第38話 闇の換金所と、ゴブリン銀行の頭取
「痛い」
「狭い」
「ねえナオト。私の背中、鉄板みたいに固まってない?」
「奇遇だな。俺の腰もL字型に固定されたままだ」
チュン、チュン。
無情にも朝が来た。
ネクサスの下層街、高架下の廃棄コンテナ。そこで一夜を明かした二人は、ゾンビのように這い出してきた。
「最悪の目覚めよ。夢の中ではキングサイズのベッドで寝てたのに」
「現実は錆びた鉄の床だ。ほら、起きろ。顔を洗って出直すぞ」
「顔洗う水もないじゃない! あーもう! こんな生活一日だって耐えられない! お金! お金を使いに行くわよ!」
「ああ。そのための資金洗浄だ」
ナオトはリュックを背負い直した。中には昨日の屈辱の原因であり、唯一の希望である金塊が眠っている。
「目指すは下層の最奥、ブラックマーケットだ。そこに俺たちの救世主がいる」
「救世主って……ゴブリンでしょ? 怪しい予感しかしないんだけど」
「背に腹は代えられん。行くぞ、ミオ。今日は商談だ。舐められたら終わるぞ」
「分かってるわよ。舐められたら、噛みちぎってやるわ」
ミオがボキボキと指を鳴らす。その目は獲物を狙う肉食獣よりも殺伐としていた。
◇ ◇ ◇
ネクサス下層街、第13地区。
そこは表の地図には載っていない無法地帯だった。
違法改造された魔導義手、怪しげな薬、盗品らしき貴金属。
路地裏にはそんな品々を扱う露店がひしめき合い、様々な種族の亜人や犯罪者たちが行き交っている。
「うわぁ。治安悪そう」
「バッグを前に抱えろ。3秒でスラれるぞ」
「ここ、本当に銀行あるの? 質屋の間違いじゃなくて?」
「マップによれば、この路地の突き当たりだ。見えてきたぞ」
路地の奥。
周囲の掘っ立て小屋とは一線を画す、鉄筋コンクリート造りの堅牢な建物があった。
入り口にはスーツを着てサングラスをかけたオークの用心棒が二人立っている。
そして、看板には歪んだ文字で『ゴブリン・バンク』と書かれていた。
「銀行っていうか、ヤクザの事務所ね」
「似たようなもんだ。よし、入るぞ」
ナオトが堂々と入り口へ向かう。
案の定、オークの用心棒が手をかざして遮った。
「あぁ? ガキの来るところじゃねえぞ。帰んな」
「客だ。頭取に会わせろ」
「予約は?」
「ない。だが、これを見れば会う気になるはずだ」
ナオトは懐から、チラリと金色の輝きを見せた。金塊の端っこだ。
「ほう。本物か?」
「噛んでみるか? 歯が折れるぞ」
「チッ。いいだろう、通れ。ただし、妙な真似をしたらミンチにするぞ」
重厚な鉄扉が開く。
中は意外にも静かで、魔導空調が効いていた。
カウンターの奥では数匹のゴブリンがソロバンや計算機を弾き、忙しなく書類を処理している。
「いらっしゃいませぇ〜、ケケッ。融資ですかぁ? それとも返済?」
カウンターの中から眼鏡をかけた小柄なゴブリンが顔を出した。緑色の肌、尖った耳、そして狡猾そうな黄色い目。
「両替だ。頭取を呼んでくれ。大口の取引だ」
「大口ぃ? 人間のガキが、お小遣いの両替ですかぁ?」
ゴブリンがせせら笑う。
ナオトは無言でリュックをカウンターに置き、ジッパーを開けた。
中から一本の金塊を取り出し、ゴトリと置く。
「これでどうだ?」
「ヒッ!?」
ゴブリンの目が飛び出そうになった。
慌ててルーペを取り出し、金塊に齧り付くように鑑定する。
「じゅ、純金! しかも、この純度は……99.9%!?」
「在庫はこれだけじゃない。さあ、頭取を呼べ。話はそれからだ」
「た、ただいまぁぁぁッ! 少々お待ちをォォッ!」
ゴブリンが転がるように奥へ走っていった。
「ふふん。やっぱり現物の力は偉大ね」
「ああ。言葉より重みがあるからな」
数分後。
奥の重厚な扉が開き、一匹の老ゴブリンが現れた。
仕立ての良いスーツを着こなし、指には宝石のついた指輪をいくつもはめている。いかにも守銭奴といった風貌だ。
