第56話 中層の試練と、魔法の禁止エリア
螺旋階段を登るにつれ、ミオの歯がガチガチと鳴る音が大きくなっていった。 二人の手元にある松明の炎だけが、頼りなく揺らめいている。
「ねえ、ナオト。さっきより、寒くない?」
ミオが震える声で訴える。彼女の吐く息が白く濁り、闇の中に消えていく。
「気温自体は変わっていないはずだ。だが、体感温度が下がってる」
「体感? 気のせいじゃないわよ。肌が痛いもん」
「気のせいじゃない。装備の問題だ。ミオ、お前のビキニアーマーの表面を見てみろ」
ミオが自身の胸当てやガントレットに視線を落とす。
先ほどまでミスリル特有の淡い光を帯びていた金属が、今はただの冷たい鉄塊のように光沢を失い、くすんで見えた。
「光ってない?」
「魔法禁止エリアに入ったんだ。この空間は大気中のマナが完全に枯渇している。そのせいで、お前の装備に付与されていた環境耐性や魔法防御の効果がゼロになった」
「はぁ!? じゃあ、今の私は?」
「ただの露出度の高い水着に、冷たい金属板を貼り付けているだけの状態だ。そりゃあ寒いだろうな」
ナオトは自身のゴーグルのダイヤルを回してみたが、レンズは沈黙したままだ。 魔力を動力源とする補助機能がすべて停止している。
「俺のゴーグルもただの重石だ。ここから先は魔法に頼れない。己の肉体と物理法則だけが支配する世界だ」
「最悪……。早く抜けないと凍え死んじゃう」
「急ごう。だが、足元には気をつけろ。来るぞ」
ズシン、ズシン。
静寂な回廊の奥から重苦しい振動が伝わってきた。
生物の鼓動ではない。無機質で冷徹な破壊の足音。
「また? 今度は何?」
揺らめく炎の先にその巨体がぬらりと浮かび上がった。
身長3メートル。全身が白銀に輝く金属で構成された人型。
のっぺらぼうの顔が無感情に二人を見下ろしている。
「銀色の巨人!?」
「ミスリル・ゴーレムだ。魔法を弾く素材で出来た、対魔術師用の殺戮兵器だな」
「関係ないわよ! 寒くてイライラしてんの! 粉々に砕いて焚き火にしてやるわ!」
ミオが背中の留め具を外し、剛剣・ギガントを引き抜く。
バフのない純粋な筋力だけの動作だが、怒りがそれを補っていた。
「待てミオ! そいつは物理耐性も……」
「問答無用ッ! ふんっ!!」
ガギィィィィィン!!
凄まじい金属音が回廊を揺るがした。
渾身の一撃がゴーレムの胴体を捉えたが、刃は表面を滑り、火花を散らしただけだった。
「いっ、たぁぁぁぁッ!?」
ミオが剣を取り落としそうになりながら後退する。
「言わんこっちゃない! 手が痺れただろ!?」
「な、なによコイツ! 岩より硬い! 斬れないどころか凹みもしない!」
「ミスリルだぞ! 鉄より硬くて軽い特殊金属だ! 正面から叩いても、衝撃がお前に返ってくるだけだ!」
ゴーレムが緩慢な動作で右腕を振り上げる。
ただのパンチではない。数トンの金属プレス機が迫ってくるようなものだ。
「来るぞ! 回避だ!」
ドォォォォォン!!
