目玉焼き。食べたいけど、今は水分。冷たい水……」
「水筒の水なら、さっき全部飲み干しただろ?」
「うぅ。ナオトのいじわる。影の倉庫にはまだ冷たいものが入ってるんでしょ? 知ってるんだから!」
ミオがナオトの足元の影に飛びつこうとする。
ナオトはひらりとそれをかわし、ニヤリと笑った。
「あるぞ。とっておきの在庫がな」
「えっ!? あるの!? ちょうだい! 一生のお願い!」
「ただやるのは面白くない。見てみろ、あそこを」
ナオトが指差した先。
砂丘の下に一本の街道が伸びている。
そこには暑さに喘ぎながら歩くキャラバンや、疲れ切った旅人たちの姿があった。
この砂漠を越える唯一の交易ルートだ。
「人がいっぱいいるね。みんな死にそうな顔してるけど」
「そうだ。需要はある。そして俺たちには供給がある」
ナオトがパンと手を叩いた。
「ミオ、開店準備だ。ここで商売をするぞ」
「は? 商売?」
「ああ。氷を売るんだ」
ナオトが指を鳴らすと、影の倉庫が大きく開き、そこから巨大な物体がせり出してきた。
それは透き通ったクリスタルのような輝きを放つ、巨大な氷塊だった。
以前、北の雪山でナオトが大量に切り出し、保存しておいた万年氷だ。
「うわぁぁぁ! 氷だぁぁぁ!」
ミオが氷塊に抱きつく。
ジュワァ……という音と共に氷の表面が少し溶け、冷気が周囲に広がる。
「天国ぅ! 生き返るぅ!」
「独り占めするなよ。これは商品だ。さあ、ナオト&ミオの特製かき氷屋、オープンだ!」
◇ ◇ ◇
数十分後。
砂漠の街道沿いに異様な光景が出現していた。
魔法で作り出した氷の柱が涼しげな冷気を放ち、即席のテントの下には長蛇の列ができている。
「いらっしゃいませー! 冷たいかき氷、一杯いかがっすかー!」
ミオが元気な声で呼び込みをする。
その手にはナオトが錬金術で作った特製シロップの瓶が握られている。
「おい、兄ちゃん! こっちにもくれ! 金なら払う!」
「俺もだ! 言い値でいい! 早くその冷たいのを食わせてくれ!」
旅人たちが砂漠のオアシスに群がるように殺到する。
ナオトは手動式のかき氷機を超高速で回していた。
「はいよ! 一杯、銀貨1枚だ!」
「高い! が、安いもんだ! くれ!」
シャリシャリシャリシャリ!
軽快な音が響き、器にふわふわの氷が山盛りにされていく。
飛ぶように売れるとはこのことだ。
影の倉庫に眠っていたタダ同然の氷が、ここでは宝石以上の価値を持つ。
「すごいわねナオト。ボロ儲けじゃない」
「言っただろ? 場所が変われば価値も変わる。これぞ行商の極意だ」
ナオトは小銭箱に溜まっていく銀貨を見て、口元を緩めた。
クロも氷の欠片をもらって、シャリシャリと嬉しそうに齧っている。
順風満帆に見えたかき氷屋。
しかし、その甘い香りと、砂漠にはありえない強烈な冷気が、あるものを呼び寄せていた。
ズズズズズ。
地面が微かに震え始める。
最初は誰も気にしなかったが、振動は次第に大きくなり、砂粒がダンスを踊り始めた。
「え、何? 地震?」
「いや、違う。何か来るぞ!」
ナオトが手を止め、砂丘の向こうを睨む。
ゴーグルの解析が警告音を鳴らしている。
「巨大生物接近。熱源反応なし。地中から来る!」
ドバァァァァァァン!
店のすぐ近くの砂山が爆発した。
噴き上がった砂煙の中から現れたのは巨大な触手だった。
一本、二本、三本……。
無数の触手が空を覆い、その中心から巨大な頭部が姿を現す。
イカのような、タコのような、軟体動物の集合体。
その体表は乾いた砂色をしており、水分を求めてギラギラと目を光らせている。
「う、うわぁぁぁぁ! 出たぁぁぁ!」
「デザート・クラーケンだ! 逃げろぉぉぉ!」
客たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
せっかくの行列が一瞬で崩壊した。
「チッ。営業妨害だな」
ナオトが舌打ちをする。
クラーケンは長い触手を伸ばし、かき氷機の上の氷塊を狙っていた。
どうやら、冷気と水分に惹かれてやってきたらしい。
「きゅぅッ!」
クロが威嚇の声を上げて前に出るが、相手が大きすぎる。
「ねえナオト」
隣でミオがじゅるりと涎をすすった。
「なにかな?」
「あれ、タコ? それともイカ?」
「生物学的には砂棲軟体魔獣だ。どちらの特性も持っている」
「つまり、どっちの味もするってこと?」
ミオが背中の剛剣・ギガントを引き抜く。
その瞳は恐怖ではなく、強烈な食欲に燃えていた。
「焼きイカ! タコ焼き! シロップに飽きてきたところなのよ! しょっぱいものが食べたい!」
「やれやれ。そういうことなら、話は早い」
ナオトも戦闘態勢に入る。
商売は一時中断。ここからは仕入れの時間だ。
「やるぞミオ! 店を守りつつ、食材を確保だ!」
「ラジャ! 今日のランチはイカ (タコ?)焼きよ!」
シュバッ!
クラーケンの触手が鞭のようにしなって襲いかかる。
狙いはナオト――ではなく、やはり氷だ。
「させないわよッ!」
ミオが氷塊の前に立ちはだかる。剛剣を一閃。
ドゴォォォッ!