「お待たせしましたなぁ。私が頭取のガメツ・ゴブリンですわ」
「ナオトだ。こっちは連れのミオ」
「ほうほう。して、その金塊を換金したいと?」
「ああ。手持ちの14本全てだ。相場で頼む」
「14本! ヒィッ、こりゃまた」
ガメツ頭取が舌なめずりをした。
その目がナオトとミオの薄汚れた格好をじろりと舐め回す。
「なるほど。見るからに訳ありですなぁ。どこぞの遺跡か、あるいは銀行からお借りしてきたものですかな?」
「出所は不問。それがここのルールだろう?」
「ええ、ええ。もちろん。ですがねぇ、お客さん」
ガメツ頭取がニヤリと笑った。
「最近は相場が変動しておりましてな。それに、刻印を消す手間賃、リスク回避の手数料、もろもろ含めますと」
頭取が電卓を弾き、提示した。
「買取価格は相場の3割。金貨400枚ってところですなぁ」
「はぁ!?」
ミオが声を上げた。
「3割ぃ!? ボッタクリもいいとこでしょ! この金塊1本から金貨なんて100枚近く作れるはずよ! 14本なら1400枚はあるでしょ!」
「ケケケッ、それは表の銀行での話ですわ。ここは裏。足のついた金なんて、スクラップ同然の価値しかないんですわ」
「嫌ならよそへ行ってくだせぇ。ま、出口を出た瞬間に、ウチの若い衆が強盗しちゃうかもしれませんけどねぇ?」
周囲にいたゴブリンたちが、ゲスな笑みを浮かべて武器をチラつかせる。完全に足元を見られている。
「ナオト。これ、完全にカモられてるわよ」
「そうだな。舐められたもんだ」
ナオトは溜息をつき、一歩前に出た。
そして、カウンターに手をつき、ガメツ頭取を至近距離で睨みつけた。
「おい、ガメツ頭取。俺を田舎者の世間知らずだと思ったか?」
「……あ?」
「相場の3割? 寝言は寝て言え。昨今の魔導産業の発展により、金の需要は急増している。装飾品としてだけじゃない、魔導回路の触媒としてな」
「……ッ」
「特にネクサスのような魔導都市では、純度の高い金は引く手あまただ。この金塊は旧時代の精錬技術で作られた、不純物ゼロの最高品質だ。溶かして回路に使えば、伝導率は現在の製品の1.5倍は出る」
「な、なぜそれを……」
「さらに、お前たちの換金ルートも割れている。お前たちはこれを溶かしてインゴットに鋳造し直し、工業用レアメタルとして大手メーカーに卸しているんだろう? その際のマージンは相場の1.2倍。つまり、俺たちから3割で買い叩けば、お前たちは莫大な差額をポケットに入れることになる」
「現在の金の取引価格は1グラムあたり銀貨5枚。上昇トレンドだ。手数料を引いても、最低7割。金貨100枚は堅い」
「ぐぬぬ! き、貴様、何者だ!?」
「ただの冒険者だ。だが、数字にはうるさいタチでね」
ナオトの理詰め攻撃にガメツ頭取が脂汗を流す。
情報の非対称性を利用した詐欺が、まさか看破されるとは思わなかったのだろう。
「チッ! 詳しいようだが、ここは俺のシマだ! 俺が3割と言ったら3割なんだよ!」
ガメツ頭取が開き直り、机をバンと叩いた。
「おい! こいつらを摘み出せ! 金塊は没収だ!」
その合図と共に入り口にいたオークの用心棒たちがドカドカと入ってきた。
総勢5名。棍棒やナイフを構えている。
「へっへっへ、ガキども。痛い目見たくなかったら荷物を置いてきな!」
「はぁ。やっぱりこうなるのか」
ナオトがやれやれと肩をすくめる。そして、隣にいたミオに視線を送った。
「ミオ。交渉決裂だ」
「待ってました! 私のターンね!」
ミオが一歩前に出る。
その顔には満面の笑みが浮かんでいた。ただし、目は笑っていない。
「ねえ、おじさんたち。私、今すっごく虫の居所が悪いの」
「あぁん? なんだ嬢ちゃん、震えてんのか?」
「昨日からお風呂入ってないし、固い床で寝て背中は痛いし、お腹は空いてるし。その上、私の老後の資金をスクラップ呼ばわりされたわ」
ミオが腰の魔鉄の剣に手をかける。
「スクラップになるのはどっちかしら?」
ブォンッ!
