第103話 物理攻撃と、不死の特性
「いっけぇぇぇぇっ! 先手必勝よ!」
ミオが泥を蹴る。布のワンピースが風をはらみ、彼女の姿が赤い霧の中でブレた。
防具の重量判定ゼロによる、極限の敏捷ステータスが生み出す神速のステップだ。
「ミオ、突っ込むなら俺のサポートに合わせろ! さっきと同じ戦術でいくぞ!」
「分かってるわよ! 私が正面からヘイトを稼ぐ! 足元を固めて!」
「ふむ。一直線に向かってくるとは随分と野蛮なステップだな。まるで餌に群がる哀れな獣のようだ」
ヴァルドレッドの指先がタクトを振るうように軽く弾かれた。
「血の弾丸。貫け」
ヒュッ!
圧縮された血の弾丸がミオの眉間を正確に狙って撃ち出される。
「見えるっ!」
直感回避のスキルが視界を赤く染める。ミオは首を僅かに傾け、音速の血弾を紙一重で躱した。数本の髪の毛がふわりと宙を舞う。
「右! 左! 三連射来るぞ!」
「遅い! 遅いわよ!」
ミオは泥の上を滑るようにステップを踏む。迫り来る致死の弾幕をアクロバティックな身のこなしで次々とすり抜けていく。
「ほう。その布切れ一枚で、ただの人間が私の攻撃を完全に見切るというのか?」
「よそ見してんじゃねえぞ、吸血鬼! 拘束!」
ナオトが両手を泥に突っ込む。魔力結界が展開され、ダイラタンシー現象の強制発動によりヴァルドレッドの足元の泥が瞬時にコンクリート以上の硬度へと変異する。
「む? 足元の泥が硬化を……錬金術か」
「もらったぁぁぁッ! ジャイアントキリング、フルスイング!」
上段に構えた大剣が赤黒い霧を切り裂いて落下する。
全筋力ステータスを乗せた、渾身の致命打。
ズバァァァァァァァンッ!!
凄まじい衝撃音が湿地帯に響き渡る。
「よし! 完璧なタイミングだ!」
「どうよ! 真っ二つよ!」
大剣はヴァルドレッドの左肩から右脇腹にかけて、一切の抵抗なく振り抜かれていた。どんなボスであろうと即死は免れない、完璧な一撃。しかし――。
「えっ?」
「どうした、ミオ!」
「手応えが……ない! お肉を斬った感触が全然しないわ!」
両断されたはずのヴァルドレッドの肉体から血の一滴すら流れていない。
「少しばかり刃筋が粗いのではないかね。力任せの剣では夜の霧を斬り裂くことはできないよ」
「なっ!?」
真っ二つにズレたはずの魔将の体がふわりと赤い霧に変わり、無数の黒い蝙蝠となって宙へ散った。そして次の瞬間、ミオの背後で再び漆黒の軍服を着た男の姿へと再構築される。
「幻影!? いや、違う!」
ナオトの背筋に氷塊を叩き込まれたような悪寒が走った。
「斬られた瞬間に肉体を霧と使い魔に変換して、ダメージ判定そのものを無効化したんだ! 吸血鬼の絶対耐性ルール……不死の再生能力だ!」
「不死!? 物理攻撃が効かないってこと!?」
「ああ! 通常の武器の攻撃を一切受け付けない、最悪のシステム的ギミックだ!」
「だったら再生が追いつかなくなるまで細切れにしてやるわ! オラオラオラァッ! 連続斬り!」
ミオが振り返りざまに大剣を乱舞させる。鋭い斬撃の嵐。
「ミオ、待て! 無茶だ!」
「ナオト、爆弾! あいつを逃がさないように弾幕張って!」
「くそっ、錬金爆弾、三連投げ!」
ドガァァァンッ!
