第48話 魔将軍の降臨と、絶対的な絶望
ゴゴゴゴゴゴ!
「おい、嘘だろ。空が割れていく」
「ナオト。息が、しづらい。空気が鉛みたいに重い」
「下がるな、ミオ。真正面から来るぞ。空間座標がデタラメに歪んでる。なんだ、このプレッシャーは。重力が狂ってるのか?」
パリィィィン!!
不快な音と共に空の亀裂から漆黒の影が降り立った。
背中には薄い羽。冷徹な美貌。
ただそこに存在するだけで、世界が悲鳴を上げているようだった。
『騒がしいな』
(ッ!? 喋っただけで、鼓膜が破れそうだ)
『我が牧場の管理システムがダウンしたと思えば。鼠が二匹、暴れ回っているとは』
「(鑑定、実行。エラー。対象のステータスを表示できません。レベル差が大きすぎます。推奨行動:全力逃走)」
「アンタ、誰よ。空から降ってくるなんて、演出が古臭いのよ! もっとマシな登場の仕方はなかったの!?」
『ベルゼビュート。魔王軍四天王が一角、魔将軍だ』
「四天王!? ゲームのラスボス級がいきなり出てくるなんて、バランス崩壊もいいとこね! 運営にクレーム入れてやるわ!」
『人間ごときが口を利くな』
パチン。
ドガァァァァァァン!!
「「……ッ!?」」
「なっ!? 嘘だろ!?」
「冗談でしょ。あのビルが空き缶みたいに……」
ナオトたちの視線の先で、ネクサスのシンボルだった高層ビル群が、一瞬にしてぺしゃんこに圧壊していた。
(重力操作!? いや、空間圧縮か!? ノーモーションでこの威力だと!? 魔法陣の展開も、詠唱もない。ただの意思だけで物理法則を書き換えたのか!?)
『さて。鼠狩りの時間だ。システムを壊した罪、万死に値する』
ベルゼビュートが無造作に指先をこちらに向けた。
「来るぞミオ! 回避しろ! 直撃したらミンチだぞ!」
「させるかぁぁぁッ! 先手必勝! やられる前にやる!」
ブォンッ!
ミオが地面を爆発させて加速した。
恐怖を怒りで塗り潰し、限界を超えたスピードで魔将軍に肉薄する。
(速い! 過去最速だ! リミッター解除してるな! これなら不意を突けるか!?)
「喰らいなさい! 全魔力解放! 私の全てを乗せた一撃! ギガ・ブレイク・スラッシュ!!」
ズバァァァァッ!!
カキンッ。
「は?」
(指? 指一本で止めた!?)
『遅い』
ベルゼビュートはミオの渾身の一撃を、あろうことか人差し指の腹だけで受け止めていた。汚れ一つ、ついていない。
『蚊が止まったかと思ったぞ』
「ふ、ふざけるなァァッ! 私の剣はオリハルコンだって! 戦車だって両断できるのに!」
『脆いな。こんな玩具で私に届くと思ったか?』
パリンッ。
乾いた音が響き、ミオの愛剣クリムゾン・エッジが飴細工のように砕け散った。
「うそ……私の剣が! 相棒が!」
『消えろ』
デコピン。ただ指を弾いただけの動作。しかし、そこから生じた衝撃波は音速を超えていた。
ドォォォォォン!!
「がはっ!? あぐっ!」
ミオの体が紙切れのように吹き飛ぶ。
強化スーツが半壊し、空中できりもみ回転しながら瓦礫の山に激突した。
「ミオッ!!」
(一撃!? Sランク装備のミオが一撃で!? クソッ! 化け物め! 俺の番だ!)
ナオトは懐から魔導拳銃を抜き、引き金を引いた。
「喰らえッ! 全弾発射! 目玉でも喉でもいい! 弱点に突き刺され!」
バシュッ! バシュッ! バシュッ!
キィン、キィン、キィン。
弾丸はベルゼビュートの体に触れることすらなく、その数センチ手前で見えない壁に弾かれ、地面に落ちた。
『文明の利器か。小賢しい』
「物理無効。なら、電子攻撃だ! ハッキング・ドローン、全機起動!」
ヒュンヒュンヒュン!
ナオトの背後から数十機の自律攻撃ドローンが飛び立つ。
「行け! 自爆特攻だ! EMPでバリアを中和しろ!」
ドガガガガッ!
