第63話 鋼鉄の蟹と、究極の甲羅蒸し
ザッパァァァン!
荒々しい波しぶきが黒い岩肌に打ち付けられる。
奇岩が連なる海岸線、魔の洗濯岩。
普段なら漁師たちで賑わうはずのこの場所は今、異様な静けさに包まれていた。
「……いないわね、カニ」
ミオが岩陰から海面を睨みつけ、不満そうに口を尖らせる。
その視線の先ではナオトが何やら海中に向かって粉末を撒いていた。
「焦るな。今、撒き餌をしているところだ」
「撒き餌? 何それ、すごい変な匂いするけど」
「特製の集魚フェロモン・改だ。甲殻類が好むアミノ酸と魔物の興奮剤を調合してある。半径3キロ以内のカニなら目の色を変えて寄ってくるはずだ」
「へぇ。で、本当に美味しいの? 剛腕のガニデスってやつ」
ミオが涎を拭う仕草をする。
今回の目的は漁師たちを困らせているネームドモンスターの討伐。
そして何より、その極上の身を食らうことだ。
「ギルドの資料によれば、ガニデスの肉は海の宝石と呼ばれているらしい。筋肉繊維が極めて細かく、噛めば噛むほど濃厚な甘みが溢れ出す。特に、巨大なハサミの中にある身は、一噛みで口の中がカニの洪水になるそうだ」
「カニの洪水! じゅるり……」
「そして、甲羅の中には黄金色のカニ味噌がたっぷりと詰まっている。これを炙って、熱燗を注げば……」
「甲羅酒! たまらん! ナオト、早く呼んで! 今すぐ呼んで!」
「来てるぞ。足元だ」
ナオトが冷静に告げた瞬間だった。
ゴゴゴゴゴゴ!
足元の岩場が激しく振動し、海面が盛り上がった。
ザバァァァァァッ!!
水柱と共に姿を現したのは家一軒ほどもある巨大な影。
青黒く輝く甲羅はまるで研磨された鋼鉄のよう。
そして何より目を引くのは、その名の由来となった異様に発達した右のハサミだ。
戦車すら粉砕しそうな威圧感を放っている。
「デカっ!!」
ミオが仰け反る。
「剛腕のガニデス。推定レベル30のネームドだ。あのハサミに挟まれたら、お前の剛剣でもへし折られるぞ」
「上等じゃない! 美味そうなハサミね! いただきまーす!」
ミオが地面を蹴る。
食欲という名のブーストがかかった彼女の初速はいつにも増して速い。
「剛剣・ギガント! 殻割りアタック!」
ドォォォォォン!!
20キロの鉄塊がガニデスの脳天目掛けて振り下ろされた。
普通なら、どんな魔物も一撃でミンチになる威力だ。しかし――。
ガギィィィィィン!!
耳をつんざくような金属音が響き、火花が散った。
剛剣が弾き返される。
ガニデスの甲羅には傷一つついていない。
「はぁっ!? 硬っ!」
ミオが衝撃で痺れた手を振りながら後退する。
「無駄だ、ミオ。あいつの甲羅は生体ミスリルで構成されている。物理防御力だけで言えばドラゴンの鱗以上だ」
ナオトがゴーグルの解析結果を読み上げる。
「生体ミスリル!? 反則でしょ! どうやって食べるのよ!」
「食べる前に倒す心配をしろ! 来るぞ!」
シュゴォォォォッ!!
ガニデスの口から高圧の水流ブレスが発射された。
岩をバターのように切り裂きながらミオに迫る。
「うわっと!」
ミオが横っ飛びに回避する。
彼女がいた場所の岩が綺麗に両断されていた。
「危なっ! ウォーターカッターまで使うの!? ただのカニのくせに!」
「伊達に剛腕じゃないってことだ。物理が通じない以上、普通に戦ってもジリ貧だぞ」
「じゃあどうすんのよ! 魔法? 無理よ! 私、今は魔法剣士のスキルを全部捨てて、物理特化の剣士ビルドなんだから! 火種一つ出せないわよ!」
「知ってるさ。お前のMPが全部、筋肉に変換されていることくらいな。だから俺に任せろ」
ナオトがニヤリと笑い、影の倉庫から数本のフラスコを取り出した。
中身は透明な液体。
フラスコの表面には霜がつき、周囲の空気が白く凍りついている。
「ナオト、それ何?」
「液体窒素だ。錬金術で生成した、マイナス196度の極低温液体」
「また危ないものを」
「科学の授業の時間だ、ガニデス君。物質は急激な温度変化に弱い!」
ナオトがフラスコを投げる。
狙いはガニデスの背中、甲羅の中心部。
パリンッ!
シュゴォォォォォッ!!
フラスコが割れ、白い冷気が爆発的に広がる。
灼熱の海岸が一瞬で冷凍庫のような寒さに包まれた。
「ギ、ギギ!?」
ガニデスが動きを止める。
鋼鉄の甲羅が白く凍りつき、ピキピキと音を立て始めた。
「凍らせただけ? これじゃ倒せないわよ?」
「まだだ。ここからが調理の本番だ」
ナオトが次に取り出したのは巨大な筒状のアイテム。
魔導バーナーだ。
火力を最大出力にセットする。
「ミオ、離れてろ! 熱衝撃だ!」
ボォォォォォォッ!!
紅蓮の炎が凍りついた甲羅に直撃する。
マイナス196度から、プラス1000度への急激な温度変化。
物理法則が最強の鎧に牙を剥く。
パキッ……パキパキパキッ!!
