第53話 魅惑の泉と、媚薬ポーションの罠
ザッ、ザッ、ザッ。
乾ききった砂の大地を二対の足音が延々と踏みしめていく。
西の大陸、内陸部。
岩と砂だけの荒野は日中の気温が40度近くに達する灼熱地獄だ。
「あー、もう! 限界! 無理!」
「何がだ」
「お風呂よ、お風呂! もう3日もお風呂に入ってないのよ!? この炎天下で!」
ミオが立ち止まり、背負った20キロの鉄塊、剛剣・ギガントをドスンと地面に落とした。
重い音が周囲の砂を震わせる。
「私の装備、見てよ。ビキニアーマーなのよ? 露出してる部分は日焼けでヒリヒリするし、金属が当たる部分は汗で蒸れてベタベタするし……最悪!」
「俺だってローブの中はサウナ状態だ。だが、文句を言っても涼しくはならんぞ。水は貴重だ。飲み水だけで手一杯だ」
「うぅ。ナオトが『露出度が高い方が魔力効率がいい』とか言うから信じたのに! これじゃただの汗臭い女戦士じゃない……」
(まあ、実際かなりキツイ匂いが漂ってきてるな。だが、それを口にしたら俺の命がない。20キロの鉄塊で頭をカチ割られる)
ナオトは水筒を振り、チャプンという微かな音で残量を確認した。あと一口分しかない。
「地図によれば、この岩山の陰にオアシスがあるはずだ。そこで水が補給できれば、体を拭くくらいはできるかもしれん」
「ホント!? 行く! 這ってでも行く!」
ミオの目が獣のように輝いた。
彼女は再び剛剣を軽々と担ぎ直し、砂煙を上げて猛ダッシュを始めた。
「元気だな。さっきまで死にそうだったくせに」
◇ ◇ ◇
数十分後。
二人の視界に砂漠の奇跡が飛び込んできた。
乾燥した荒野の中に突如現れた緑の木々。そしてその中心に、こんこんと湧き出る透明な泉。
水面は西日を反射してキラキラと輝き、底の白砂が見えるほど澄んでいる。
「み、水ぅぅぅッ!!」
「おい待て! まずは安全確認を!」
ガシャン! ジャラッ!
ミオはナオトの制止も聞かず、走りながらビキニアーマーの留め具を外し始めた。 金属製の防具が砂の上に散乱していく。
「ひゃっほぉぉぉぉッ!」
バシャアァァァン!!
一糸纏わぬ姿となったミオが、豪快な水飛沫を上げて泉へダイブした。
「あーあ。まあ、気持ちは分かるが」
「ぷはぁっ! 最高! 生き返るぅぅ!」
ミオが水面から顔を出し、濡れた髪をかき上げる。
水滴が健康的な肌を滑り落ち、夕日に照らされて艶めかしく輝いていた。
「ナオトも入りなよ! ちょうどいい湯加減よ!」
「湯加減? 冷たいんじゃないのか?」
「ううん。なんか、ほんのり温かいの。温泉かも!」
(温泉? こんな砂漠のど真ん中で? 火山帯でもないのに地熱があるわけがない)
ナオトの中にSE時代のデバッグ直感に近い警戒信号が灯る。
彼は泉のふちにしゃがみ込み、ゴーグルを調整した。
「解析。水質調査」
ナオトは試験管を取り出し、泉の水を採取した。
無色透明。無臭。だが、ゴーグルのレンズ越しに見るその水は微かにピンク色の魔力光を帯びていた。
(なんだ、この成分は。ミネラル、硫黄、重曹。ここまでは温泉成分だ。だが、このアルカロイド系の配列は?)
ピピッ。
ゴーグルの視界に解析結果の文字列が走る。
【水質:古代魔法水】
【効能:疲労回復 (特大)、美肌効果、滋養強壮】
【付帯効果:精神高揚、発汗作用、***促進】
(最後のが文字化けしてる。なんだ? 認識阻害でも付与されてるのか?)