ミオが剣を抜いた瞬間、赤い魔力が刀身を包んだ。
「やっちまえ!」
オークが棍棒を振り上げる。しかし、ミオの動きの方が遥かに速かった。
「遅い! ソニック・スラッシュ!」
ザンッ!
一閃。オークが持っていた棍棒が、まるでチーズのように真っ二つに切断された。
「あ?」
「次! 邪魔する奴は薄切りにするわよ!」
ミオが踏み込む。狭い店内を赤い残像が駆け抜ける。
「ひぃッ!? 剣が見えねえ!」
「ま、魔法剣士か!?」
ドガッ! バキッ!
ミオは剣の峰と、強化された蹴りを駆使して、オークたちを次々と無力化していく。
殺しはしない。だが、確実に心を折る暴力だ。
「オラオラオラァ! 3割!? ふざけんじゃないわよ! こっちは命がけで稼いだ金なのよ! 1割たりとも渡さないわよ!」
最後に残ったオークが恐怖で腰を抜かして後ずさる。
「ひ、ヒィィッ! 化け物ぉぉ!」
「誰が化け物よ! か弱い乙女に向かって!」
ドゴォォォン!!
ミオの回し蹴りがオークを吹き飛ばし、頭取の座るカウンターの壁にめり込ませた。
パラパラと瓦礫が落ちる。
「……ひッ」
ガメツ頭取が椅子の上で震え上がった。
目の前には湯気を立てる剣を持ったミオと、冷徹な目で計算機を叩くナオト。
「さあ、頭取。交渉再開といきましょうか」
ナオトがカウンター越しに身を乗り出す。
「レートは8割。手数料は2割で手を打ってやる。その代わり」
「そ、その代わり?」
「俺たちの身分証代わりの裏口座を作れ。この金貨を電子データ化して、どこの店でも使えるようにするんだ」
「そ、そんなこと規則で……」
ダンッ!!
ミオが剣をカウンターに突き立てた。刃が頭取の鼻先数センチを掠める。
「出来るわよね?」
「で、ででで、出来ますぅぅぅッ! 喜んでぇぇぇッ!」
ガメツ頭取が涙目で叫んだ。
◇ ◇ ◇
数十分後。
銀行を出た二人は一枚の黒いカードを手にしていた。
「勝った」
「勝ったわね。完全勝利よ」
カードには金色の文字で残高が表示されている。
『残高:120,000,000G (ガバス)』
この街の通貨レートで、およそ金貨1200枚分に相当する、目が眩むような大金だ。
「手数料2割取られたけど……それでも1億オーバーよ! サラリーマンの生涯年収の半分を一瞬で稼いじゃった!」
「ああ。金塊1本で金貨100枚近く作れる計算だからな。14本なら妥当な線だ。これだけあれば、家を買ってもお釣りが来る。文字通り、人生が変わる金額だ」
ミオがカードに頬ずりし、空に掲げた。ネオンの光を受けて、ブラックカードが妖しく輝く。
「やったぁぁぁぁ! ついに! ついに文明人の仲間入りよ! いや、支配者階級よ!」
「長かったな。これで野宿ともおさらばだ」
「ねえナオト! 行こう! 上へ! 中層エリアへ! 高級マンション借りて、家具も全部新品にするの!」
「ああ。今夜こそ、シャワー付きのふかふかベッドだ。それに、最強のPC環境も整えるぞ」
二人は顔を見合わせ、ハイタッチを交わした。
スラムの冷たい風も、今は心地よい勝利の風に感じられる。
「待ってなさいネクサス! 成金冒険者が経済を回しに行ってやるわよ!」
意気揚々と歩き出す二人。
その背中にはもう迷いも疲れもなかった。
あるのは欲望と、それを満たすための圧倒的な財力だけだ。




