第120話 二千本の聖水と、死地への帰還
「お、お待ちしておりました、ナオト様、ミオ様。ご、ご注文の品、大聖堂の倉庫よりすべてお持ちいたしました!」
「ご苦労だったな。朝早くから神官たちを総動員させて悪かった」
「い、いえ! ですが、本当にこれほどの量の女神の涙を、お二人だけでどうやって運ばれるおつもりですか? 木箱だけで数十箱にも及びますが」
「心配無用だ。俺のアイテムボックスは特別だからな……よし、収納処理、実行」
ナオトが宿屋の前に積み上げられた大量の木箱に手をかざすと、足元から広がる漆黒の影が、二千本もの聖水が入った木箱を音もなく飲み込んでいった。
「ひぃぃっ!? き、消えた!?」
「見事なものね! あっという間に全部片付いちゃったわ。それにしても、これだけの量の聖水を買い占めるなんて、教会の歴史上でも初めてのことじゃない?」
「だろうな。聖水ランク3・女神の涙を二千本。金額にして金貨五十枚分の、最高純度の神聖属性アイテムだ。これだけの物量があれば、どんな悪霊のギミックだろうと圧殺できる」
「頼もしいわね! じゃあ、準備はこれで完璧ね。さっそく馬車に乗って、あの忌まわしい湿地帯に向けて出発しましょ!」
二人は神官たちに見送られながら、東の国境へと向かう長距離馬車に乗り込んだ。
車窓から流れる聖都の景色を眺めながら、ナオトは静かに口を開く。
「ミオ、因縁の死地へ到着する前に、ヴァルドレッドを確実にすり潰すための最終作戦を確認しておくぞ」
「ええ、分かってるわ! あいつのギミックへの対策でしょ?」
「そうだ。まず第一に、あいつの最も厄介な不死の再生能力。以前戦った時、お前のフルスイングで肉体を両断しても、俺の最大火力の錬金術の炎で焼き尽くしても、あいつは傷一つ負わずに再生してのけた 」
「思い出すだけで腹が立つわ! ダメージが通らないなんて、反則にも程があるシステムよ! 」
「物理的な破壊や、熱による攻撃では、あいつの再生速度を上回ることは絶対に不可能だ。だからこそ、明確な弱点である神聖属性のダメージを飽和攻撃で叩き込む」
「そこで、さっき買い占めた二千本の聖水の出番ってわけね」
「ああ。影の倉庫の上空展開機能を利用して、ヴァルドレッドの頭上に二千本の聖水を一斉に展開する。そして、すべての瓶の蓋を魔力で同時に弾き飛ばし、滝のような聖水の絨毯爆撃を仕掛けるんだ」
「空間把握による絶対回避を持ってるあいつなら、普通の攻撃は全部避けられちゃうけど……戦場全体に聖水の雨を降らせれば、回避するスペースそのものがなくなるものね!」
「そういうことだ。避けられない広範囲の神聖属性ダメージの濁流で、不死の判定ごと強引に押し潰す。これが俺たちの最大の勝ち筋だ」
「最高よ! あいつの気取った顔が、黄色いお水でビショビショに溶けていくのが目に浮かぶわ!」
「次に、あいつの攻撃パターンへの対策だ。お前を極限まで追い詰めた、あの全方位からの範囲攻撃……血の驟雨 。強酸と呪いを伴うあの血の雨をどう凌ぐかが鍵になる」
「前回は防具を失って布の服一枚だったから、スタミナが切れるまでただ逃げ回るしかなかったのよね 」
「だが、今回は違う。お前はその回避盾のプレイスタイルを捨てて、今回は攻撃を受け止める壁役に徹してもらう」
「任せて! 今の私には、このミスリル銀の聖鎧があるわ! 盾は持ってないけど、この分厚い重装甲の防御力と、金属そのものに付与されている強力な神聖力があれば、あんな血の雨くらい絶対に耐え切ってみせる!」
「その意気だ。お前は両手剣を構えたまま、絶対に一歩も下がるな。神罰の標的で強制的に敵対心を稼ぎ、あいつの意識を地上の一点に釘付けにするんだ」
「私が囮になって足止めしている間にナオトが上空から聖水を降らせるのね!」
「お前の耐久力を底上げするために、俺も後方から完全浄化の魔法を常時展開し続ける。血の雨の酸と呪いの効果を中和して、被害を最小限に抑えるためだ」
「完璧な布陣ね! それなら私は絶対に倒れないわ! あの時、私をボロボロにしてくれた屈辱、絶対に百倍にして返してやるんだから!」
「俺たちの最強の特化ビルドで、あいつに完全なシステムハックを押し付けてやろう」
馬車は順調に街道を進み、やがて聖法国の国境を越えた。
二人は馬車を降り、いよいよ大陸東部・無法地帯の領域へと足を踏み入れる。
◇ ◇ ◇
「空の空気が急に重たくなったわね。景色もどんどん薄暗く淀んできたわ」
「この先はモンスターが闊歩する危険地帯だからな。……見えてきたぞ、ミオ。かつて俺たちが無残な敗走を喫した、因縁の場所だ」
二人の目の前には不気味な霧が立ち込める広大な湿地帯が広がっていた。
重苦しい泥の匂いと、鼻をつく腐臭が漂ってくる。
「ねえ、ナオト。あそこを見て。泥の中に転がってるあの巨大な干からびた残骸……」
「ああ。巨大な毒トカゲや、ワイバーンの死骸だ。血液と魔力を一滴残らず吸い尽くされた干し肉のような無惨な姿……間違いない。あいつの仕業だ 」
「あいつはまだここにいるのね。自分の食卓だと思って、のうのうと居座ってるんだわ」
「生態系を破壊する存在だな。……行くぞ、ミオ。油断はするなよ」
「ええ!」
二人はかつてのような恐怖に足を取られることなく、堂々とした足取りで湿地帯の奥深くへと進んでいく。
やがて、見覚えのある巨大なマングローブの群生地が霧の中から浮かび上がってきた。
「ここ。間違いないわ。私たちが手も足も出ずに、あいつに殺されかけた場所よ。あの木の上から私たちを見下ろしていたんだわ 」
「だが、あの時の絶望感は今の俺たちには微塵もない。……待て、ミオ」
ナオトが足を止め、純白の法衣を翻し、杖を強く握り直した。
「どうしたの、ナオト?」
「とびきり邪悪で強大な魔力波形を察知した。周囲の環境マナを食い潰すような、異常な存在感だ」
「来たのね、ヴァルドレッド」
ミオは静かに背中の剣を抜き放った。
輝く巨大な銀の刃が湿地帯の淀んだ空気を切り裂く。
「待ってなさい吸血鬼。今度はこっちが理不尽な暴力を押し付ける番よ」
「さあ、リベンジマッチを始めようぜ」
濃密な霧の向こうに潜む因縁の強敵へ向けて。
無敵の聖戦士と高位の神聖魔法使いは不敵な笑みを浮かべて同時に泥の地面を蹴った。