チャプ、チャプ。
ミオが水をかく音が先ほどよりも緩慢になっている。
「んぅ。気持ちいい……」
ミオの声色が先ほどまでの元気なものとは少し違って聞こえた。どこか甘く、湿り気を帯びた吐息混じりの声。
「ミオ? 大丈夫か? のぼせてないか?」
「んー。なんか、ぽかぽかする。体の奥が熱いの」
(発汗作用か? いや、ちょっと様子がおかしいぞ)
ナオトは試験管の中に錬金術用の試薬を一滴垂らした。
ジュワッという音と共に透明だった水が瞬時にドピンク色に変色し、甘ったるい香りを放ち始めた。
(……ッ!! これは!!)
ナオトの顔色が変わる。
TRPGのサプリメント (追加ルールブック)で見たことがある。
古代の錬金術師が王侯貴族の夜の楽しみのために作り出した禁断の秘薬。
(魅了の媚薬だと!? 疲労回復効果のオマケにしては副作用が強すぎるぞ!)」
「ねえ、ナオトぉ」
バシャッ。
ミオが岸に近づいてくる。水に濡れた肌は夕日のせいだけではなく、上気して桜色に染まっている。瞳はトロンと潤み、焦点が定まっていない。
「おい、ミオ。上がれ。その水はヤバイ」
「ヤバイ? ううん、気持ちいいよ? ナオトも一緒に入ろう?」
ミオが水の中から手を伸ばし、ナオトの足首を掴んだ。
「ひゃっ!?」
熱い。火傷しそうなほどの熱が、濡れた掌から伝わってくる。
「ミオ、離せ。お前、何かのデバフにかかってるぞ」
「デバフぅ? 違うよぉ。これ、バフだよぉ」
ミオがクスクスと笑いながら、ナオトを引きずり込もうとする。
その力は筋力特化のリビルド済み。錬金術師のナオトに抵抗できるはずもなかった。
「うわっ!?」
ドボォォォン!!
大きな水柱を上げ、ナオトはローブを着たまま泉に落下した。
温かい水が全身を包む。そして、鼻腔をくすぐる甘い香り。
(マズイ! 気化して吸い込むだけでも効果があるのか!? 頭がクラクラする)
プハッ!
ナオトが水面に顔を出すと、目の前にミオの顔があった。
近い。あまりにも近い。
「あ、ナオトだ」
「ミオ、落ち着け。深呼吸しろ」
「んぅ。ナオト、いい匂い……」
ミオがナオトの胸板に頬を擦り寄せる。
豊満で柔らかい感触が濡れた服越しにダイレクトに伝わってくる。
(……理性が、死ぬ。なんだこの破壊力は)
ナオトの心臓が早鐘を打つ。
媚薬の効果だけではない。目の前の無防備な相棒の姿に男としての本能が警鐘を鳴らしているのだ。
「ねえ。触って?」
「!?」
ミオがナオトの手を取り、水中の自分の腰へと導く。
「熱いの。ここも、ここも……全部、熱くて……おかしくなりそう」
「ミオ、駄目だ! お前、正気じゃないんだ!」
「正気だよぉ。だって、ナオトのこと……ずっと……」
ミオが潤んだ瞳で見つめてくる。
その瞳に映っているのは間違いなくナオト自身だ。
(卑怯だろ、それは。こんな時だけ、そんな顔しやがって)
ナオトの脳内で天使と悪魔が緊急会議を始める。
悪魔:「イッちゃえよ。合意だろ? 世界を救う前に男になれよ」
天使:「駄目です! これは薬物の影響です! コンプライアンス的にNGです!」
ナオトの理性:「うるせぇ! どっちも黙ってろ!」
ギュッ。
ミオが抱きついてくる。濡れた肌と肌が密着する。
「ナオトぉ。……して?」
その一言が最後の一押しになりかけた。
ナオトの手が震えながらミオの背中に回る。
滑らかな肌の感触。熱い吐息。
「ミオ。後悔、するなよ?」
「うん。ナオトなら、いい……」
二人の顔が近づく。
唇が触れ合うまでの距離、あと数センチ。
世界がスローモーションになる。