鈍い音が響き、剣が弾き返された。
切れていない。表面に傷がついた程度だ。
「硬っ! 何これ、ゴムタイヤ!?」
ミオが驚愕する。
砂漠の環境に適応したクラーケンの皮膚は乾燥と熱に耐えるため、異常なほどの弾力と硬度を持っていた。
「斬れないなら、千切るまでよ!」
ミオが再度、触手に向かって剣を叩きつける。
ズダンッ! ズダンッ!
切れ味で斬るのではない。20キロの鉄塊による質量攻撃で、無理やり繊維を圧し切るのだ。
「うりゃぁぁぁッ! 千切れろぉぉぉッ!」
ブチブチブチッ!!
嫌な音を立てて、ようやく触手の一部が千切れ飛ぶ。
「タフな食材ね! これじゃ日が暮れちゃうわ!」
「だろうな。なら、調理法を変えるぞ」
ナオトが影の倉庫からドラム缶のような容器を取り出した。
「ナオト、それ何?」
「精製鯨油だ。よく燃えるぞ」
ナオトが容器を蹴り飛ばし、クラーケンの足元で蓋を開けた。
ドボドボと大量の油が砂漠に広がり、クラーケンの体を濡らす。
「いくら砂漠の熱に耐性があると言っても、それ以上の熱で焼かれたらどうかな?」
ナオトが指を鳴らす。小さな火種が油に引火した瞬間――。
ボォォォォォォォン!!
爆発的な炎がクラーケンを包み込んだ。大量の油による業火。
さすがの砂漠の主も、これにはたまらず悲鳴を上げる。
「ギュイィィィィッ!!」
クラーケンが暴れ回り、炎を振り払おうとする。
その熱気で、あたりに香ばしい匂いが漂い始めた。
「あぁっ! いい感じに焼けてる!」
ミオが炎の中で暴れる触手を見て、目を輝かせる。
だが、何かが足りない。
「ナオト! 醤油! 醤油出して!」
「はぁ!? 今!?」
「いいから早く! 味付けよ! 焼くなら醤油がなくちゃ!」
「まったく、注文の多い客だ」
ナオトは呆れつつも、影の倉庫から業務用の醤油樽を取り出し、ミオに向かって転がした。
「受け取れ!」
「さんきゅ!」
ミオは剛剣を地面に突き刺し、樽をキャッチすると、そのままクラーケンに向かって全力投球した。
バシャアァッ!
樽が砕け、大量の醤油が燃え盛るクラーケンの足に降り注ぐ。
ジュワァァァァァ……!!
油と炎、そして醤油。
三つが混ざり合った瞬間、爆発的な香りが発生した。
醤油の焦げる、あの香ばしく、暴力的なまでに食欲をそそる匂い。
砂漠の熱風に乗って、あたり一面に屋台の匂いが充満する。
「くぅ~っ! たまらない! 白米持ってこい!」
ミオが叫ぶ。
しかし、クラーケンの反応は違った。
「ギ、ギギギッ!?」
クラーケンが動きを止める。
その巨大な目は炎の熱さ以上に、この匂いに拒絶反応を示しているようだった。
砂漠の生物にとって、焦げた匂いは死や山火事を連想させる危険信号なのか、それとも単に生理的に無理なのか。
「おや? 様子がおかしいな」
ナオトが観察する。
クラーケンは嫌悪感を露わにし、醤油がかかって焦げている自分の足を、他の足で引き千切ろうとし始めたのだ。
「ギュウゥッ!」
ブチィッ!!
自ら足を切り離すと、クラーケンは一目散に砂の中へと潜り始めた。
逃走だ。
あの匂いから逃げるように、凄まじい速度で地中へと消えていく。
「ああっ! 逃げた! 待ちなさいよ食材!」
ミオが追いかけようとするが、相手は砂の中。追いつけるはずもない。
「まあいいさ、ミオ。見ろ」
ナオトが指差した先には切り離された巨大な足が、こんがりと焼けて転がっていた。
醤油の焦げ目がついた、完璧な焼き加減の足だ。
「……美味しそう」
ミオがゴクリと喉を鳴らす。
◇ ◇ ◇
「うめぇぇぇ!」
「なんだこれ! 香ばしくて最高だ!」
戦闘終了後。
逃げ出した客たちが戻ってきて、今度は巨大な焼きイカの周りに行列を作っていた。
ミオが剛剣でぶった切った身をナオトが串に刺して配っている。
「はい、お待たせ! 特製、砂漠の焼きイカ・醤油味だよ!」
「かき氷とセットで買うと割引よ!」
飛ぶように売れる。
甘いかき氷と、しょっぱい焼きイカ。
無限ループが完成していた。
「んぐんぐ。んふぅ~、幸せ!」
ミオも自分の分の巨大な切り身にかぶりつき、満面の笑みを浮かべている。
「弾力がすごくて、噛むと肉汁と醤油がジュワッて! 最高! 逃げられちゃったけど、結果オーライね!」
「そうだな。討伐はできなかったが、素材と金は手に入った。文句なしだ」
ナオトは集金箱の重さを確認しながら、やれやれと肩をすくめた。
かき氷の売上と焼きイカの売上。
今日一日で、旅費どころか豪遊できるだけの稼ぎが出ている。
「ごちそうさまでした! さあ、次の目的地へ出発!」
太陽が傾き始め、少しだけ気温が下がってきた。
ナオトは店じまいを始め、残った氷と道具を影の倉庫へと収納する。
砂漠の真ん中で繰り広げられた、商売とグルメの狂宴。
ナオトとミオの冒険は胃袋を満たしながら続いていく。