甲羅が悲鳴を上げた。
金属の収縮と膨張の差に耐えきれず、無数の亀裂が走る。
「今だッ! ミオ!」
「合点承知ッ! 今度こそ割るッ!」
ミオが跳躍する。
亀裂の入った一点に狙いを定め、渾身の力を込める。
「必殺! カニ割りクラッシュ!!」
ズドォォォォォン!!
鈍い音ではなく、ガラスが砕けるような鋭い破砕音が響いた。
剛剣が甲羅を貫き、深々と突き刺さる。
「ギィィィィィィッ!!」
ガニデスが断末魔を上げ、巨大なハサミを振り上げたまま崩れ落ちた。
地響きと共に動かなくなる巨体。
亀裂から香ばしい蒸気がシューシューと噴き出している。
「ふぅ。勝った?」
ミオが剣を引き抜き、着地する。
「ああ。そして、調理も完了だ」
ナオトが近づき、亀裂から漏れる匂いを嗅ぐ。
「ん? なんかいい匂いがするんだけど」
「当然だ。凍らせて、焼いたんだぞ? つまり、甲羅の中で蒸し焼き状態になっている」
「えっ? てことは?」
「開けてみろ。極上の甲羅蒸しができているはずだ」
ミオがゴクリと喉を鳴らし、割れた甲羅に手をかける。
メリメリッ。
鋼鉄の蓋を持ち上げると――。
ブワァッ!
真っ白な湯気と共に濃厚な磯の香りが爆発した。
視界が白く染まる。
その向こうに見えたのは鮮やかな朱色に蒸し上がったカニの身と、黄金色に輝くカニ味噌の海。
「う、うそ……」
ミオが呆然とつぶやく。
ナオトの攻撃 (調理)によって、内部は完璧な火加減で蒸されていたのだ。
「完璧だ。水分を逃さず、旨味だけを凝縮した究極の蒸し料理だ」
「ナオト……」
「なんだ?」
「愛してる! 結婚して!」
「断る。まずは食うぞ」
二人は岩場に腰を下ろし、そのまま巨大なカニの解体ショーを始めた。
ミオが剛剣で脚を切り落とし、ナオトがナイフで殻を剥く。
プリプリとした白い身が弾けるように姿を現す。
「いっただきまーす!」
ミオが脚一本分の身を豪快にかぶりつく。
「んん~っ!! 甘いッ! 何これ、砂糖!? いや、フルーツ!?」
口いっぱいに広がる強烈な甘みと、繊維の一本一本から溢れ出るカニのエキス。
噛みしめるたびに幸福感が脳髄を直撃する。
「美味いな! やはりガニデスの肉質は別格だ」
ナオトも上品に身を味わう。
何もつけなくても、カニ本来の塩気と旨味だけで完成された味だ。
「そして、メインディッシュはこれだ」
ナオトが甲羅の中に溜まった黄金色のスープ、カニ味噌と肉汁が混ざり合った液体を指差す。
「カニ味噌フォンデュ」
「ごくり」
ミオが身をほぐし、その黄金のスープにたっぷりと浸す。
そして口へ運ぶ。
「んふぅっ!」
声にならないため息。
濃厚すぎて、意識が飛びそうになる。
海のミルクとも呼べるクリーミーな味噌が淡白な身に絡みつき、味の爆弾となって弾ける。
「ダメ、これ。人をダメにする味だわ」
「まだだ。ここでこれを投入する」
ナオトが影から取り出したのは一升瓶に入った純米大吟醸・龍の涙。
西の大陸で見つけた最高級の米酒だ。
「熱燗にしてある」
「悪魔! あんた悪魔よ!」
ナオトがカニ味噌の海に熱々の酒を注ぐ。
ジュワァ……という音と共に芳醇なアルコールの香りが立ち上る。
「甲羅酒だ。さあ、飲んでみろ」
ミオが震える手で巨大な甲羅の縁に口をつける。
ズズッ。
「っはぁぁぁぁ……!」
ミオが恍惚の表情で空を見上げた。
「……生きててよかった。私、もうこの岩場で一生暮らす」
「そうか。じゃあ俺は先に行くぞ」
「嘘嘘! ついてく! ナオトがいないと、こんな美味しいもの食べられないし!」
「きゅぅ!」
いつの間にか影から出てきたクロも、カニの脚を一本くわえて満足そうにしゃぶっている。
どうやら魔力だけでなく、美味しいものなら何でも食べるらしい。
「しかし、これだけデカいと食いでがあるな。余った分は倉庫に入れて保存食にするか」
「えーっ! 全部食べる! シメの雑炊もしなきゃだし!」
「お前の胃袋はどうなってるんだ。あれだけの戦闘の後だぞ」
「戦闘したからお腹が空いたの! ほらナオト、もっとお酒入れて! 味噌がまだ残ってる!」
夕日が海に沈み、空が茜色に染まっていく。
波の音とカニを啜る音、そして二人の笑い声が岩場に響く。
最強の硬度を誇ったネームドモンスターも、食欲と科学の前にはただの御馳走だった。
満腹になったミオが膨らんだお腹をさすりながらつぶやく。
「ねえナオト」
「ん?」
「次は肉ね。分厚いステーキが食べたい」
「贅沢な奴だ。まあ、次の街に行けば闘技場があるらしい。そこで勝てば、最高級の肉が手に入るかもな」
「闘技場!? 燃えてきた! 肉のために戦うわよ!」
「はいはい。まずはこの殻を片付けてからだ」
ナオトは苦笑しながら、手帳に新たな項目を書き加えた。
【戦利品:ガニデスの甲羅 (生体ミスリル)】
【用途:新しい防具の素材、および鍋の蓋】
西の大陸・放浪グルメ旅はまだまだ続く。二人の胃袋を満たす獲物を求めて。