『うるさい羽音だ』
ギロリ。ベルゼビュートがただ睨んだ。それだけで、空中のドローン全ての回路が一斉に焼き切れた。
(視線だけで!? 電子回路すら魔力で圧倒するのか!?)
「まだだ! 都市防衛システム、強制再起動! マザーの遺産を使わせてもらうぞ! 衛星軌道上の魔導レーザー、照準合わせ! 撃てぇぇぇッ!」
カッ!
上空から極太の光の柱が降り注ぐ。都市防衛用の最終兵器、戦略級魔法攻撃だ。
ズドォォォォォォン!!
(どうだ! 直撃だぞ! これなら少しは!)
煙が晴れる。そこには傷一つないベルゼビュートが、欠伸を噛み殺して立っていた。
『眩しいな。日差しか?』
「嘘だろ。HPバーが1ミリも減ってない。いや、そもそもダメージ判定が出ていない」
カラン……。
ナオトの手から端末が滑り落ちた。
(勝てない。これは戦いじゃない。災害だ。台風に向かって拳銃を撃ってるようなもんだ)
『終わりか? 鼠』
コツ、コツ、コツ……。
ベルゼビュートがゆっくりと近づいてくる。一歩踏み出すたびにナオトの心臓が早鐘を打つ。
(思考しろ。思考しろ! 生存ルートを検索。逃走経路……なし。交渉……不可。降伏……無意味。ブラフ……通じない)
『警告。生存確率:0.0000%。チェックメイトです』
「あ、あぁ」
ナオトの膝が笑う。恐怖ではない。純粋な絶望だ。
論理が、理性が、導き出してしまったのだ。ここで死ぬという確定した未来を。
(ごめん、ミオ。俺の計算違いだ。ここは俺たちが攻略できるステージじゃなかった。レベル1でラスボスに挑んじまったんだ)
ガサッ。
瓦礫の中から、ミオがふらりと立ち上がった。血まみれで、片足を引きずっている。それでも、その瞳だけは死んでいない。
「ナオト……逃げ……て……」
「逃げる? どこへ? この世界全部が、こいつの庭なのに」
『仲睦まじいことだ。だが、目障りだ』
フワッ。
ベルゼビュートが右手を掲げた。その掌にどす黒い球体が生成される。
圧縮された重力崩壊エネルギー。触れれば、原子レベルで消滅する死の塊。
『消え失せろ』
ヒュンッ。
黒い球体が放たれた。標的は腰を抜かして動けないナオト。
弾速は遅い。だが、回避不能なほどの圧力が空間を固定している。
(……ああ。死ぬ)
ナオトは目を閉じた。走馬灯を見る余裕すらない。ただ、冷たい終わりを受け入れた。
その時。
ダッ!!
(え?)
ドンッ!
ナオトの体に柔らかい衝撃が走った。誰かが横から彼を突き飛ばしたのだ。
「ミオ?」
ナオトが目を開けると、そこには彼の前に立ちはだかる彼女の背中があった。
ボロボロの強化スーツ。震える肩。出血多量で立っているのが不思議なほどの体。
それでも彼女は両手を広げ、小さな体で盾になっていた。
「馬鹿! 何してるんだ! 防御スキルなんて持ってないだろ! 直撃したら蒸発するぞ!」
「させないっ!!」
ミオが叫ぶ。それは魔剣でもスキルでもない。ただの、魂の叫び。
「ナオトは私が守るッ!!」
ズドォォォォン!!
黒い球体がミオの体に直撃した。そして、その衝撃は彼女の体を貫通し、背後にいたナオトをも飲み込んだ。
「きゃぁぁぁぁぁぁッ!!」
「ぐわぁぁぁぁぁぁッ!!」
熱い。痛い。いや、感覚すら消し飛ぶほどの衝撃。
肉体が分解されていく。
骨が砕け、血液が蒸発し、意識が白く塗り潰されていく。
「(ミオ……!)」
「(ナオト……!)」
薄れゆく意識の中で、二人の手が触れ合った気がした。
熱く、そして冷たく消えていく手のひら。
「(……ごめんね。守れなかった)」
「(……バカ野郎。最後まで無茶しやがって)」
「(……でも、一緒なら怖くない、かも)」
「(……そうだな。最期まで、一緒だ)」
『塵一つ残さんか。脆いものよ』
遠くで、ベルゼビュートの声が聞こえた気がした。
それもすぐに遠ざかり、永遠の静寂が訪れる。
プツン。
視界がブラックアウトする。
痛みも、恐怖も、後悔も、全てが闇に溶けていく。