ナオトの爆発がヴァルドレッドの退路を断ち、ミオの連撃が漆黒の軍服を何度も切り裂く。だが、そのすべてが無駄だった。
「ふふっ。無駄な努力だ」
爆煙と剣閃の中、霧と蝙蝠に姿を変えながら、ヴァルドレッドは傷一つ負わずに優雅に微笑んでいた。
「はぁ、はぁっ! 嘘でしょ、本当にダメージが通ってない!」
「ダメだミオ、大きく下がれ! これ以上攻撃しても無駄にスタミナを減らすだけだ!」
ミオが後方へ跳躍し、ナオトの隣に並ぶ。極限の回避と連撃は確実に彼女の体力を削っていた。
「私の回避ビルドは完璧でも、ダメージを与えられないなら勝てないわ! どうすればいいの!?」
「物理無効のアンデッド系ボスを攻略する方法はセオリーで決まっている! 弱点属性による魔法攻撃か、特別な素材を使った武器での攻撃だ!」
「特別な素材って、銀の武器とか、木の杭とかそういうの!?」
「そうだ! だが俺たちのアイテムボックスに特効武器なんて入っていない! こんな湿地に十字架を持参するアホなプレイヤーはいないからな!」
「じゃあ魔法よ! アンデッド特効の神聖魔法とか!」
「無理だ。俺は錬金術師で、お前は戦士だ。神聖魔法を使える僧侶のクラスはパーティーにいない。専用の対策ビルドを組んでいなきゃ、ダメージ判定すら発生しない最悪の相性なんだよ」
ナオトの言葉に絶望の響きが混じる。どんなにステータスが高くとも、システム的な耐性の前には無力だ。
「ほう。私の弱点が神聖魔法や銀であることを正確に理解しているとは、実に賢い果実たちだ」
ヴァルドレッドが泥の上を滑るように距離を詰めてくる。
「だが、知識があっても手駒がなければ意味がない。君たちの言う通り、これは完全に詰みの盤面なのだよ」
「黙れ、吸血鬼! 俺たちはシステムをハックするプレイヤーだ! 物理が駄目なら、属性攻撃のゴリ押しで突破する!」
「ナオト!?」
「俺の錬金術なら炎でも酸でも作り出せる。吸血鬼なら、太陽の光に近い超高温の炎に弱いはずだ」
ナオトは自らの全魔力を両手に集中させた。大気中のマナが激しく渦を巻く。
「ミオ、直感回避のスキル全開で奴の気を引いてくれ! 一発でも被弾すれば即死だが……頼む!」
「分かってるわよ! さあ、こっちよヴァルドレッド! 血が欲しいなら、私を捕まえてみなさい!」
ミオが再び前線へと飛び出す。
「逃げ惑う獲物を狩るのも、また一興」
魔将の手から、高速の血弾が乱れ撃ちされる。ミオは極限の集中力でそれらを躱し続けた。
「大気中のメタンガスを極限まで圧縮し、俺の全魔力を注ぎ込んで発火させる」
ナオトの目が血走る。
「錬金術の奥義……超高熱・煉獄の火柱!!」
カッ!!
目が眩むほどの閃光。次の瞬間、ヴァルドレッドの足元から、規格外の大きさの炎の柱が噴き上がった。
ゴォォォォォォォォォッ!!
天を突く火柱。周囲の赤い霧は一瞬にして消し飛び、恐ろしいほどの熱波がナオトとミオの肌をジリジリと焦がす。物理が通用しないと悟ったナオトが出せる、最大火力の属性攻撃だった。
「やったわ! 直撃よ! あれだけの高温なら、いくら吸血鬼でも灰になっちゃうわね!」
「ああ! この錬金術は火属性の魔法要素がある! これならダメージ判定が通るはずだ!」
燃え盛る紅蓮の炎。どんな理不尽なボスであろうと自分たちの火力の前に必ず崩れ去る。その万能感が、まだ二人の心を辛うじて支えていた。
炎がゆっくりと収束し、焦げた泥の匂いと白煙が立ち込める中に人影が浮かんだ。
「なるほど。確かに熱いな。太陽の光を少しだけ思い出したよ」
「「……なっ!?」」
燃え盛る炎の残滓の中から、一人の男が優雅に歩み出てきた。
漆黒の軍服。白いフリルシャツ。その顔には火傷の一つすら見当たらない。マントの端がわずかにくすぶっている程度だ。それすらも、瞬く間に黒い霧が覆い、新品同様の姿へと再生していく。
「嘘でしょ!? あんな特大の魔法をまともに食らって無傷なの!?」
「最大火力の錬金術だぞ! 属性攻撃すら通用しないっていうのか!?」
「錬金術の炎程度で、この私を焼き尽くせると本気で思っていたのかね? 残念だが私の不死の再生能力は生半可ではない。神聖なる光か浄化の銀でなければ、私の肉体の再生速度を上回ることは不可能なのだよ」
「再生速度を上回るダメージが出せない!? HPの自動回復の量が俺の最大火力を超えているっていうのか」
「これが、君たちと私との格の違いだ」
ヴァルドレッドが冷酷な赤い瞳を細めて微笑んだ。
「君たちがどれほど器用に攻撃を避けようと、どれほど強力な炎を放とうと……私を殺すための鍵を持たないのなら、永遠に勝利の可能性はない」
その言葉が死の宣告のように響き渡った。
ナオトとミオの背筋に氷のような恐怖が走る。
「ナオト……これ、本当にヤバいわ。私たちの攻撃、何一つ効いてない」
「相性最悪だ。今の俺たちのビルドじゃ、こいつのHPゲージをゼロにはできない」
達人に到達したという圧倒的な万能感は無残にも打ち砕かれた。
絶対的な耐性の前に、二人は為す術もなく、真の絶望へと突き落とされていた。