その時。
グゥゥゥゥ~~~。
盛大な音が静寂なオアシスに響き渡った。
ロマンチックな空気を一瞬で切り裂く、腹の虫の合唱だ。
「え?」
「あ。お腹、空いたかも」
ミオの動きがピタリと止まった。
色っぽい空気が一瞬で霧散する。
(ここで腹の音!? そういえば、こいつ20キロの剣を振り回してカロリー消費してたんだった)
ナオトの理性がギリギリのところで首の皮一枚繋がった。
彼は大きく息を吐き、自分の頬をパチンと叩いた。
「飯だ。ミオ、飯にしよう」
「んぅ。ごはん?」
「ああ。とびきり美味い錬金術師特製・精力増強スープを作ってやる。だから、まずは上がれ」
「スープ……飲む」
食欲が性欲を上回ったのか、ミオは素直にナオトから離れた。
ナオトは急いで岸に上がり、濡れたローブを絞った。心臓はまだバクバクといっている。
(危なかった。マジで危なかった)
ナオトは震える手でポーチから中和剤と睡眠導入剤を取り出した。
(スープにこれを混ぜて、まずは寝かせる。媚薬の効果は睡眠でリセットされるはずだ)
◇ ◇ ◇
それから1時間後。
満天の星空の下、焚き火のパチパチとはぜる音だけが響いていた。
ミオはナオトのローブを毛布代わりに被り、すやすやと寝息を立てている。
「……すぅ……すぅ。……おかわりぃ」
幸せそうな寝顔だ。先ほどの妖艶な姿が嘘のように、今はただの無防備な少女みたいだ。
「まったく。人騒がせな奴だ」
ナオトは焚き火に薪をくべながら苦笑した。手には空になったスープ皿。
(ナオトなら、いい……か)
あの時の言葉が耳に残っている。
薬のせいだと分かっている。それでも、ナオトの胸の奥には消えない熱が残っていた。
「覚えてないだろうな、明日の朝には」
ナオトはミオの髪をそっと指で梳いた。
「おやすみ、ミオ。今日のところは俺の負けってことにしておくよ」
◇ ◇ ◇
翌朝。
小鳥のさえずりと共にミオが勢いよく起き上がった。
「ん~っ! よく寝たぁ!」
朝日が眩しい。
昨夜の湿っぽい空気など微塵も感じさせない、爽やかな目覚めだ。
「あれ? なんか、お肌ツルツルじゃない? 髪もしっとりしてるし!」
ミオが自分の頬をペチペチと叩いて喜んでいる。
「おはよう、ミオ。昨夜のことは覚えてるか?」
ナオトが少し充血した目でコーヒーを沸かしていた。
「え? お風呂に入って、気持ちよくて。そのあと、ナオトが美味しいスープ作ってくれて……」
ミオが首を傾げる。
記憶の糸をたぐるように眉をひそめるが、すぐに笑顔になった。
「……で、寝ちゃった! あ! 私、着替えもせずに寝ちゃったの!? ごめんナオト! 変なトコ見えなかった!?」
(ああ、やっぱり覚えてないか。媚薬の副作用で記憶が飛んでるな)
ナオトはホッとしたような、少し残念なような、複雑な表情でコーヒーを啜った。
「安心しろ。何も見てないし、何もしてない」
「ホント? ナオトなら、まあいっか」
「なんだそれ」
「だって、ナオトは紳士だもんね!」
ミオがケラケラと笑い、ナオトの背中をバシッと叩いた。腕力での一撃にナオトがむせる。
「ごふっ! お前な……」
「さあ! お肌の調子もいいし、出発よ! 今日こそ黄昏の尖塔に到着するわ!」
ミオが剛剣を担ぎ、元気に歩き出す。
その背中を見送りながら、ナオトは昨夜の感触を――掌に残る熱と柔らかさを、そっと握りしめた。
「ああ。行くか」
これは二人だけの秘密。いや、ナオトだけの秘密の思い出。
魅惑の泉での一夜は二人の絆を (一方的に)少しだけ深めて幕を閉じた。