ミオが転がるように避けた場所にゴーレムの拳が叩きつけられた。
石畳が爆発したように砕け散り、破片が飛び散る。
「危なっ! 直撃したら即死ね!」
「弱点を探せ! ゴーグルが使えないから肉眼で観察するしかない!」
「そんな余裕ないわよ! ブンブン腕を振り回してくるし!」
狭い通路で暴れる巨体。逃げ場はない。
「関節だ! 膝と肘! そこだけ装甲が継ぎ目になっている!」
「狙えない! 速くはないけど隙がないのよ!」
「なら隙を作る! 俺が陽動する!」
ナオトが前に出る。手にはフラスコが握られていた。
「こっちだ、デクの棒! 錬金術師をナメるなよ! 強酸の瓶!」
ナオトが投げた瓶がゴーレムの顔面で割れ、黄色い液体が飛び散る。
しかし、わずかな煙が上がっただけで、液体は玉のように弾かれて流れ落ちた。
「……効いてない!?」
「耐薬品コーティングまで完備かよ! チッ、完全なる物理特化型か!」
標的を変えたゴーレムがナオトに向かって踏み出す。
「くそっ、逃げ場が! いや、待てよ。物理特化なら、物理でハメればいい!」
「ハメるって、どうやって!?」
「ミオ! ポーチに入ってる潤滑油を全部出すんだ! 剣のメンテナンス用に買ったやつ!」
「え? ヌルヌルのやつ?」
「そうだ! それを奴の足元に投げつけろ! 全力でだ!」
ミオは即座にポーチから革袋を取り出し、迷わず投げつけた。
「分かんないけど、くらえっ!」
バシャッ!
オイルが床に広がり、黒い光沢を作る。
そこへ、何も考えずにゴーレムが足を踏み入れた。
ツルッ!
数トンの巨体が漫画のように足を滑らせた。
金属の靴底と石畳の間の摩擦係数が一瞬でゼロになる。
ズドォォォン!!
地響きと共にゴーレムが仰向けに倒れ込んだ。
起き上がろうともがくが、オイルの上で手足が空転し、まるで裏返った亀のようだ。
「転んだ! すごい音!」
「摩擦係数ゼロの世界へようこそ。さあミオ、今だ。叩くんじゃない、てこだ」
「テコ?」
「剣を奴の首の隙間に差し込むんだ。それから全体重を掛けてこじ開けろ。お前の剣は切る道具じゃない、破壊するためのバールだ」
「なるほど! そういうことね! どっこいしょぉぉぉッ!」
ミオが倒れたゴーレムに飛び乗り、剛剣の切っ先を首の装甲の隙間にねじ込んだ。
そして、全身を使って柄を押し下げる。
ギギギギギッ!
「硬い! でも、浮いた!」
「いけるぞ! 関節の継ぎ目は構造的に弱いはずだ! もっと体重を乗せろ!」
「うらぁぁぁぁッ! 私の剛剣は伊達に重いわけじゃないのよぉッ!」
ミオの咆哮と共に20キロの鉄塊と彼女の怪力がミスリルの限界を超えた。
バキィィィィンッ!!
乾いた破断音。
ゴーレムの首が胴体から引き千切られ、床に転がった。中から歯車と魔石がこぼれ落ちる。
「……はぁ、はぁ。……止まった?」
「ああ。魔力の供給が断たれた。ただのスクラップだ」
ナオトがへたり込んだミオに手を差し伸べる。
「やったぁ! 勝ったぁ!」
「危ないところだったな。まともにやり合ってたら、こっちがミンチだった」
「ナオトのヌルヌル作戦のおかげね! でも、床が油まみれでベトベトする」
ミオが自分の足元を見て顔をしかめる。
オイルとゴーレムの残骸で通路は悲惨な状態だ。
「後で拭いとけ。俺たちが滑って転んだら笑えない」
「嫌よ。ナオトがやってよ」
「断る。先を急ぐぞ。このエリアを抜ければ魔法が使えるようになるはずだ」
ナオトが歩き出そうとして、ふと立ち止まる。
ミオが震えていたからだ。
戦闘の熱が冷め、再び極寒の冷気が彼女を襲っている。
「早くして! この格好、ホントに寒いの!」
「……お前、馬鹿は風邪ひかないって言うだろ」
「なんですって!?」
ミオが抗議しようと口を開けた瞬間、ふわりと温かいものが肩にかかった。
ナオトのローブだ。
体温が残る布地が冷え切った肌を包み込む。
「冗談だ。貸してやる。少しはマシだろ」
ナオトはシャツ一枚になり、照れくさそうに視線を逸らした。
「むぅ。汗臭いけど、借りてあげる」
「一言多いな。行くぞ」
「うん。……ありがと」
「聞こえん」
「なんでもない!」
二人の足音が静寂を取り戻した回廊に響く。
松明の炎が寄り添う二つの影を揺らしていた。




